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南条翔は其の狐の如く  作者: つゆのあめ/梅野歩
【壱章】少年は妖と化す
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<六>南条翔の異変(弐)



  ◆◆◆



 放課後、空はすっかり茜に染まっている。


 飛鳥との駆け引きで見事に負けてしまった翔は、約束どおり三人で近場のファミレスを目指していた。

 ギンコのことが気掛かりで仕方がなかったが、誘いに乗ってしまった以上、約束は果たさなければならない。


(ごめん。ほんとに、ごめんギンコ)


 先を歩く二人の背を見つめながら、翔は心中で何度もギンコに謝った。

 今頃クローゼットの中で待つ狐は翔の帰りを待ちわびて、そわそわとしている頃だろう。帰りが遅くなれば、切ない声で鳴き始めるやもしうれない。

 ああ、ギンコが帰りを待っているというのに……。

 本当にファミレスなんて行ってもいいのだろうか。


「どうしたんだい? ショウ。置いて行くよ」


 飛鳥と共に先を歩いていた朔夜が、こちらを振り返ってくる。

 切れ長の目がさっさと会話に入れと催促していた。


 駆け足で二人の間に入る。

 歩調を合わせ、「何を話していたんだ」と、会話の内容を尋ねると、進路の話をしていたではないか、と飛鳥から呆れられた。


「四月から受験生でしょう? 二人とも進路はどうするのかなぁと思って」


 進路のことなど念頭にもなかった。

 他人事のように翔は考える。


「朔夜は国立大を受けるんだろ?」


 勉強大好き人間の朔夜だ。

 きっと名のある国立大を受けるに決まっている。


「まあね。実家でも通える国立大があれば嬉しいけど……現実は甘くないよなぁ」

「ひとり暮らしは?」

「どうだろう。お金かかるし」


 歯切れの悪い返事をする朔夜は、あまり自分のことに触れられたくないようだ。

 会話を断つように、同じ質問をこちらに飛ばしてくる。飛鳥は苦笑いをこぼし、翔は肩を竦めるだけ。

 三人とも明確な進路は決まっていないようだ。


(なんにも決まっていないのは俺だけだろうな)


 翔は二人を交互に見やり、頭の後ろで腕を組んだ。

 彼らは何も言わないが、きっと二人のぼんやりと進路は決まっているのだろう。なにせ、自分の知らないところで妖祓とやらをしているのだから。

 なんだか置いてけぼりを食らった気分だ。気持ちが沈んでしまう。


(いつまでも三人一緒ってわけにもいかないんだよな)


 金魚のフンのようにくっ付いていけるわけがない。分かっている。

 それでも、翔の知らないところで、幼馴染らが新たな道を歩んでいる現実が心苦しい。

 いつか、二人が打ち明けてくれるといいのだが……。


「それはそうとショウ。何を奢ってもらいたいか、ちゃんと決めたのかい?」


 話題を替えられる。

 他愛もない内容だったが、つまらない進路の内容より、ずっとマシだった。


「どうしようっかな」


 毎度のようにファミレスに足を運んでいるため、メニューを決めるのにも一苦労だ。


「何にしようかな」


 うんぬん考えていると民家の塀に雀がとまった。

 それを見た瞬間、翔は思わず心を奪われた。あれがいい、あれが食べたい。強い気持ちに駆られる。


「雀がいい」


 小さな呟きは二人の耳に届いたようだ。


「は?」

「ショウくん?」


 間の抜けた声が上がる。

 けれど、翔は本気であれに魅せられていた。見慣れたファミレスのメニューよりもずっと、ああ、ずっと美味そうに見える。

 恍惚に雀を見つめた。両目には妖しい光が宿り始めていた。


「あれがいい。どうしても食べたい」


 小さな雀を食らう、それを想像するだけでよだれが出そうだ。

 あれはどのような鮮血と肉の味を楽しませてくれるのだろう。喰らいたい。噛みつきたい。一思いに狩ってやりたい。


「爪で裂くか。それとも牙で刺すか」


 舌なめずりをしたその瞬間、朔夜から頭を強く叩かれた。

 それにより、翔はハッと正気に戻る。いま自分は何を口走ったのだろうか。


「俺、どうしたんだっけ」


 痛む頭部をさすり、ぼんやりと自分の行動を振り返る。

 前後の記憶がおぼろげとなっている。


「あれ、思い出せない。本当にどうしたんだっけ」


 気ばかりが焦ってしまう。まったく行動が思い出せない。


「ショウ……大丈夫かい? 顔色が悪いよ」


 眉を寄せてくる朔夜の眼光が憂慮の強さを教えてくれる。

 それほどまでに顔色が悪いのだろう。


「あ、ああ。ごめん。ちょっと眩暈がしたみたいだ」

「本当かい? 何かあるなら、遠慮せず言えよ」


 これっぽっちも嘘がつけない翔は、間を置いて、今の自分を説明する。


「自分が何をしようとしたのか分からなくなったんだ」

「分からなくなった?」

「おかしいだろ? 思い出せないんだよ。意識が飛んでたのかな」


 立ったまま寝ていたのかもしれない。

 おどけ口調で誤魔化すが朔夜の表情は険しいままだ。

 飛鳥も血相を変えて心配を寄せた。


「なにを言ったのか、覚えていないの? ショウくん」

「ごめん。まったく覚えてないや。何か変なこと言ったか?」

「お腹が減ったってことくらいかな」

「そっか。ならいいんだけど」


 頭を振ってもさっぱりだと苦笑いをこぼす翔は、民家の塀にふたたび目を向ける。

 二羽、三羽、四羽と増える雀の姿を捉えると両目の瞳孔を膨張させた。丸い瞳孔を縦長の瞳孔に変え、それを膨張させる。

 少しずつ気持ちが昂るのを感じた。


「ショウ、聞こえているかい!」


 朔夜が翔の前に回ったことで、翔の瞳孔は元のかたちに戻る。

 凄まじい頭痛がこめかみを走ったことで、翔はその場でしゃがんでしまった。頭が割れそうに痛い。


「ショウくん。本当に大丈夫? そこの自販機で何か買って来ようか?」

「ヘーキ。眩暈がしただけだよ」

「今日は予定を変えよう。僕ん()が近いから、家で休むといいよ」

「大丈夫、もう立てるよ」


 ふらりと立ち上がり、「風邪でも引いたかな」と、翔はこめかみを軽く叩いた。


「悪い悪い。ファミレスに行こうぜ」

「行けるのかい?」


「おう。ファミレスでも座れるからな。今回はドリンクバーを奢ってくれたら、それでいいよ。あんま食えそうにない。調子が良かったら、から揚げかチキン南蛮が食べたかったな」


 途端に二人の顔がぎこちなく引きつった。

 変なことは言っていないと思うのだが……。


 その時であった。

 生温かい風が背後から吹いてきた。

 その風に乗って、『……キツ……ネ』と、鼓膜に聞き覚えのある言葉が耳に届く。

 狐とはなんのことだろうか。

 振り返ると幼馴染らがこわばった顔を作り、自分と同じように背後を見つめている。言葉を発したのは彼らじゃないようだ。


 一点を見つめている幼馴染らと同じ方角に視線を置く。

 そこには静かな民家が並ぶばかり。植えられているビワの木が、葉もまとわぬ裸の状態で棒立ちしている。


「どうしたんだよ。二人とっ、うわっつ!」


 突風が吹き、むっとした不快感が襲う。

 風の中に獣のニオイが混じっている気がした。


「あ」


 巻いていたマフラーが風によってほどかれ、吹き飛ばされる。

 灰色のマフラーを追うために一歩を踏み出した。


「ショウ!」

「ショウくん!」


 前触れもなしに大声を出された翔は、びっくりして足を止めてしまう。

 数十メートル先で大きな落下物が発生したのは、間もなくのこと。

 高圧電流が流れている電線が落ちてきたのだ。風によって切れてしまったのか、太い黒線がアスファルトに叩き付けられ、軽くのた打ち回る。


(ま、まじか)


 翔はひっ、と小さな悲鳴を上げて青ざめる。

 もしもマフラーを追っていたら、間違いなく電線の切れ口とぶつかっていた。感電からは逃れられなかったことだろう。


「あ、あぶねぇ」


 ぶるりと背筋を震わせる翔の下に、朔夜が早足で近寄ってくる。

 彼はスラックスの右ポケットに手を突っ込み、険しい顔をしていた。


「怪我はない?」

「サンキュ。おかげで助かったよ」


 呼び止めてくれなければ、今ごろ真っ黒焦げだったことだろう。

 朔夜と切れた電線に目を向ける。まるで鋭利ある刃物で切られたかのように、切り口は綺麗であった。


「あんなのに当たっていたら、ひとたまりもなかったよ。風のせいかな?」

「……それは分からない。だけどショウに当たらなくて良かった。本当に危なかったね」


 にわかに表情を崩す朔夜から秘めた物を感じ取る。

 今の出来事に、なにか心当たりでもあるのだろうか。

 訝しげな気持ちを抱いた直後、急に耳鳴りのようなものが聞こえた。思わず両耳を塞いでしまう。


「ショウ? どうしたの」


 声を掛けてくる朔夜に耳が痛いのだと返し、奥歯を食い縛る。

 次第に痛みは引くが、かわりに襲ってきたのは周囲の大きな音。声を掛けてくれる朔夜の声も、先ほどまで聞こえなかった飛鳥の何かを唱える声も、風の音も、電線に走る電流の音も、すべて鼓膜を震わせる。


(うるさい、うるさい――うるさいっ)


 脳天に響くような騒音に目を瞑った。

 この現象は極々最近に体験した。

 視覚、聴覚、嗅覚。これら三つが敏感に感じ取ってしまう現象を、自分は体験している。


「また気分が悪くなったのかい?」


 心配した朔夜が肩に手を置いてくる。多大な嫌悪感がこみ上げてきた。突き飛ばしたい衝動をグッと堪え、恐る恐る瞼を持ちあげる。耳を塞いでいる手は意味を成していない。


「吐きそうなら言えよ」


 朔夜の声がはっきりと聞こえてくる。


「大丈夫? 何かあった?」


 何かを唱えていた飛鳥の声が途切れ、朔夜と自分に声を掛けた。


 すると、どうだろう。

 騒音がぴたりとやみ、敏感になっていた感覚が元に戻った。


「あ、れ」


 翔は目を白黒させて、ゆっくりと手を下ろす。大丈夫かと顔を覗き込んでくる朔夜に、大丈夫だと苦笑いを返して片耳を触った。


「むっちゃ耳が痛くなったんだ……中耳炎かもしんねぇ。耳に違和感がある」


 ご尤もらしいことを並べてみるが、さっきの現象と痛みはどう考えても中耳炎ではないだろう。


「わけが分からねえよ。なんで急に耳が痛くなるんだ」


 顔を顰める翔の心を汲み取った朔夜も、それ以上のことは追究してこなかった。

 他に気になることがあったようで、意味深に飛鳥に視線を投げている。双方のアイコンタクトを盗み見た翔は瞬く間に察してしまう。彼らは自分の知らない世界にいる、と。


 それがさみしくもあり、苦しくもある。

 なによりも翔と二人の間に分厚い壁を感じた。


(まてよ)


 翔はあることに気づく。

 二人は妖祓というもの。

 なら、今の現象はもしかして、いつぞか目にした“化け物”のせいなのでは。まさか……狙われた?


(それにさっき風に乗って“狐”って単語が聞こえた。狐……まさかギンコのことじゃ!)


 だとしたらギンコが危ない。


「ごめん! 俺、用事を思い出したから帰る!」


 血相を変えた翔は、二人に謝罪して地面を強く蹴った。

 どちらかに呼び止められた気もするが、それすら気遣う余裕がない。

 翔はマフラーを拾うことすら忘れ、自分の住むマンションに向かった。住宅街の中でも指折りの長い坂をくだり、大通りの緩やかなカーブを突っ切ると飛び込むようにマンションへ。

 動作の遅いエレベーターには乗らず、七階まで階段で駆け上る。乱れた呼吸を整えることもなくポケットから取り出した鍵を穴に挿し込んだ。


「ギンコ!」


 自室のクローゼットを勢いよく開けると、待っていましたとばかりに獣が飛びついてきた。

 ふんふんと鼻を鳴らし、嬉しそうに尾っぽを揺らす、いつものギンコに力が抜けてしまう。


「よ、良かった。お前、無事だったんだな」


 安堵するあまり、その場にへたり込んでしまう。

 元気な姿に涙が出そうになった。

 不思議そうに見つめてくるギンコと目が合うと、なりふり構わず狐を抱きしめる。驚いたように、ギンコがクンと鳴いた。


「ギンコに何か遭ったらと思ったら、おれ、気が気じゃなくて……ごめん。ほんと、ごめん。お前のことを放っておいて遊びに行こうとしていたよ」


 賢い狐は、翔が心配しているのだと理解したようだ。

 自分は大丈夫だと言わんばかりに、鼻先で体を小突いてくる。いたずらげに耳を舐められ、ようやく翔はくすぐったいと笑うことができた。


「ギンコを保護したのは俺だ。責任を持ってお前を守るよ。お前がいつか自分の家に帰る日まで。お前の飼い主が見つかるまで。約束する。しばらく遊びも断るよ。ギンコのことを一番に考えるから」


 すると、狐が嬉しそうに頬を舐めてきた。甘えているのだろう。

 この姿が見られなくなっていたかもしれないと思うと、やはり今しばらくは、遊びを控えよう。翔は心に固く誓った。

 置いてきてしまった幼馴染らには後で謝罪のLINEを送ればいい。

 いつもドタキャンされていた身なのだ。今回のことは大目に見てくれることだろう。


「翔。帰って来たの?」


 半開きになっている扉の向こう、リビングから母親の声が聞こえた。

 慌しく帰ってきた音を耳にしたのだろう。

 急いで扉越しに「ただいま」と帰ってきた胸を伝え、部屋の扉をそっと閉めた。


 危ないあぶない、母に見つかったら面倒なことになる。


「あ。ごめん、ギンコ。今日の飯、まだ買って来てないんだ。これから買いに行って」


 首を捻って狐の方を見る。

 愛らしい顔が一変、牙をむき出しにし、総身の毛を逆立てるギンコが窓辺を睨んでいた。

 恐る恐る窓辺を見るが、そこには何もない。澄み渡る茜空と張り巡らされた電線が広がっているだけだ。


 しかし翔には分かっていた。

 自分の目には見えない“何か”がそこにいるのだ。

 見えない、視えない、みえない何かが、あの時のように。


「ギンコ。おいで」


 恐怖心に煽られながらも、翔は狐を守ろうと獣の下に駆け寄る。

 威嚇しているギンコの身を抱き上げると、視界が二重、三重にぶれ、先ほどは何も見えなかった窓辺に大きな影を見ることができた。


「なっ」


 声なき悲鳴をゆっくり呑み込む。

 影はじょじょに姿をあらわし、三つ目を持つ大きな鳥となる。

 ぎょろぎょろとしている黄の眼球、赤の瞳孔、カラスのような風貌をしている化け物鳥の全長は目分二メートル近くあった。

 窓向こうの手すりにとまり、今か今かと獲物に狙いを定めている――あれはあの夜、幼馴染らが相手をしていた“化け物”だった。

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