<十一>十代目南の神主(参)
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弥生の月初めに入った。
一日は翔の通っていた高校の卒業式である。
親しかった者達と別れ、新たな門出に立つ式を迎えた翔は体育館で卒業証書授与を終えると、教室で最後のSHRを受け、クラスメートと集合写真を撮った。
その後は過ごした教室を去り、後輩達が作ってくれる花道を潜って校庭へ。
クラス関係なく同級生達と記念撮影が始まった。卒業したくないと泣きじゃくる者、いつものように仲間と笑い合っている者、新たな生活に胸を躍らせている者等など、同級生達は個々で思い思いの反応を作っている。
そんな中、翔はとあるクラスメートの女子から声を掛けられ、学ランのボタンを下さいと強請られていた。
二番目のボタンと贅沢は言わない。
だけど、どうしてもボタンが欲しいと真っ直ぐ言われたので、「いいよ」翔は三番目のボタンを引き千切って彼女に差し出す。
第二ボタンの意味を知っているゆえに(第二ボタンは心臓に近いボタンだということでハートを掴みたい男子のボタンを女の子は狙うそうだ)、簡単にはあげられそうになかったが女子生徒は嬉しそうに受け取ってくれた。
卒業しても連絡をして良いか? 積極的に質問してくる彼女に苦笑しつつ首を縦に振り、相手の生徒手帳にLINEのアカウントとアドレスを教えておく。
ありがとうと笑い、セーラー服のプリーツを翻す彼女の背を見送る。
彼女は早速貰ったボタンと生徒手帳を待っていた友人達に見せびらかしていた。
「女の子ってこういうの好きだよな」なんとなく彼女の気持ちを察してしまった翔は決まり悪く頬を掻き、青春だな、と呟く。
この後も比較的親しかった女の子達が悪乗りでボタンを頂戴だのなんだの言ってくるためボタンを引き千切っていき、とうとう第二ボタンのみとなってしまった。
「……今ならどさくさに紛れて渡せる、けど」
残った第二ボタンを見下ろし、翔は複雑な感情を抱いた。
神主になる翔は神に身を捧げる身の上になるため、異性への恋心を捨てなければならない。
翔も承知の上で神主になると決めたのだが、どうも卒業式の雰囲気を当てられたようだ。これで最後だし悔いないためにも、第二ボタンは想い人だった彼女に渡しても良いのでは? と考えた。
しかし、それでは間接的に想いを伝えてしまうことになる。
翔は思い悩んだ。この気持ちは神主になる日を境に胸の内に仕舞っておくつもりだったのだから。
「あいつ、一浪することになったしな。センター試験が全然上手くいかなくって、二次試験どころじゃなくなったって」
夏休み以降、国立大を目指そうとがむしゃらに勉強をしている飛鳥を知っていたため、これで慰められないかと翔は溜息をつく。
年内で大学の合格通知を貰っている翔と朔夜に対し、飛鳥は年明けのセンター試験に向けて努力していた。が、本人曰く本気になるのが遅すぎたことや、場の空気に呑まれてしまい、試験に失敗してしまったそうだ。それを引き摺りに引き摺って私立大の試験にまで影響が出てしまい、一浪を決意したと飛鳥。
今年は本気で勉学に励む一年にすると気丈に振る舞っていたが自分達に報告している内にそれも脆く崩れ、涙を零していたことを思い出し、翔は唸り声を上げる。
自分のボタンではなく、朔夜のボタンを上げた方が効果的なのだろうけれど。
はてさて、どうしたものか。
ぐるっと周囲を見渡し、第二ボタンを握り締める。
周りは撮影会一色だ。教師と写る者、同級生と写る者、下級生と写る者などが目に飛び込む。
その辺をぶらついておけば飛鳥は見つかるだろう。彼女はこういう行事が大好きだろうから。なにより幼馴染三人で写真を撮ろうと約束しているので、必ず後から顔を合わせる筈。
「霊力を探ればいいんだろうけど、此処にはあいつ等の両親もいるからな。まだ顔を合わせるのは気まずいんだよ、お互いに」
視線をあちらこちらに配っていると、「ショウ」クラスメートと別れた朔夜が声を掛けてきた。
そろそろ三人で写真を撮ろうと思ったのだろう。うろついている翔の下に歩み寄ってくる。
彼は自分の学ランを見るや、「モテモテだね」女の子達に無償で配布してきたの? と揶揄してくる。そんなところだと両手を軽く挙げる翔は、「お前は断っていただろう?」綺麗に揃っているボタンを指差した。
「僕は物を大切にするから。心置けない人じゃないと、自分の私物は渡したくないよ。ま、そんな君も第二ボタンは誰かさんに残しているみたいだけど?」
肩を竦めてくる朔夜の嫌味を右から左に流し、飛鳥を探そうと話題を替える。
多分、まだこの辺で同級生と写真撮影をしている筈だから。そう言って隈なく生徒達の顔を見やっていると、あっさり飛鳥を見つける。早足で彼女に歩み寄ろうとしたのだが、ついつい足を止めてしまった。
何故なら彼女は米倉に呼び止められ、お取り込み中だったのだから。
「楢崎、これやる」
耳の良い翔には彼等の会話が鮮明に聞こえてくる。
仏頂面を作っている米倉は自分の第二ボタンを引き千切ると、飛鳥の手に押し付けていた。
目を白黒させて戸惑う彼女に、「来年。必ず来いよ」勉強時間が足りなかっただけで、お前なら目指す大学に入れると米倉。数学なら教えてやるからと鼻を鳴らしている。
どうやら飛鳥の目指す国立大は米倉が通うことになっている大学のようだ。彼は待っているとはっきり飛鳥に告げていた。
「俺はお前を待っている。それは道しるべだ。勉強に挫折しそうになったら、待っている奴がいるって思い出せ」
「で、でもこれ……第二ボタンだよ。意味分かってるの? 米倉くん」
ボタンと差出人を見比べる幼馴染に、「さあ。どんな意味だったか」うそぶいて茶化す米倉。
満面の笑顔を浮かべる彼は二度、三度、一年間飛鳥を待っている旨を告げ、もしも駄目だったら待つことをやめると肩を竦めた。
「けど勘違いするなよ」待つことをやめるだけだと彼は付け加える。一年を過ぎたら、待つことをやめて好き勝手にさせてもらうと米倉はおどけを口にした。
「俺はどっかの誰かさんと違って腰が軽いんだ。長々と座って待つことはだるい。今なら南条がなんでお前に執着していたか、勉強を教えていて少し分かった気する」
鼻の頭を掻いた後、
「楢崎って、なんとく放っておけねぇ」
大変思わせぶりなことを吐いた。
米倉をよく知っている翔は驚愕してしまう。
あの米倉が特定の女子を口説いているなんて。合コン好きの彼は女の子に気が多く、不特定多数の女子と仲良くする傾向にある。そんな米倉が一人の女を口説いているなんて天変地異でも起きるのではないだろうか。
と、米倉が飛鳥に第二ボタンを押し付けるだけ押し付け、踵返した。
此方に向かって歩いて来る彼は呆然と佇んでいる翔の首に腕を引っ掛けると、
「いつまでも楢崎に思われる、なんざ思うなよ」
肩を並べる隣の人間に一声浴びせ、早足で直進。
新たなトライアングルに翔は間の抜けた声を出し、思わず朔夜を一瞥。
幼馴染の耳にも届いたようで、朔夜の表情が見る見る険しくなった。「べつに僕は」スラックスのポケットに手を突っ込みつつも、なんとなく落ち着きがなくなっている。べつに、ではないだろう。その態度は。
(え、お前等、いつの間にそんな関係にまで発展してるの?!)
年中無休、神主のことで頭が一杯だった翔は身近な関係の変化に戸惑うばかりだ。
「お、おい米倉!」彼に連れ去られそうになり翔は焦りの色を見せる。
すると米倉は、「俺と写真撮影の約束があるだろ?」だから付き合えと有無言わせない空気を醸し出してきた。
こうしてクラスで一番親しい友人に連れ去られてしまった翔だが校庭を出たところで彼に解放され、ごめんと謝罪されてしまう。
いくつもの疑問符を浮かべる翔に、「俺は楢崎が好きかもしんねぇ」だからごめんと米倉。
かもではなく、まんま好きだろう、今のやり取りは。心中でツッコミを入れた後、なんで自分に謝るのだと翔は率直に疑問をぶつけた。決まり悪そうに、「そりゃお前が楢崎を」米倉がごにょごにょと口ごもる。
ああ、なるほど。一途に片恋を抱き続けた自分に申し訳なさを感じているのか。
「お前って変なところで律儀だよな。べつに俺に気を遣わなくてもいいんだぞ。飛鳥のことは自分の中で踏ん切りをつけているから」
たとえ叶わぬ初恋だったとしても、この恋はかけがえのないものだった。
人間だった頃の気持ちを胸に抱いて妖の頭領になると決めているのだから、やっぱり気持ちは伝えなくていいと翔は密かに思い改める。
残った第二ボタンに目を落とした後、「今度は俺が相談役だな」言っておくが飛鳥は手ごわい。なにせ朔夜に一途な思いを抱き続けているのだから。幼馴染の自分が言うのだから間違いないと肩を竦め、米倉の脇を肘で小突く。
「お前はもういいの?」翔の気持ちを知っている米倉が気遣う素振りを見せてくる。
「ああ」自分には彼女以上に大切な人達ができてしまった。ゆえに彼女だけ大切にすることはできないのだと苦笑。彼女ができたのかと頓狂な声を上げられたので、それは違うと否定しておく。
だったらどういう意味だと訝しげな眼を向けてくる彼に、「とにかく」俺はお前とこれからも悪友でいてやると背を叩き、片目を瞑る。
「だから心配すんな。お前を避けることはないって。一人暮らしする部屋も決まったんだ。引っ越したら、遊びに来てくれよ」
親を説得させるのには随分時間を要したが、晴れて一人暮らしが決まった翔は是非、自分の部屋に遊びに来てくれと誘う。
ただ米倉が恋をしてしまったのなら、合コンの機会は減るだろうな。そう、おどけると「まだ恋をしたわけじゃねえよ」好きかもしれないだけだと米倉が片意地を張った。彼はもしかしたらツンデレの気があるのかもしれない。
腰の重い朔夜と素直じゃない米倉を天秤に掛け、どちらが飛鳥の心を射止めるだろうと想像してみる。見当もつかなかった。
「なんか南条、変わったよな」
「え?」
自分の顔をまじまじと見つめくる米倉が不意に話題を切り出してくる。
彼は言う。幼馴染達にあれほど執着していたのに、今はその姿が欠片も見当たらない。門出に立つことに嬉々しているようにすら見える。以前の翔なら卒業式を迎えると共に新たな門出に不安を抱き、どうやって幼馴染達の傍に居ようか、と悩んでいただろうに。
それどころか今の翔は何処か礼儀正しい。身振り手振り、立ち振る舞いが他の人間とは一味違うと米倉。
何か自分を変える契機があったのか? 彼が問いを投げかけてくる。目を丸くしていた翔だが、そっと頬を崩した。
「――沢山あり過ぎて一言では語れねぇや」