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南条翔は其の狐の如く  作者: つゆのあめ/梅野歩
【余章】其ノ妖、其ノ人
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<九>十代目南の神主(壱)



 年は明け、暦は如月上旬。


 まだまだ余寒の厳しい季節は翔にとって特別な月だった。

 何故ならば去年のこの頃に銀狐と出逢い、妖の器となったのだから。

 あれからもう一年経つのか。日輪の社の本殿に向かっていた翔は懐かしさを噛み締めながら参道ですれ違う妖達に会釈する。朗らかな表情で挨拶をしてくる妖達と軽く会話を交わし、祝の詞に礼を告げ、喜びを露にしてくれる妖に頭を下げてその場を去る。

 拝殿を通り過ぎ、最奥の本殿前に辿り着くと木造の段をのぼる前に一礼。軋む階段を上って入り口を開ける前にもう一度、一礼。そっと扉を開く。


「失礼致します比良利さま。三尾の妖狐、白狐の南条翔、只今参りました」


 中にいる四代目北の神主に頭を下げると、浅沓を脱いで扉を閉めた。

 ぼんぼりが灯っている祭壇の前で足を折り畳んでいる六尾の赤狐。人の容はしていれど、その尾と耳は隠していない。

 彼の後ろに目分三歩ほど距離を置いて腰を下ろす。北の神主は勿論、祀られている先代の御魂に深く一礼するため両手を添えた。


 「頭を上げよ」対面してくる比良利の命により、下げていた頭をゆるやかに持ち上げる。

 慈悲溢れた眼と合う。柔らかな面持ちで頬を崩してくる対は翔の身なりを眺め、こうのたまった。


「浄衣が似合う男となったのう。内幕の就任式から半年以上経ったが、まことに浄衣が似合う男となったのう。翔よ」


 内幕の就任式を境に比良利は公の場で翔を“ぼん”と呼ぶことが少なくなった。それは己の対として対等に扱っている証拠。

 翔もまた公の場で比良利をさん付けで呼ぶことが少なくなった。それは目上の対に敬意を払っている証拠だ。

 北の神主に会釈し、翔は身に余るお言葉だと目尻を和らげる。次いで、内幕の就任式から半年も経ったなんて月日は早いものだと吐露。気付けば本就任まで二ヶ月を切った。春の訪れと共に比良利の対になるだなんて、未だに夢を見ている気分だと苦笑した。


 比良利が笑声を零す。

 自分も夢を見ているような気分だと便乗し、祭壇に視線を流す。


「対を失ってかれこれ百年。これから先も片割れを失ったまま過ごすと思っておった。じゃが宝珠は新たな天命を妖狐に授けた。齢十七の若き妖の器を選んだ。不思議なものじゃのう。二百も違う主と対になるのじゃから」


「今は対、というより師弟でございましょう。早く一人前の神主になれると良いのですが」


 表向きは神主としてなんとか成り立ちそうだと告げる。

 しかしあくまで表向きにしか過ぎず、自分はまだまだ半人前の未熟者だと翔。本幕の就任式を終えたその瞬間から、本格的な神主修行が始まるのだ。一人前の道は非常に険しいものである。


「焦らずとも良い翔。本就任を迎えてすぐに一人前なる、など誰もできやせぬ。わしもまだ神主修行の身の上。生涯を懸けて一人前になろうと努めているところじゃよ。神主修行に終わりなどない」


 翔の心中を察した師が優しい言の葉で慰めてくれた。

 笑みを返そうとするが、筋肉が上手く動かず情けない顔を作ってしまう。

 「不安かのう?」変わらない表情で比良利が問う。「怖じない者などおりませぬ」これも先導者に課せられる試練かもしれない、と翔は目を伏せる。


 弱音を吐くなと叱られそうだが、思いのほか北の神主はそっと相槌を打ってくれた。

 彼は距離を詰め、大きな手を翔の肩に置くとそれで良いと一笑。無理に気丈を振る舞われるより、素直な感情を表に出してもらった方が此方も安心すると比良利。気丈は捩れた自尊心を生みかねないのだから。



「ぼんの欠点は己を蔑ろにするところ。すぐに無理をしようとする。少しは自愛も必要であろう。と、言えば紀緒に人のことは言えぬとお小言を貰いそうじゃが……どうも主はわしの青い頃に似ておるからのう。何度紀緒に自愛せえ、と言われたか」



 相手の砕けた口調は、此方も砕けた口調を使用しても良いという合図だ。


 自分も南の巫女にお小言ばかり頂戴していると翔は決まり悪く口角を緩める。

 自分を大切にできない奴がどうして他者を守れようか、等々何度巫女に説教されたか。翔とて自分を大切にしたい気持ちは些少ならず存在している。一端の妖として自分の身は可愛いと思っている。だから自分を優先したい気持ちも出てくる。が、いざとなると周りが見えすぎて自分が見えなくなってしまうのだ。

 見栄っ張りな性格なのかもしれない。小声で自己分析すると、比良利が大声で笑った。


「そうじゃのう。わしもぼんも見栄っ張りな性格なのかもしれぬ。わしも熱くなると己が見えぬものよ。その都度、紀緒やツネキに迷惑を掛けるものじゃ」


「俺も、そうなりそう。この前だって稽古のし過ぎで寝込んじまって……青葉に説教されるは、ギンコから怒られるは、おばばからは稽古禁止を食らうは。大事にしないといけないのは分かっているんだけど」


 溺愛しているギンコに叱られた光景を思い出し、翔は耳を垂らす。

 ギンコのお叱りほど堪えるものはない。自分はいつだって銀狐に甘いのだ。

 「それだけ皆、主を愛しているということじゃ」翔が妖や人を愛すように、翔もまた妖や人から愛されている。それを忘れてはならないと比良利。物言いたげに北の神主を見つめると、彼はばつ悪そうに咳払いをして、自分も忘れないようにすると付け加えた。



 比良利と共に日輪の社に祀られている先代達の御魂に一礼と挨拶をすると翔は本殿を出る。

 彼が日輪の社の本殿に呼び出したのは先代達に近状を報告するためだ。月に一度行われるらしく、翔は欠かさず本殿に赴いている。比良利もまた月輪の社に赴き、先代達の御魂に挨拶をしている。

 今の社がこうして息づいているのは先代達のおかげなのだ。

 その御魂達には最高の敬意を払わなければならない、と比良利は口酸っぱく注意してくる。


 挨拶を終えると和傘を片手に、妖と交流を図る比良利について回る。少しでも多くの妖を知るために。

 ただ人の善い妖と交流をしていると神主の面が落ち、素の自分が出がちだ。


 もっと大人の振る舞いをしなければならないと頭では分かっているのだが、妖達に物珍しい品や話を聞くと目を輝かせて好奇心を向けてしまう。


 その度に比良利や妖達から笑われ、翔は小っ恥ずかしい思いを噛み締める。

 だが誰もそんな翔を咎めやしない。妖は皆、親しみやすい若神主だと口を揃えてくる。庶民的な神主だと言われてしまい、それは褒められているのか、貶されているのか、と首を傾げてしまうこともしばしば。

 けれど気難しい神主と呼ばれるよりはマシだろう。前向きに物事を捉え、翔は妖達との交流を楽しんだ。神主の義務、などとは一抹も思わずに。



「いらっしゃいまし、比良利さま。おや、これはこれは若神主の翔さまもご一緒で」



 便宜屋を営んでいる出店の前に立つ。

 一つ目小僧の喜一が愛想よく挨拶をしてきたため、「こんにちは」翔は軽く頭を下げ、店の調子を尋ねた。

 上々だと答える喜一はツツジの甘酒の入った酒瓶を手にして尾を振っている比良利と、後で飲ませてもらおうとこっそり舌なめずりをする翔を交互に見やり、おかしそうに笑声を零す。

 どうして笑うのだときょとん顔を作る比良利と翔に、「似ていますね」色違いの和傘を持つ二人はまるで兄弟のようだと喜一。


「惣七さまと比良利さまの時代は歴代一の犬猿神主と呼ばれました。まったくもって些細なことから喧嘩するお二人が見物で見物で。子供のような喧嘩ばかりするお二人に妖達は皆心を和ませておりましたが、次は歴代一の兄弟神主と呼ばれましょうな。いや年齢を考慮すると親子かもしれませんね」


「これ喜一。誰が親で誰が子じゃい。わしはまだ二百、十分に若いぞ」


 引き攣り笑いを浮かべる比良利は、ぼんの前で昔の話を持ち出すなと唸り声を上げる。

 「何を恥らっているのです」喧嘩するほど仲が良かったではありませんか! 喜一は面白おかしそうに語りを続ける。


「お二人が就任したての頃、辛酒と甘酒、どちらが民に受け入れられているかで揉めていましたね。しかも私の店の前で。辛酒と主張したのは惣七さまで、甘酒と主張したのは比良利さまでしたっけ。営業妨害をするほどの揉めっぷりに先々代に叱られていましたっけ」


「そ、そうじゃったかのう」


 比良利の目が泳いでいる。はっきりと憶えているようだ。


「しかもお互いがお互いに酒を煽り、その味の良さを大主張。最後には酔いが回り、潰れかけましたな。もう、参道は笑いの渦でした。いやはや懐かしい」


「……あの頃はわしも惣七も青かったのじゃよ。今はそのような真似などせぬ」


「どうでしょう? 惣七さまがご健在ならばきっと下らない喧嘩をして我々を楽しませていたと思いますが」


 ぐうの音も出ないらしい。比良利は言葉を詰まらせていた。

 笑わないよう奥歯を噛み締めていると、「翔さまはどちらがお好きですか?」喜一が話題を振ってくる。

 間髪容れずに翔は比べられないと答える。実は辛酒を飲んだことがないのだ。答えたくとも答えられない。そう言うと喜一が漆の塗られた器にもみじの辛酒を注ぎ、試し飲みをさせてくれた。


 どれどれ。

 頂きますと喜一に頭を下げ、透き通っている辛酒を一口。


 ぶわっと三尾の毛を総逆立ちさせてしまう。「か、辛ぇ」慣れない酒の辛さに舌を出し、酒の経験が乏しい自分には無理な味だと苦言。とてもじゃないが辛くて飲めない。唐辛子や胡椒とはまた違った酒独特の辛さに呻き、ツツジの甘酒が好きだと顔を顰める。

 「ツツジの甘酒ですか?」他にも甘酒はありますよ。喜一が尋ねてきたため、比良利がくれたツツジの甘酒が一番美味しかったのだと翔は指を立てた。後でツツジの甘酒を分けてもらうつもりなのだと相手に耳打ちすると、喜一が盛大に噴き出す。


「翔さまは比良利さまをとてもお慕いしているのですね」


 翔は強く頷く。

 大尊敬している自分の師匠なのだと破顔し、いつか北の神主に見合うだけの神主になりたい。それこそ北の神主のような寛容ある神主になりたいのだと言い、柄を回して蛇の目模様の弧をくるりと一周させる。

 「ぼん!」頭ごなしに叱り付けてくる比良利に、翔は何か悪いことを言ったかと首を傾げた。べつに何も悪いことなど何一つ言っていないと思うのだが。


 視界の端に見覚えのある人物が映る。

 のっぺらぼうの藤兵衛だ。神楽のための小道具を運んでいるようだ。大量の荷物を目にした翔は彼の名前を呼び、自分も手伝うと白髪を靡かせながら駆け出す。


「あ、これ翔! ……まったく落ち着きのないぼんじゃのう。あれで南の神主が務まるのか、些か不安じゃのう」


「ふふっ」


「なんじゃい喜一。その意味深な笑みは」


「いえいえ。元気な対ができて嬉しそうだな、と。惣七さまがお亡くなりになられ百年、とても辛い日々でしたから。これで惣七さまも安心してお休みになられることでしょう。本当にあの子は昔の貴方に似ています。比良利さま、良き父にならなければなりませんね」


「……せめて兄と申せ。兄と。犬猿神主と揶揄され続けた後に、親子神主と呼ばれるなんて。それだけはごめんじゃい。まだまだわしの苦労は絶えんのう」


「またまたぁ! 北の神主ともあろうお方が心にもない事を仰るのですね。あそこまで純にお慕いされては可愛くて仕方が無いでしょう、ねぇ」


 忙しなく左右に揺れる六尾に視線を流す喜一に気付き、比良利が大慌てで尾を落ち着かせようとしていたことに、戻って来る翔が知る由もない。

 

 「あれ?」中型の葛篭(つづら)を腕に抱えていた翔は比良利の挙動不審な様にどうしたのだと尋ねる。

 何か遭ったのか、質問を投げると何でもないと北の神主がぶっきら棒に鼻を鳴らした。様子に喜一が声を殺して笑うため、じろっと比良利が睨みを飛ばしていた。ますます首を傾げてしまう。まったくもって状況が読めない。

 空気を散らすように比良利が手伝いに行ったのではないかと疑問を投げかけてきた。そうだった、翔は抱えている葛篭を見せて笑顔を作る。


「比良利さん。藤兵衛さんが呼んでいるよ。なんでも神楽の小道具と一緒に持ってきた神饌(しんせん)を見てもらいたいんだって。それから本就任のための打ち合わせをしたいらしいんだけど、時間はあるか? だってさ」


「おお、もうそこまで準備がきておるのか! さすがは藤兵衛。仕事が早いのう。喜一、ツツジの甘酒瓶を三本包んでおいてくれぬか? 後で取りに行く」


 一変してご機嫌になる比良利は閉じていた和傘を開くと、颯爽と藤兵衛達の下へ向かう。

 翔はやっぱり首を傾げた。不機嫌の挙動不審だった態度が嘘のようである。

 背後で笑いを噛み殺している店主に視線を流すと、「子供のように張り切ってらっしゃいますね」それだけ子の、いやいや弟分の本就任が待ち遠しいのだろうと喜一。此方の顔を見ては笑声を零していた。



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