<八>季節は過ぎ行く(参)
「――ねえ。米倉くん。私に数学を教えてよ」
優れている人間ほど、きっと陰で努力している。
それは神主を目指す翔も然り。妖祓の長を目指す朔夜も然り。そして予備校Aクラスで優秀な成績をおさめている大嫌いな米倉も然り。天才と称される人間は少ない。皆、何処かで努力してその才を磨いている。
飛鳥には未だに己の行く道が分からない。暗中模索で探している最中だ。
けれどそれもまた味のある人生なのだと思っている。
大志を抱く男の子達には負けるが、自分の置かれている状況にもう少し努力を置いてみようと思う。それは妖祓にしても、受験にしても。そうすれば自ずと道も見えてくるような気がした。
今は受験勉強に専念しよう。何かの縁で学んできた妖祓も、もう少し続けてみよう。これが自分の出した答えだ。道はこれから幾らでも自分で作れる。
朝から自習室で勉強に励んでいた米倉に声を掛け、飛鳥は持っていた参考書を差し出して頭を下げた。
難しい顔を作って数学のプリントと睨めっこしていた彼は飛鳥の申し出に大層驚いているようだった。「俺?」愛しの和泉くんはどうしたのだと尋ねられたため、「数学は米倉くんの方が上だから」勉強を教えてもらいたいのだと率直に告げる。
訝しげな眼を向けてくる彼だが、何度も頭を下げてお願いすると此方の誠意が伝わったのだろう。分かった、と承諾してくれた。
「おら座れよ。楢崎、私大を受けるんだろ?」
「ううん。国立大に進路を変えようと思って。センター入試のためには数学がどうしても、ね」
パイプ椅子に腰を下ろし、米倉の隣に座る。
「今から進路変更ってか?」頓狂な声を上げる米倉に、「が、頑張りたいの!」駄目元でも努力してみたいのだと飛鳥。
「お前な……」
予備校に通う人間は春から、それこそ一浪している輩は春から死に物狂いで勉強しているのだ。
国立に進路変更は無理があるのではないか? 呆れ顔を作る米倉に、それでもやってみたいと飛鳥は意気込む。幼馴染達が頑張っているのだ。自分も勉強で頑張りたい。
鼻息を荒くすると、「で。毛嫌いしている俺に勉強を教えろって頼んだわけか」米倉が苦笑を零した。
決まり悪くなる。が、これまでの意地悪い行為を思い出し、「自分だって誰かさんを毛嫌っているじゃん」なのにこうして承諾してくれた。人のことは言えないではないか、と反論。
すると米倉はぶっきら棒に呟く。
「なら、承諾なんてしねぇよ」
「え?」目を丸くする飛鳥。
教える前に参考書をコピーしてくると米倉が素早く腰を上げ、手中におさまっている参考書を取り上げた。
三番乗りで朔夜が自習室を訪れる。「早いね」瞠目している幼馴染の脇を過ぎる米倉は、彼に挨拶を交わすと顧みて鼻を鳴らす。
「俺、お前が思うほど嫌いじゃねえよ。男を思わせるような小悪魔な性格」
思わせぶりなくせに柄にもなく一途な面を見せているものだから弄くりたくなるだけだと言葉を吐き捨て、「和泉の腰が重くて助かるぜ」自習室を出て行く。
言葉を失くしてしまったのは飛鳥と朔夜だった。
思わせぶり、そっくりそのまま米倉に返したい言葉だ。今の言葉の意図は一体……。
「ま、さかね……あはは、まさか」
過ぎ行く季節と共に緩やかに変わる環境。
明らかに飛鳥を取り巻く、幼馴染、友人、そして繋がるであろう未来も変化している。