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南条翔は其の狐の如く  作者: つゆのあめ/梅野歩
【余章】其ノ妖、其ノ人
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<四>内幕の就任式(弐)


 次の瞬間、真っ向から風が吹きぬける。


 その勢いに眼を瞑ると参道を照らしていた松明が一斉に消えた。辺りは暗闇に包まれ、柔らかな満月の光が境内を照らす。

 風によって鎮守の森がざわざわとざわめいた。境内を見渡して様子を窺っていると、雪之介をはじめとする妖達が一斉に両手をついて頭を下げた。対向の茣蓙にいる巫女の青葉も同じことをしている。


 戸惑う間もなく、片膝を立てた青葉が(つづみ)を叩き、厳かな空気に音を生む。


 鼓と共に妖達が顔を上げた。

 静かに響く鼓の音は次第次第に音調が速くなる。

 何が始まるのか、固唾を呑んで見守っていると、石段を上り切った赤毛の神主が姿を現す。浄衣に烏帽子をかぶった彼の空気は誰よりも厳かだった。

 一際音が高くなる鼓の()。彼がお供の巫女と金狐を連れて参道を歩くと摩訶不思議なことに消えた松明の火が蘇る。北の神主が通り過ぎる度に蘇る火は先程よりも強く燃えている。


 彼が社殿の前に立つと鼓の音がやむ。北の神主は手中の大麻を両手で持ち、深く一礼。

 大麻を振り、何かを唱えていた。祈りを捧げている、と言ったところだろうか。

 暫くそれが続いた後、顧みて此方にも一礼。顔を上げた比良利がそっと口を開く。


「今宵集った同胞よ。そして我等に力を貸した恩人よ。我が対がついに産声を上げる。九十九年、この期をどれほど待ち望んだことであろう」


 朔夜のポケットに隠れていた旧鼠が飛び出そうとしたため、慌てて身を引き戻す。

 うんっと不思議そうに顔を上げてくるネズミに指を立てると、おかしそうに真似をしてきた。子供は暢気なものだ。


 その間にも北の神主の言葉は続く。



「六尾の妖狐、赤狐の比良利は片割れをなくし、なおも九十九年北を統べ、この南を見守ってきた」



 暗雲の時代に入ったと、悲痛に嘆く南の領地に住む妖に何度心を痛めただろう。

 比良利は己の力が及ばず歯がゆい日々を過ごしたと吐露。これからもそれが続くと思っていた。

 しかし時を経て宝珠は新たな神主を見定め、とある少年に天命を与えた。神が齢十七の妖の器に天命を与えたのだ。生まれも育ちも人の子であり、半妖に成り立ての少年を見定めた宝珠。

 だが神の目に狂いはなく、代行を務めた少年は大業を成した。


 嗚呼、なんと喜ばしい。

 再び自分は対を得ることができるのだ。

 我等は天命に遵い、生まれる対と共に新たな道を歩むことを此処に誓う。妖達の(しるべ)となろう。



「今宵より我等は新たな日月の神主として再び名乗らん――さあ、表に出よ。一尾の妖狐、白狐の南条翔」



 再び始まる鼓の音。

 妖達が頭を深く下げる間、朔夜は飛鳥と共に石段をじっと見つめていた。作法に気遣う余裕はない。ただただ幼馴染の姿を目に焼き付けたかった。

 石段を上り切った幼馴染の姿に息を呑む。北の神主と同じ白い浄衣。瞼に薄く何かが塗ってある。赤い絵の具、ではなさそうだ。妖狐姿で現れた幼馴染は浅沓(あさぐつ)を履いた足を前に出し、ゆっくりと参道を進む。


 あ。朔夜は遠ざかって行く幼馴染の姿に、また自分との間に距離が開いたと妙な錯覚を感じる。

 自分達をついて回っていた姿は何処にもない。


 北の神主の前に立つと音がやむ。

 鼓を叩いていた青葉は笹を持って幼馴染を回るように舞を、後から石段を上った銀狐から妖力を注がれていた。祝福を受けているのだと一目で分かる。

 神主となる幼馴染。嗚呼、どんどん前に進む彼は自分の知る幼馴染でなくなるのではないだろうか。烏帽子を比良利から被らされていた幼馴染を憂慮ある眼で見つめていた朔夜だが、真剣に比良利と向かい合う翔の横顔を見て馬鹿馬鹿しいと己を嘲笑した。


 そんなことがあるわけない。

 どのような道を進もうとも幼馴染は自分の大切な幼馴染、親友だ。

 自分の道が定まっていないから、不安に思い、八つ当たりのように翔の道を祝福できずにいるのだろう。一種の焦りからくる妬みなのかもしれない。


 けれど考えてみて欲しい。

 彼がどうして大切な儀式に自分達を呼んだのかを。

 高い理想を抱く幼馴染は今宵、大切な物を沢山捨てる。それこそ恋心すらも。それを自分達は止める術などない。一般の妖狐であり続けた方が幸せだと説得したところで彼の考えは変わらないだろう。


 ならば、今宵新たな旅路を歩み始める幼馴染の背中を勢いに任せて押してやろうか。

 人と妖の幸せを願い、その夢を追うために歩き始めた親友。それを見守る自分。

 いつか自分は彼の行く末を見守れずに置いていくのだろう。寂しい気持ちを抱く一方、このままではやっぱり悔しいと朔夜は切に思う。折角幼馴染と近い役に立っているのに、このまま妖祓を終わるのは惜しい。本当に惜しい。


 北の神主が真珠のように白く輝く宝珠の御魂を両手で持つ。

 球を掲げて深く一礼する妖狐は聞き取れない小難しい言の葉を紡ぎ、幼馴染の前にそれを差し出す。妖の宝が煌いた。

 天に一閃を放つ珠は音なく浮遊すると迷わず幼馴染の胸部に向かう。衝突と共に溶け消えていく宝。眩い白に身を包む彼の尾が分かれ、二本、三本と増えた。光が弾けると長い尾を夜風に靡かせ、幼馴染は比良利達と社殿に向かって一礼。参列者にも一礼。上げる顔は晴れ晴れとしていた。


 嗚呼、この瞬間、幼馴染は庶民の身分を捨て、神に仕える身の上となったのだ。


 北の神主達が三方へと下がる。

 社殿に残った幼馴染が懐から銀の扇を取り出すと片手で優美に開き、その場でそよ風を生むように、扇を靡かせる。

 それが合図だったのか、北の神主が横笛を口に当て音色を奏でた。合わせて(しょう)を吹く北の巫女と、鼓を叩く南の巫女。金銀狐が弧をえがくように幼馴染のまわりを小躍りする。


『あれは五方ノ小舞だよ』


 と、おばばが細い声で人間の朔夜と飛鳥に説明をしてくれる。


 なんでも内幕の就任式の時に捧げる神への舞だそうだ。

 あの舞と共に内幕の神主就任式は終わりを告げる。宝珠を受け継いだ少年は本当の意味で三尾の妖狐と成るのだ。

 「ショウくん。綺麗だね」あんなにも優美に踊れるなんて凄いと飛鳥。「それだけ練習していたんだよ」小声で雪之介が耳打ちする。曰く、半月前から練習をしていたらしく、それはそれは厳しい稽古に勤しんでいたようだ。自分達の前では一抹もその姿を見せていなかったが、随分苦労があったらしい。


 そういうところが狡いと朔夜は思う。

 格好悪いところを見せてくれないなんて、それでは格好良いと思うしかないではないか。


 静から激と波のある舞を踊り終えた幼馴染が静かに一礼する。

 拍手を送りたくなったが、そういう場面ではないため、グッと堪えることにした。彼はもう一度社殿と参列者に一礼をすると、初めて重い口を開く。



「我が名は一尾の妖狐、白狐の南条翔。改め、三尾の妖狐、白狐の南条翔と申します。今宵はお集まり頂き、まことにありがとうございました。わたくしは宝珠の御魂より天命を受け、こうして南の神主という大変貴重な役を授かった次第です。


とはいえご覧の通り、わたくしめは若く未熟な妖狐でございます。

今宵は神主の一歩を踏み出したわけですが、宝珠を授かったから神主になったのではございません。授かったからこそ、これから善き神主を目指すのです。わたくしは――いえ、俺はこの度、瘴気の件で大業を成したと言われておりますが、これは俺一人の力ではございません。此処にお集まり頂いた皆様、並びに月と称される同胞や対となる同胞のおかげなのです。なにより」



 一呼吸置くと、幼馴染が自分達に視線を流し綻ぶ。



「俺は人であり妖祓でもある彼等に救われました。我等は不倶戴天の敵と称された彼等に救われました。これからも双方は敵となりゆる存在でしょう。

しかし、時に互いに守るべき者がある身として手を結ぶことも可能なのです。俺は妖と人が共存できれば良いと思います。いえ思うのではなく、していく努力をしていきたい。だから俺は今宵の儀式に恩人をお呼びしました――人の子、和泉朔夜さま、楢崎飛鳥さま。どうぞ此方へ」



 突然の呼び出しに朔夜と飛鳥が顔を見合わせる。

 無言の笑顔で雪之介が背中を押してきたため、茣蓙から腰を上げるしかない。ぎこちなく参道を進み、社殿の前にいる幼馴染の下へ。

 その間、北の神主が手を扇ぎ、神職に携わる者達を呼びつける。彼もまた幼馴染の隣に立った。日月の神主と呼ばれる妖狐は皆が揃うと、自分達にお辞儀をして今回の一件に大きな感謝を示した。


「対峙はしたけれど、あなた方がいなかったら我等は同胞を守りきることができませんでした。本当にありがとうございます」


「主等の優しさは忘れはせぬ。たとえおぬし等が若すぎる妖祓であったとしても、この恩は大切にしていきたい」


 日月の神主の感謝の意に、向こうにいる妖狐達が丁寧に頭を下げてくる。

 照れくさいようなくすぐったいような、そんな気持ちに駆られていると背後にいた青葉が翔に花束を手渡していた。それは真っ赤に染まったヒガンバナ。日本人の忌み嫌う花だが妖達にとってはこよなく愛する花だと朔夜達は知っている。

 だから差し出されたヒガンバナを笑顔で受け取った。決して好きになれそうにない花だが、彼等の気持ちは十二分に伝わってくる。


「荒れた南の地を必ず、良き地に変えてみせます。今は人に危害を加える同胞がいますが、必ず」


 三尾の妖狐に一笑。


「なら僕達も努力しよう」


 同じ地で生きる自分達は似た立場に立っているのだ。

 どこかで良き繋がりを持てるだろう。諍いの繋がりを持つように、共存の繋がりを持つことだって可能だ。

 妖を妖の化け物として見ていた朔夜だが、もうそれは終わりだ。一異種族として彼等と向き合おう。例え傷付きあう日が来ようとも、また許せるよう努力しよう。


「ショウ、君はこれからも妖の生き物だ。妖の世界を帰る場所とし、妖のために走るだろう。でもね、時々は人の世界に帰っておいで。僕達は待っている。神様の身に仕えようとも君は僕等にとって大事な幼馴染なんだから。内幕の神主就任おめでとう」


 不意を突かれる翔に飛鳥もおめでとうと笑顔を作る。


「帰って来ないと、また追い駆けるよ。私達はしつこいんだから。誰かさんに似たんだろうね。でもしょーがないじゃん。私は朔夜くんがいてショウくんがいる、この幼馴染の空気が好きなんだから。ちゃんと帰って来てね。就任おめでとう。私達も少し妖の見方を変えてみるね」


 宝珠の御魂を体内に宿した若すぎる神主出仕は、「なんだよもうお前等大好きだ!」素顔丸出しにし、クンと鳴きながら飛びついてきた。

 それでこそ幼馴染だ。畏まった態度で接せられても違和感しか残らない。彼はこうでなくては。


「ぼん、そろそろ次を始めようかのう」


 比良利が声を掛ける。

 顔を上げた幼馴染がうんっと大きく頷き、これからの余興を大いに楽しんで欲しいと笑顔を向けた。

 まだ就任式は終わっていないのか、瞠目する朔夜と飛鳥に幼馴染はかぶりを横に振る。自分の就任式は終わった。これからは感謝の宴だと一笑を零し、目分三歩ほど後退すると宙を返って銀の扇子を勢いよく開く。


「あいや月夜は我等の時間」


 再び日輪が昇るまで歌えや踊れやひと時の月輪の時間。今宵は存分に慶びを分かち合おうぞ。

 十代目南の神主出仕は夜空に向かって声音を張ると、扇子を扇いでその宴を始まりを告げる。

 妖の宴は大変古風で風流があった。宴に出される出し物は舞や神楽。花の蜜を搾って作られた白酒、米や鮭、未豆子(ふきまめ)などといった時代を思わせる食事が振る舞われ、参列者の自分達を持て成してくれた。


 それはきっと生涯忘れることのできない、人生初めての宴になることだろう。

 幼馴染と対となる妖狐の日月神主舞に手を叩き、巫女達の笛の音に酔い、異種族である妖と言葉を交わす。

 素晴らしい皐月の夜だと朔夜は思った。これが幼馴染の望んでいる世界ならば、自分も喜んで便乗したい。


 個別に幼馴染と関わる妖と接することもできた。

 まず幼馴染の相棒となる巫女青葉。彼女は社交的ながらも、人見知りをする性格らしく、自分たちとは積極的に話したがろうとはしなかった。が、「青葉は俺達と同じ人間だったんだ」幼馴染が話の中心に立つことで彼女も自然と話の輪に入る。

 とても頼りになるけれど泣き虫毛虫のおばあちゃんだとからかう翔に、「あんまりです!」おばあちゃんは余計だと彼女は噛み付いていた。

 けれども幼馴染にとても心開いているようで、彼に向ける表情は非常に柔らかい。大切な家族として見ているようだ。


「キャッ! な、何をするのですかオツネ!」


 そんな彼女の頭を踏み台にして幼馴染の懐に飛び込むのは銀狐。

 以前、白狐を庇っていたその銀狐は幼馴染にとても懐いているようで、クンと鳴いて胸部に頭をこすり付けていた。

 愛嬌のある狐かと思いきや、自分達がギンコと名を呼ぶと尾を振って叩いてくる。通訳者の雪之介曰く、ギンコと呼んで良いのは幼馴染だけらしい。本名はオツネらしいので自分達はオツネと呼ぶことにする。


「それだけショウくんに懐いているんだね。ギン……じゃない、オツネちゃん。わっ、なんで吠えるの?!」


 クオンクオンクオン!

 飛鳥に向かって忙しなく吠える銀狐に、「だ、駄目じゃないか。ギンコ」どうしたのだと翔が胴を撫でて宥めようとするが吠えは止まらない。明らかに飛鳥を敵視しているギンコ。だが朔夜にその素振りは見えない。公園での出来事を引き摺っているようには思えないのだが。

 するとニヤニヤと笑う雪之介が腕を組み、白々しい咳払いをして「モテる妖狐はつらいねぇ」と眼鏡のブリッジを押す。


「どうやらオツネちゃんは楢崎さんを好敵手と見なしているみたいだよ。なに、翔くん、楢崎さんと何かしたの? (つが)いのオツネちゃんを差し置いて」


「ばっ、バッカ! 何もしてねぇし、ギンコは番いじゃっ」


 ちゅっ、銀狐が鼻先を幼馴染の口に押し当てる。

 次の瞬間、遠くにいた金狐が低い唸り声を上げたため、「おぉお俺は無実だ!」なんでいつもこうなるのだと幼馴染は銀狐を地に落として嘆きながらトンズラ。その背を追い駆け回す金狐。更にその後ろを走り、幼馴染に抱っこをねだる銀狐。妙な三つ巴光景だ。


 取り敢えず分かったのは妖狐同士で三角関係を作っているということ。

 飛躍して狐火を必死に回避している幼馴染に、「大変だね。翔くん」十代目神主になってもあの光景は名物となるだろう。雪之介がしみじみ感想を述べている。


「それは困ります。オツネは守護獣。翔殿は神主なのですから、しっかり役目は果たしてもらわなければ」


 青葉は不機嫌に鼻を鳴らすものの、「ですが」オツネが首っ丈になる気持ちも分かると苦笑。

 それだけの魅力は持っていると呟く巫女に朔夜は視線を流し、「彼は気配り上手だからね」と笑みを向ける。

 深く同意した巫女は、反面自分を疎かにする人だと眉を下げた。他者のために発揮する行動力は危なっかしい。時に皆を悲しませる人だと評価し、そういう欠点は自分が補えるよう努力していきたいと目を細めた。


「もう簡単に失いたくありませんもの」


 その言葉に、神主を? と朔夜。


「いいえ。大切な家族を、です」


 「そうか」それを聞いて安心した、朔夜は表情を崩す。

 幼馴染は本当に良い同胞を持ったようだ。安心だ。自分達の目が行き届かないところでも、誰かが彼のストレートな性格を認め、時に諌めてくれる。一安心だ。


 未だにポケットに潜っている旧鼠がひょっこり顔を出す。

 幼い子供に眦を和らげ、「君が大人になった時。二つの世界はどうなっているだろうね」こうして和気藹々と平穏に過ごせていたら良いね、そう言って頭を撫でる。チュウ、首を傾げてくる旧鼠に笑声をもらした。子供には難しくて分からなかったようだ。



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