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南条翔は其の狐の如く  作者: つゆのあめ/梅野歩
【壱章】少年は妖と化す
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<五>南条翔の異変(壱)



  ◆◆◆



 ギンコを拾って一週間、翔は狐と過ごす日々を満喫していた。


 朝昼は学校があるため、ギンコには申し訳ないが、狭いクローゼットの中で過ごしてもらっている。ひとりぼっちで留守番をさせるのは心苦しく思っているが、とうのギンコはあまり苦にしていない様子。

 どうやら昼間は眠っているらしい。

 狐は夜行性なので、大人しくクローゼットで寝ているようだ。それを知った翔はホッと胸を撫で下ろした。ギンコがさみしがっていないか、気が気ではなかったのだ。


 とはいえギンコに不自由を強いているのは変わりない。


 夕方から夜はなるべく自由に遊ばせたいため、翔は学校が終わるや否や迷わず帰宅した。

 翔の帰宅を心待ちにしてくれるギンコがかわいくて仕方がなかったのだ。

 クローゼットを開ける度、翔の姿を見てギンコは大喜びする。おかえり、待っていたよ、遊んでよ、と言わんばかりに顔を舐めて、ぶんぶんと尾っぽを振る姿はどうしようもなく愛らしい。


「ギンコ。いっしょに寝るか?」


 ベッドを叩くと、一目散に駆け寄ってくる獣。


「かわいいな」


 ぽんぽんと頭を撫でると、大好きだと言わんばかりに頭をこすりつけてくる銀狐。


「なんだよ。抱っこしてほしいのか?」


 寝ようとする翔を鼻先で小突き、スウェットを噛んでくるギンコ。


「しょうがないな」


 笑いながら抱っこをすれば、嬉しい嬉しいと尾っぽを振って翔に甘えてくる。

 最初はあんなにも警戒していたのに、今ではすっかり心を許して翔に懐いている。

 こんなにも懐いてくれると手放す気持ちが惜しくなり、この狐を部屋で飼えないかな、考えてしまうこともしばしば。

 いつの間にか、翔はギンコに夢中になっていた。


(……ずっと一緒にいられたらいいけど、こんな狭い部屋じゃ無理だよな)


 ギンコを可愛がれば可愛がるほど、翔は親の目が気になって仕方がなかった。

 親を部屋に入れないため、なるべく洗濯した服は自分で仕舞い、普段しない部屋の掃除も率先して行った。


 おかげで母が不審な目を向けてきた。

 小遣いでもほしいのなら諦めた方がいい、どうせ三日坊主だと笑われる始末だった。

 これまでの行いが母をそう言わしめているのだろうが……気分はあまりよろしくない。翔は不貞腐れながら「べつに理由はねえよ」と、ぶっきら棒に返事した。 


 閑話休題、そんなこんなのやり取りがあったが、とにかく翔は努力した。親を部屋に入れないためにやれることはやろうと息巻いた。


(ギンコと少しでも長くいるためだ。なんだってしてやる)


 両親に見つかってしまえば大騒動になりかねない。

 ギンコと過ごす時間が充実しているからこそ、翔は獣が見つからないように細心の注意を払っていた。

 いつかは訪れるであろうギンコとの別れを、少しでも笑って迎えられるように。




(ほんと可愛いよな。ギンコ)


 さて、時は昼休み。

 翔は教室で昼飯の弁当を食べながら携帯で動画を眺めていた。

 動画はどれもこれもギンコのものばかり。翔は頬を緩めて動画を再生させる。


 この一週間で、数え切れないほど狐の写真や動画を撮った。

 必ず訪れる別れを念頭に置いた結果、少しでも思い出を作ろうと写真や動画を撮ったのだが、フォルダを三つに分けるほどの量を撮ってしまった。

 それだけ、ギンコとひとつでも多くの思い出を残しておきたかったのだ。


 授業時間も、休み時間も飽きずに動画を眺めてしまう。

 傍から見れば、かなり重症だろう。


(これは布団にもぐってるギンコで、こっちは枕で遊んでいるギンコ)


 己の膝に顎をのせて寛いでいる狐。携帯に興味を示して覗き込んでいる狐。欠伸をしている狐に、鶏ささみを美味そうに食べている狐。

 どれも翔の宝物となっている。


(可愛いし美人なんだよなぁ。ギンコばかになっちまいそう)


 机の上で頬杖をつき、へらっと笑みを零した。

 早く家に帰ってギンコと遊んでやりたい。


「なあに見ているんだ。エロ動画か?」


 ぬっ、と影ができる。

 我に返った翔は大慌てで、携帯を隠すために机に上で伏せる。

 目線を持ち上げると、目を糸のように細めて翔の様子を見つめてくる同級生がひとり。米倉 聖司(よねくら せいじ)が立っていた。

 翔がよくつるむ同級生で、いっしょにふざけてバカをやることも多い。謂わば悪友である。


「なんだ米倉か。驚かすなって」

「ケータイ没収されると思ったか?」

「うっせえな」

「さすがに学校でエロ動画はやめとけ。公序良俗に反するぜ」

「そりゃお前だろうよ。三か月前、反省文を書かされたくせに」


 へらへら笑う米倉は、そんなこともあったな、と声を上げて笑う。

 まったくもって反省していない悪友は、翔の隙を突くと携帯を奪って中身を確認する。


「おい米倉っ!」

「いいからいいから。見せろって」

「ばか。お前の興味がありそうな動画も画像もねえぞ」

「そんなこと言って俺を騙そうったって…………んー色気のねえ動画ばっか」


 見る見る落胆の色を見せるものだから、本当に正直な男である。


「だから言っただろ。お前の興味がありそうなものはねえって」


 米倉の頭の中は常に女と遊びで占めている。

 特に女の子と遊ぶことに対して欲望の強い、思春期真っ盛りの男なのだ。

 そんな男が狐に興味など示すはずもない。


「ちぇ。すげぇ動画を期待していたのにな」


 ぽいっと携帯を投げ返す米倉は、唇を尖らせて拗ねていた。

 そんなことばかり言っているから、常日頃から欲しい欲しいと言っている彼女ができないのだ。

 心底呆れ返っていると、「その狐はなんだよ?」と、米倉が仕方なさそうに話題を振ってくる。


「可愛いだろ? 俺の癒しなんだ」


 自慢げにギンコを見せびらかすが、米倉は哀れみの目を向けるばかり。


「悲しい男だな。楢崎に相手にされないからって、狐に癒しを求めるなんて」

「あ、飛鳥は関係ねーだろ」


 あまり触れて欲しくない話題だった。

 一変して不貞腐れる翔に「諦めたら?」と米倉は話を続ける。


「もっといい女がいるって」


 勝手に人の机に座る悪友は、諦めた方が幸せになれると言った。

 その先の言葉は読めている。

 米倉は合コンに誘いたいのだろう。


「俺は行かないからな。米倉」


 翔はお断りを入れて、先手を打つことにした。


「ツレねえこと言うなよ南条クン。初恋は実らないんだぜ。あいつは和泉に夢中なんだから、合コンで新しい相手を探す方がお前のためだって」


「うっせぇな。お前に言われなくても、飛鳥の好きな相手が誰かなんて分かっているよ」


 それでも飛鳥に魅せられている自分がいるのだ。

 諦められるなら、とっくに諦めている。


「一途だねぇ。何年越しの恋だよ。実る気配すらないようだけど?」


 皮肉ってくる米倉だが、彼は高校時代の翔や幼馴染しか知らない。翔伝いに幼馴染の関係を他人より少し詳しく知っているだけなので、軽々しく人の恋愛に茶々を入れてもらいたくないものである。

 翔は不機嫌に米倉の横腹を拳で叩いた後、ギンコの動画に視線を戻す。


(飛鳥に見せたら、可愛いって言ってくれるんじゃねーかな)


 彼女の笑顔を思い浮かべると胸が熱くなる。

 だが、その先の未来を容易に想像できてしまう。

 彼女はきっと朔夜に話題を振り、熱心に狐の可愛さを語り始めるのだ。翔が行動したところで、朔夜へ流れてしまう展開を何年繰り返してきたことか。

 片思いは切ないものである。


 それでも飛鳥の笑顔は見たい。ギンコのことを話してみようか。


(でも、そしたら必然的に“あのこと”も話さないといけなくなるよな)


 何故ギンコを保護したのか、隠し事ができない翔は必ず経緯を話してしまうだろう。

 その時、飛鳥は、朔夜は……どんな反応をするだろう?

 想像することも恐ろしい。

 翔は知らず知らずのうちに奥歯を噛み締めた。

 忘れかけていた幼馴染の隠し事に対する怒りと、拗ねていく気持ちが翔の心を支配する。


(べつにいいや。あいつらに話したところで、俺が損するだけだ)


 狐のことは翔だけの秘密にしておこう。

 ギンコの可愛さは、翔だけが独り占めにしておくのだ。

 そのようなことを考える、翔なりの隠し事に対する仕返しは、なんとも小さなものだった。


(でも……ギンコとはすぐに別れがくる)


 銀狐の怪我は完治へ向かっている。

 翔の不器用な手当てが実り、少しずつ傷が癒えているのだ。嬉しい反面、複雑な気持ちに駆られる。傷が治れば、別れはすぐそこだ。


(いつまでもクローゼットに押し込んでいくわけにはいかねえしな)


 でも。


(別れがつらいよ。ギンコ、本当に俺に懐いてくれているし)


 小さくため息をつくと、米倉が何を思ったのか、「囚われすぎなんだよ」と、翔の肩を強めに叩いた。


「南条が幼馴染を大事にしているのは分かるぜ? だけどあいつらはあいつら。お前はお前だ。もう少し、視野を広げてみたら? 恋愛を含めて」


 囚われすぎ。

 否定はできない。


「ということで合コンに行こうぜ。な? 可愛い女の子を口説こう」


 積極的に誘ってくれる米倉の言葉を優しさと受け止めればよいのか、お調子者と受け止めればよいのか。


「お前と話してると、悩んでる俺がバカみてえじゃん」

「知らなかったか? 南条クンはバカなんだぜ!」

「お前にだけは言われたくねえよ」


 いつもの調子を取り戻して笑っていると、廊下から翔を呼ぶ声が聞こえた。

 噂をすればなんとやら。飛鳥が教室のドアの前に立って、こちらを手招きをしていた。


「おーっと。お前のかぐや姫がお呼びだぜ。どれだけ貢いだら、南条に振り向いてくれるんかね」


 口笛を吹く米倉の頭を軽く叩き、翔は携帯をスラックスのポケットにねじり込んだ。

 椅子を引いて飛鳥の下に向かう。


「なんか用か」


 つい見惚れてしまいそうになる気持ちを引き締め、彼女に用件を尋ねる。

 こてんと飛鳥が首をかしげた。


「今日空いてる?」


 彼女からのお誘い。

 期待が募ってしまうが、先日の件を思い出し、翔は現実を見るよう自分に言い聞かせる。

 飛鳥はきっとあの時の埋め合わせをしようとしているのだ。


「今日? 急だな」

「ファミレスに行こう。この前のお詫びをしたくて。朔夜くんにも声は掛けているんだ」


 やっぱり、その件であった。

 心のどこかで落胆してしまう。彼女が“あいつ”抜きで誘ってくれるわけないのである。

 しかし飛鳥からの誘いは嫌いではない。

 今日の予定は、脳内で確認するまでもなく空いている。部活も生徒会も習い事もしていない翔であるからして、唐突の誘いでも予定を組み立てられるのである。


 大丈夫だと返事をしようとした時、脳裏にギンコの姿が過ぎる。


(ちょっと待てよ)


 翔は思い留まった。

 飛鳥の誘いに乗ったら、帰宅時間は九時以降になってしまうに違いない。

翔の帰りを心待ちにしているギンコが、きっとさみしがることだろう。親のこともある。誘いには乗れそうになかった。


「ごめん。俺、今日は空いてないや」


 後ろ髪をひかれる思いで飛鳥の誘いを断ると、彼女に心底驚かれた。

 基本的に幼馴染達の誘いには乗る翔だ。特に飛鳥の誘いには、必ず肯定の返事をする。

 そのため、彼女から大袈裟に驚かれた。


「もしかして……まだ怒ってる?」


 幾多にわたるドタキャンが怒りを買ったのではないか、と飛鳥が探るように見つめてくる。


「ドタキャンはいつものことだろ? そのことについてはもう怒ってないよ」


 笑ってみせるが、彼女は眉を下げるばかりである。


「ショウくんが行かないなら、朔夜くんと二人で行っちゃうことになるよ」


「出た。飛鳥お得意の駆け引き。遠慮なく行けばいいんじゃねーの」


 度々試されるようなことをされるのだから、この小悪魔にも困ったもの。

 素っ気なく、いいのではないかと返してやった。邪魔者はいない方が気も楽だろうと返事する。もちろん、ただの強がりである。


「俺は行かない。お前らだけで行けよ」


 完全に不機嫌になった翔が、ちらりと飛鳥の様子をうかがう。

 申し訳なさそうにうつむく彼女と目が合い、早々に千行の涙ならぬ汗を流してしまった。その目は反則である。


「……二人で行くなんて嘘だよ。ごめんね。また誘うから」


 ああ、もう!


「俺の負けだ。ちゃんと行くよ」


 萎んでしまう飛鳥の空気に耐えられず、翔は前言を撤回した。いつもより早めに切り上げることを付け足して。

 すると一変して、飛鳥が笑顔を作った。


「約束だからね」


 人差し指を立て、片目を瞑ってくる姿に引き攣り笑いを浮かべてしまう。

 分かっていたとはいえ、やっぱり演技をしてやがったな、この小悪魔。


「じゃあ、放課後ね。絶対に来てよ」


 バイバイと手を振り、自分の教室に戻って行く飛鳥を見送る。

 残された翔は反射的に出していた片手を、ゆっくりと下ろし、ため息をついた。


「また負けた。ったく、俺も飛鳥によえーな」


 いや、第一あの小悪魔にどう勝てと。

 一見純粋そうに見えて、あれはかなり計算高い。そういうアクの強い一面に惹かれてしまう自分も末期である。


「ほんっと、あのかぐや姫はどれくらい貢げば、俺に振り向いてくれるんだろうな」


 それこそ和泉 朔夜という男を捧げない限り、振り向く素振りも見せてくれないだろう。ハードルは高い。


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