表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
南条翔は其の狐の如く  作者: つゆのあめ/梅野歩
【終章】南条翔は其の狐となりけれど
76/158

<二>ヒトの世界に残したもの



 ※ ※



「翔。雪之介くんがお見舞いに来てくれたわ。起きられる?」


 ノックもなしに部屋に入って来たのは、懐かしき母親の姿。ベッドの上で身を起こしていた翔は、柔和に微笑んで返事する。


「大丈夫。上がってもらって」


 その表情に安堵の表情を見せる母は、学校帰りの雪之介を部屋に招くと、茶菓子を用意するためにリビングへ向かった。


「おばちゃん。お構いなく」


 母の背に声を掛け、見舞い客はそっと扉を閉める。


「おはよう。寝てたんじゃないの? まだお昼だしさ」


 片手を挙げてくる彼は、通学鞄を部屋の隅に置くと、机に向かい椅子を持った。それをベッドまで運ぶと、腰を下ろして、体調不良について尋ねてくる。

 雪之介とは、御魂封じを使った夜以来の再会だった。


「帰って来たって聞いて、慌てて飛んできたよ。連絡くらい寄こしてよね」


 それだけ心配を掛けていたのだろう。


「もう大丈夫だよ。すっかり元気になった」


 翔は決まり悪く笑い、心配させたことを謝罪した。まったくだと鼻を鳴らす雪之介は腕を組み、あの時の会話を憶えているか、と唸ってくる。


「僕は君との会話で、遺言うんぬんの悪ふざけを交わしたよね? まさかあれが、本当に遺言になりかけるなんて、あの時一ミリも思わなかったよ」


「悪い」


「僕は言ったじゃないか。無事で帰って来てって」


「悪い」


「無事どころか、抜け殻になって帰って来るなんて聞いてなかったよ」


「本当にごめん」


 多大な怒りは心配の裏返しなのだろう。

 翔は責めてくる雪之介に、相槌を打ち、その度に真摯な謝罪をした。彼の気持ちが嫌というほど伝わってきた。

 気が済んだのか、雪童子は仕方のない狐だと肩を竦める。


「久しぶりのヒトの世界はどう? 家に帰って来た感想は?」


 替えられた話題に、翔は苦い笑みを滲ませる。


「罪悪感で押しつぶされそうだ。母さんには声を上げて泣かれるわ。感極まった父さんには抱きしめられるわ。クラスメートからは寄せ書きを貰っているわ。雪之介から聞いてはいたけど、やっぱ辛いよ」


 正式に十代目南の神主が決まり、妖の世界が希望と嬉々に満ち溢れる中、白狐のこと翔はひとりヒトの世界に戻っていた。


 なおざりで妖の世界を旅立ち、ヒトの世界に背を向けて一ヵ月半。

 ヒトの世界に置いてきたものを片付けに戻ろうと決意し、こうして住み慣れたマンションに戻ったのだが、想像を絶する罪悪感が翔を襲っていた。


 戻った夜。目覚めた振りをして両親と対面したら、駆け寄ってくる母親から盛大に泣かれるわ。父親から強く抱きしめられわ。即行で病院に連れて行かれるわ。大変な目に遭った。


 今は落ち着きを取り戻しつつあるが、再び昏睡状態にならないかどうか、父母が頻繁に様子を見に来る。その都度、安堵する表情を目の当たりにするのが辛い。翔は雪之介に苦言した。

 特別、両親とは仲が良いわけではなかったが、こうして向かい合って初めて分かる。親の愛情とやらが。妖の世界を選んだ代償に、胸を痛めるばかりだ。


「それでも俺は親とは別の生き物になった」


 泣かせてしまったことに申し訳なさは感じているが、選んだ道に間違いはなかったと思っている。


「本当のことなんて言えないだろう? 親に妖になりました、なんて言ったら今度は精神科医の下に連れて行かれると思う」


「確かにね。学校には?」


「一週間後に行くよ。診断書を持って、担任、学年主任、母さんと俺の四者面談がある。暫くはこっちにいるつもりなんだ。比良利さん達から許可は貰っているから。ああでも、まじ嫌なんだけど、四者面談なんて。俺、耐えられるかな」


「死にかけるほど凄い目に遭ったくせに。四者面談なんて苦じゃないでしょう?」


 あんなものはその場限りだ。雪之介がひらひらと手を振ってくる。


「それとこれは違うって。堅苦しい空気は苦手なんだよ」


 言葉を濁していると、彼が前触れもなしに『おめでとう』を口にしてきた。


「三尾の妖狐、白狐の南条翔さま。貴方様が時期、十代目にお就きになるとは。いやぁ、大出世ですね!」


 大仰な物の言い方をする雪童子の頭を小突くと、彼の眼鏡がズレ落ちた。


「お前が言うと皮肉にしか聞こえねえよ」

「皮肉じゃないよ。嫌味だよ」

「タチ悪ぃな。大出世とも思ってねぇしさ」


 言うなれば、宝珠が導いた天命だったのだろう。翔は思う。ギンコから宝珠の御魂を受け継いだあの日から、この未来は確定されていたのではないか、と。

 紆余曲折はしたが、翔自身もこの未来を望んでいたのだと思っている。勿論、翔だけがたぐり寄せた未来ではない。


「雪之介。お前がいなかったら、俺は十代目の道を蹴っていたんだと思うんだ」


「え?」


「ヒトと妖が分かり合える。それを教えてくれたのはお前だ。雪之介には感謝してるよ。十代目に就任しても、お前とは変わりない付き合いをしたい」


 すると彼は照れくさそうに目を細め、「夢を共有していいかな?」と、問い掛けてくる。


「翔くん。僕の夢は人間になることだ。でもそれは叶いっこない。だから人間にならずとも、彼らの社会に溶け込める妖でいたい。正体をおおっぴろげにできる日を夢見たいんだ」


「ははっ、お前の夢って簡単なようで難しいな」


「そう。ひとりじゃ無理なんだ」


「分かった。俺もその夢を背負うよ。妖達を導く十代目として。忙しくなるなぁ」


 これからが大変になるだろう。南の神主に就任した、それからが。

 翔が南の神主に本就任するのは、約一年後と定められている。


 随分と月日を要するが、それだけ準備に手間取るのだ。古びた月輪の社を修繕したり、就任式のために神饌(しんせん)と呼ばれる、神に捧げる供物を用意したり。翔自身も就任式に備え、北の神主から作法などを学ばなければならない。


 日月の神主舞に磨きをかけるだけでなく、皆に披露する神楽を習得しなければならない。

 そのために、神楽笛を教えると比良利から言われている。笛など触れたこともないが、気合と根性でどうにかなるものだろうか?


「忙しい一年になりそうだ。休む暇もないんだろうなぁ」


「内輪の就任式はいつ?」


 苦笑を零していると、雪之介から質問を投げかけられた。

 内輪の就任式とは、宝珠の御魂を体内に宿す儀式で、神職に携わる者達のみで取り仕切られる。最初から宝珠の御魂を体内に宿していた翔だが、本来はこの儀式を得て、はじめて宝珠の使用が許可されるそうだ。


 日月の社総出で行われる一大行事の準備も、着実に進められている。翔は今月内にあると雪之介に教え、内輪の就任式は自分の希望で、ヒトの世界で行われると口角を持ち上げた。


「よく許してもらったね。普通は、該当の社の境内で行われるものでしょう?」


 驚きかえる雪童子が質問を重ねる。

 小さく頷き、比良利に無理を言ってヒトの世界で行ってもらえるよう、お願いしたのだと目尻を下げた。

 どうしても妖の社では、自分の願いが叶いそうになかったのだ。妖の世界では、どうしても。



 一週間後の午後。

 久しぶりに学校に赴いた翔は、堅苦しい四者面談を終えると、教室に向かうことなく母親と帰宅した。

 けれども休む間もなく、紙人形で分身を作り、七階の窓から飛び出した。昼間は深い眠りに就くと母も知っているため、安心して形代をベッドに寝かせることができる。


 翔には大切な用事があったのだ。


 向かう先は彼等と出逢った幼稚園。

 ふたりがそこにいるとは思えないが、なんとなく、そこに行かなければいけない気がした。


 妖型に変化し、燦々と降り注ぐ太陽光を浴びながら空を翔ける。 

 青い空を翔けることは初めてで、なんとなく新鮮な気分だった。水蒸気の塊である雲をすり抜け、妖と化したカラスに挨拶をし、昼の散歩を楽しむ。

 適当な場所で下りると、人型に戻りと、通っていた幼稚園の門前に向かう。


 自然と足が止まった。あたたかな陽射しの向こうに、正門に植えられている桜の木を仰いでいる、少年と少女を見つけてしまったからだ。


(――朔夜、飛鳥)


 青々とした葉をつける桜は、夏に向けて衣替えをしている。

 あと二ヶ月もすれば、暑い夏がやって来る。そして秋が来て、冬になり、巡り巡ってまた春になるのだ。時の流れとは、なんて早いものなのだろう。


 彼等が地上に視線を戻し、そっと翔の方へ振り返る。


「お前ら、もう学校は終わったのか?」


 放課後補習はなかったのか。ありきたりな話題を振ってみる。どうでもいい内容しか脳裏に浮かんでこなかったのだ。

 すると彼等は体ごと振り向き、揃って泣き笑いを浮かべる。


「もっと他に言うべきことがあるだろう。人をこんなにも、心配させておいて」


 間髪容れず、言葉が重なる。


「待ちくたびれちゃったよ。ショウくん」


 静かに歩んでくる幼馴染二人に、一度は右足が下がったものの、すぐにその足を前に出して彼等に歩む。


 翔は決めていた。もう逃げないと。


 一度は対峙した妖祓の幼馴染ふたりと、自分は向かわないといけない。

 もう、あの時のように大麻を振り、彼等の気持ちを一刀両断するのではなく、面と向かって話そう。その気持ちを抱えて、翔はここまで来たのだ。


 妖と化した自分と向き合おうとしてくれる、彼等に向かって足を前進させる。自分達の関係は前進した、この歩みはその象徴のように思えた。


 三歩分の距離で立ち止まる。何を言えばいいのだろう。見つめてくる二人を、静かに見つめ返し、口を開けては閉じる。謝罪をするべきか、感謝をするべきか、ああ言葉が見つからない。


 すると、朔夜がかぶりを横に振る。彼は言うのだ。感謝も謝罪もいらない、と。


「僕達は君から、たった一つの言葉を望んでいる。それを返してくれたらいいんだ」


 どちらが先に告げたのか、翔に送られる「おかえり」


 それだけで泣きたくなった。嬉しいほど泣きたくなり、顔をくしゃくしゃにしてしまう。きっと彼等は自分の帰りを待ってくれていたのだ。ずっと、ずっと、待ってくれていたのだ。翔の帰りを信じて、待ち続けてくれたいたのだ。


 多くの言葉は要らない。それに気付いた翔は、クンと鳴き、そっと返す「ただいま」


 それを合図に二人が飛びついてきた。抑えられない感情を剥き出しにして、翔に何度もおかえりを言う。


 だから翔は何度も返した。



「ただいま。朔夜、飛鳥。ただいま。いま、帰ったよ」




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ