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南条翔は其の狐の如く  作者: つゆのあめ/梅野歩
【終章】南条翔は其の狐となりけれど
75/158

<一>北の神主、再び問う



 時刻は暮夜。

 月輪の社の中庭の向こうから、聞こえてくる妖の声に翔は胸を躍らせていた。


「参道の方で、なんかやってるんだろうな」


 自室にいても、耳をすませば聞こえてくる。

 いつもは物寂しく静まり返っている、月輪の社の境内が賑わいで満ちている。瘴気の時のような、悲しみや嘆きに満ちた声ではない。妖達の笑いあう声だ。


 おとなしく布団に潜るなんて勿体無いほどの明るい声。何を話しているのだろう。

 翔はぎこちなく上体を起こし、障子の先を恍惚に見つめた。こっそり行ってみようか。


 しかし。傍らにいたギンコが耳を立て、物言いたげに自分をジッと見つめてくる。


「わ、分かってるって。おとなしく寝てるよ。お前を心配させたんだ。言うこと聞くって」


 まだ疑心を向けてくるので、話題を替える。


「ギンコ。そこの水差しを取ってきてくれるか? 喉が渇いた」


 クンと鳴いて、足を立たせたギンコが、机上にのせている水差しを銜える。 


「ありがとう」


 水差しを受け取ると、それで喉を潤し枕元に置く。

 再び傍らで丸くなろうとするギンコに手を伸ばし、身を抱いて己の膝に乗せた。


「はは、お前は相変わらずあったかいな」


 すると。ギンコが嬉しそうに鳴き、胸部に頭をこすりつけてくる。甘えたいのを我慢して見張りを買っていると知っていたため、翔は銀狐の何度も頭を撫でる。耳を軽く食んで戯れると、頬を舐められる。お返しの戯れだろう。


 一頻りギンコと遊んだ後は、再び狐を膝にのせて目一杯甘やかす。ぬくもりを欲するように、膝の上で丸くなるギンコに口角を緩め、いつまでも胴を優しく撫でる。


 そうして時間を過ごしていると、縁側から足音が聞こえてきた。

 その正体は北の神主であった。訪問する彼と入れ替わるように、膝から下りるギンコが部屋から出て行く。二人きりにしてくれるようだ。


 会釈して部屋に入る比良利に、会釈を返すと、早速体について尋ねられた。


「ぼん。気分はどうじゃ。血色はずいぶん、良くなったのう」


 腰を下ろした比良利が、その場で胡坐を掻く。


「食欲だけは一人前にあるよ。あー体の節々は痛いけど」


 まるで悪質な風邪にかかったように、体が重い。それを除けば良好だ。


「それは仕方がないのう」


 比良利は苦笑いを零した。なにせ、意識がない間、呼吸すらしていなかったのだ。血の巡りが一切止まっていたのだから、体がぎこちないのも無理はないと言う。


 つまりそれは死後硬直を味わった、ということだろうか?


 自分の身が危険に晒されていたのだと、改めて痛感する翔だが、本音を言えばあまり実感がない。

 気付けば深い眠りに就き、気付けば目覚めたという感覚なのだ。

 けれど寝ている間の記憶は、曖昧に覚えていたりする。自分は闇を漂っていた。いつまでも光の届かない闇を漂っていた。そこに一筋の光を見出し、それを目印に駆けていた。

 闇はとても冷たく寒かった。反面見つけた光は熱く温かかった。あれは一体なんだったのだろう?


「比良利さんの方は? 体はもういいの? 復帰したって聞いたけど」


 まだ無理はできない体なのではないか。

 そう指摘すると、休み過ぎたと返される。


「目覚めたら瘴気が消え、鬼門の祠に結界が張られていたのじゃ。これ以上休めば、わしの立場がないわい」


 おどける比良利だが、眉はぎゅっとつり上がっていく。


「まことに驚いたのう。まさか、御魂封じの術を使う戯け者がいたとは。わしは何一つ教えていなかったはずじゃが」


 顔は笑っているが、目が笑っていない。翔は冷汗を流し、おずおずと尋ねる。


「もしかして怒ってる?」


「怒っておらぬ。はらわたが煮えくり返っているだけじゃ」


 それは世間一般的に怒っている、というのだ。

 翔は両手を合わせて謝罪した。本当は使うつもりなどなかったのだ。最終手段にしておくつもりであったし、なるべくは使わない道を選ぶつもりであった。しかし、あの状況では仕方がなかったのだ。


 つらつらと言い訳を述べるが、「戯け者!」と、比良利に一喝されてしまう。やっぱり簡単には許してもらえないようだ。


「まったくもって、誰からも説明を受けておらぬ術を使うとは何事じゃ。未熟な妖狐が使えばどうなるか、お主自身も分かっていたじゃろう。大業を成し遂げるために、己の身を粗末にするとは、戯け者以外のなんでもないわ」


 ひえ。翔は両耳を押さえて縮こまる。比良利の怒りは、想像以上に大きい。こってりしぼられるとは思っていたが、ここまでとは。


「はあ……しかし、此度はわしの甘さもあった。お主に心労を掛けたことも否めぬ」


 向けてくる怒りを抑え、比良利は言う。この続きは翔が床上げをしてからだと。今回は説教をしに来たのではないことを教えてくれた。が、翔は血相を変えた。


「説教はこれで終わりじゃないのか? ここは心労に免じて、許してくれるところじゃね? 俺、結構頑張ったぜ?!」


「ほほう。お主、自分が何をしたのか、ちーっとも分かっておらぬようじゃのう。床上げしたら覚悟せえよ。じっくりと御魂封じの術の恐ろしさを教えてしんぜよう」


 要するにそれはそれ、これはこれのようだ。

 多大な怒りを感じた翔は、亀のように首を引っ込め覚悟しておくと小声で返す。

 ああ、これならば床上げなどしたくない。北の神主の説教は、青葉の一件で盗み見ている。彼の説教は恐怖でしかないのだが。


「まあ、説教は追々じゃのう。今日は褒めに来たのじゃ」


 比良利は翔の肩に手を置き、五方結界を張った大業について褒めてくる。

 口頭で説明した程度なのに、よくぞ張ってくれた。現地に赴いて確認したが、しっかりと結界は晴れていた。

 比良利の感謝に翔は目を細めて笑う。


 それについては言いたいことがあった。


「五方結界は、三人で張ったんだ比良利さん。俺一人じゃ張れなかった」


 三人。きょとん顔を作る比良利に、幼馴染達と一緒に五方結界を張ったと真実を語る。

 制御しきれない宝珠の御魂の力を、三人で抑え込んで五方結界を張った。それが成功に繋がったのだろう。

 一人であれば瘴気に当てられ、気が狂っていたに違いない。

 ゆえに、これは自分一人の大業ではないと翔は目を伏せる。


「瘴気を巡って人間と争った。同じように瘴気を巡って人間と協力した。俺は人間に救われたんだ」


 翔は手を貸してくれた幼馴染達に感謝したい、と北の神主に笑顔を向ける。

 あの後、幼馴染達は倒れてしまったが大丈夫だったのだろうか?

 心配を抱くものの、きっと大丈夫だろうと自分に言い聞かせる。なんとなく二人は元気でやっている。そんな気がした。


「不思議だよ。ヒトを守る妖祓と、妖を守る神主が手を組むなんて」


 けれどあの関係は確かに存在した。


「瘴気のせいでヒトは妖を、妖はヒトを、お互いがお互いを傷付けてしまった。中にはそれを許せない輩も出てくると思う。でも、救われたのもまた事実。比良利さん、俺は気持ち一つで、妖とヒトの関係が百八十度変わってくると思うんだ。諍いも、支配も、共存も、気持ちで変わる」


「ぼんは、どのような関係を望むのじゃ?」


 静聴してくれる北の神主に頬を崩す。


「許しあえる関係を望みたい」


 お互いに立場がある。時に傷付けあうこともあるだろう。それこそ憎みあうこともあるかもしれない。

 けれど、それだけじゃ前にも後ろにも進めない。許すことも必要だ。でなければ、負の感情がまた負を呼び、より妖とヒトは傷付けあう。

 何処かで負の連鎖を断たないと、なにも変わらない。


「もう、妖とヒトが傷付くところは見たくないんだ。俺はそういう関係を夢見たい」


 苦い気持ちを比良利に吐露する。


「許しあえる、か」


 それはまた壮大な理想だ。比良利が笑声を漏らす。相手を許すということは容易いことではない。相手を許したところで、ふとした拍子に憎しみが込み上げることもある。それはおざなりになることもある。


 本当の意味で許し合えることなど、きっと不可能だろう。みなが感情を持ち続ける限り。


「じゃが嫌いではないのう。その理想。そんな理想が叶うよう、北の神主としてしっかりと務めを果たさなければならぬのう」


 長い紅髪を耳に掛け、彼は翔を見つめた。


「さて、ぼんよ。本題に入りたい」


 今までは副題だったようだ。瞬いて相手を見つめる。


「お主はただの妖狐となった。もう体内に白の宝珠の御魂はない」


 その証拠に三尾あった尾っぽが一尾にまで数が減っている。また一人前の妖となった翔は他の妖と気兼ねなく交わることができるだろう。

 晴れて神主代行の荷が下りたのだ。それは翔にとって喜ばしいことだろう


「じゃがのう。宝珠の御魂は次の神主を見定めている。そして、十代目を誕生させようとしている」


 大業を成しえた今の翔の肩書きは、十代目南の神主だと比良利。


「これからお主はどうしたい? わしは無理を強いるつもりはない。蹴っても良い話じゃ」


 心を探ってくる質問に、翔は目尻を下げた。分かりきっているくせに。


「比良利さ……いえ、六尾の妖狐、赤狐の比良利さま。俺は貴方様の対となりたい。共に愛すべき妖を導く存在になりたい」


 決して楽な道ではないだろう。しかし、白狐の南条翔の天命は既に宝珠の御魂によって授かっていたのだ。代行を務めて分かった。行くべき道が。


「俺は誰に言われずとも、この道を選びたい。理想を叶えるために。これではお答えになりませんか?」


 畏まった物の言い方をすると、比良利は満足げに頷く。


「お主ならそう申すと思った。妖を愛し、ヒトを愛して、双方の共存を願うぼんならば、きっとそう申すと思った」


 すべて分かっていた。北の神主は慈悲溢れた笑みを浮かべる。

 しかしながら、神主になるためには並々ならぬ覚悟が必要だと比良利。負うものもあれば、捨てなければならないものもある。


「神主は神に仕える身。我等は伴侶を持つことを許されぬ。それが妖の社を受け持つ、神職達の決まりじゃ」


 つまるところ、恋愛感情を持つことが出来ないという。


「妖達を愛することはできれど、一個人を愛することはできぬ。頭領は平等でなくてはならぬ。民を導くための存在ゆえ、恋情など抱けば己の弱点を作るようなもの」


 唯一、子孫を増やすことができるのは守護獣だけ。神主にとって恋情は、捨てるべき感情の一つなのだと、比良利は厳しく告げた。

 どうしても恋情を優先したくば、神主を降りるしかない。そしてその神主は二度と昇格することはない。恋情は神主として、最も持ってはならぬ感情なのだという。


「翔よ、お主は若い。おなごに興味のある歳であろう。恋情を抱く歳であろう。それを捨てることができるか?」


 比良利の詰問に、翔は静かに頷く。

 脳裏には恋心を抱く少女の顔が出てくるが、翔はその恋を叶えたいとは思っていなかった。なにより叶わない恋だと知っているのだ。今さら、どうこう言うつもりもない。

 これから先も、誰かと恋に落ちる瞬間がもあるやもしれない。


 だが翔はひとりのおなごを愛するより、多くの妖達を愛したかった。大きな夢を抱いた今、ただただ天命を受け入れたかった。


「多くの民達を見守りたい。その気持ちにうそ偽りはありません」


 揺るぎない気持ちは、比良利の満足する答えだったようだ。


「左様か。ならば、もう試すようなことはするまい。三尾の妖狐、白狐の南条翔よ。わしはお主と、まことの対になる日を待っておる。誰よりも待っておるぞよ」


 比良利がくしゃくしゃに頭を撫でてくる。それは喜びに満ちた手であった。


「こ、子供扱いするのはやめてくれよ。比良利さん」


 あんまりにも恥ずかしい行為だったため、その手から逃げる。

 けれども、比良利は楽しげに笑うのだ。


「一丁前に振る舞おうが、今のお主なんぞ、ぼんぼんもぼんぼんじゃよ。早う一人前になってもらわなければのう」


 体が回復次第、十代目南の神主として、沢山のことを学ばせるつもりだと比良利。ゆっくりできるのは、今のうちのようだ。


「なにより、お主は一度ヒトの世界に戻られよう。背を向けたとはいえ、そこに血を分けた家族がおるじゃろうて」


 翔は息を呑んだ。


「……俺、帰っていいの?」


「家族想う狐を見て見ぬ振りなど、わしにはできんよ」


 比良利は最後まで翔を子供扱いにし、己の不安や悩みを気遣ってくれた。




「ふふっ。ぼんがあのような理想を語るとは。成長したのう」


 療養している子供の部屋から出た比良利は、翔の青二才の考えに笑声を噛み殺していた。

 あれは、まことに高い理想を持つ狐だ。許しあえる関係を望みたい、などとよくもまあ齢十七の口から言えたもの。百年経っても言えるかどうか、これは見物だ。


「許しあえる、か。桃源郷じゃのう」


 しかし比良利は、彼のような輩が嫌いではなかった。

 亡き惣七が聞けば、現実味のないことを言うなと叱責するかもしれないが、自分は理想に賛同する。

 そう思えば自分達は似ているのかもしれない。凡才な面といい、能天気な面といい、理想高いところといい。今度の対は不仲だと言われずに済むだろう。


(じゃが、今のところは師弟じゃろうのう。ぼんがわしの対になる日は遠い)

百年、いや二百年は見ておかなければ。


 さて歴代最年少の神主をどう育成しようか。

 教えることは山のようにあるが、まずは就任式を最優先に置かなければ。


 預かっている白の宝珠の御魂を、本幕の就任前に彼の体内に宿さなければならない。その内幕の就任式を終えたら、本幕の就任式に向けて、日月の神主舞に磨きをかけたり、作法を学ばせたり、ああ神楽も教えなければ。翔の持ちかけられた相談もある。

やることが多すぎて目が回りそうだ。



「ようやく南の地にも光が差したのう。惣七、主も安心じゃろう?」


 忙しいながらも楽しい毎日になりそうだ。

 微笑を漏らしていると、待ち構えていたように向こうの廊下に立っていた、南の巫女が一礼してきた。


「青葉か」


 なんとなく用件を察した比良利は、彼女に歩み寄る。

 頭を上げた青葉の腕には小壷が抱えられていた。

 それを静かに差し出される。受け取った比良利が中身を確認すると、南の神主だけが持つことを許される“五方魂・南ノ書”がおさまっていた。同じ壷に妖仙薬の薬種も入っている。


 小壷から和書を抜き取り、小壷の蓋を閉じる。


「青葉よ。この意味を問おうか」


「比良利さま、申し上げます。同胞に薬を盛ったのは私です」


 青葉は当時のことを、包み隠さず白状した。

 先代に対する思いの丈が強かったあまり、同胞の命を脅かしてしまった。それは決して、許されないこと。自分は罰を受けたい。


 努めて平坦に告げてくるが、密かに袴を握り締めている手が震えている。それに気付いた比良利は、なんとも言いがたい気持ちを抱く。


 私情に目を伏せ、巫女に厳しく告げる。


「この罪は重い。それをまず自覚せえ」


 己の欲望で同胞を手に掛けようとした。危うく命を落とすところだった同胞を思うと、決して軽くはない罪だ。ましてや青葉は七代目南の巫女。軽率な行為は神への冒涜となる。


「巫女の肩書きを剥奪、だけでは済まぬぞ」


「はい。覚悟しております。私は犠牲を軽んじていました」


 今まで社を守るために、些少の犠牲も厭わないと思っていた。

 けれど北の神主や祖母に咎められ、薬を盛った相手から想われ、気遣われ、優しさを向けられた。すべての事情を知った彼が術を使い、尊い犠牲となりそうになった。


 それらを目にした時、初めて犠牲に大小などないことを知ったと青葉。


 周囲の想いに気付かず、亡き先代を想うばかりの自分は忘れていたのだ。自分を想ってくれる人々を。

 恥ずかしいばかりだと懺悔する青葉は、どうぞ北の神主の手で裁いて欲しいと頭を下げた。


「私はどのような罰も受けまする」


 そう言って真っ直ぐ此方を見つめてくる、彼女の覚悟に吐息をつく。人の気も知らないで。

 敢えて罪には触れず、比良利は中庭を流し目にする。紅に染まっているヒガンバナ畑を見つめ、その優美な姿に心奪われながら、彼女に問う。


「ぼんは十代目南の神主になることを望んでおる。先代を知るお主に問おう。南条翔は適した神主か?」


 誰よりも先代を敬愛していた少女に尋ねると、間髪を容れずに返事した。


「才は凡でしょう。しかしながら、これは力に限った話」


 正直な感想を口にする青葉は柔和に綻び、言葉を重ねた。


「翔殿はまぎれもなく、才溢れた狐です。力はなくとも、民達の心を動かすだけの行動があります」


 実際、凡才の彼は見事に九代目の代行を務めた。齢十七の狐が起こした奇跡は妖達から尊敬され、愛される存在となった。妖を誰よりも想い、相容れぬヒトを想える彼をどうして否定できようか。

 今なら宝珠の御魂が彼を選んだ理由が分かると青葉。



「彼なら立派な十代目になりましょう。少々自分を蔑ろにするところがありますが、それも他者を思う優しさゆえのこと。悪意など微塵も感じられなれない」



 何処かの誰かさんとは大違いだ。青葉は苦々しく笑った。


「変わったのう」


 比良利は意外な答えだと目尻を下げる。それこそ、どのようなことがあろうと九代目を思い続け、他者の神主を拒むと思っていたというのに。

 青葉は変わった。犠牲の意味を知り、犠牲の大きさに気付き、犠牲の尊さに涙した彼女だからこそ、導き出せた答えなのだろう。


 そよぐ風に浄衣を靡かせる。


 今しばらく口を閉ざしていた比良利は、持っている和書に視線を落とす。


「ぼんに会い、己の罪を相手に告白せよ」


 それによって青葉の罰が決まる。宝珠の御魂もそれを望んでいるだろう。自分は宝珠の導きに従いたいと告げ、八の字に眉を下げる彼女の肩に手を置いた。


(くだん)の被害者はぼんじゃ。お主の覚悟は理解するが、まずは謝らなければならない者がおるじゃろう」


 今、青葉がするべきことは己の犯した罪をしっかり相手に伝え、真摯に詫びることだ。



「そうそう青葉。まず罰だの何だのあれこれ考える前に、俺に説明だろ? 順番を間違えるなよ」


 背後から若い男の声が飛んできた。

 身を竦める青葉を余所に、比良利が来た道を振り返る。

 そこにはジャージ姿の翔が、此方へ歩み寄っていた。


「お主、ここで何をしておる。自室で休めと命じたはずじゃが」


 比良利が問いに、「便所に行きたくて」と翔。舌を出す素直な表情に、それはただの口実だと察する。

 彼は比良利の脇を過ぎると、身を小さくしている青葉の前に立ち、真っ直ぐに相手を見つめた。


「腹の底に溜まっている気持ち、全部俺に言えよ。聞いてやるから」


 それが、たとえ自分に対する酷評でも受け止めると翔。ただし、自分も言いたいことは全部言うと腰に手を当てる。


「……申し訳ございませんでした」


 頭を下げる青葉に、早々と彼は困った顔を作った。


「前後を端折るなって。それじゃなんで謝られているのか、俺に伝わらないぜ?」


 青葉の悪い癖だと翔は苦笑する。

 鼻を啜る巫女に焦れたのか、それとも聞く方法を変えたのか、彼は誘導尋問を始めた。


「なあ、青葉。九代目が大好きなんだろう? 俺が神主になって欲しくなかったんだろう?」


 硬直する彼女だが、問いかけてくる翔の目を見て思うことがあったのだろう。うんっと小さく頷いた。


「どうしても許せなかったんだろう?」


 翔が続けて問うと、青葉はもう一度頷いた。


「皆に先代を忘れて欲しくなかったんだろう?」


 更なる質問に青葉は大きく頷いた。

 すると今度は翔が間を置き、恐々と尋ねた。


「青葉は俺が嫌いか? だから薬を盛ったのか? それこそ死んで欲しいほど憎かったのか?」


 これには大きく首を横に振り嫌いじゃないと、青葉は上擦った声で否定する。


「正直に申し上げれば、貴方様が憎かった。それは本音です」


 九十九年、社を守っていた自分には、巫女の証すら与えられず、それでも神に仕えてきた。懸命に九代目の遺志を継ごうとしていた。

 なのに、齢十七の少年はいとも容易く証を得られた。それが悔しくて仕方がなかったと赤裸々に告白する。


 だから宝珠の御魂を取り戻したかったのだ。

 死に至らしめるような真似をするつもりはなかった。ただ先代の持っていた、大切な宝珠の御魂を返して欲しかったのだ。


「しかし、私は邪な気持ちを抱きました。宝珠の力を得ているなら、御魂封じの術で瘴気を消してもらおうと……翔殿に」


 些少の犠牲は仕方がない、鬼になるしかない、社を守るためだ。そう思い込んで行動を起こした。本当は誰でもない自分のための行為であった。

 結果、翔を傷付けてしまった。


 青葉は袴を握り締め、苦しむように吐露する。薬によって翔が自我を失い掛けた時、御魂封じの術を翔が使われた時、呼吸が止まった瞬間を目の当たりにした時、心臓が凍りそうになった、と。


「何が些少の犠牲でしょうか。私は命の重さを、何一つ理解していなかった。翔殿の命を、私は弄んでいたのです」


 堰切った感情は止まる術を知らず、青葉の口から次から次に当時の気持ちが零れる。

 それに一つ一つ相槌を打つ翔は頃合を見計らい、今度は自分の番だと彼女を見つめる。


「青葉。俺は悲しかったよ。薬を盛ったのが、まさかお前だなんて」


 悲しくてかなしくて疑問で一杯になった。いつも優しくしてもらっていたから、余計に。


「それから暫くは、青葉に警戒心を抱いていた。その笑顔の下では俺を恨んで、また薬を盛られるんじゃ! なーんて、大袈裟なことも思った」


 でも。


「俺は泣いている青葉を見ていた。なんでかなぁ。お前の気持ちは伝わってきたんだよ」


 前にも言ったが、自分達は似ている。好きな人達を追い駆けるところ、尽くすところ、傍にいたがるところ、何かしら似ている部分があるのだと、翔は苦笑した。


「悩んで悩んで悩んで。俺、決めたんだ。青葉の気持ちを知ろう。どんなことがあろうと青葉を信じようって。薬を盛ったのは腹立ったけど、俺に接してくれる優しい青葉も本物。どっちも本物だからこそ、俺は優しくしてくれた青葉を信じたかった」


 そして気付くのだ。青葉は鬼になどなれない。自分の犯す罪に心を痛め涙する鬼など、それは鬼ではなく、翔の目から見ればただの少女だ。


「青葉。俺は十代目南の神主になる。鬼才の九代目と違って俺は凡才だ。九代目のようにはなれない。だけど俺の決めた道だ。周りの批評なんか知らん。俺はなると決めた。九十九年、神主なしで社を守ってきた巫女や守護獣と一緒に、月輪の社を、南の地にいる妖達を守りたいと思ったんだ」


 瞠目する青葉に、これが自分の決めた道だと翔。


「お前はどうするんだ? まさか、このまま巫女を降りるつもりなのか?」


 それも一つの道だろう。止める権利など自分にはない。

 ただ罪の意識をこれ以上感じたくなくて、自分から逃げたいのであれば考え直したほうがいい。後悔するのは誰でもない青葉だ。


「逃げたいあまりに罰を受けたところで、お前の気は晴れないんじゃないか? もっと苦しむだけだと思うぜ?」


 翔は青葉の心情を見透かしたように辛辣に告げると、一変して笑みを浮かべた。


「俺も頑張るから、一緒に社を守ってくれないか」


 そう言って彼女の両手を取る。


「な、なにを言って。私は罪を犯したのです。そんなことできませぬ」


 信じられないと言わんばかりに軽くかぶりを振り、青葉は涙声で拒絶した。それこそ、神に背いた行為をしたのだと強く主張すると、翔が彼女の顔を両手で挟んで固定した。


「青葉。お前が薬を盛った相手は神様か? 違うよな? 俺だろ」


 揺れる青葉の瞳を睨み、彼は強く返した。神様は関係ないと。


「これは俺とお前の問題だ。神様を理由に逃げるな。ちゃんと俺の言葉を聞けよ」


「翔殿っ……」


「俺はお前に腹を立てた。信じられなくなりそうにもなった。自我を失いかけて怖くなったさ。でもな、やっぱりお前を信じたいと思ったんだよ」


 何故だと思う。答えは簡単だ。青葉が翔を支えてくれたからだ。そんな彼女が、翔は好きなのだと強く訴えた。


「青葉、俺はお前を許す。もう一度、言うぞ。俺はお前を許す。神様や北の神主が出る幕もない。被害者の俺が許すっつってるんだから話はお仕舞いだ」


 だから。


「もう、苦しむなよ。お前は十分、罰を受けた。青葉、もういいんだぜ」


 力が抜けたように、青葉が膝から崩れ落ちる。顔を歪めると、その場でうずくまり、声を押し殺して涙した。翔が膝をついて背中をさすると、抑えていた声が表に出る。緊張の糸が切れてしまったのだろう。


 合間に聞こえる謝罪に、翔は苦笑いした。


「ほら落ち着けって。俺が泣かせたみたいじゃんか……ほんと、今まで苦しかったな。ずっと一人で抱えて苦しかったな」


 赤子のように泣く巫女の声が中庭にこだまする。吐き出す気持ちは悲しみであり、苦しみであり、罪悪感のかたまりなのだろう。


 一部始終を見守っていた比良利は、慈悲溢れた眼で彼等を見つめる。これが青葉の前進となる一歩だということは明白であった。

 顔を上げた彼女の、額に浮かぶ二つ巴に微笑み、比良利は明るい未来を想像した。



 その日の夜明け。

 青葉が比良利の下を訪れる。彼女はまことの巫女に授けられる、白い勾玉を首から下げていた。巫女の証であった。それは宝珠の御魂が寄こすもので、胸の内から出てくると云われている。


 青葉は認められたのだ。


 今後について話しに来た彼女に、比良利はこう告げる。


「それが宝珠の導きならば、わしはそれに従おう。青葉よ、お主は生まれ変わった。犠牲の意味を知り、過ちを悔い改め、一妖を想える巫女となった」


 改悛(かいしゅん)した青葉を、宝珠も期待していることだろう。勿論、これで留まるようならば巫女の証はすぐに消える。巫女の勾玉を受け入れるか、どうかは青葉次第だ。


「青葉。お主はやり直せる。もしも同じ過ちを犯すようならば、今度こそ北の神主の名の下で、制裁を下そう。して、これからお主はどうする?」


 目を腫らした彼女は、静かに答えた。


「犯した罪は、簡単に消えませぬ。私は償わなければなりません」


 本当は巫女を辞めるべきなのだろう。

 しかし、まだ宝珠の御魂にやり直しの機会を与えられるのであれば、もう一度巫女として精進していきたいと青葉。

 傷付けてしまった翔と共に、南の地を見守っていきたいと返事する。


「こんな私を、翔殿は必要としてくれました。そして許してくれました。これで巫女を辞めてしまえば、彼の納得がいくまで追い回されそうです」


「あの様子では無理やりでも止められるじゃろうのう。あやつはしつこかろうのう」


 揶揄を飛ばすと、青葉が困ったように笑う。容易に想像ができたのだろう。


「青葉よ。お主はこれから苦労の連続であろう。ぼんは我らが思う以上に未熟じゃ」


 頼れる先代と違い、十代目に頼られることが多くなるだろう。青葉の負担も大きくなるだろう。彼の凡才に悩まされることもあるだろう。

 それでも青葉はきっと巫女を続けるべきだ。本当の意味で罪を償うためにも。


「ぼんのお守が罰じゃと思い、精進するが良い」


「そんなの罰にも入りませぬ。それに、私は翔殿に支えられてばかりなんです。ああ見えて、とても頼りになるのですよ」


 彼に見合うだけの巫女になりたい。青葉は比良利に宣言した。

 もう一人で社を守っているなど傲慢な気持ちは捨て、新たな神主と姉の守護獣の三人で南の地を見守っていきたい。勿論、対となる神職達と北の地も一緒に。


「翔殿は張り切っております。早くお布団から抜け出したいようで」


「わしは休めと言ったのじゃが……はあ。休めという意味が分かっておらぬのか。床上げすれば、嫌というほど動き回る日々じゃというのに」


「早く比良利さまに追いつきたいそうです。どうやら、貴方様に強い憧れがあるようですよ。なにせ大麻の形を、蛇の目傘にするほどなのですから」


 寝耳に水である。

 呆ける比良利に、青葉は語る。彼は白い下地に赤い輪が描かれた、蛇の目模様の和傘を愛用品として選んだと。

 その理由を翔に尋ねると、比良利のような神主になりたいから、真似をしてみた、とのこと。


「瘴気の一件と向き合っている時も、比良利さまならどうするかと、よく口にしておりました。これから、そういう機会も多くなることでしょう。すっかり兄分ですね、比良利さま」


 今度、彼の愛用品となった大麻を見て欲しい。色違いの蛇の目模様の傘を持っている筈だから。

 眦を和らげる青葉の視線から逃げ、比良利はわざとらしいため息をつく。


「あの仔狐め。一丁前に、わしの隣に並ぶなんぞ二百年早いわ」


「ふふっ、ご大層な尾っぽが揺れておりますよ。嬉しいのですね」


「……早う宝珠の御魂を宿さねばならぬのう。あのままでは、わしの隣に並ぶことも儘ならぬ」


 いつまでも、ただの妖狐にしておくわけにはいかない。

 彼の名は一尾の妖狐ではない。三尾の妖狐、白狐の南条翔。またの名を十代目南の神主と申すのだから。


「ま、宿したところで、隣に並ぶのは二百年先じゃが」


 不機嫌に鼻を鳴らしてみせるが、それは照れ隠しなのだと容易に見抜かれてしまい、青葉が笑いを噛み締めていた。

 なんとも居たたまれなくなる比良利であった。



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