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南条翔は其の狐の如く  作者: つゆのあめ/梅野歩
【肆章】九代目南の神主代行
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<十八>御魂封じの術



 その時、結界の外にいた青葉は、金銀狐の下へ赴き、長と張り合う妖狐達の加勢をしていた。

 神主代行のことが気掛かりではあったが、あそこまで啖呵を切られては、指示に従う他なかった。彼の言うとおり、妖の社を思うと共倒れするわけにはいかなかったのだ。


 とはいえ、巫女として代行の後を追うべきではなかったのだろうか。

 青葉は片隅で思い悩んでいた。妖祓達が追っていた姿を目撃していたせいもあるだろう。


 しかし金銀狐の下に向かうと、此方に来て良かったと思った。

 何故なら、金銀狐は目で分かるほどの重傷を負っていた。若き守護獣にとって玄人の妖祓は悪戦だったようだ。

 妖型を保つこともやっとな二匹の前に出て応戦していると、前触れもなく銀狐が弾かれたように天を仰ぐ。


 つられて青葉と金狐も天を仰いだ。


「あれは」


 瞠目する。解けかけている結界の向こうに立ち込めていた瘴気が、意志を宿したかのように何処かへ流れていくではないか。一体何処へ?


 固唾を呑んで見守っていると、真っ先に事に気付いたギンコが嫌だと大声で鳴いた。

 それだけは使わないで。お願いだから自分を置いていかないで、と忙しなく鳴き、長達に背を向けて駆け出す。


 遅れて青葉とツネキも気付く。

 若すぎる神主代行が雑木林の真上で両手を合わせ、言の葉を唱えている。何かを唱えている、代行の言葉を読唇術した青葉は血相を変えた。


「まさか翔殿っ、御魂封じの術をっ!」


 気付いた時には既に遅し。

 術は発動され、瘴気が見る見る少年の体に吸収されていく。



「翔殿――!」



 悲鳴を上げる青葉を嘲笑うかのように、吸収を終えた代行の体が雑木林に落ちる。


「嗚呼、そんな。そんな!」


 嘘だ。こんなの嘘だ。

 何度もかぶりを振り、青葉も妖祓達に背を向けて、結界の張られている雑木林を目指した。


 急いでギンコの後を追う。脆くなった結界は、ギンコの捨て身で容易く壊れた。怪我を諸共もせず、雑木林を駆け抜けるギンコの後を懸命に追って行くと、やがて銀狐が減速する。そして足を止めた。

 つられて足を止めた青葉が、おずおずと前方を見つめる。


 鬱蒼とした雑木林が、満目一杯に広がっている。

 木々と茂みしかない一帯の片隅で、四肢を放っている少年を見つけた。生い茂っている草木をクッションにして頭垂らしている彼は、うつ伏せになり、ぐったりと眼を閉じている。


 その表情と先代の死に顔が重なり、青葉は衝撃のあまり足が竦んでしまった。

 同じく強い衝撃に襲われていたギンコだが、我に返ると、かまびすしく鳴いて代行の下へ。

 ギンコは砂と土で汚れた白張の裾を銜え、ずるずると少年を地面まで引き摺って体を横たわらせる。拍子に翔の体から白い大きな珠が滑り、青葉の足元まで転がっていく。


「あっ」


 白い珠の存在に気付き、青葉は膝を折ってその珠を拾う。

 艶やかな光沢を帯びている白い珠は拳ほどあり、青葉の両手にすっぽりとおさまった。触るだけで感じる不思議な妖力。誰からも感じたことのない、神秘な妖力の塊は、見覚えがあった。


 これは青葉が返上して欲しいと願っていた、妖達の重宝。先代が持っていた白の宝珠の御魂。ギンコの体内に眠っていた珠。


 瀕死の重傷を負った翔に受け継がれた、あの宝珠の御魂が自分の手に戻ってきた。


 なら、これを宿していた少年は。


 自分達の後を追って来たツネキが青葉の隣に並ぶ。巨体をそのままに手元を見てきたので、宝珠の御魂を見せると、相手が驚きかえった。そして目が細められる。無言で尾と耳を垂らす金狐の態度が、青葉は理解できずにいる。


 クーン。

 ギンコの細い鳴き声によって、青葉は再び神主代行を見る勇気を得た。


 銀狐はぐるぐると翔のまわりを右往左往し、恐々頬を舐めて反応を確かめている。何も返ってこない相手の態度に焦れ、銀狐は獣型に戻ると、代行の腹に飛び乗って胸部に頭を擦りつけた。やはり何も返ってこない。

 力なく四肢を放っている翔に憤り、ギンコがその腕を本気で噛む。反応は同じだった。

 耳を垂らす銀狐が噛んだ場所を癒すように舐める。それこそ何度も、何度も。そうして傷口を舐めていると、小さな音が翔から口から零れた。


 銀狐が耳を立てる。


 クオン、クオン、クオン、ギンコが喧しく鳴くと、重たそうな瞼が持ち上げられた。意識が戻ったようだ。

 嬉しそうに尾っぽを振るギンコが、翔の頬に顔を寄せる。


「ぎん、こ?」


 翔は放っていた手を宙に伸ばすと、手探りで銀狐の頭にのせ、感触を確かめるように撫でる。


「ぎんこ、だよな? こんな風に甘えてくるのは……ギンコしかいねぇよ」


 此処は真っ暗で何も見えない。彼は力なく呟いた。

 妖狐は強い夜目を持っている。どんなに鬱蒼とした、暗い雑木林でも視界は利いている。けれど彼は、ギンコが見えないと繰り返すばかり。


 此処にいる。銀狐が鳴くと、翔はホッとしたように頬を崩した。


「やっぱりギンコだ。その鳴き声は、俺の大好きなギンコだ」


 翔は尾っぽを振って喜びを露わにしようとするが、その余力すらないようだ。尾っぽはぴくりとも動かない。

 青葉は翔の尾っぽを目にして気付く。彼の尾っぽが一尾しかない。三尾あった、その尾が一尾しか。宝珠を失った彼は、ただの白狐と化しているようだ。

 御魂封じの術によって瘴気は消え、宝珠は自分の手元に戻り、翔はただの妖狐に戻る。


 これは青葉が望んでいた未来だ。

 宝珠が自分の手に戻ることによって、新たな神主代行は決まらず、いつまでも九代目のぬくもりを残すことができる。

 些少の犠牲は仕方がない。妖の社を守るためには些少の犠牲は仕方がない。そう思っていた、思っていたが。


「翔殿!」


 青葉は神主代行の下へ走る。

 両膝をついて顔を覗き込むと、焦点の合っていない瞳が青葉を探していた。

 宝珠を翔の右の手に握らせ、両手でその手を覆う。目の前の現実に体が震えた。


「どうして……どうして御魂封じの術を使われたのです」


 青葉はしゃくり上げた。

 あれは己の魂に禍根を封ずる術。未熟な妖が術を発動させればどうなるか、翔は知っていた筈だ。青葉が薬を盛った犯人であることを知っていたように、発動させれば、どうなるか彼は知っていた筈だ。


 なのに、どうして。


 声を上擦らせると、焦点を青葉に合わそうと翔が首を動かす。


「青葉。また泣いているの?」


 また? 洟を啜る青葉に、彼は力なく笑った。


「あの日も一人で泣いてたな。お前……」


 翔は薬をすり替えた夜を口にした。土間で泣いていたところを、偶然自分は目にしてしまった。そう苦笑いを零す。


「そうやって、いつも一人で泣いていたんだな……先代が死んだ日から、ずっと一人で」


 それはさぞ、辛かったことだろう。翔は空いた左手で、青葉の頬に触れた。


「俺と青葉は似ているな」


 間を置き、彼はおどけた。自分達は似た者同士だ、と。


「狭い世界で誰かを想い続けるところが、追い駆け続けるところが、俺達、凄く似ている。俺さ、みんなに出逢わなかったら、いずれ青葉のようになっていたと思うんだ」


 幼馴染達といつまでも一緒にいられない現実に堪えられなくなり、前にも後ろにも進めず、立ち往生する。そんな未来が待ち受けていたことだろう。

 だから青葉の思い余った行動に、理解が示せるのだと翔。


 確かに青葉は、他者を軽んじていた。けれど他者すら目に入らないほど、相手のことが大切であると、誰でもそうなってしまうものだ。


「俺もきっと、そういう運命を辿っていたと思うよ……自分のことだから分かる」


 青葉の行為に腹立たしくなかったといえば、それは嘘となる。同情したといえば、それまでだが、自分はそれを上回る感情を青葉に向けていた。

翔は一笑する。


「信じたかったんだ……青葉のこと」


 短い月日だったが時間を共有した分、信じたかった。彼は真摯に伝えてくる。

 自然に流れる涙が、添えてくる翔の手を濡らした。

 どうしようもない罪悪感と、遣る瀬無さが青葉を支配した。こんなにも身勝手なことをしたのに、どうして彼はそこまでして、自分を信じてくれるのだ。どうして。


「青葉には無理だよ」


 鬼にはなり切れない。翔はおどけた。


「九十九年、社を守って。初対面の俺を助けてくれて。他人を傷付けることに怖がって。泣いて。涙して。そんな鬼が何処にいるんだよ」


 お前は鬼じゃない。彼は何度も言う。青葉は鬼ではない、と。


「ただ、思い詰めるほど先代が好きだった。それだけだよ。先代の代行が俺じゃ気に食わないなら、俺を降ろしてもいい。そうしたって俺は青葉を恨まないよ」


「か、ける殿」


「でもな一つだけ。自分を傷付ける、それこそ後悔するようなことだけはするな」


 そんなことをしてしまえば、青葉を慕う者達が悲しむ。自分も見たくない。翔は青葉の頬を撫でると、その手を力なく落とした。

 血相を変えて彼の顔を覗き込むと、今にも消えそうな呼吸を繰り返していた。


「翔殿! お気を確かに!」

「……やべえ。瘴気が溢れそう」


 力なく笑う翔は、参ったと呟き、青葉に凭れかかる。抑えることがこれほど、困難だとは思わなかった。


「だけど……安心してくれよ」


 ああ、彼の体から体温が消えていく。


「瘴気は俺が抑えるから」


 ああ、彼の目から光が消えていく。


「もって、いくから」


 もう見ていられない。声にならない声を漏らし、青葉は宝珠の御魂を翔の体内に戻す決断をした。

 たとえ神主になる可能性が出てこようと、そんなことは二の次三の次。今は目前の神主代行を救うことが先決。返してもらうことなど、いつだってできるのだ。


「少しの辛抱ですよ。すぐに苦しみを取り除きますので」


 翔の手に押し付けていた宝珠の御魂を、胸部に移動させる。宝珠に妖力を注ぎながら、相手の体に押し込むことでそれは成立する。筈なのだが……おかしい、まったく入る兆候が見えない。

 巫女の証が出ていない自分では駄目なのか。


 では守護獣に役目を託そう。青葉がギンコに声を掛け、その場所を譲る。


 しかしギンコの力を持ってしても、宝珠の御魂は翔の体に入らない。その間にも、彼の瞳に宿る光は急速に失われていくというのに。

 何故入ってくれないのだ。青葉は顔をくしゃくしゃにし、悲鳴を上げた。


「お願いだから入って!」


 このままでは死んでしまう。翔が死んでしまう。一度は救った命ではないか、宝珠が見定めた少年を見す見す死なせて良いのか?

 宝珠に問い掛けても、宝は何も答えない。答えようともしてくれない。


「そう、だ。あおば」


 詰まった息を吐き出し、虚ろな眼を向ける翔が唇を動かして報告してくる。

 五方結界を張ることに成功した。あれが解けることも、そうはないことだろう。妖の社を脅かす物は何もなくなったのだ。

 彼は誇らしげに笑い、とろとろと瞼を下ろしていく。


「お前の家はもう安心だ……あとは、瘴気を……俺が……」


 翔の身から、す、と眩い光の玉が現れる。それは魂であった。包み込むような、あたたかい魂の中には、穢れた瘴気が閉じ込められている。


 やがてそれは、目にも留まらぬ速さで天にのぼり、翔の魂と瘴気が衝突を繰り返す。

 まことの御魂の術が発動し始めたのだ。魂が優れば禍根は消え、禍根が優れば――ひびの入った魂は、飛び出そうとする禍根を抑え、ひとつの終焉を迎える。


「待って! 翔殿っ、待って!」


 天にのぼった魂は砕け散る。瘴気の禍根共々。

 四方八方に散った御魂は、まるで流れ星のように空を翔け、災いの終わりを知らせた。誰もが苦しんだ瘴気は跡形もなく消えたのだ。彼の魂と共に。


 青葉は残った翔の頭を抱きしめ、抜け殻となった彼に呼び掛ける。彼の終わりを認めたくなかった。


「起きて下さいっ、翔殿っ……一緒に帰りましょう。皆、私達の帰りを待っているのですよ」


 彼は目覚めない。

 宝珠の御魂は身に宿らず、それは役目を終え、静かに眠る。眠り続ける。それは永遠という名の眠りであった。

 青葉の顎に涙の雫が滴り落ちた。


「翔殿が起きてくれないと、やくそく……果たせませぬ。おばばさまっ、迎えに……行くってやくそく……やくそくが」


 語りかけている内に感情が爆ぜた。

 大声で泣き、彼の胸に顔を押し付ける。些少の犠牲、などどうして考えたのだろう。犠牲を軽んじていた自分を罵った。知っていたではないか。自分は身近な人物の死の痛みを知っていたではないか。


 周囲の想いを知らなかった。知ろうとしなかった。結果がこれだ。犠牲の大小など関係ない。命の尊さを自分は忘れていた。

 禍根と共に散った御魂を求め、嘆き、青葉はいつまでも声を上げた。静寂を裂くように声を上げ続けた。


 残された金銀狐の咆哮が虚しく響き渡る。




 人知れず、少年の胸部に押し付けられる宝珠が仄かに光り輝く。


 まるで光に導かれたかのように、雑木林のかたい土に芽が生え、吹き抜ける風と共に成長する。

 つぼみが膨らむ。赤いつぼみは悲しみに暮れる誰の目にも留まることはないが、それは瞬く間に南の地へ一斉に広がった。

 目にした南の地にいる妖達は、月輪の社にいる妖達は口々に吉報だと喜ぶ。



 何故なら赤いつぼみは、妖達がこよなく愛する花の一つだったのだから。待ちに待った吉報の象徴、赤いヒガンバナのつぼみだったのだから――。



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