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南条翔は其の狐の如く  作者: つゆのあめ/梅野歩
【壱章】少年は妖と化す
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<四>狐のギンコ(参)



 油揚げに疑問が残ったまま、真夜中を迎える。

 ベッドで浅い眠りに就いていた翔の耳に、小さな小さな音が聞こえた。


 かりかり、かりかり。

 かりかり、かりかり。


 それは壁を引っ掻くような音であった。

 翔はゆるりと瞼を持ち上げると、耳をすませて音の出所を探す。


(ギンコのいたずらか?)


 音はクローゼットから聞こえてくる。ギンコの仕業に違いない。


(まずいっ)


 親に見つかれば一大事だ。

 急いでベッドから下りた翔は、ギンコのいるクローゼットを開ける。


「ギンコ。静かにっ、うわ!」


 弾んだゴム鞠のように、ギンコが飛び出してきた。

 驚きの声を上げる翔をよそに、狐は両前足を浮かせ、二足立ちして翔に寄りかかってくる。

 いつもは聞き分けが良いというのに、翔が注意しても力なく尾っぽを揺らし、忙しなくクンクンと鳴くばかり。鼻先を体に押しつけ、何かを訴えてくる。


「どうした。ギンコ……怖いのか?」


 狐は答えない。当たり前だ。獣なのだから。

 しかし、なんとなくギンコの気持ちが伝わってくる。翔は甘えてくる狐に小さく微笑むと、獣の身を抱き上げて、優しく体を叩いてあやす。


「大丈夫。だいじょーぶ」


 何も怖くない。

 ここに怖いものなどない。

 繰り返し、繰り返し、大丈夫だと伝えると狐がじっと翔を見つめてきた。安心させるように、もう一度、大丈夫だと伝える。


「お前のことは俺が守ってやる。怖くなったら、俺がいつでも傍にいるから」


 それこそ飼い主が見つかるまで、ギンコが家に帰るまで、しっかりと守る。約束する。

 そう狐に語りかけると、少しだけ、ギンコのこわばった体から力が抜けた。


 約束の証として、獣の鼻先に自分の鼻を押し当ててやる。

 ギンコの垂れていた耳が、ぴんと持ち上がった。気持ちが伝わったようだ。


(落ち着いたみたいだし、ギンコを戻すかな)


 クローゼットに足先を向けた翔だったが、ギンコが嫌がるようにスウェットを銜えてくる。いつまでも銜えて放そうとしない。

 翔は親に見つかる危険性と狐の気持ちを天秤に掛け、後者を選択した。

 ギンコを抱えたままベッドに入ると、壁側に狐を置き、そっと毛布を掛ける。

 そして翔も潜り込み、ギンコの隣に寝転んだ。

 ひょっこりと毛布から顔を出す狐の頭を撫で、夜はいっしょに寝ようと言葉をかける。


「昼間は狭いところに閉じ込めているから、夜は自由にさせないとな。暖房をつけているとはいえ、クローゼットの中は寒いから」


 賢い狐は翔の言葉を理解し、嬉しそうにすり寄ってくる。獣特有のニオイがしてくるが、不思議と不快にはならない。自分より体温の高い獣に安堵をおぼえるほどだ。

 すっかり目が冴えた翔は、ギンコと話すことにした。

 なんとなく喋りたい気分だったのだ。


「ギンコ。俺さ、昨日から不思議なことばっかり目にしているんだ。お前のこともそうだし、それに幼馴染のことだって……」


 耳を傾けてくれているのだろう。

 獣が顔を覗き込んできた。


「俺には大切な幼馴染が二人いる。近くに住んでいる奴らで、名前は和泉朔夜と楢崎飛鳥。ここに引っ越して来た時、最初に仲良くしてくれた奴らなんだ」


 引っ越してきたばかりの翔は、その土地に馴染めずにいた。

 母曰く新しく通い始めた幼稚園では、いつもひとりで滑り台にいたそうだ。

 もう思い出が擦り切れてしまっていて、自分では上手く思い出すことができないが、毎日のように一人で遊んでいたという。

 今では考えられないほど、内気で人見知りの激しい園児だったらしい。

 それはそれは手のかかる子どもだったとか。


 そんな翔に、声をかけたのが同じ組にいた朔夜であった。

 あまりにも翔がさみしそうにしていたのだろう。彼の方から歩み寄り、仲間の輪に入れてくれた。そうして、彼伝いに飛鳥と仲良くなり、小中高と共にいる。


 今では彼ら以外に多くの友人を得ているが、それでも気の置けない友人といえば、真っ先に幼馴染二人だと言える。

 朔夜と飛鳥は翔の自慢であり、失いたくない者であった。

 その気持ちがあまりにも強いせいで、近年彼らに迷惑を掛けるようになってしまっている。


「ギンコは、大好きな奴らができたらどうする? いっしょにいたいか?」


 問いかけに、うんっと一つ狐が頷いた。

 本当に賢い狐だ。


「俺もだよ。いっしょにいたい。だからあいつらの行くところに、俺も絶対について行きたがる。そんな性格になっちまった。うざいくらい、二人といっしょにいたがるんだ」


 高校選びの時もそうだった。

 二人が同じ高校に行くと知るや、翔もそこに行かなければいけないと使命感に駆られた。足りていない偏差値を上げるために猛勉強を重ねた。

 それほどなまでに翔は『幼馴染』というものに執着していた。


 不純な理由で選んだ進路は両親にばれていた。

 母は呆れを通りこして落胆していたものだ。少しは自分のことを自分で決めたらどうだ。いつもいつも、幼馴染といっしょにいようとしてどうする。

 そんな嫌味を投げられた記憶も真新しい。


「分かっているんだ。これじゃ駄目だってことくらい、ぜんぶ」


 けれど、自分では決められないのだ。

 選んだ道の先に何が待っているのか、それがとても怖い。

 どうしても一人では進められず、誰かと共に進むという楽な道を選んでしまう。

 悪い癖だと思っていたが、何も変えられずにいる。二人がいれば一人になることはない。そう思う安易な自分がいるのだ。


「だからかな。秘密にされて傷付いたのは。秘密にされると一緒に進めねえもんな」


 疎外感を抱く女々しい自分に、翔は自嘲気味に笑う。


「昔から気づいてはいたんだ。朔夜と飛鳥、そして俺の間には大きな壁がある。違う“もの”を持っている。それに気づいていたはずなんだけど……きっと認めたくなかったんだな。俺たちはいつまでも、兄弟のように何でも話せる幼馴染だって思い込みたかったんだ」


 こう思う自分は重いのだろう。

 決して、二人には明かせない感情をギンコに赤裸々と明かす。

 信じられない化け物を目にしたこと。どろどろとした疎外感に苛んでいること。漠然とした不安に駆られていること。

 ぜんぶ狐に吐き出した。


「俺……ちっぽけだな」


 自己嫌悪に陥っていると、ギンコが慰めるように頬を舐めてくる。ざらついた薄い舌で二度、三度、頬を舐めてくれる狐の優しさに目尻を下げた。


「あんがと。元気が出た」


 胸に抱えているものが、少しだけ軽くなる。ギンコのおかげだろう。


「ギンコは賢い上に優しいんだな。毛並みも綺麗だし美人だ……どこの狐なんだろうな?」


 うんっと首を傾げるギンコが可愛くて仕方がない。


「絶対に家に帰してやるからな。ギンコ、なにも心配いらないぞ」


 先ほどの約束を繰り返す。

 反面、別れが惜しくなったが、それは顔に出さず、翔は狐におやすみと言って瞼を下ろす。


 間もなく、獣も大きなあくびをこぼし、翔の隣で安心したように身を丸くした。


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