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南条翔は其の狐の如く  作者: つゆのあめ/梅野歩
【肆章】九代目南の神主代行
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<十七>妖であれ、人であれ、其の心




 この場にいる筈もない幼馴染達が、自分の腕を取り、足腰立たない体を支え、肩を貸してくれる。

 どうして二人がこんなところに。霊力を持つ二人も、瘴気の毒に当てられる対象者だというのに。


「ショウくん、ハンカチ」


 朦朧とする意識が徐々に回復する中、飛鳥が口元に桃色のハンカチを当ててくれる。そして、自分もしっかり口元を白いハンカチで覆い、凄い瘴気だと彼女は苦言を零した。


「外の瘴気とは比べものにならない。此処にいたら、頭がおかしくなりそうだね」


 まったくもってそのとおりだ。同意を示す朔夜は深く頷き、片手で翔の体を支え、片手で青いハンカチを押さえる。


「こんな危険なところに、一人で飛び込むなんて。随分と楽しそうなことをしているね、ショウ。つれないじゃないか。僕達も誘ってくれよ」


 朔夜がおどけを口にして、視線を流してくる。馬鹿げた冗談だというのに、飛鳥も笑って頷いているのだから救いようがない。


 この二人は底知れぬ阿呆なのでは。翔は思ってならない。


 けれど、本当は嬉しかった。自分のために、危険も顧みず妖の聖地に飛び込んで走ってきてくれた、愚かな幼馴染達が嬉しかった。泣きたいほど嬉しかった。

 荒呼吸を繰り返す、翔の視界が何重にもぶれる。かぶりを振り、努めて自我を保とうとするが、呼吸はつらくなるばかり。上体を折って嘔吐くように咳き込んでいると、飛鳥から背中を擦られた。


「ショウ。一度引くべきだ。此処は瘴気が強すぎる」


 意見する朔夜の呼吸も、心なしか忙しくなっているような気がした。それは飛鳥にも同じことが言える。

 翔は気付く。宝珠を持つ自分と、ヒトの子でしかない二人とでは、護身に明確な差がある。霊力を持つ二人にとって、瘴気の巣窟は短時間であろうと体に毒なのだ。


 けれども、翔が今にも落としそうだった大麻を持ち上げると、彼等も共に構えるのだ。


「時間は限られているよ」


 結界を張るなら、早く張ってしまおうと飛鳥。


「君の体力を考えてこれがラストチャンスだよ」


 もし無理なら、強引に祠から引き離すと朔夜。

 彼等は決して、翔を置いて逃げようとはしなかった。


 ゆるりとかぶりを振り、早く逃げるよう促す。自分は絶対に引けない、そう態度で示すと、このやり取りすら惜しいだろう、と口を揃えた二人から注意される。


「ショウ。君の気持ちなんてお見通しだ。おおかた、妖でない僕等を巻き込みたくないんだろう? なら残念、意地でも君と関わってやるさ。もう決めたんだよ。僕達は妖の君を受け入れるってね」


 何度もかぶりを振ると、クスリと飛鳥が笑う。


「ショウくんが意地を張るなら、私も意地を張るから安心してよ」


 逃げろと態度で促しても聞きやしない。

 この頓珍漢。目で反感の念を送ると揃って言うのだ。翔よりマシだ、と。


「自力で立つこともできないくせに、そうやって格好をつけるのは、飛鳥の前だからかな。困った幼馴染だよ。今は猫の手でも借りたいだろうに」


「妖になっても、根っこは変わらないよね。ショウくんって。でも私達だって格好はつけたい。とことんショウくんに付き合うよ。嫌だと言われてもね」


「腹を括った僕達も大概でしつこい。君が僕等と向き合ってくれるまで、いつまでも付き纏ってやる」


「そうそう。ショウくんが私達と向き合ってくれるまで何度も、ね。今度は私達がショウくんを追い駆ける番だよ」


 変わらない態度、変わらない言葉、変わらない眼差し。否、あの頃にはなかった態度、言葉、眼差し。


 懐かしい幼馴染達のぬくもりに、胸があたたかくなる。


 今なら雪之介に報告できるかもしれない。異種族となった自分達だけれど、今以上の関係を作れる可能性ができたと、報告ができるかもしれない。


 もはや何を言っても無駄だと判断した翔は、静かに瞼を閉じる。

 額に漆黒の二つ巴を開示すると、体内に宿る宝珠の力を引き出すために、大麻を握りなおした。不甲斐ない体を叱責し、自力で体を支えるために足を踏ん張る。


 腹部に感じる熱を己の妖力と掛け合わせ、宝珠の御魂の力を最大限にまで高める。


 洞窟一帯に風が吹きすさび、自分達を取り巻く。瞼を持ち上げ、震える手で祠の中に祀られる陰陽勾玉巴に焦点を合わせた。大きな力は一つの流れとなり大麻を伝う。それを持つ右の手が大きく震えた。制御しきれない力が大麻で暴れ回っているのだ。


「クソッ、宝珠の力がでか過ぎる」


 素早く朔夜の肩から左の手を抜き、両手で押さえ込む。

 今度は失敗できない。失敗したら二人を巻き込んでしまう。

その一心で大麻を押さえ込もうとすると、右から朔夜の両手が、左から飛鳥の両手が伸びた。拍子に放り投げられた三つのハンカチが落ちる。


 左右を交互に見やると「猫の手も役立つね」と飛鳥。「というより猿の手かな」と朔夜。


 震える大麻を押さえ込みながら、成功も失敗も自分達がいると翔に微笑んで教えてくれる。


「じゃあ俺は狐の手だな」


 自然と零れる笑みが三つ揃うと、勇気づけられる。不思議な話だ。

 大麻の柄を握りなおし、気を引き締める。


「大麻を動かす。押さえたまま俺に合わせてくれ」

 一人では押さえることも儘ならない。正直に現状を告げ、ゆるりとゆるりと大麻を左、右、左に振る。


 小刻みに震える大麻の紙垂が紅に染まり、力は巡りめぐって宝珠に闘志を宿す。

左右から聞こえる咳き込みに焦燥感を抱くと、双方から集中しろと注意されるため、結界を張ることに専念した。


「我等は宝珠を中に廻る者。御魂に導かれた者。五方を(つかさど)る者」


 小さく揺らしていた大麻を次第に大きく左に、右に、左に振る。比例して紅く染まった紙垂が乾いた音を奏でる。


 初めて唱える言葉に不安はなかった。

 なんてことない。大好きな幼馴染達が、傍で力を貸してくれているからだ。


 先ほどまで妖の天敵である妖祓が、対峙していた彼等が、人間でいて欲しいと切望していた幼馴染が、種族の隔たりを超えて自分に手を貸してくれている。それだけで力が湧いてくる。自分が望む妖とヒトの世界は、こういう世界だと心の底から思った。


「北に我が対を、南に我が身を置き、東に生まれし命を見守り、西に沈む命を弔う」


 破損した勾玉を囲うように黄金色の弧が現れた。


 南北領地関係なしに、ヒトと妖がこうして共存してくれたら。

 ヒトは妖を敬い、妖はヒトを敬う。そんな世界であれば自分や飛鳥、朔夜、そして雪之介のように種族のことで悩むことも少なくなるだろう。傷付くことも少なくなるだろう。互いをより想い合うことができるだろう。


 嗚呼、思い描く世界は桃源郷にしか過ぎないかもしれない。


 けれど今、こうして実現している。桃源郷は実現している。これはまぎれもない現実だ。


 翔は思う。

 ヒトと妖を想い、同胞を明るい未来に導いてくれる南の神主は必ず出てくる。宝珠の導きによって必ず現れる。出てこないならば、代行の自分がそれまで導こう。代行が駄目ならば――自分が南の神主を目指そう。


 そんな道を歩むのも悪くはない。大好きなヒトと妖のために、険しい歩む道も悪くはないではないか。


 はっきりとした志は力となり、己に手を貸してくれるヒトの気持ちは糧となって翔の持つ大麻に注がれる。未熟な代行の制御する力が宝珠の力を上回った。


「我等は宝珠に選ばれし者。禍因、即ち悪しき五方を封ずる。五方解放っ――!」


 翔が縦に大麻を振り下ろした刹那、紙垂から紅の一閃が迸り、新たな風が生まれる。


 肌を焼き尽くすような灼熱の風は、使い手の自分達にも容赦なく襲い掛かってくるが、種族の異なる六本の手は大麻を決して手放すことはない。


 大麻から生まれた眩い一閃と風は天に昇り、勾玉を纏うように渦巻きながら祠に下っていく。一方、呼応した黄金色の弧から光の筋が放たれ、それは天に向かって勾玉を纏うように渦巻きながら昇っていく。


 風は溢れる瘴気を蹴散らすように勾玉を捉え、黄金色の弧は連なる鎖のようにそれを雁字搦めにした。


「五方っ、封印!」


 力の限り左、右、左に大麻を切ると拘束された勾玉が瞬く間に光り輝いた。

 光を吸収していく勾玉は明滅し、破損した部分を自己再生させる。破損していた箇所から大量の瘴気が溢れていたが、それも止まり、観音開きの戸から漏れていた瘴気がぴたりと止まる。


 歩まずとも分かる。勾玉の修繕に成功したのだ。五方結界を張りなおすことに成功したのだ。


 歓喜に身の毛を逆立てる翔だが、両隣にいた幼馴染達の体が倒れたことによって、それは消えてしまった。


「朔夜! 飛鳥!」


 血相を変えて両膝をつくと、倒れた二人にどうしたのだと声を掛け、乱暴に体を揺する。応答がない。失神しているようだ。

 二人はとっくに限界だったのだ。霊力を持つ彼等は瘴気に当てられたのだろう。


 瘴気の毒が二人を蝕んでいる。

 それに気付いた翔は我が身も顧みず、自分の下に走ってくれた幼馴染達を救うため、大麻を脇に挟んで、彼等の体を抱えた。火事場の馬鹿力で、背中に飛鳥を。肩に朔夜をのせ、器用に三尾で支えながら、一目散に出口へと向かう。


 ちらちらと洞窟の様子を見る。依然と瘴気は漂ったままだ。一帯に篭っている瘴気を見つめ、翔は眉を顰めた。


「五方結界は成功したのにっ、瘴気は全然消えてねぇ。結界を張りなおすだけじゃ駄目なのか」


 であれば、瘴気を消滅させなければ。妖祓達が張った結界が完全に解けたら瘴気が散漫する。ヒトの町が、そこにいる妖が被害に遭ってしまう。

 折角、五方結界が成功したというのに、これではぬか喜びだ。明るい将来は確立されても、今生きる現在が暗ければどうしようもない。これ以上の犠牲は出したくない。


 ああ、一刻の猶予もない。


 洞窟を飛び出した翔は、石畳の上に幼馴染達を寝かせると、妖型に変化して雑木林の向こうに広がる夜空へと昇った。


 急げ、急げ、いそげ、誰も犠牲にしないために。


 己を何度も急かしながら瘴気の層から抜け出す。


 夜空の下、解けかかった結界には大きな亀裂が走り、今にも崩れてしまいそうだ。

 雑木林の中央まで翔けると人型に戻る。重力に従って落下する体を少しでも長く保つために大麻を和傘に変えると、柄を脇に挟み、素早く両手を合わせた。


 そして熟読した“五方魂・南ノ書”を必死に思い出す。


「南に身を置く我が身。禍因、即ち悪しき連鎖を断つ器。宝珠に廻る我が身よ。この身に宿りし生命の奇跡よ。この地におわす神に告げる」


 体内から宝珠の力が溢れる。それは白く輝き、翔の身を包み込む。

 


「この魂は器となり、禍根封ずることを許したもう――御魂封じの術!」


 夜風が大きな螺旋を描き、神主代行に悪しき連鎖と謳われる瘴気を。、次から次に運ぶ。

 器と化したその身は、瘴気を吸収するために、残り僅かな己の妖力と宝珠の力を借りて、暗紫の気体を呼び寄せた。


 鬼門の祠がある雑木林を覆い、結界を破ってヒトの町に魔の手を伸ばそうとしていた瘴気は、導かれるように神主代行の下へ。


(あ、あつい)


 瘴気が体内に吸収されていく。渦巻く毒が荒れ狂っている。


 されど、一匙の瘴気も許すものか。


 身に走る激痛に歯を食い縛りる。

 瘴気のせいでヒトは、妖は、諍いを起こし、泣く羽目になった。ならば神主代行としてこの瘴気をすべて消滅させる。もうヒトと妖が諍いを起こさないために。簡単に双方が傷付けあわないために。


 漆黒の二つ巴を光らせる。

 目に見える瘴気、見えない瘴気をすべて取り込むと、眼を見開き、声音を張った。


「禍根封印!」


 白く光り輝く力は、禍々しい色を放つ瘴気をすべて封ずるために体を巡る。

 凄まじい痛みが走り、体内で硝子が砕け始める音が聞こえた。それを合図に光が分散すると翔の瞼がゆっくりと下りる。封印に成功したかどうかも分からない。和傘を手放し、重力に身を委ねる。


 ただただ、目の前には闇ばかりが広がっている。落ちる、体が、意識が、魂が砕けていく。


「あ、」


 闇を映す翔の瞳に一度だけ光が宿る。

 翔は確かに見た。腹部から出てくる純真の珠を。まるで大きな真珠だ。


「これが宝珠の御魂……綺麗だな」


 力なく笑い、今度こそ鬱蒼としている雑木林に身を投じた。



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