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南条翔は其の狐の如く  作者: つゆのあめ/梅野歩
【肆章】九代目南の神主代行
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<十四>知らぬが其の心(弐)




 翔は白狐の姿で宙を翔ける。


 結界を挟んで見える雑木林の向こうに立ちこめる瘴気を睨んだ後、地上で虎視眈々と己の宝珠を狙うごろつきに目を落とした。

 飛べない輩が地を走って、己の後を追い駆けて来る。翔が二、三度、狐火を浴びせることで輩達は恐怖し、己の命を優先して追うことをやめた。


 それで良い。お前等の相手をする暇など一刻もないのだから。


 空き家となっている、築三十年の一軒家の庭で結界のポイントを見つける。

 霊力の縄が張っているそれに向かって火を放つと術が返ってきたため、これは起点でないことが分かった。


 早々に壊すことを諦めて別の場所を探す。

 翔は荒れ果てた畑に飛び込んだ。四方八方に伸びる雑草に足を引っ掛けるものの、それを引き千切るように走り去り、次なるポイントへ。


 目の前に見えてきたのは私有地の駐車場だった。

 ひと気のない場所に停められた複数の軽自動車や、ワゴンはもう幾日も人間に乗られていないように見える。ここが寂れているせいだろうか。


 土で固められただけの簡単な造りとなっている駐車場に足を踏み入れた翔は、自然と速度を落とす。ついには足を止めた。

 妖祓達は私有地の駐車場の中央にポイントを置いたようで、車の迷惑を顧みず、そこに杭を刺して結界の媒体としている。連なる霊力の縄は他の四点に向かって伸びていた。


 しかし翔の着目したい点は、そこではない。媒体を守護するように杭に両隣に立つ人間に注目せざるを得なかった。


(――お前らか)


 若すぎる妖祓達は翔を捉えるや、再会する感動すら与えず、数珠や呪符を構えて、それに霊力を集約する。

 そして法具に力を溜め、唱える経と共に力を解き放った。

 飛んでくる呪符を避けるため、夜空へと昇った翔は、数珠の放った一閃から逃れるために身を捻った。


「妖金鎖!」


 股をすり抜けていく鋭い術の刃に冷汗を流す間もなく、数珠を持った朔夜が空いた手で指を立て、翔の尾っぽに狙いを定める。


(甘いぜ、朔夜!)


 その尾っぽを翻して金鎖に向かうと、持ち前の牙で断ち切る。


「四方魔封の術!」


 すかさず飛鳥が右の手を捻り、両指を合わせ、長方形を模ると術を発動させる。

 翔を取り巻くように四点に霊力の光が現れ、それは瞬く間に結び合って長方形の箱となり、己を閉じ込める。見た目は水槽のような結界だ。


「捕まえた。朔夜くん!」


 飛鳥の声に、朔夜が新たな術を発動するために経を唱え始めた。

 あれは己を打ち負かす術だ。本能が警笛を鳴らす。努めて冷静に状況を把握した翔は、頭上を見上げると勢いをつけて飛躍。己を捕らえる壁を捨て身で打ち砕く。


「嘘でしょ。あれを体当たりで壊すの?」


 地上から無茶苦茶だと酷評を飛ばされたが、逃げられたら良いのだ。逃げられたら。

朔夜の放った霊力の矢から逃れるため、獣型に変化にする。狙いが小さくなれば当たる確率も低くなる。


 こうして術から逃れた翔は、明滅している外灯の頭に着地すると、冷然と地上を見下ろし、駐車場にいる妖祓の少年少女に視線を留めた。


「来てくれて良かった。じいさま達に捕縛されたんじゃないかと、冷や冷やしていたんだ」


 キュッと口角を持ち上げた朔夜が、眼鏡のブリッジを押し、心にもない憂慮を述べてくる。


「じいさま達が約束を破ったかと思った。妖祓に戻る条件は、白狐を僕等の手で捕縛する。そう約束していたからね」


 あくまで彼等は、自分達の手で白狐を捕縛したいらしい。

 獣型から人型に変化した翔は、幼馴染から杭に視線を流し、あれが起点なのだと判断する。


 他の杭は無防備に放置されていたというのに、此処だけ妖祓達が待ち構えていた。それはつまり、そういうことだろう。


(結局、衝突は避けられないか)


 心のどこかで、この二人とだけは戦いたくない、弱い自分がいる。

 されど、必然という名の星の回り合わせで集った。これは避けられない衝突だ。

三人の間に、冷たい夜風が吹き抜ける。白張の袖が力なく右に靡き、連動するように尾と耳の体毛や髪が揺らいだ。


「よくも我等の地に結界を張ってくれたな」


 鬼門の祠は人間が手を出してはならない聖地。それを知った上の行動ならば代行として見過ごせない。翔は重い口を開き、唸り声を漏らす。

 すると飛鳥が同じ口振りで返事をする。


「よくも私達の住む人の町を襲ってくれたね」


 おかげで自分達の仕事が増えたと反論してくる。ヒトの中から怪我人が出ているのだと食い下がってくる彼女に目を細め、翔は早々に青葉との約束を破りそうだと吐息をついた。


 敵が他の誰かならまだしも、相手が幼馴染ならば、自分が相手をしなければならないだろう。人数的に此方が不利であろうが、それでも幼馴染だけは自分が相手をしなければならない。


 遅かれ早かれ、自分達の衝突は免れなかったのだ。

ヒトの世界から背を向けたあの夜から、それは決まっていたこと。これは自分が手繰り寄せた未来だ。



 冷たい夜風がぴたりと止む。

 揺れていた白張も静かに地に向かって垂れ、そのまま動かなくなる。


(今夜が満月ならば良かったのに)


 翔は天を仰ぐ。妖力が最大限に昂ぶる満月ならば、目に見えている悪戦にも自信を持って挑むのだが。未熟な半人前の力が何処まで通用するか。不安を抱くものの、これは負けられない戦だ。

 何故ならば自分は神主代行。この地を統べる頭領代行。然るべき指導者が現れるまで、妖達の安寧は自分が守ると心に決めている。どうしても負けるにはいかない。


「結界を解く。そこを退け」


 分かりきった返事を予想しながらも、言わずにはいられない。


「やだね。白狐こそ、早くそこを下りてきたらどうだい?」


 下りてきた途端、捕縛してやると朔夜。感動も何もない言葉のやり取りである。これも自分が手繰り寄せた未来の結果か。


「一つだけ聞く妖祓。猫又のコタマは無事か?」 


 妖気を昂ぶらせる翔の問いに朔夜が肩を竦め、飛鳥がかたく口を閉ざす。

 すると代行の面が剥がれ落ち、感情を剥き出して二人に食い下がった。


「答えろ! おばばは生きているんだよな?!」


 あの猫又は自分の、自分達の祖母。大切な家族。もしも、調伏をしてようものなら、ああ、どうしてくれようか。翔は殺気立った。額に漆黒の二つ巴を浮かべ、総身の毛を逆立てる。はじめて幼馴染達に向ける、負の感情であった。


「……コタマおばあちゃんは、無事だよ。ちゃんと保護してる。怪我は負っているけど、命に別条はないよ。朔夜くんの家で、毎日のようにぬるいお茶を出すよう言っている」


 答えてくれたのは飛鳥であった。彼女は妖祓としてではなく、幼馴染として、おばばの様子を教えてくれる。

 信じることができたのは『ぬるいお茶』、という単語のおかげであった。


「おばばは……生きている」


 無意識に強張った全身の力が抜け、翔はくしゃっと表情を崩す。

 良かった。ああ、良かった。おばばは生きている。自分達を庇い、あの強力な術を受けた猫又婆はちゃんと生きている。老体には(むご)すぎる術ゆえ、耐えられるかどうか不安で仕方がなかったのだ。


 口では生きていると、それこそ無事だと皆に言い聞かせていたが、本当は怖くて仕方がなかった。もしおばばが死んでしまったら、と悪い未来を想像しては泣きたくなっていた。

 おばばは生きている。自分の祖母は怪我を負っているものの無事なのだ。なら、生きて会える。これが終わったら迎えに行ける。

 片隅で安堵の息が零れた。本当に良かった。危うく幼馴染達を恨むところだった。


「ぬるい茶と一緒に煎餅を添えてやってくれ」


 翔は彼等に頼みごとをする。


「俺のばあちゃんは、砕いた煎餅を茶に浸して食べるのが好きなんだ」


 すると、朔夜が素っ気なく返事する。


「だったら、ショウがしてやったらいい。だから、おとなしく僕達に捕まってくれ」


 それは聞けない頼みごとだ。翔は肩を竦める。

 


 また風が吹き始めた。

 左に揺れ始めた白張の袖を握り締め、素の心は瞼の奥に仕舞う。

 これ以上、言葉を交わしても、自分達には無意味なものにしかならない。相容れぬ存在である自分達には、互いに譲れないものがある。


 一変して表情を変える翔は、紅の眼に闘志を宿らせると、吹く風に乗るように外灯から飛び下りた。


 着地する寸前で妖型に変化する。


「来るよ飛鳥!」


 朔夜の叫びが夜空に舞い上がる。

 数珠を構える妖祓の懐に入るため、走る足を速めた。そして目と鼻の先でヒト型に戻ると、愛用の和傘を右の手に召喚し、柄先で相手の鳩尾を突く。朔夜は予想していなかったのだろう。身構えていなかったがために、彼の身は後ろへ吹き飛んだ。


 すかさず飛鳥が前に回り、呪符を放ってくる。


 翔は獣型に変化すると、軽い身のこなしでそれらを避け、捨て身で懐に入り、体をぶつけた。体勢を崩す隙を逃さず、翔は結界の起点としている杭に向かうと、もう一度、体をぶつける。

この杭には守りの結界のみ張られているようで、ぶつかる寸前で体が跳ね返った。


 しかし、攻撃が跳ね返ってくることはない。他の杭と違うことがこれで証明された。


(こいつさえ壊してしまえば)


 霊力を纏った杭に視線を留めていると、背後を取られ、見事に蹴り飛ばされた。

 前にのめり込む翔だが動じることなく、宙を回って綺麗に着地する。振り返ると、朔夜が数珠を巻いた右の手を構え、妖祓独自の経を唱え始めた。暗紫に発光する数珠の不気味さに産毛が逆立つが、視界の端に飛鳥の姿が映り、朔夜から目を放す。


 両手の指の間に五枚ずつ呪符を挟み、彼と同じように経を唱え始める。

 先に仕掛けてきたのは彼女の方で右の手、左の手の順で呪符を放ってくる。


(例の捕縛術か)


 身軽な獣型で避けようとした翔だが、その呪符を纏う異質な霊力に気付き、ただ避けるだけでは駄目だと本能的に判断する。

 しかし判断した瞬間、凄まじい威力で呪符が爆ぜた。取り巻く呪符が次から次に爆ぜ、翔はそれに巻き込まれる。


 まさか呪符が爆発するとは思いもしなかった。むせ返る爆風に目を細め、軽い火傷を負いながら空へと避難する。

 視界を奪う煙火から飛び出した翔の目に、満面の笑みを浮かべる朔夜の姿が映る。その数珠は暗紫に光り輝いていた。


「しまったっ!」


 誘導されてしまった。これは罠だ。


 息を呑む間もなく、翔の身を数珠の放った一閃が貫く。

 何が起きたのか分からない。気付けば吹き飛ばされ、軽自動車のボンネットに頭部と背中を打ちつけていた。そのまま滑るように地へ転がる。


「やっ、べ」


 車を疵付けてしまった。弁償は自分がしなければいけないだろうか。翔は体を預ける軽自動車を流し目にして、軽く現実逃避する。


 二重、三重に揺れる視界を振り払い、痛む体に鞭を打って立ち上がる。身なりを確認すると真っ白な白張が見事に焼け焦げ、砂埃で汚れていた。これは一応借り物なのだが。

 火傷を負った左腕を押さえ、前を見据えると、容赦の欠片も知らない幼馴染の片割れが向かってきた。


 数珠を握りなおし、経を唱え始める。


「天地陽明、四海常闇、満天下陽炎の如く成りけれ。さすれど翳と化す妖在り。即ち祓除の鎖とつかさん――妖縄妖縛!」


 持っている法具が暗紫に光ったと思ったら、見る見る数珠が伸びた。


「まじかよ如意棒かそれ?!」


 そんな攻撃ありか。素っ頓狂な声を上げ、急いで和傘で振り払おうとするものの向こうの霊力の方が上回り、逆に己の傘が弾かれた。それだけ霊力を数珠に集約したのだろう。飛鳥に気を取られている、ほんの数秒を存分に活かした見事な作戦だ。


 数珠が翔の腕ごと胴に巻きついてくる。身を縛られ、そこから迸る霊力を注ぎ込まれると、体が感電したように悲鳴を上げる。

 必死に歯を食い縛って声を嚥下するものの、これはやばい、不味い、絶対に危ないと、危機感を抱く。


 脳裏に過ぎるのは敗北の二文字。

 二人は実力の半分も出していないというのに、数珠を振り払おうとしている自分は本気の必死だ。


 やはり幼少から妖を祓っていた彼等と、妖になって三ヶ月足らずの翔とでは、実力に差がありすぎる。しかも自分は妖の器であり半人前だ。一人前の妖祓である朔夜と飛鳥にとって、相手にすらならないのだろう。


「逃がさない。今度は絶対に」


 朔夜が数珠を引く。

 同時に、彼の背後にいた飛鳥が飛躍し、五枚の呪符を放つと指を立て術を発動させた。


「妖五行星!」


 五枚の呪符は五つの角を取り、それは光の筋を描いて五芒星形を作り出す。

 おばばが捕らわれたあの術だと頭で分かっていながら、既に捕縛されている翔にはどうすることもできず、術の餌食となるしかなかった。迸る霊力が翔の身を焦がし、その四肢と胴に呪符が貼られていく。


 意識が遠のいた。

 動かなくなる体は膝から崩れ、翔はうつ伏せに倒れる。


 身を拘束していた数珠が朔夜の手元に戻っていく。縛る物はなくなったというのに、指の一本も動かせないだなんて。また無理に動こうとすると、呪符から電流に似た熱が体を巡るため、下手に動くこともできない。


 まったく、慈悲を知らない幼馴染達である。その阿吽の呼吸に嫉妬したくなるほどだ。

 ぼんやりと目に映る小石の粒を眺めていると、二つの足音が聞こえた。顔を上げる気力も出ない。


「ショウじゃ。僕達に勝てない。君は弱いし、実力も皆無だ」


 なによりキャリアが違う。頭から声が下りてくる。皮肉るその声は、どことなく泣きそうだった。


「おとなしくしていてね。もう痛くしないから」


 両膝を折ってくる飛鳥の声に意識が浮上する。濁っていた瞳に光を点し、自分の意識を取り戻すことに成功した翔は己に叱咤した。


(動け、体)


 こんなところで何をしているんだ。

 倒れていては結界が壊せないだろう? 鬼門の祠に結界も張れないだろう? 何のために妖の世界に飛び込んだと思っているのだ。此処で屈してしまえば妖達が嘆く。仕事を任せてくれた北の神主や巫女、金銀狐に申し訳も立たない。自分には背負うものがあるのだ。


 一刻も早く鬼門の祠を管理しなければ。でなければ妖祓はヒトのためだけに、神主達は妖のためだけに、互いに譲れない想いのために傷付け合う。

 自分はそうさせたくない一心で努力してきたのではないか!


 目を見開き、翔は力を振り絞って、飛鳥の手を長い三尾で振り払った。

 反射的に後ろへと跳躍する妖祓達が驚愕を露わにする中、翔は肘を立たせ、無理にでも立ち上がろうと躍起になる。体中に呪符の熱が巡るが関係ない。ここで倒れるわけにはいかないのだ。動かない体に苛立ちを募らせ、翔は動け、動け、と自分に言い聞かせる。


 立ったところで二人を倒せる可能性など露ほどだが、それでも譲れないのだ。これだけは絶対に。


「ショウ! もうよせ!」


 諦めろ。喝破する朔夜が、暴れる翔の体を押さえつける。

 それでも立ち上がろうとする翔に痺れを切らし、飛鳥が呪符の威力を強めるべく指を立てた。


 四肢と胴に貼られた呪符から灼熱の霊力が迸り、暴れる翔の体を駆け巡る。夜を裂くような悲鳴を上げるものの足掻く行為は決してやめない。押さえつける朔夜の手を振り払おうと弱弱しく尾で押し返し、何度も崩れる肘を起こしては立とうと奮闘する。


 呪符を制御している飛鳥の方が表情を変える。


「こ、これ以上はショウくんの体が持たないよ」


 もう強めることは不可だと朔夜に訴えた。


「ショウ! 僕達の声が聞こえているかい?!」


 もう動くな。両腕を地面に押し付ける朔夜も、相当焦っているらしい。

 容易に身を崩された翔だが諦め悪く押さえつけている相手を睨むと、くわっと口を開け、勢いのまま右の腕を噛む。


「しょ、ショウ何をしているんだい?!」


 焦燥感を含んだ声で行為を制する朔夜を余所に、翔は一心不乱に己の腕を噛み続ける。

 それは自虐行為とも取れる行為。しかし、翔は自身に痛みを与えることによって喝を送っていた。


 ここで屈しないために。背を向けた大切な者のために。己の選んだ道を貫くために。



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