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南条翔は其の狐の如く  作者: つゆのあめ/梅野歩
【壱章】少年は妖と化す
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<三>狐のギンコ(弐)


 夕食時。

 買い物から帰宅した母に呼ばれ、さっさとリビングに入った翔は、真っ先にテレビの電源を点ける。

 テーブルに着いて、なにか面白い番組はないかと、ひたすらチャンネルを替えていると、さっそく母から呆れられた。


「翔。あんたねえ、帰ってきたばっかりの私は休む暇もなく夕飯の支度をしているんだけど?」


 遠回しに手伝えと主張している。

 翔は右から左に受け流すと、「肩揉みならする」と小生意気に返事した。


「あんたみたいな子を、手持ち無沙汰って言うんじゃないかしら? 今、猫の手を借りたい気分なんだけど」


 猫の手は貸せない。

 翔は堂々と片手を挙げて見せる。


「残念。俺は猿の手だから」

「口ばっかり達者になって」


 呆れる母もなんのその、お小言は聞き慣れている。


「そうそう。翔」

「今度はなに?」

「あんたさ。台所を漁ってない?」


 話題を替えられ、内心どきり、と鼓動を鳴らしてしまう。

 ギンコに与えた鶏ささみが脳裏に過ぎるが、あれは念に念を入れて、自分の小遣いで買ったもの。怪しまれるわけがない。

 もしも疑われる可能性があるとしたら、容器として使用したタッパーか。勝手に拝借しているので、母がタッパーを探しているのやもしれない。ああ、百均ショップで買えば良かった。

 なるべく面に出さないよう、テレビに目を向けて肩を竦めた。


「べつに漁ってねえけど。なんで?」

「買っていた油揚げがないのよ」

「油揚げ?」


 予想の斜め上の返答であった。


「俺が食うわけないじゃん。腹減ったら、そこの戸棚から適当にポテチを食うよ」


「そうよね。料理に興味がないあんたがそんなものに手を出すくらいなら、今ごろ夕飯の手伝いでもしてくれるわよね」


 一々嫌味を挟む母は冷蔵庫の隅々まで目を配り、油揚げを探している。それを煮物に使いたかったようだ。昨日買ったばかりなのに、とぶつくさ文句を垂れている。


「洗っていたタッパーも見当たらないし。どこに仕舞っちゃったのかしら」


 素知らぬ顔でテレビを眺めていた翔の心は、決して穏やかなものではなかった。



 夕飯を終えると、翔は急いで自室に戻り、クローゼットを開けた。


「あはは。ギンコ、ちょっと待ってくれよ」


 クローゼットの中にいたギンコが、翔の登場にふんふんと鼻を鳴らしてすり寄ってくる。

 筆のような尾っぽを千切れんばかりに振り『遊んで遊んで』と頭で小突いてくるが、「先に確認したいことがあるんだ」と、言って狐の頭を撫でた。


「さてと」


 ギンコの仮住まいであるダンボールの中を覗き込む。

 そこには古びたタオルケットやおもちゃのゴムボール。それからギンコがお気に召しているボロギレ同然となったコート。これは翔が着ていたもので、これに包まってよく遊んでいる。

 ダンボールをひっくり返してみるが、油揚げを食べた形跡は見当たらなかった。


「ギンコが油揚げを取りに行くわけねーか」


 頭からクローゼットに突っ込んでいた翔は、そっと体を引いて、かりかりと頭を掻いた。


「俺が帰ってくるまで、ギンコはおとなしくクローゼットにいただろうし……もしギンコがこの部屋から出ていたとしても、母さんに見つかっていたはずだ」


 勘ぐった自分に苦笑いを零してしまう。

 狐と油揚げの組み合わせをよく耳にするため、ついギンコを疑ってしまったが、本当の狐は油揚げより肉だろう。


「ギンコ、お待たせ……はは、遊んでらぁ」


 クローゼットから出たギンコは、部屋の中を元気よく駆け回っていた。

 自由に動けてうれしいのだろう。

 ベッドに飛び乗ると、さっそく枕と戯れ始める。


(考え過ぎだな。母さんの思い違いだろ)


 クローゼットを閉め、ふたたび獣を一瞥する。

 くすっと笑いをかみ殺してしまう。ギンコは枕の下に頭を突っ込んで尾っぽを振っていた。何をしているのかは分からないが、とても楽しそうである。


(せっかくだし、動画を撮って思い出を残しておこう)


 いずれ訪れるであろう、狐との別れ。

 それにさみしさを抱くが、あまり考えまいと首を横に振る。


(その時はその時だ。今はめいっぱいギンコと一緒にいよう。えーっと携帯は……)


 翔は机に向かった。

 通学鞄のチャックを開け、携帯を探す。


「あれ」


 視界の端に見覚えのない袋が放置されていることに気づいた。

 まだ中身が入っているそれには筆字で【油揚げ】と表記されている。

 母が探していた油揚げだ。


「なん、で」


 驚愕する翔は、思わずギンコを凝視した。

 ふんふんと鼻を鳴らして、枕と戯れている獣は翔の様子に気づかない。

 やはり犯人はギンコだったのだろうか。

 しかし、開封された跡を観察した翔は妙だと眉を寄せる。

 袋は開け口に従って、縦に開けられている。獣が開封するにしては器用な開け方だ。長い指を持たない獣は歯で食い破るのが関の山だろうに。


 これではまるで“人の手”で開けられたかのように見える。


「……俺、冷蔵庫から取ったっけ? いや、油揚げをこのまま食うわけねーし」


 では、ここに放置されている理由は。

 余っている油揚げをまじまじと見つめていた翔だが、それが妙に美味そうに見えてきた。口の中で唾液がたまっていくのが分かる。

 おもむろに取り出し、油揚げをひと齧り。


「むっちゃ美味い」


 咀嚼するたびに、じんわりと油揚げの独特な香りが広がる。

 頬を緩ませる翔だったが、ふっと我に返り、口からこぼれた感想にかぶりを左右に振る。


「な、なに言ってるんだよ。生で食うとか、俺はばかだろ」


 自分の言動にサーッと血の気を引かせていると、スウェットパンツの裾を引っ張られる。

 目を落とせばギンコが二足立ちになって、油揚げをねだってきた。欲しいようだ。


「なんだギンコ。油揚げが好きなのか? ほら」


 翔はその場で胡坐を掻き、手のひらに油揚げをのせ、ギンコに差し出す。

 瞬く間に油揚げは狐の胃袋におさまり、ギンコはもっとおくれ、と目でおねだりをした。狐の油揚げ好きは本当だったようだ。翔は狐の食いつきに目を丸くしてしまう。


「ごめん、もうないんだ。明日、買って来てやるから」


 聞き分けの良い狐はうんうんと頷き、翔に向かってクオンと一声鳴いた。


「ギ、ギンコ。母さんがリビングにいるから静かに」


 しっ。人差し指を立てると、ギンコも真似をするように尾っぽを立ててくる。

 可愛い姿にわしゃわしゃと頭を撫でる翔だったが、一抹の不安を抱いてしまった。


 油揚げがなぜ、自分の部屋に。

 しかも犯人はギンコではなく、自分のようだ。

 まさか自分自身を疑うことになろうとは。


 翔は顔を顰めてしまう。


(何枚か食べている形跡があった。俺が、たぶん……食ったんだよな。記憶にねえけど)


 無意識の内に口端を舐め、すーっと細める翔のその目は、どことなく獣帯びていた。

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