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南条翔は其の狐の如く  作者: つゆのあめ/梅野歩
【壱章】少年は妖と化す
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<二>狐のギンコ(壱)



  ◆◆◆



 南条家は一等地の住宅街にあるマンションの七階に住まいを設けている。


 翔が四つの時、一世一代の買い物をすると腹を決めた両親が、老後を見据えてマンションの部屋を購入した。生涯をこの部屋で暮らしていくと会話しているのを耳にしたことがある。


(一軒家の方が良かったんじゃねえかな)


 子どもの翔には一軒家の方が立派な買い物に思えてならない。

 ひとりっ子なのでマンションでも、自分の部屋はもらえたものの……一軒家暮らしには憧れを抱いてしまう。親には口が裂けても言えないが。


 マンションのエントランスに入った翔は、エレベーターのボタンを押して七階へ。

 スーパーの袋を片手に早足で701号室を目指すと、部屋の前で立ち止まって左右を確認。恐る恐る鍵を穴に挿し込む。


(部屋に母さんがいませんように)


 ゆっくりと扉のロックを解除すると、扉を半開きにして素早く体を入れ込んだ。


「ただいま」


 ふたたび鍵を閉めた後、大きめの声で挨拶をする。

 普段ならば絶対にしない行為だが、今日の翔はしっかりと挨拶をした。リビングや親の寝室から声は返ってこない。部屋には誰もいないようだ。

 しめしめ。細い笑みをこぼすと、乱雑にスニーカーを脱ぎ、脇目も振らず自室へ向かう。


「よっ、ただいま。いい子にっ、うわ!」


 横開きのクローゼットを開けた瞬間、銀色の体毛を持った獣が勢いよく飛び出し、翔にのしかかった。突然のことに尻もちをついてしまうが、獣の身はしっかりと受け止めてやる。

 迷わず翔の顔を舐めてくる獣はあの夜、なりゆきで助けた狐であった。


「くすぐったいって、ごめんごめん。さみしかったな」


 両手でわしゃわしゃと体を撫でてやる。

 クーンと犬のように鳴き、頭を胸部にこすりつけてくる狐に思わず頬が緩んでしまった。


 この狐は、翔にとても懐いている。

 撫でるだけで嬉しそうに尾っぽを振り、胸部に頭をこすりつけてくる。無邪気に甘えてくる姿は愛らしく、心をわしづかみにしてくる。

 動物嫌いの母親のせいで、こんにちまで動物と触れ合う機会が設けられなかった翔にとって、それはそれは感動するものがあった。


「お前は可愛いな。ほんっと可愛い」


 ついつい狐を抱きしめてしまう。

 苦しいほどに抱擁したというのに、ふさふさの尾っぽを振って甘えてくれるのだから、翔はすっかり狐に夢中だ。


 昨晩は色んなことがありすぎた。

 非現実的な光景に混乱もしたし、幼馴染らに隠し事をされて疎外感を抱いた。また狐といっしょにいたせいで、ものすごく痛い思いをしたのだが……そんなことは正直どうでも良かった。

 それだけ翔は狐の人懐っこい姿に心を奪われていたのだから。


「腹減っただろう? すぐご飯にしてやるからな」


 狐を保護した際、まず困ったのが餌だった。

 この狐は豚まんをぺろりと食べていたが、人間の食い物はやはり体に悪い。


 そう思った翔はネットを駆使して狐を調べた。

 ネットから情報によれば狐は雑食に近い動物。小動物を狩って食べることもあれば、動物や昆虫、鳥類、爬虫類の死骸。芋や木の実といった作物を食べることもあるそうだ。ゴミ捨て場で残飯を食べることもあるのだとか。

 だから豚まんを食べても、具合が悪くなる様子は見せなかったが……野生に近い餌が良いだろうと判断し、鶏のささみを買った。


 ほとんど料理をしたことがない翔だが、狐のために台所に立つとささみを湯がき、食べやすい大きさに細かく切り分けてタッパーに移し替えた。


「ほら。ささみだ」


 自室でお利口さんに待っている狐にささみを与えると獣は大喜び。それはそれは嬉しそうに肉を噛み砕いていた。


「水も飲めよ」


 水の入った器をタッパーの隣に置き、うまそうに食べる狐の頭を撫でる。


「そんなに喜んでくれると、こっちまで嬉しくなるよ」


 ふふっと笑い、狐を見つめる。


 あれから大変だったのだ。

 狐をどう我が家に入れるか。親に見つからないようにするにはどうすればいいか。

 うんぬんと思考をめぐらせた結果、帰路の途中にあるスーパーでダンボール箱を入手し、狐を隠してマンションまで運んだ。


 そこまでは良かった。

 問題はダンボールをどうやって自室に運ぶか、だった。

 ダンボールを親に見つからないように、部屋まで運ぶのは本当に苦労した。


 とりあえず玄関の前にダンボールを置いて親の様子を窺おうとリビングに入ったのだが、まず翔を待ち受けていたのは、母親のカミナリ。

 母はぼろぼろに破けたコートやトレーナーを見るや、何をしていたのだと大激怒してきたのである。その怒りを鎮めようと必死に謝ったが、母は鬱憤が溜まっていたのだろう。翔の期末テストの点数に対しても説教を始めた。


 散々な思いをして、ようやっと説教の嵐から抜け出せた翔は親の目を盗んで、ダンボールを自室に運んだ。

 こんな状態で狐の話をしても火に油を注ぐだけと分かっていた。


(狐のことがばれたら、しばらく小遣いなしかもな)


 それでも翔は狐のことを放ってはおけず、こうして部屋で保護している。

 いつ親に見つかるか分からないが、それはそれ。いまは精一杯、狐の世話をしてやりたいと思っている。


「お、ごちそうさまか? 食べるの早かったな」


 あっという間にささみを平らげた狐の左前足を手に取る。


「左足の具合はどうだ?」


 狐の左前足には不格好な包帯が巻かれていた。

 翔が自己流で巻いたものだ。

 本当は獣医に診てもらい、正しく包帯を巻いてもらった方が良いのだが……この狐、動物病院の話題を聞いただけで首を横に振る。

 それどころか動物病院に連れて行く素振りを見せれば、さっさとクローゼットに逃げてしまうのだ。


 反面、人語を理解する狐でとても賢い。

 翔の言葉一つ一つに頷いたり、鳴いたり、ぶんぶんと頭を横に振ったりするのだから、不思議な狐である。


「病院に行こうぜ。なあ?」


 ためしに、話題を振る。

 ぷいっと顔を背けられた。嫌だと言わんばかりの態度だ。


「せっかく綺麗な足をしているんだ。お医者さんに診てもらうべきだと思うんだけど」


 今度は尾っぽごと背けられる。

 行きたくないと態度で訴えられた。困ったものだ。


(狐って確か寄生虫がいるんだよな)


 狐はエキノコックスという寄生虫を持っていることがあり、人間に感染してしまえば大変だ。獣医ドラマでそれを学んでいた翔は、何度も動物病院が脳裏をよぎる。

 ただ、一方では大丈夫なのではないかとも考えていた。

 なにせ、この狐は人に懐いている。誰かが飼っていた可能性は大きい。予防接種くらい受けていてもおかしくはないだろう。


「狐って飼えるもんなのかな。動物園から逃げ出した狐じゃないよな。見るからに」


 体毛が銀なのだ。

 動物園にいたらぶっちぎりのスターだろう。


「これからどうしよう。お前、飼い主のところに帰りたいよな」


 眉を下げると、何を思ったのか狐がグルグルと喉を鳴らし、胡坐を掻いている翔の膝にのり上げる。

 そのまま我が物顔で体を丸めて寝転んでしまう狐に、翔は微苦笑を零した。


「お前は何者なんだ?」


 そっと体を撫でて問いかける。


「銀の狐なんて、そうはいないぞ。ネットでハイイロギツネっていうキツネがいるみたいだけど、画像を見る限り、お前はそれじゃなさそうだし」


 なにより、狐は昨晩何に追われて、何に怯えていたのか。

 出掛かった疑問は、喉元で止まってしまう。

 狐に聞いたところで答えてはくれないだろう。


(あれはなんだったんだろうな)


 昨晩の出来事は夢でも見ていた気分だ。

 本当は夢だったのではないか、と疑問を抱くほどだが、翔はそれを頭から否定せざるを得ない。この狐が傍にいるかぎり。

 何度も体を撫でていた翔は、ふと自分の手の平を見つめる。皮膚に土埃が付着している。狐は汚れているようだ。

 しかし、それも仕方のないこと。

 狐は町をさまよっていたようだし、昨日は体を洗ってやることもできなかったのだから。


「よし。お前を綺麗にしてやろう」


 思い立ったことを即行動あるのみ。


「シャワーを浴びような。お前」


 狐を持ち上げると、鼻頭を舐められた。

 クスッと笑声を漏らす翔だったが、ひとつ不便を感じた。


「お前って呼び方もおかしいよな」


 狐に名前が欲しいところだ。


「今だけいいよな。一緒にいる今だけ。うーん、なんて名前にしよう。やっぱり、ここは無難にギンか? 銀の毛を持っているだけに」


 持ち上げた狐の全身を眺めていた翔だったが、あるところに目がいき、数秒の間を作る。


「……ついてねえな」


 うん、それはつまり。


「メスかお前。じゃあギンコだな。ん、ギンコにしよう」


 単純な名づけだったが、ギンコは気に入ってくれたらしい。

 翔が名前を呼ぶと、一声鳴いて答えてくれる。


「ギンコ。体を綺麗にしような」


 満足げに嗤う翔は、ギンコを抱えて風呂場に向かった。

 怪我をしている左前足にはビニール袋をかぶせ、簡単にシャワーで汚れを落としてやる。


 数分後。

 自室に戻った翔が、ギンコをバスタオルで拭き、ドライヤーをかけて毛並みを整える。


「うわあ……」


 呼吸を忘れてしまうほど見惚れてしまった。

 洗う前のギンコの体毛はくすんだ“いぶし銀”をしていたが、今のギンコの体毛は艶やかな銀をしている。高貴な狐だと思った。


「ギンコは美人さんなんだな」


 本来の色を取り戻したギンコに隈なく目を配り、うつくしい体毛とその容姿を褒める。銀の体毛は整った横顔に、よく映える。


「可愛いかわいいと思っていたけど、こうして見ると美人さんだな。ギンコって。毛並みも、こんなに良かったんだ」


 翔の言葉をどう受け止めたのか。

 ギンコは嬉しそうに、翔の鼻先や唇を何度も舐めた。


「くすぐってぇよギンコ」


 人懐っこい犬のような奴だと笑ってしまった。

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