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南条翔は其の狐の如く  作者: つゆのあめ/梅野歩
【参章】其の狐の如く
45/160

<一>雪童子の要求



 すっかり日が暮れた頃。

 朔夜と飛鳥は錦雪之介と名乗る妖と共に歩道を歩いていた。

 二人の前を歩く雪之介は目的があるようで、バス停に着くや否や「僕のことを知りたいならついて来てよ」と言って先導を始めた。

 翔の情報を握っていると分かっているので、黙って従うしか選択肢はなかった。


(今のところ敵意は感じられない)


 朔夜はスラックスのポケットに手を忍ばせた。

 少しでも妙な行動を見せれば、愛用の数珠をすぐに取り出せそう。

 隣に視線を配ると、飛鳥も同じことを目論んでいるようだ。両手をダッフルコートのポケットに入れている。そこに呪符の束が入っていることを朔夜は知っていた。


 日が暮れたことで肌寒さが増す。

 前方を歩く雪之介と後方を歩く朔夜と飛鳥の間にも、殺伐とした空気が流れるばかり。


「翔くんのことが心配なら妙な真似はしない方が良いよ」


 ふと雪之介が口を開く。


「なにせ彼の命は僕が握っているからね。あれは美味しそうな肉付きをしているから、きっと食べごたえあるだろうなあ」


 その一言が空気を凍らせる。

 やはり翔は。


「なーんてね。冗談だよ、冗談。雪童子は人間なんて食べないよ」


 足を動かしたまま、雪之介が首を捻ってくる。

 間延びした口振りは、凍てついた空気を見事に溶かした。またこの時点で妖の正体を知ることができる。この化け物は雪童子と名乗った。つまり雪の妖、四季折々が生んだ化け物だ。

 雪之介が二人の顔を見やり、やれやれと肩を竦める、


「君たちは物騒だね。わざわざ背中を取らせているのに、いまにも法具を取り出すような構えを取っちゃって。安心してよ、僕は無闇にヒトを襲う趣味なんてないから。背後から妖を襲う趣味を持っていそうな妖祓と違ってね」


 おどけながらも皮肉を零してくる雪之介は、道の端に寄って対向側の自転車を避けた。

 彼はどうやら人間の社会で暮らす妖のようで、歩行社用の信号が赤になると自然と足を止める。しかと規律を守っていた。

 学ランを纏う姿も人間を化かすためのものではなく、自分は本物の学生だと証明している。朔夜は雪之介の制服に見覚えがあった。


「お前は学生なのか」


 朔夜が尋ねると雪之介は軽く手を挙げた。


「今年の四月で受験生だよ」

「同じ年というわけか」

「そういうこと」

「ショウとは、どういう関係なんだい?」


 核心に触れると、雪之介は目を細めて笑った。


「翔くんは、君たちに僕のことを話していないようだね。僕は君たちのことを聞いているよ。名前、関係、出逢い。すごいね、幼稚園から小中高校まで一緒なんだって? ああ、そんなに睨まないでよ。質問には答えるから。翔くんと僕は単なる友達さ」


 単なるの部分に語気を強める、雪之介の心情が読めない。


「友達ね」

「君たちこそ翔くんの何だい? 単なる幼馴染じゃないの?」


 雪之介の物の言い方は挑発的であった。


「まあ、いまの君たちは翔くんのことを何も知らないだろうけどさ」


 次の瞬間、飛鳥が呪符を掴んで、それを雪之介に放った。

 挑発にのせられてしまったのだろう。呪符を投げる顔は苛立ちにまみれていた。朔夜は止める間もなかった。


「甘くみないでよ」


 体ごと振り向いた雪之介が人差し指の先端を呪符に向ける。瞬く間に青白い閃光が放たれ、呪符に直撃した。

 勢いを失った呪符に氷柱が立ち、それは音もなくアスファルトに落ちる。

 雪之介は飄々と笑う。


「いまのは正当防衛だからね。楢崎さん」

「反応が早いね」

「これでも表向き人間として振る舞っているんだけど、雪童子は化かす妖じゃあないから霊能者にすぐ見破られてしまうんだ。おかげで調伏されそうになることも多くてね」


 だから反射的に体が動いてしまうのだと雪之介。

 笑い続ける表情に変化はないものの、語りに回っている、その目は笑っていない。


「これでも苦労してきたんだ。幼い頃から妖を祓わなければいけない、君たちのようにね」


 雪之介は少しだけ翳りある顔を作った後、青になった信号を確認して横断歩道を渡り始める。

 そんな彼の背中を追いながら、朔夜は本題を投げた。


「そろそろ教えてくれないかい。ショウがどこにいるのかを。お前が僕らの前に現れたのは、何か理由があるんじゃないか? 理由に悪意があるならひとりで妖祓に会いに来るなんて、無茶苦茶なことをしないだろう?」


「なんだ、意外と冷静じゃないか」

「冷静になろうと必死になっているだけだ。感情的に動いても、良い結果にはならないからね。錦、お前の目的はなんだい?」


 雪之介に問うた。

 それまで飄々と笑っていた雪之介は口を閉じて、しばし無言になる。

 慎重に言葉を選んでいるように見えた。


「いまから翔くんが搬送された病院に行く。いっしょに来てほしい」

「……搬送?」

「翔くんは三日前、病院に搬送されたんだ」


 曰く、南条翔は意識障害に陥った。

 寝室で眠っている彼を母親が発見したのだ。当初は寝ているだけと思っていたが、呼びかけても、頬を叩いても目を覚ますことなく、いつまでも眠っているばかり。様子がおかしいと母親が救急相談ダイヤルで相談したところ救急隊員に来てもらい、彼は病院搬送となった。


 翔は最も重い意識障害、昏睡状態になっている。


「彼が昏睡になっている原因は分かっていない……なんでこんなことになっちゃったかな」


 語り部から奥歯を噛み締める音が聞こえる。半信半疑で話を聞いていた朔夜と飛鳥は、雪之介が本当に翔を心配しているのだと察した。


「ショウが昏睡状態……会えるのかい?」

「おばちゃんには連絡している。事前に面会予約もしているし、お見舞いに行っても大丈夫。おばちゃん、すごく疲れている顔をしてさ。見てられないんだ」


 総合病院に着いた朔夜と飛鳥は、雪之介の後ろを歩き、やがて七階の707号室前に立った。病人の表札を確認するとそこには確かに【南条翔】。見知った名が刻まれている。

 個室のようで名前はひとり分しかなかった。


「失礼します」


 雪之介が扉を引くと、スツールに腰を掛けていた翔の母親、南条菜々子(なんじょうななこ)が立ち上がる。


「雪之介くん、来てくれたのね」

「お忙しい時に押しかけてごめんなさい、おばちゃん」

「いいのよ。来てくれてありがとう。まあ、そこにいるのは朔夜くん、飛鳥ちゃん? 来てくれたのね」


 朔夜と飛鳥の姿を目にした菜々子が嬉しそうに頬を緩めてくる。顔色に血の気は無く、疲労困ぱいしているのがすぐに分かった。

 見ていられないと言っていた雪之介の言葉が理解できた。

 朔夜は菜々子にそっと声を掛けた。


「今日あいつと約束をしていたんですが、ショウが倒れたと聞いて」

「そうだったの……この子、ちっとも目が覚めなくてね」


 菜々子が涙声になる。

 朔夜がベッドにいる翔を確認すると、そこには見知った顔が瞼を下ろしていた。胸上まで毛布が掛けられている。呼吸は心なしか荒い。


(これは……)


 寝巻き姿の翔を目にした瞬間、朔夜と飛鳥は幼馴染の異変に気づいた。

 しかし、それを今ここで口に出すことはできない。言えば菜々子が混乱してしまうのは目に見えていた。


「ごめんなさいね、朔夜くん。飛鳥ちゃん。せっかく約束してくれたのに」

「いえ……ただ、ちょっと混乱してしまって」

「ショウくん。どうしてこんなことに」


 涙ぐむ菜々子に気遣いつつ、翔に何が起きたのだと飛鳥が質問する。


「分からないの」


 菜々子は返事した。

 三日前の夕方から眠りに就き、それから、一度たりとも起きないのだと鼻を啜る。


「翔、最近おかしかったの。朝はめっぽう強い子なのに全然起きられなくて」


 日がのぼっても起きることができず、いつも登校ぎりぎりまで布団に潜っていた。

 春休みに入ると昼過ぎまで眠ることが多くなり、大層呆れていたと菜々子は語る。


「学校から授業中の居眠りが多いことを連絡でもらっていたから、夜な夜なゲームをしていると思っていたの」


 しかし何度、部屋を覗き込んでも翔はベッドで寝息を立てていた。


「翔は一日中眠っていたみたい」


 少し前まで夜遊びをしていたが、最近ではそれもなくなり、安心していた矢先の出来事。

 あの異常な眠り方は体の不調を訴えるものに違いなかった。


「あの子のこと、ちゃんと見ていれば」


 菜々子は悔やんだ。

 どうして息子の異変に気づいてやれなかったのか、と。

 悔やんでも悔やみきれないのだろう。目頭を押さえる指先から大粒の涙がこぼれていた。

 見るに堪えなかったのだろう。飛鳥が菜々子にハンカチを差し出して、そっと背中をさすった。


(……ショウ)


 人知れず、朔夜は下唇を噛み締める。

 意識障害に陥っていることも、病院に搬送されたことも、朔夜は知らなかった。知る由もなかった。

 春休みを目前に控えたあの日、オムライスを食べたあの日、もっと強く翔の心に踏み込めば良かったのだろうか。そうすればこんなことにはならなかったのだろうか。


 ふと朔夜は毛布の外に出ている翔の腕に気づく。両手首に包帯が巻かれていた。そっと手首を触ると、落ち着きを取り戻した菜々子が力なく眉を下げた。


「翔の両手首と両足首に火ぶくれがあるの」

「火ぶくれですか?」


 思わず聞き返してしまう。


「ええ。どうしてそんなところに、火ぶくれができているのかは分からないけど、酷い炎症を起こしているみたいだったから、看護師さんに包帯で巻いてもらったの」


「手や足は大丈夫なんですか?」

「不思議よね。手首と足首だけなの」


 そんなところ火ぶくれするような危ない行動でも起こしていたのだろうか。

 菜々子は疑問を口にする。


「それに時折、翔のおでこが腫れていることもあるの。いまの翔は昏睡状態だから、身動きひとつ取らないはずなのに……顔を覗くと、おでこが赤く腫れていることがあるわ」


 夢の中で転んでいるのだろうか。

 菜々子は苦笑いを浮かべ、「おでこを触っても起きないのよね」と言って息子の頭を撫でる。


「見るからに痛そうなのに、触ってもちっとも起きないなんて」


 痛みで飛び起きてくれたら嬉しいのに。

 すっかり落ち着いた菜々子は朔夜たちに向かって「今日は来てくれてありがとう」と改めて感謝を口にした。


「ごめんね、みっともないところを見せて。翔なら大丈夫。きっと目を覚ましてくれる。この子が起きたらまた仲良くしてあげてね。朔夜くんと飛鳥ちゃんは、翔に付き纏われて大変だと思うけど適当にあしらいながら仲良くしてあげてちょうだい」


 大丈夫、絶対に翔は起きてくれる。

 こちらに微笑む菜々子は、始終自分に言い聞かせているようだった。

  

 

 

 病室を後にする。

 建物を出るまで誰ひとり口を開こうとはしない。

 病院近くのコインパーキングを過ぎろうとした時だった。それまで口を閉ざしていた朔夜は荒い呼吸を繰り返し、手足首に包帯を巻いている幼馴染の姿を思い出して、ついに足を止める。


「ショウに何が起きているんだい」


 雪之介に問い掛ける。

 必死に抑えている感情がいまにも爆ぜそうであった。


「あれはショウじゃない。見た目はショウでも僕たちの目を誤魔化すことはできない。ベッドに寝ていたのは形代。身代わりだ」


 形代は陰陽師や神主が祈祷の時によく使う代物で、俗にいう身代わり人形だ。

 一般人の目には『人間』に見えるが、霊能者の目を誤魔化すことはできない。

 朔夜が目にした幼馴染は禍々しい気が纏っており、翔が『人間』ではないことを証明していた。


「身代わり人形は分身人形とも呼ばれている。本体と繋がっているんだ。つまり、ショウは形代と同じ箇所に怪我を負っている」


 荒い呼吸を繰り返して怪我の痛みに耐えているに違いない。


「錦、答えろ。なぜショウの形代が本体とすり替わっているのか。そして、あいつ自身になにが起きているのか。お前はすべてを知って僕たちをここまで案内したんだろう」


 語気を強めて喧嘩腰になっていく朔夜を、雪之介は横目で見るばかり。

 その目を暮れてしまった夜空に向け、そっと眉を寄せる。


「いい加減もったいぶるのはやめろ!」


 掴み掛る勢いで声音を張ると、雪之介は悲しげに目を細めて、ズレ落ちる眼鏡のブリッジをそっと押す。


「翔くんは妖祓が原因で捕らわれている。そう言っておくよ」


 息を詰まらせてしまう。

 それはどういう意味なのか。


「先日、君たちは白狐を捕縛したね。知らないとは言わせないよ。宝珠の御魂を持つ、三尾の妖狐を鬼門の祠で捕らえているはずだ。愚かなことをしてくれたね――おかげでさまで、妖祓は赤狐の怒りに触れてしまった」


 体ごとこちらを向く雪之介の表情は険しい。

 それまでへらへらと笑ったり、おどけたりしていた顔がうそのように消えていた。


「妖祓は宝珠の御魂を狙っているね? 赤狐は気づいているよ」


 雪之介は語る。

 北地を統べる赤狐は妖祓が肚に目論見を抱え、宝珠の御魂を狙っていることに気づいた。赤狐は憤った。大切な同胞を奪われただけでなく、宝珠の御魂を狙う愚行に。


「だから」


 雪之介は一呼吸置き、朔夜と飛鳥を見つめる。


「翔くんがあんな目に遭っている。君たちが白狐を捕縛してしまったせいで」


 朔夜は眩暈をおぼえた。

 つまり妖祓に報復の意味を込めて、翔が犠牲になったというわけだ。


「赤狐が夜な夜な町を下りている話は妖祓長から聞いていた。怪異を起こしていることも耳にしていたけど……ショウに危害が及ぶなんて」


 赤狐とは一度だけ対面したことがある。

 あれは大層恐ろしい化け物であった。桁違いの妖力に、千里眼を持つような鋭い眼光。余裕のある不敵な笑み。どれも勝機を粉砕してしまう。

 その妖が妖祓の行動に怒れて、このような騒動を起こしたというのならば、雪之介の言うとおり原因は『妖祓』にある。


「錦くん、ショウくんを解放して。彼は一切関係ないよ」


 飛鳥の申し出に雪之介はかぶりを振った。


「僕にそんな権限があると思う? 神職でも何でもない、ただの妖なのに……だけど、僕だってこのままじゃ嫌だ。だから君たちに頼むんだ。どうか白狐を解放して」


 あの妖狐も大切な友人だと雪之介。

 白狐を解放すれば翔も解放されることだろう。

 赤狐の怒りはあくまで白狐が捕らえたこと。宝珠の御魂を狙うことにある。

 そこで白狐を解放して、宝珠の御魂を狙ったことに対しては謝罪。狙った理由を包み隠さず説明すれば、赤狐を筆頭に神職狐らの怒りも静まる。


「妖祓も馬鹿じゃない。私利私欲のために狙ったわけではないことは、赤狐たちも予想しているんだ」


 熱弁する雪之介は繰り返す。

 白狐を解放してくれ。

 自分の大切な友人を返してくれ、と。


 朔夜は冷静に首を横に振った。


「さっきの台詞、そっくりそのまま返すよ。僕たちにそんな権限があると思っているのかい? 解放の権限を持つのは、妖祓長だけだ」


「だったら白狐の様子を教えてよ。彼は無事なの? 君たちの家にいるんでしょ?」


 あっという間に立場が逆転した。

 朔夜たちが翔のことで焦りを募らせているように、雪之介も白狐のことで焦りを募らせているのだろう。


「錦、お前は白狐を取り戻すために来たんだな?」


「少し違うよ。白狐と翔くん、両方助けるために君たちの前に現れたんだ。僕にとって、どっちも大切な友達なんだよ。いまも正直余裕がない。白狐を捕らえたことで、翔くんが危ない、だなんて」


「気持ちは分かる。おばちゃんの気持ちを考えたら、すぐにだって白狐を解放してやりたい。ショウが戻ってくるならなんだってしてやりたい」


 しかし無理なのだ。

 いましがた伝えたとおり権限は妖祓にある。

 白狐を解放するには妖祓長の許可がいる。


「いまの白狐は気が狂ったように暴れている。鬼門の祠の瘴気にあてられたせいなのか、目覚める度に結界を破ろうとしている。冷静を欠いた白狐を解放することは危険だと、じいさま達は判断するに違いない」


 雪之介にそう告げると、はじめて雪之介が声音を張った。

 朔夜の両肩を掴み、感情をぶつけてくる。


「彼はパニックになっているだけなんだ! わけも分からず、妖祓に捕縛されてしまった。その状況に恐怖して暴れているんだよ!」


 瘴気にあてられたところで、あの白狐は簡単に狂いやしないと雪之介は言葉を重ねた。

 白狐は宝珠の御魂を持つ妖。宝珠の守護である程度、瘴気から守られている。捕らえられてもきっと正気だろう。


 とうとう雪之介は泣きそうな声で顔を歪める。


「どうして白狐を捕縛したんだよ。彼は誰よりも、人間を愛している妖なのに。どうして僕は人間の友達と、妖の友達、両方を奪われないといけないんだよ」


 どうしてを繰り返し、妖祓の行動を責め立てる雪之介は、今まで出逢ってきた妖とは一味も二味も違った。

 朔夜が出逢ってきた妖は大抵人間に危害を加え、妖祓の肝を狙う、低俗な化け物が多かった。自己中心的な者が大半で、さらなる力を得ようと無関係な人間や妖祓を襲い、その命を食い荒らす化け物ばかりだった。

 ゆえに雪之介のような妖は新鮮で、新しい気持ちで妖を見ている気分になる。


(この雪童子を信じて良いのか分からない)


 ただひとつ言える。

 雪之介は朔夜や飛鳥と同じ気持ちを抱え、不安になり、恐怖を噛みしめているのだ。


「錦。あの白狐は南の地を統べる首魁だと聞いている。だけど、いまの白狐に話は通じない。そこが問題となっている」

「……問題に?」

「せめて落ち着きを取り戻してくれたら、話は変わってくるんだ」


 朔夜は白狐の解放条件の枷となっている点を伝えた。


「妖祓長は鬼門の祠について南の首魁と話がしたいんだ。だけど白狐は暴れるばかり。言葉も通じなければ、話し合うどころか、解放すらままならない」


 すると感情的になっていた雪之介が冷静を取り戻す。

 掴んでいた手を放して「そう」と、ひとつ相づちを打った。


「白狐はパニックになっている。落ち着けと言われても簡単には聞く耳を持たないだろうね。しかも彼の妖力は乱れている。うまく妖力が使えなくて変化ができないんじゃないかな」


 雪之介は苦い顔のまま、制服にポケットから紺の巾着袋を取り出す。

 それを朔夜と飛鳥に差し出した。

 隣に立つ飛鳥が巾着袋を受け取って中身を紐解く。そこにはビー玉ほどの玉が三粒入っていた。ガムボールのようなそれは黒帯びている。


「錦くん、これは?」

「薬だよ。赤狐が白狐のために作ったもので、白狐も少し落ち着きを取り戻すと思う」

「本当に?」


「断言はできないけどね。ただ白狐が暴れている原因の一つに、妖力の昂ぶりがあるんじゃないかと妖側は判断した。こ

れを白狐に呑ませてほしい。もちろんタダとは言わない」


 これを白狐に呑ませてくれるのならば、それなりの代価を払うとのこと。

 雪之介は空いた手で翔の携帯を差し出し、約束を果たしてくれるのならば、これを渡すと約束してくれた。

 大したことない代価だと思いきや雪之介は目を細め、こう言うのだ。


「この携帯には翔くんの秘密が隠されている。最近の彼の様子おかしくなかった?」


 それは朔夜と飛鳥が、なにより知りたいものであった。


 雪之介は言う。

 翔の携帯にはその秘密が眠っている。自分はその秘密を知っている。なにより、これは彼が望むべき展開ではないと。


「分かっているんだ。これは翔くんから伝えるべきこと。僕なんかがしゃしゃり出て良いことじゃない。僕の独断でどうこうして良い問題じゃない」


 述べる弁解は、まるで、自分に言い聞かせているように思えた。

 雪之介の顔には苦悩が垣間見えている。。


「それでも、僕は取引をしたい。君たちに協力をお願いしたい。このままだと白狐が、翔くんが、傷つき続ける。悪い取引じゃないと思う。この情報を得ることで君たちは翔くんを救うことができるかもしれない」


 翔の秘密とやらは、ぜひとも知りたい。

 しかし、雪之介を信用して良いのだろうか。


(あの携帯は確かにショウの物だろう。僕の携帯に掛けてきたんだ。偽物だと疑う余地はない)


 だが得られる情報が有力ともかぎらない。

 これは賭けだ。


(……でも僕を掴んできた時、錦の手は震えていた。あれは本物だった)


 白狐を解放しなければ翔も危ないと主張する雪之介に、うそ偽りはないように思えた。

 雪之介の条件を突っぱねても、先に得るものはないだろう。


「分かった錦。その条件を呑むよ。薬を白狐に呑ませればいいんだね」

「加えて、白狐の支えになってほしい。きっと、白狐は君たちの言葉を聞くはずだから」

「妖祓に無茶な要求だね」


 ついつい呆れてしまう。欲張りな化け物だ。

 けれども雪之介は力なく笑った。


「無茶でも何でもないよ。君たちだからこそできる役割だ」

「過大評価をどうも」

「僕は本当のことを言っているだけだよ」


 雪之介が朔夜の手の上に携帯を置く。冷え切った機体に身震いをしてしまう。雪童子が握っていたせいだろう。

 携帯に目を落とすとLINE画面が開かれたままであった。

 雪之介が故意的に開いていたのだろう。

 なんとなく会話を読む。それは四日前の会話、『錦雪之介』と『南条翔』が他愛もないことで盛り上がっているように思えた。

 と、あるやり取りが目に留まる。


『雪之介が紹介してくれる友達ってみんな妖か? お前と同じ雪童子?』

『色んな部族の妖に声を掛けたよ。まあ僕繋がりの妖だから、季節の妖が多いかな』


 翔が妖のことを、雪之介の正体を妖だと知っている。

 彼は霊力も持たない一般人である。

 妖というものは知識として知っていれど、存在など到底信じるわけがない。


『俺と同じ妖狐はいたりするのか?』


 なのに。

 翔は当たり前のように妖の存在を受け入れている。我が目を疑ってしまった。

 思わず、これは雪之介が偽装した会話なのではないか、この携帯自体偽物なのではないか、と疑ってしまい、LINE画面を友達一覧に戻す。

 その一覧にグループを見つけた。【幼馴染】と明記されている、そのグループを開くと、朔夜と飛鳥が連絡の催促をしている。今日付けであった。間違いなく翔の携帯だ。


「錦。これは」


 どうか、嫌な予感が当たりませんように。

 朔夜は震える唇を動かし、雪之介に確認を求めた。うそだと言って欲しかった。


「あいつは、ただの人間だ。妖の存在なんて知るはずもない」

「そうだね。翔くんは、ただの人間だ。妖なんて知るはずもなかった」


 過去形を強調される。


「なのに、お前の正体を知っている」

「それだけじゃない。彼は、君たちの正体も知っている」


 朔夜は、これまでの翔の様子を思い返す。

 ある日突然、元気のなくなった幼馴染。猫又に取り憑かれた彼はある日を境に、朔夜や飛鳥と距離を置きたがった。それはまるで避けているようにも思える行為。態度に我慢できず、原因を追究すると、いまは言えないとはぐらかされてしまった。


「まさか」


 翔と言い合いをした、両手首の包帯事件を思い出す。

 犬に噛まれただの、お洒落をしたくなっただの、なんだの言って一切怪我の原因を教えてくれなかった。聞けば聞くほど片意地を張った。

 あの出来事は、確か、公園で白狐を捕縛しようとした夜の翌日――。


「そんなわけ、がない」


 米倉は言った。最近の幼馴染は合コンに行くようになったと。

 妖祓長は言った。人間にも妖になる者がいると。

 翔は言った。いつか自分たちはいっしょにいられなくなると。


「あいつは、ただの人間だ」


 白狐が捕縛され、翔が意識障害で倒れた。

 偶然にしてはできすぎている。


「こんなことがあって良いわけがない」


 朔夜は聡明であった。

 これだけの情報で、なぜ初対面の雪童子が、天敵の妖祓の前に現れたのか。翔と友人なのか。白狐を支えてくれと、わざわざ自分たちに頼みごとをしてくるのか、すべてを理解してしまった。


「じゃあ、あの火ぶくれは………」

 

 携帯を落として、ただただ混乱してしまう。

 雪童子の仕組んだ悪い夢だと思いたいのに、雪之介の悔しそうに唇を噛みしめる姿が、虚言の線を一蹴りしてしまった。

 ああ、悪夢だ。そうだ。そうに違いない。


「朔夜くん。どういうこと?」


 まだ事情が呑み込めていない飛鳥が恐々と説明を求めてくる。

 双方はしじまに包まれたままであった。

 先に答えを導きだした朔夜も、取引を求めてきた雪之介も、言葉が喉を通らないのだ。なんと言えば良いのかも分からず、ただただ佇むばかり。


 やがて、夜空となった天を見上げ、雪童子が口を開く。


「お察しの通りだよ、和泉くん。あの白狐は半妖、ヒトから化け物になった妖狐だ。彼の妖名は三尾の妖狐、白狐の南条翔――君たちの幼馴染だ」

 

 まるで頃合いを見計らったかのように、朔夜と飛鳥の携帯に電話が入る。

 それは白狐が座敷から逃げ出した、という連絡であった。


 

 

 


「ごめんね、翔くん。君から本当は真実を告げたかっただろうに」


 同じくコインパーキングにて。

 連絡を受けて走り去った妖祓を静かに見送り、雪之介はそっと目を閉じる。やりきれない思いがそこには滲んでいた。


(これで良かったのかな)


 未だに、朔夜たちと取引をして良かったのか判断しかねる。

 けれど、もうここまで来てしまったのだ。

 遅かれ早かれ捕縛された翔は幼馴染らに正体が暴かれる。

 ならばせめて受け止める彼らに心構えを。捕らわれている白狐の支えとなってくれたら、と思う。


 ただの妖にしか過ぎない雪之介では、妖祓から白狐を取り戻すことなど不可能なのだから。


「妖祓はなんで白狐を捕縛したんだ。このままだと比良利さんは残酷な判断を下さないといけなくなる」


 妖と妖祓が火花を散らすことになってしまう。

 血を流し合う結果になるかもしれない。

 両種族が傷つけあう姿など、雪之介は見たくなかった。


「白狐を、同胞を、宝珠の御魂を狙うことが、どんなに罪深いことか――妖祓は何を考えているんだろう。僕も、翔くんも、こんな争い望んでいないのに」


 嗚呼、どうして妖とヒトは、こんなにも相容れないのだろう。

 

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