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南条翔は其の狐の如く  作者: つゆのあめ/梅野歩
【参章】其の狐の如く
45/158

<二>花見と約束




 ※



 喧騒が止まない夜の街中を、朔夜と飛鳥は駆け抜ける。


 今宵は彼等にとって散々な日であった。約束していた花見は果たせず、雪童子と会い、幼馴染の異変を知り、そして彼から驚くべき情報を得てしまうだなんて。


 あれは取引という名の、罠、なのではないだろうか。


 若き妖祓はそう思わずにはいられない。いや、そうあって欲しい。誰が信じられようか。長年一緒に過ごしてきた幼馴染が、なんでもない、ただの人間である彼が、座敷の押入れに閉じ込められている妖狐など、誰が信じられようか。


 赤信号に捕まり、二人の足が止まる。息を弾ませる双方に、会話は飛び交わない。依然、混乱しているせいだ。


「ショウくんが、あの白狐なんて」


 飛鳥のひとり言が宙を舞う。

 まったくもって状況が呑めないのは、朔夜も同じであった。信じなくて良いものなら、鼻で笑ってあしらいたい。それができないのは、ここ一ヶ月半、余所余所しい翔の態度が、辻褄を合わせているため。


 これが真ならば、なぜ彼は自分達を避け始めたか。猫又と共に行動を始めたか。ずっと、一緒には居られないと言い始めたか、その理由も付く。


 なにより。鬼門の祠で、白狐が妖祓を守った光景が目に浮かぶ。白狐は気まぐれで妖祓を守ったのでなく、彼、だから幼馴染を守ろうとした。これの真偽は、はて如何に。


 すべては目的地で分かることだ。


 青信号にかわるや、朔夜と飛鳥は通行人を押しのけるように、横断歩道を渡る。

向かう先は和泉家。押入れと、座敷の結界を破り、化け狐は外に出たと父達から連絡を受けている。しかし、中庭に留まらせることに成功し、いま。一進一退の攻防戦を繰り広げているとのこと。白狐の妖力は並大抵のものではない、父達は応援が欲しいのだ。


(お願いだ父さん。僕達が真実を確かめるまで、白狐に何もしないでくれ)


 二人は全力疾走する。息が上がっても、コートが暑苦しくなっても、汗がこめかみを伝っても。


 道すがら、獣の咆哮が聞こえた。それは犬でもなく猫でもない。聞いたこともない、獣の鳴き声が夜空を轟かせた。星が落ちそうな、野太い鳴き声であった。


「父さん!」


 やっとの思いで我が家に辿り着いた朔夜は、飛鳥と共に中庭へ駆け込む。

 そこで目にしたものは、化け物と対峙している父二人と、月明かりに白い体毛を煌かせている妖狐。白狐は妖型の姿をしており、額の二つ巴を妖しく光らせ、鋭い眼光を妖祓に向けている。乱れた毛並みと傷だらけの体は、父達との激しい攻防を物語らせていた。


 地を這うように、低く唸る白狐は妖祓から目を背け、塀の外に出ようと飛躍する。しかし足枷となっている呪符がそれを阻み、飛躍した距離を短くした。

 塀を飛び越えることに失敗した白狐は、冷静を失っているのか、人間の仕打ちに憤っているのか、ふたたび天高く咆哮した。妖狐から放たれる気の大きさに、鳥肌が立ちそうだ。


「朔夜。飛鳥ちゃん。来たな。法具を」


 朔夜の父、和泉朔が二人の存在に気付き、錫杖を構えながら、早く法具を出すように指示してくる。丸腰では白狐に襲われた際、大怪我を負う可能性がある。少しでも身を守れるよう、速やかに法具を出すよう声音を張ってきた。

 また、このまま、四方から白狐を囲むとのこと。


 言われるがまま数珠や呪符を取り出すも、二人の気持ちは白狐に傾いていた。

 きょろっと目玉を動かす、化け狐と目が合う。いつぞか守ってくれた優しい眼はなく、限りない殺意がそこには宿っていた。閉じ込められていた怒気が、殺意へと変わったのだろう。けれども、化け物は朔夜と飛鳥の姿を確認すると、かすかに瞳を揺らし、負に濁らせていた目に光が宿る。


 そして隙があった筈だろうに、白狐は二人から目を背け、朔に向かって襲い掛かった。


(ああ、やっぱり)


 紙一重に避け、錫杖を構える父が、念を唱え始める。呼応するように、白狐に貼られた呪符がぼんやりと暗紫に発光する。激痛が走るのか、妖狐が痛みに鳴いた。悲痛な叫びにすら聞こえた。


(あいつは、)


 その場に倒れそうになった白狐だが、どうにか踏みとどまり、次の標的を飛鳥の父に定めた。突進と噛み付きという原始的な攻撃しか繰り出さないのは、呪符のせいで妖術を思うように使えないからだろう。

 飛躍して避ける時貞が、相手の胴を一蹴すると、また白狐が痛みに一鳴きした。鳴き声ひとつひとつが痛々しく胸を抉られる。父達の術を受ける度に、白狐が苦しむ。もう見ていられなかった。


 白狐の足が折れた。それを絶好の機会と見た時貞が、無数の捕縛の呪符を放つ。錫杖を構える朔も、それに便乗して駆け出す。


「飛鳥。呪符を!」


 相棒は朔夜の考えを見抜き、両指に呪符を挟むと、それを勢いのままに放った。捕縛の呪符と衝突し、それらは宙を舞う。なおも、白狐に向かう呪符は朔夜の手で叩き落とした。一枚たりとも、化け狐に当たらせないために。


「朔夜、お前は何を考えているんだ!」


 錫杖を振り下ろした父が、血迷った息子に対し、驚愕と非難を浴びせてくる。両の手で錫杖を受け止めた朔夜は、力任せに錫杖を押しのけると、白狐を背後にして法具を構えた。


「やめてくれ父さん。もう、これ以上、こいつに法具を向けないでくれ。死んでしまう」


 大げさなほど、声が震えた。

 ちらりと後ろを確認する。足を折っている白狐は虚ろな目で、忙しなく呼吸をしていた。与えられた痛みが強いのだろう。立つ様子がない。このまま死んでしまうのでは、大きな恐怖心に駆られてしまう。


「朔夜くん。手伝って。薬を呑ませるから」


 法具を投げた飛鳥が、白狐の巨大な口を開けようと躍起になっている。数珠を向こうに投げた朔夜も、両手で口の縁を掴み、力の限り持ち上げようとした。表面がぬるっとしているせいか、思うように力が入らない。


「口をっ、開けてくれ。薬を呑ませたいんだ」


 危機感を抱いたのか、白狐が頭を左右に動かし、振り払おうとする。口はかたく閉じるばかりだ。


「お願い。口を開けて。貴方の友達に、薬を貰ったの」


 ついに足を立たせ、三つの尾っぽを鞭のように振るって、暴れ始めた。下がるよう父達に命じられるが、二人は引くことをしなかった。目の前で助けを求めている【彼】がいるのに、引く意味など、どこにあろう。


 化け物に縋る。振りほどこうとする妖狐に、何度も口を開けてくれるよう頼み、そして、呼ぶのだ。親しみある名を。



「助けるから。いま、お前を助けるから――僕達を信じてよ、ショウ」



 うそのように、白狐の動きが止まる。暴れていたことすら忘れ、ぽかんと呆けたように、双方を見つめる間の抜けた顔は、どことなく幼馴染の面影があった。


 力が抜けたこと隙を見て、飛鳥と力づくで口を開ける。ほんの少しの隙間であるが、薬が通りそうな幅ができた。そこに彼女が薬の粒を押し込むと、今度は二人がかりで口を閉じさせる。その薬を吐き出させないために。


 反射的に、薬を呑んでしまったのだろう。白狐の口から、薬が吐き出されることはなかった。されど、凄まじい力で振り払ってきたため、二人の体は向こうに投げられてしまった。


「あれは」


 朔夜は固唾を呑んだ。化け物の体が眩く明滅し、白狐が青く光り始めた。


 やがて光は一本の太い柱となり、天に高く昇る。眼球を焼くような、強い青い光に包まれ、白狐の姿は見えなくなる。否、姿は微かに確かめられた。

 光の中にいる白狐は、その風貌を変え始めていた。狐の前足は人の手に、後ろ足は人の足に、頭は人らしい形に、一声鳴く狐は徐々に人型に変わっていく。それでも、頭には狐の耳が生え、尾てい骨から白い三本の尾が残っている。


 化け狐は四足歩行から二足歩行となった。取り巻く光も次第に弱くなる。あれほど肌を刺していた妖力も微々たるものにおさまり、ようやく人型と化した妖狐の姿を確認できる。


 世界から音が消え、呼吸すら忘れてしまった。


 そこに佇んでいたのは、パーカーを着た生傷だらけの少年。それは幼い頃から、月日を共にしてきた人間。病院で昏睡状態に陥っている幼馴染。その額には、未だに漆黒の二つ巴を浮かべていた。


「ショウ……くん」


 現実を目の当たりにすると、改めて頭が真っ白になってしまう。それは、飛鳥も同じなのだろう。困惑したまま、呆然と彼を見つめている。

 こめかみや、手足から血を流している幼馴染は、一声鳴いて足を踏み出す。体重が支え切れず、その場に倒れてしまった。我に返った朔夜は、急いで白狐に、いや翔に駆け寄り、片膝をついて重たい身を抱き起こす。


 遅れて飛鳥も駆け寄って来るが、翔は乱心しているのか、二人の姿には目もくれず、狂ったように鳴き始めた。それどころか、また暴れ始め、朔夜の腕から逃れようとする。


「ショウっ、ショウ! 暴れるなっ、傷に障る!」


 言葉が通じていないのか、翔は鳴く。頭を抱え、きゃあきゃあ、と。きゃいきゃい、と。自分達の知っている彼が消えてしまう衝動に駆られた朔夜は、彼の両肩を掴み、声音を張った。


「花見っ! 今日は花見の約束をしただろ! 忘れたのかい?」


 赤い目が朔夜を、そして飛鳥を捉える。瞬きを繰り返し、尾っぽをくねらせ、反芻する。


「はな、み?」


「そうだよ。お前、花見がしたいって言っていたじゃないか。桜が見たいって、三人で夜桜を見ようって。そう約束したじゃないか」


 花見。花見。はなみ。翔は咀嚼するように、言葉を噛みしめ、ああ、と頬を崩した。


「バス停に、五時」

「うん」


「待ち合わせ」

「うん。そうだよ」


「おれ、間に合った?」

「……ああ、間に合った。間に合ったよ。揃ったことだし、今から花見に行こうよ」


 小さく頷いた翔の体が、前のりとなって、こちらへ寄りかかる。

 朔夜は気付いてしまう。四肢に貼られた呪符がいかんなく発揮されたせいで、手足首の皮膚が破れてしまっていることに。投げ出されている両の手足から、とめどなく鮮血が流れていた。

 止血するために、二人の手が、その手足首を握るが、血は止まらない。止まることを知らない。これは誰の血だ。どうして彼は血を流している。白狐は、どうしてこんな目に。どうして自分達は白狐を傷付けているのだ。


「朔夜、飛鳥ちゃん。そこを退いてくれ」


 熟年の妖祓達が、そっと歩み寄る。必死になって止血をする、朔夜と飛鳥の間に割って入った朔が片膝を折った。おもむろに翔の首に手を当て、脈を測り始める。


「妖の血が宿っている。しかし、感じる妖の血は薄い。妖の器か……白狐は君だったのか、翔くん」


 そうだと知っていれば、力の加減もしてやれていただろうに。


「朔、翔くんは」


 隣に立つ時貞が容態を尋ねる。


「南条家の息子さんは妖と化している」


 軽く首を横に振り、今の彼は半妖だと朔。気を失った子供を横抱きにしてすくりと立つ。


「急いで部屋へ。かなり弱っている。傷が膿んで発熱しているようだ。体温が高い」


 頭の上で大人達が会話する中、朔夜はべっとりと付着している、両手の血を見つめていた。いつまでもそれを見つめ、下唇を噛み、体を震わせていた。



 和泉宅に戻った朔は、玄関に立ち、大声で妻の君枝(きみえ)を呼んだ。

 白狐は捕まえたのか。台所にいた君枝が顔を出すと、朔は青い面持ちで腕にいる傷付いた子供を見せる。


「か、翔くん」


 驚きの顔を見せる君枝に、白狐の正体だと朔は苦言し、この子が白狐だったのだと簡単に説明して靴を脱ぐ。


「か、翔くんが白狐だったって……朔さん」


 腕の中にいる人型の妖狐に駆け寄り、君枝は顔を触る。


「まさか半妖なの?」


 息を詰める彼女に、朔は小さく頷き、失神している妖狐に視線を流す。


「彼は妖の器だ」


 身じろぐ妖狐が痛みでクンと鳴いた。垂れた腕から滴り落ちる血、荒い呼吸遣い、火照る体に顔を顰め、とんでもないことになってしまったと項垂れる。


「君枝、薬湯の用意を。それから父を呼んでくれ。時貞が今、紅緒さんを呼んでくれている。話は後だ。今は彼の傷の手当てを。それと、朔夜と飛鳥ちゃんを頼む。ショックのあまり、中庭から動けていない」


 若き妖狐は“例の座敷部屋”に戻される。

 敷かれた一式の布団の上で、白狐は衣類を脱がされ、汚れた体をぬれタオルで拭われた。傷口に触れないよう、大人達は細心の注意を払うも、細かな傷はどうしても触れてしまい、その度に意識のない妖狐が嫌がる素振りを見せた。タオルは、間もなく薄っすらと紅に染まる。


 古着を着させた頃、連絡を受けた妖祓長が一室を訪れた。

 先に顔を出したのは和泉家の長、人型の白狐を見るや目を細め、小さな吐息をつく。月彦が傷口の具合を診ていると、楢崎家が顔を揃えた。


 妖の生態に誰よりも詳しい楢崎家長、楢崎紅緒によって、若い妖狐の傷に塗り薬が塗られていく。ヨモギの粉末を水に溶かし、それを練ったものを足、腕、頬、額に塗る。ガーゼを当てられる箇所にはそれで傷を守り、優しく包帯を巻いた。青痣になっている腹部は湿布で対処する。


「これで良いでしょう。後は熱です。時貞、彼の頭を持ち上げて。薬を飲ませます」


 先ほどの粉末をお湯で溶かし、ペースト状にする。

 紅緒が器に入った薬を口元に当てると、白狐の三尾がそれを薙ぎ払った。自己防衛だろう。顔を何度も振り、時貞の手を逃れようとする。幾度もそれを繰り返すため、紅緒は目覚めてから発熱の薬を飲ませることにした。


 今、飲ませても気道に入ってしまう可能性がある。


「ひとまずはこれで様子見を……しかし、困ったことになってしまいましたね。白狐、貴方の正体が私達の知る子供だったとは」


 枕に頭を戻された妖狐は、荒々しい呼吸遣いのまま、眠りに就いている。

 見知った子供の顔、南条翔に罪悪を宿した瞳を瞼で隠し、紅緒は布団を胸上まで引き上げた。


 一連の流れを見守っていた月彦も口を開く。


「人が妖になる話はざら。驚くべきことではなかろう……しかし、それは一般論にしか過ぎん。妖祓の子と一番親しい子供が、まさか半妖に。しかも“宝珠の御魂”を宿した妖とは」


 これは神の仕組んだいたずらか、それともさだめ、か。長の名を持っても、いまの月彦には分からずにいた。



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