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南条翔は其の狐の如く  作者: つゆのあめ/梅野歩
【弐章】名を妖狐と申す
41/160

<二十>南条翔の春休み(肆)

 

 

 

 翔にとって春休み最大の楽しみは、なんと言っても雪童子の雪之介と会うことだった。


 休み期間に入ったら必ず会おう。

 交わしていた約束どおり、翔は休みに入ると早速雪之介と連絡を取って計画を実行に移す。雪之介の方も宣言どおり、泊まりに来るよう家に招いてくれたため喜んで誘いに乗った。


「へえ。ここが雪之介の家か」

「普通でしょ」

「まあ、見た目は普通の金持ち一軒家ってかんじ」


 生まれて初めて妖が暮らす家に足を運んだ翔は、そこで化け物の生活を目の当たりにする。

 錦家は住宅街の一等地に設けられており、外見はヒトの家と変わらない。お金持ちの家だと分かる一軒家に、ただただ圧倒される。


 しかし部屋にお邪魔してみると、ヒトの家とは一味違う。

 まず玄関先に冷凍庫が置いてあった。よくコンビニなどで見る、アイスの入った冷凍庫があるのだから翔は驚く他ない。中身を覗き込むと氷はもちろん、タオルや衣服なんかも収められている。冷やす意味などあるのだろうか。


「これは僕とお母さんの冷凍庫なんだ。外から帰ってきたら、これらで体を冷やすんだよ。雪の妖は暑さに本当に弱くてさ」


 早速カチカチに凍ったタオルを取り出し、雪之介はそれで顔を冷やしていた。

 ついでに氷を一粒つまんで口に放っている。

 彼にとって三月はもう暑い季節のようだ。

 額には薄っすらと汗が滲んでいた。


「お前、夏とか生きてられるの? 溶けねえ?」


 心配を寄せると、雪之介は顔を顰めた。


「冬眠があるなら夏眠だってあっても良いと思わない? はあ夏が来る度に頭が痛くなるよ」


 とても苦労しているようだ。

 彼は今年も来る夏に嘆いていた。


 とはいえ簡単には溶けないようで、リビングに入ると翔のために暖房を点けてくれた。もちろん寒さを我慢する気でいたので、これには驚いてしまう。


「雪之介。俺は平気だぜ」


 慌てて止めに入ると雪之介は笑いながら返した。


「暑さには弱いけど、こんな熱じゃ溶けないよ。お父さんがいる時は、いつも暖房を点けているんだ」

「まじで?」

「うん。だから大丈夫、僕の傍には冷風機は置くからさ」


 そういえば、雪之介の両親は部族が違う。

 彼の父は木の葉天狗で、母は雪女だった。

 ちなみに彼らは探偵業をしているらしく、それなりに稼いでいるそうだ。

 それはそれは腕利きのようで噂を聞きつけた人間、妖、双方から依頼を受けているとのこと。


「浮気、行方不明調査、犯罪調査。なんでも引き受けるらしいから、なにか遭ったら頼ってよ」


 雪之介はそう言って、翔に名刺を渡してきた。遠い目でそれを見つめることしかできなかったことは内緒にしておく。


 閑話休題。


 雪之介の両親は部族が違う。

 それゆえ苦労することも多いそうだ。


「息子の僕が言うのもなんだけど、なんで天狗と雪女が結婚しちゃったかな。苦労は目に見えていただろうに」

「そんなに苦労しているのか? 部族は違うけど、結局は同じ妖だろ?」


 種族が違う人間と妖なら苦労も想像がつくが……。


「そうだね、翔くんにも分かりやすく例えると、うちの両親は国際結婚をしたようなものだよ。相手はイギリス人で、自分は日本人。暮らしがまるで違うでしょう?」


「あ、分かりやすい」


 確かに種族は同じでも生まれや人種が異なると、がらりと暮らしが変わってくる。


「両親曰く、結婚するだけでもひと苦労だったんだって。周囲が大反対したらしいんだよ」


「天狗と雪女。どっちも山にいそうだから、仲良くなれそうなイメージがあるけど」

「第一に好む気候がねえ。お父さんは人間と同じ気候を好むけど、お母さんは氷点下の気候を好むんだ。雪の妖だからしょうがないんだけどさ」


 室内の温度調節のことですぐに喧嘩するらしい。

 日常的に溶ける、凍えるの言い合いが繰り広げられるのだとか。


「部族が違うせいで、我が家は食事にすら気を回さないといけないんだ」

「食事?」


「あれは僕が小学生の時だったかな。一度、離婚に発展する大喧嘩になったことがあってね。その原因はなんだと思う? 鍋だよ鍋。お父さんがうっかりチゲ鍋を作っちゃったせいで、お母さんが大激怒したんだ」


 翔は口元を引き攣らせた。


「鍋って……俺が言うのもなんだけど、よく結婚できたな」

「僕も思う」


 錦家は基本父親が料理を作っている。

 理由は母親が雪の妖だから。熱い料理が作れないのだ。

 母親が作ったところで冷たい料理ばかりが並んでしまう。そのため熱い料理を好む父親が台所に立ち、母息子はそれを冷まして食べる習慣となっているそうだ。


「大抵の料理は冷まして食べれば問題ないんだけど……唐辛子系だけは、ほら、体を温める効能があるでしょ?」

「あー察した。だからお前の母ちゃん、めっちゃ怒ったんだ」


「私たちを溶かすつもりなの! ばかなの! なんて勢い余って言っちゃったんだ。悪気は無かったと思うんだけど……お父さんも、うっかりを痛烈に責められたもんだから大激怒。離婚話にまで発展しちゃってね」


「が、ガチやべえやつじゃん。どうやって仲直りしたんだ?」


「さあ?」

「なんだ。知らねえの?」


「二人が離婚話で揉めていたから、僕は間を取って家出したんだ」

「い、家出ぇ? 間を取ってもねえし」


「家出した僕は半べそを掻きながら、北地を治めている頭領に会いに行ったんだ。つまり、比良利さんだね。その時の僕はすごかったんだよ。ちゃんと手続きを踏んで頭領に相見を求めたんだから」


 当時の雪之介は両親同伴で頭領狐と顔を合わせていた程度。

 まともに話したことがなかったが、どうしても悩みを聞いてもらおうと手続きを踏んで神職たちと顔を合わせた。ガチガチに緊張をしていたが、ひとりで頭領に会いに行ったとのこと。


「比良利さんは子ども相手でも、しっかり相見してくれてね。緊張しまくっている僕に何か遭ったのかって、優しく話を切り出してくれたんだ。リュックを背負っている僕を見て、たぶん家出してきたことは見抜いていたんじゃないかな」


「雪之介は比良利さんに会って、両親の喧嘩を止めてほしいって頼んだのか?」

「ううん。比良利さんをすごく困らせちゃう相談をしちゃったんだ」

「困らせた?」

「貯金箱を持って『気温を買わせてください』って言った」

「き、気温っ? お前、買おうとしたのか」

「大真面目に買おうとしてた」


 両親が喧嘩するのは気温に『暑い』『寒い』があるせいだと思った雪之介は、自分の小遣いで気温を買うことを思いついた。


 これを買ってしまえば、好きな時に『暑く』できるし、『寒く』もできる。熱い料理を食べても母が好む気温まで『寒く』してしまえば、クダラナイ言い合いだって無くなる。両親が喧嘩する前に気温を調整してしまえば、父も母も離婚を考えなおしてくれる。そう考えたそうな。


「僕は雪を降らすことはできても、気温を暖かくすることはできないからね。手っ取り早く気温を買った方が良いと思ってさ。いやあ子どもの発想ってすごいよね」

 

 大真面目に気温を買いたいと相談した時の神職たちの顔は忘れない。

 雪之介は気まずそうに笑う。


「なにがなんでも気温を買いたかった僕は、いくらするのか。お小遣いが足りないなら働く。学校だって辞める。めちゃめちゃなことを言ってね……最後は大泣き。大広間を吹雪かせて雪まみれにしちゃった」


 大層な大騒動を起こし神職狐らを慌てふためかせてしまったが、狐たちは優しかった。雪之介を泣き止ませると、落ち着かせるために水羊羹を与えて、たくさん話を聞いてくれた。


「思い出すよ」


 雪之介は苦笑いを零す。



『比良利さま。どうしてお父さんとお母さんは、おんなじ妖とケッコンしなかったの?』

『ふふっ。それはお主のご両親に聞いてみなければ分からぬのう』

『おんなじだったら、お父さんもお母さんも喧嘩しなかった』


『かもしれぬのう。さりとて雪之介。おんなじ妖でも喧嘩してしまうものよ。おんなじでも、ちがう妖でも喧嘩はする。だいじなのは喧嘩した後、自分がどうしたいかじゃよ』


『お父さん、お母さんはリコンするって言ってた』


『であれば、心からの言葉なのか、勢いからの言葉なのか。ご両親は自分の気持ちと向き合わねばならぬのう。やれ鍋で喧嘩をしたのなら、わしは勢い任せと思うがな』


『ぼくは喧嘩なんてイヤだ』

『雪之介はその気持ちは大切にするのじゃよ』

『イヤな気持ちを?』


『嫌だったからわしの下まで来たのじゃろう? 雪之介、お主は自分なりに考えてここまで来た。まったくもって初めてじゃよ、十も満たぬ子どもが手続きを踏んでわしに相見を求めるなんぞ。その心と行動力を誇るが良い。きっとそれはお主の力となるゆえ』


 決して、狐らは雪之介の行動を諫めなかった。

 それこそ両親が迎えに来るまで、気温を買いたいと訴える雪之介の心に寄り添ってくれたとのこと。無茶苦茶な相談にも真剣に耳を傾けてくれた。話すことに疲れてしまうと遊んでくれた。


 なにより、ばかな行動を起こした子どもを『友だち』になってくれた。

 

「多忙なのに一日中、日輪の神職たちが遊んでくれてね。特にツネキくんは僕を喜ばせるために、菜の花畑まで連れてってくれた。おかげですごく仲良くなっちゃった」

「へえ。ツネキと仲良いんだ」

「ああ見えて、ツネキくんは面倒見良いんだよ」

「俺には喧嘩売ってくるんですけど? あいつ」

「あはは。オツネちゃんのことがあるからね」

「そんで結局どうしたんだ?」


「両親が迎えに来てくれた。たぶん比良利さんが知らせてくれたんだろうね、血相を変えて日輪の社に来たよ。ついでに両親はすっかり元通りになってた。あんなに喧嘩してたくせにさ。それに腹が立っちゃって、今度は納屋に籠城しちゃった」


「お、お前の行動力、ほんとすげえな」


「あはは、僕も思うよ。二時間くらい籠城した末、疲れ果てた僕は納屋で大爆睡。目が覚めたら家にいた。その後は両親と寄せ鍋を食べて一件落着。ちゃんちゃん」


 結局、両親がどうやって仲直りしたかは知らないと雪之介は肩を竦めた。

 ただ一連の騒動について、雪之介の両親が神職狐らに謝り倒したそうな。


「今じゃただの笑い話だよ。未だに比良利さん達から、この話を弄られちゃうんだ」

「ははっ。聞いている分には面白いけどな」

「子どもの僕は堪ったもんじゃないよ。部族違いの両親を持つと色々苦労する」


 国際結婚よりタチが悪いかもしれない。

 大げさに語ってくる雪之介はため息まじりに、けれど楽しそうに語ってくれた。翔の知らない妖の苦労を面白おかしく聞かせてくれた。


 

 

 はてさて。

 話題となっている雪之介の両親はとても人柄がよく、泊まりに来た翔をとても可愛がってくれた。息子の武勇伝を延々と聞かせる親ばかの点を除けば、親切で優しい化け物らであった。


 雪之介の両親は不可抗力で妖となった翔を励まし、味方となり、小さなことでも相談に乗ってくれた。人里で暮らしたいのであれば、いっしょに暮らせるよう考えてくれると言ってくれたので本当に良い化け物らである。


 話はかわり夜行性の翔に対し、錦家族は基本的に人間と同じ時間帯に行動しているそうだ。

つまり朝に起床して、夜に就寝する規則正しい生活を送っているのだ。

 それを聞いた翔は彼らに合わせようと努めたのだが、「いいよ。僕らはどちらでもいけるから」と雪之介。曰く生活のリズムを好きに変えられる妖だそうな。


 翔はそれを聞いてとても羨ましくなった。


「いいなあ。俺も生活リズムを変えることができたら、学校生活に支障も出ないのに」

「翔くんは狐の本能を持っているからね。夜行性の性質は変えられないと思う」

「そろそろ生徒指導がきそうなんだよ」

「居眠りしちゃうんだ」

「それもあるけど進路がな」


 雪之介の部屋でゲームをしていた翔は、目を背けている現実問題に顔を顰めてしまう。


「こんなんであと一年持つかな。一応、今年は受験生なのに」

「進路は決まっているの?」


 雪之介の問いに翔は首を横に振った。


「わかんね。でもこのままじゃな。大学に行ったとしても居眠りばっかしそうだし」


 受験なんぞできるのだろうか。

 顔を顰めてしまう。


「だったら夜間大学も視野に入れておいたらいいよ」

「夜間大学?」

「隣町に夜間大学があってね。そこは夕方から夜なんだ。学費も安いし、僕の知り合いの妖も夜行性を理由に通っているよ」

「ほんとか?」

「今度紹介するよ」


 ヒトの社会で生き続けたいなら、夜間向けの大学や専門学校もあると雪之介。


「助かるよ。進路で悩んでいたんだ」


 雪之介に出逢えて本当に良かったと心底思う翔は、ぜひお願いすると笑顔を向けた。

 笑みを返す雪之介は、ふと、翔にこんなことを聞いてきた。


「翔くん。前より妖力が上がった?」

「え」

「傍にいるだけでひしひし伝わってくるんだけど」


 翔は思わず部屋の窓を開けて夜空を確認する。

 その夜の月を見て、ホッと胸を撫で下ろした。

 満月の今宵は翔にとって『祝の夜』。だから妖力が表に出てしまうのだろう。雪之介に伝えると納得したように頷いた。


「でも油断しない方がいいよ。それは今日にかぎったことじゃない。妖の器期だからって、いつ妖力が表に出るか分からないからね」


 しっかり釘を刺されたが不快には思わない。

 雪之介は翔のために助言してくれているのだから。


「ああ気は抜かないよ。いま正体がばれるわけにはいかないからな」


 以前、痛い目を見たのだ。

 油断しておくとまた白狐になってしまうだろう。


「そうそう春休みになって、狐に変化できる確率がグンと上がったんだ。もうほとんど失敗しないんだぜ」

「へえ、随分と練習したんだね。半妖なのに失敗なく変化できるってすごいことだよ」

「春休み初めは失敗の方が多かったんだけど、急に失敗しなくなったんだ」

「元々妖の僕にはその期がなかったけどさ」

「前はギンコが傍にいないと変化することすら難しかったけど、だいぶん慣れたよ」


 けれどギンコがいないと普段は妖の姿を捉えることができない。まだまだ半人前の証拠だろう。


「一人前の妖になれば、それもなくなるんだろうけどさ」

「翔くんは妖になりたい?」


 雪之介が問い掛けてくる。


「正直に言えば、あんまなりたくない」


 化け物になることを恐れている。

 その心を伝えた後、それを踏まえて、受け入れるための努力をしている最中だと返事した。


「いずれ俺は妖狐になる。それは避けられない」


 すでに翔は人間の価値観とずれが生じ始めている。

 それまで草花になど興味の欠片もなかったのに、今ではこよなく愛する気持ちが芽生えている。特にヒガンバナには魅せられて仕方がない。


 またカラスや雀といった鳥類を目にすると食欲が湧く。きっとネズミを目にしても同じ気持ちになる。


 翔が化け狐に染まっている証拠だ。


「妖は草木を愛でて食らう。獣だって虫だって食らう。下手物だって食らう。俺は化け狐に近づいている。それを否定することは難しい。受け入れるしかねえ」


 問題はどうやって受け入れていくか、だろう。


「妖になりたくない。本音だ。でも雪之介のような妖もいる。そのおかげで受け入れる覚悟も固まってきている。幼馴染や両親のことを考えると、やっぱり怖いんだけどさ」


「僕もそうだった。仲の良い人間の友人に、正体を明かすことは怖かった。本当に怖かったよ」


 翔の気持ちを理解してくれる雪童子に力なく笑みを向ける。


「だから隠しちまうんだよな」


 翔は最近になって、ようやく幼馴染らの『隠し事』を理解するようになっていた。

 おおよそ幼馴染らはこの関係を壊したくなかったのだ。

 妖祓は特殊な職業。化け物を調伏する家系だと翔が知れば、自分も化け物を視てみたいと駄々を捏ねたり、調伏する力が欲しいと訴えていたやもしれない。


 なにより朔夜と飛鳥に引っ付いて回っていただろう。


(隠すことで俺を守っていたんだろうな)


 ただの幼馴染として振る舞うために。


「大事なのはこれから先どうしたいか、だよね。これは受け売りだけど」


 雪之介がサイダーの入ったペットボトルを翔に差し出してくる。


「僕らは決してヒトになれやしない。一度化け物の血を取り入れてしまえば、人間のかたちは失われてしまう。なら自分たちで関係を作っていくしかないんだ」


 人間と妖は相容れない存在。

 しかし雪之介はすべてがそうだとは思わないと言い切った。


「僕はね、お互いの想いが通じれば、今まで以上の関係を作ることも可能だと思っているんだ。仮に今の関係が崩れたとしても、今以上の関係だって作れる。僕はそう信じたい」


 翔の目に光が宿る。

 それは希望に満ち溢れていた。


「今以上の関係……」


「そう信じていた方が気が楽だと思わない? 過程で傷つけ合うかもしれない。でも、その先に今以上の関係が築き上げることができるとしたら、それはとても素晴らしいことだよ。僕は君たちにそうなって欲しいな」


 親身になって応援してくれる雪之介に、翔は心の底から感謝したくなった。


「そうなれたらいいな」


 もしもそうなったら一番に祝福してほしい。

 雪之介に向かって笑う。


「もちろんだよ。甘酒と花つぶみを奢ってあげる」

「サイダーもよろしく」

「別途料金ね」

「おいこら」

「先に調子に乗ったのは翔くんでしょー?」

「ばか。俺はいつだって調子に乗ってるっつーの」


 ついつい顔を見合わせて大笑い。

 ああ、やっぱり雪之介という妖に出逢えて良かった。本当に良かった。


 翔は心の中で彼にめぐり合わせてくれた比良利に幾度も感謝した。



 

  ◆◆◆




 春休み後半、翔は雪之介と会い続けた。


 家に雪之介を招き、翔の知らない異界について学んだ。

 ヒトの社会で生きる妖について、たくさんのことを教えてもらった。学生らしい勉強会もした。


 親には中学の時に通っていた塾友だと適当に話を作って紹介した。雪之介の礼儀正しい振る舞いがすこぶる母に受けていたので、「あんたも見習うのよ」と言われたのは蛇足にしておく。


 とにもかくにも雪之介と過ごす時間は多かった。

 春休みの半分は『雪之介』で占めていると言っても過言ではなかった。


(雪之介といる間は、朔夜や飛鳥と会わないようにしなきゃな)


 気掛かりは幼馴染であった。

 雪之介は生粋の妖なので、彼を目にすればひと目で化け物だと見抜く。

 ただ幼馴染らも受験生、妖祓の傍らで予備校に通っている日々を送っているはずなので多忙のはず。会うことはかぎりなく低いだろう。


 また雪之介自身も、人間の霊力を敏感に感じる取ることができるため、妖祓が近くにいたら身を隠すと言ってくれた。どこまでも翔に気を配ってくれた。


 そうそう。

 雪之介が翔の部屋に来た時、興味深いことを口にしていた。


「噂には聞いていたけど、南の地は荒んでいるね」

「ん、そうなの?」

「柄の悪い妖が多かった」


 北の地に住まいを置く雪之介曰く「南の地は物騒」だそうだ。

 昼間から人間を虎視眈々と狙う妖を目撃したらしい。


「比良利さんが南の地をいつも気にしていたけど」


 本当に南の地は荒れている模様。

 人間の土地を守る妖祓も大変なのだと知り、翔は少なからず幼馴染に同情した。学業と並行して、低俗な妖を祓わなければならないのだ。休みは本当に少ないことだろう。


(そういえば、あいつらと会ってないな)


 ふと翔は休みに入ってから一度も幼馴染に会っていないことに気づく。

 以前の翔ならば、二人の都合を聞かず、押し売りのように遊びに誘っていたのだが……。


(妖の社に行ったり、雪之介と遊んだり、向こうで過ごす時間も増えたからな)


 だから頻度も減ったのだろう。

 翔は他人事のように思った。

 それに不思議と焦りはない。幾日会えなくとも大丈夫。二人とは最終日に花見をする約束だ。その時に、たくさん話せばいい。


(変だな。あんなに執着していたのに)


 当日は桜の蕾が膨らんでいますように。

 翔は約束の日に思いを馳せた。


 

 

 残り三日と迫った春休み、暦は四月に変わった。

 翔は雪之介に誘われ、南の地にある一軒のレストランに赴いていた。夕方のことであった。

 そこは妖が経営している店。名前は『もののけ堂』。まんまである。


 レトロな造りで一見洋風店にも見える。雪之介曰く、ヒトの世界で生計を立てる妖らのつどう憩いの場だそうな。


「よく妖祓に見つからないな」


 危険はないのか。

 翔は疑問を雪之介に投げる。


「当然妖祓は気づいているよ。でも彼らもバカじゃない。僕や翔くんみたいに、ヒトの世界で暮らす妖がいることを知っている。危害を加えないと分かっていれば手も出さないよ」


 もののけ堂には、雪之介の友人が集まっていた。

 半妖になったばかりの翔のために、雪之介が声を掛けてくれたようで、集まっている妖は十代、二十代ばかり。翔の年齢と大差はなかった。みなヒトの社会で生きる妖だった。


 さすが雪童子の友人ともあり、気候や季節にまつわる妖が多かったが、誰も彼も半妖狐の翔に優しくしてくれた。すぐに打ち解けることができた翔は、そこに集った妖たちと楽しく会話し、連絡先と交換することができた。

 これから先の未来を明るく考えさせてくれる、良い妖たちばかりだった。



「今日はありがとうな雪之介。すげえ楽しかった」


 午後九時、のらりくらりと店を出た翔は雪之介と帰路を辿っていた。

 その足取りは非常に軽い。


「みんな良い奴らだった。妖でもヒトの社会で暮らしていけるんだって自信もついたよ。参考になった」


 ご機嫌の翔に雪之介がのんびりと笑う。


「異界が合わない妖も多いんだよねえ。現代っ子の妖には異界は不便だから」

「テレビも電気もないもんな」

「長寿の妖はヒトの社会が騒々しくて敵わないみたいだけどね」

「それも分かるな」

「翔くんは五感が鋭いもんね」

「異界の方が静かで、よく寝れるんだよ。だけど暮らしそのものは、ヒトの世界の方が合っているから参っちまうぜ」

「現代っ子は便利な生活に慣れちゃっているからしょーがないね」

「あーあ。妖狐もつれえや」


 答えた直後のことである。

 翔は動かしていた足を止めて、そっと腹部に手を当てた。


「どうしたの? 翔くん」


 先を歩く雪之介も足を止めて振り返る。


「お腹痛い?」

 何度も腹部を擦る翔を心配してきたので、ゆるりと首を横に振る。


「ちょっと熱くて」

「熱い?」


 じわり、じわりと体内で熱が生まれている。

 放っておけば冷めると思いたいが、熱はどんどん感じるばかり。


「すげえ熱い」


 額に滲んだ汗を手の甲で拭って唸る。


「我慢できなくなってきた」


 よろめいて民家の塀に凭れてしまう。

 すると雪之介が驚いたように眼を開いた。


「翔くん。妖狐の姿に」


 翔は急いで己の姿を確認する。

 絶句してしまった。

 妖力を引き出したわけでも、狐に変化しようとしたわけでもないのに、尾てい骨から三本の尾っぽが生えている。頭に狐耳が生えている。本来あるべきヒトの耳は消えてしまっている。

 体内の熱は妖力だと気づいた。


「お、おかしい」


 翔は腹部を押さえ、その場にしゃがむ。


「妖力が抑えられない」

「翔くんっ!」


 雪之介が血相を変えて駆け寄る。


「アッツ!」


 翔の肩に手を置いた瞬間、雪之介は悲鳴を上げた。よろよろと見上げれば、彼の手の平が赤く腫れている。火傷だ。それだけ妖力が熱帯びているのだろう。


「だいじょうぶか?」

「僕はなんともないよ。それより体を冷やすから、妖力を抑えて」


 とめどなく汗を流す翔の瞳孔が赤く染まる。

 体からは蒸気が立ちのぼり、身に余る妖力は翔の体内でうねりを上げた。

 グルル。低い鳴き声をこぼす翔の体にふたたび雪之介が触れる。自分の妖力を冷気にかえて、体温を冷やそうと努めた。このままでは翔の身が持たないと判断したのだろう。


「なんて妖力の大きさだ。僕の妖力じゃ到底間に合わない……宝珠の御魂が関わっているのかも」


 顔を顰める雪之介は、急いで翔の体を立たせた。

 触れるだけでも火傷をするというのに、雪之介は惜しみなく翔に手を貸して、比良利の下へ行こうと話し掛けてきた。


「比良利さんならきっとこの症状を治めてくれる。歩ける?」

「わ、悪い……雪之介。熱いだろ」

「いまは自分の心配をしなよ」


 火傷を負う雪之介に謝罪すると、何を言っているのだと彼は真顔で返してきた。手を貸すことは当然だと言わんばかりの表情である。

 それに力なく笑った直後、視界が二重三重にぶれた。

 とっさに雪之介の体を突き飛ばし、自分から距離を取らせる。


「翔くんっ!」


 尻もちをつく雪之介の声は遠い。

 体内に込み上げてくる灼熱の妖力が爆ぜた。堪らずに膝をついて咆哮する。

 その声は人間のものではなく、確かに狐のものだった。

 夜空を裂かんばかりの咆哮は、やがて翔の姿かたちを変え、狐のかたちへ。そして狐から狐らしからぬ妖のかたちへと変化していく。


 狐より三回りほど大きい体躯。雪のように白い体毛。長い三尾は天高く向き、歯は鋭利ある牙と化す。漆黒の二つ巴を額に開示する白狐は神々しい――妖型であった。


「これが翔くんの妖型っ」


 息を呑む雪之介をよそに白狐は天を仰ぐ。

 颯爽と民家の塀へ、屋根へ、電柱へ。そして夜空に向かって身を投げると、月の光を浴びながら夜空を翔け始めた。


「ど、どこに行くの翔くんっ!」


 南の地は低俗な妖がはびこり、妖祓がそれを調伏している地。

 幼馴染の関係を気にしている翔にとって、無闇に外へ出歩くのは危険過ぎる。成熟している妖ならともかく、翔は妖の卵。いつまで妖型が続くかも分からない。


「翔くん! 戻って来てっ!」


 声音を張っても白狐は空を翔けるばかり。


(まさか自我を失っているの?)


 だったら非常にまずい。

 雪之介は急いで妖の社に向かった。

 宝珠の御魂を身に宿した妖を止められるのは、同じ宝珠の御魂を持つ妖だけ。雪之介の妖力では高が知れている。


(翔くんの妖力はあまりにも大きい)


 すぐに妖祓も気づいてしまう。

 人間よりも早く白狐を止めなければ、最終的に傷つくのは翔だ。

 転がるように舗道を駆けて、ゆるやかな坂道をのぼると紅鏡神社の前に立った。鳥居を8の字に回り、一段越しに石段をあがって妖の社に飛び込む。

 賑わいを見せている参道を猪突猛進に走る。

 幾度も妖たちとぶつかり、その度に謝罪を口にし、ずれ落ちそうな眼鏡を掛けなおし、懸命に足を動かす雪之介はただただ祈った。


 どうかヒトと妖が傷つけ合う事態だけは回避できますように――。


「比良利さんっ!」


 一つ目小僧の出店でツツジの甘酒を購入しようとしている北の神主を見つけ、雪之介は彼の名を叫ぶ。

 傍にいる紀緒と共に驚く比良利に、助けてほしいと顔を歪める。

 

「翔くんが突然妖型になってどこかへ行ってしまいましたっ!」

「なに?」

「彼は妖力を抑えきれずに自我を失っているようなんですッ。比良利さん、お願いです。彼を止めてください!」

 

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