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南条翔は其の狐の如く  作者: つゆのあめ/梅野歩
【弐章】名を妖狐と申す
41/158

<二十>南条翔の春休み(肆)



 ※



 翔にとって、春休み最大の楽しみは、なんと言っても、雪童子の雪之介と会うことだった。


 休み期間に入ったら、必ず会おう。交わしていた約束通り、翔は休みに入ると早速、雪之介と連絡を取り、計画を実行に移す。彼の方も、宣言通り、泊まりに来るよう家に招いてくれたため、喜んで誘いに乗った。


 こうして、生まれて初めて妖達が暮らす、家に足を運んだ翔は、そこで化け物達の生活を目の当たりにする。

 錦家は住宅街の一等地に設けられており、外見はヒトの家と変わらない。お金持ちの家だと分かる一軒家に、ただただ圧倒されるだけであった。


 しかし、部屋にお邪魔してみると、ヒトの家とは一味違う。まず玄関先に冷凍庫が置いてあった。よくコンビニなどで見る、アイスの入った冷凍庫があるのだから翔は驚く他ない。中身を覗き込むと氷はもちろん、タオルや衣服なんかも収められている。冷やす意味などあるのだろうか。


「これは、僕とお母さんの冷凍庫なんだ。外から帰ってきたら、これらで体を冷やすんだよ。雪の妖は、暑さに本当に弱くてさ」


 早速カチカチに凍ったタオルを取り出し、雪之介はそれで顔を冷やしていた。ついでに、氷を一粒つまんで口に放っている。彼にとって、三月はもう暑い季節のようだ。額には薄っすらと汗が滲んでいた。


「お前、夏とか生きてられるの? 溶けねえ?」


 心配を寄せると、雪之介は顔を顰めた。


「冬眠があるなら、夏眠だってあっても良いと思わない? はあ、夏が来る度に頭が痛くなるよ」


 とても苦労しているようだ。彼は、今年も来るであろう夏に嘆いていた。


 とはいえ、簡単には溶けないようで、リビングに入ると、翔のために暖房を点けてくれた。勿論、寒さを我慢する気でいたので、これには驚いてしまう。慌てて止めに入ると、雪之介は笑いながら返した。


「暑さには弱いけど、こんな熱じゃ溶けないよ。お父さんがいる時は、いつも暖房を点けているんだ。大丈夫だって、僕の傍には冷風機は置くからさ」


 そういえば、彼の両親は部族が違う。父は天狗で、母は雪女であった。


 ちなみに、彼らは探偵業をしているらしく、それなりに稼いでいるそうだ。それはそれは腕利きのようで、噂を聞きつけた人間、妖、双方から依頼を受けているとのこと。浮気、行方、犯罪調査、なんでも引き受けているそうなので、なにか遭ったら、ぜひ贔屓にして欲しい。雪之介はそう言って、翔に名刺を渡してきた。遠い目でそれを見つめることしかできなかったことは、内密にしておく。


 閑話休題。雪之介の両親は部族が違う。それゆえ苦労することも多いそうだ。


「息子の僕が言うのもなんだけど、なんで天狗と雪女が結婚しちゃったかな。苦労は目に見えていただろうに」


「そんなに苦労しているのか? 部族は違うけど、結局は同じ妖だろ? 人間と妖なら、話も分かるけど」


 種族違いならば、争いも悩みも理解できそうだが。


「そうだね、翔くんにも分かりやすく例えると、うちの両親は国際結婚をしたようなものだよ。相手はイギリス人で、自分は日本人。暮らしがまるで違うでしょう?」


 たしかに。種族は同じでも、生まれや人種が異なると、がらりと暮らしが変わってくる。


「うちの両親はまさしく、その国際結婚をした妖同士で、結婚する際は大変だったらしいんだ。周囲が大反対したらしいんだよ」


「天狗と雪女。うーん、どっちも山にいそうだから、仲良くなれそうなイメージがあるけど」


「第一に好む気候がねぇ。お父さんは人間と同じ気候を好むけど、お母さんは氷点下の気候を好むんだ。雪の妖だからしょうがないんだけどさ。すぐ、室内の温度調節のことで喧嘩するし。溶ける、凍えるの言い合いはしょっちゅうだよ」


「……お前のところ、ほんと、なんで結婚しようと思ったんだ? それ、好きの気持ちでどうにかなる話じゃなくね?」


「僕も思うよ。部族が違うせいで、我が家は食事にすら気を回さないといけない……一度、実家に帰る云々の大喧嘩に発展したこともあったんだけど、その原因はなんだと思う? 鍋だよ鍋。お父さんがうっかりチゲ鍋を作っちゃったせいで、お母さんが大激怒したんだ」


 錦家は基本、父親が料理を作っている。それは母親が雪の妖であるため、熱い料理が作れないせいだ。母親が作ったところで、冷たい料理ばかりが並んでしまうとのこと。そこで、熱い料理を好む父親が料理を作り、母息子はそれを冷まして食べる習慣となっているそうだ。


「大抵の料理は冷まして食べれば問題ないんだけど。唐辛子系だけは、ほら、体を温める効能があるでしょ?」


「あー……察した。だからお前の母ちゃん、めっちゃ怒ったんだ」


「私達を溶かすつもりなの?! ばかなの?! とか言ってね。お父さんも、うっかりを痛烈に責められたもんだから大激怒。離婚の話まで出てきちゃったんだ」


「が、ガチやべぇやつじゃん。それで、どうやって仲直りしたんだ?」


「さあ」

「さあ?! なんで、そこで『さあ』なんだよ!」


 一番聞きたいところで、もったいぶらなくても良いではないか。翔が抗議すると、雪之介は本当に知らないのだと返した。


「二人が離婚するって揉めていたから、僕は間を取って家出したんだ」

「家出?! 間を取ってもねえし」


「それで行く場所もなくて、取りあえず、北の地を治めている頭領に会いに行ったんだ。つまり、比良利さんだね」


 当時、一度しか会ったことがなく、たいそう緊張していたが、雪之介はひとりで会いに行った。そして、彼にこう相談を持ち掛けた。『同部族の家族が欲しいです』と。

 ついでに、家に帰りたくない。今の親は親でなくなった。もうだめだ。自分はひとりだ。堰切ったように胸の内を明かし、その場で大泣き。室内や境内は嵐、大雪、吹雪になる事態となったそうだ。


「比良利さんと、傍にいた紀緒さんの慌てた姿、今でも忘れられないよ。まずは落ち着こうだの、泣きやめだの、蓑を持ってこいだの、火を焚けだの……うん、迷惑かけたよね」


 想像できる、その異様な光景。


「それで泣き疲れて寝ちゃって。起きたら、家に帰ってたんだ。で、元通りになった両親と寄せ鍋を食べた。だから、どこでどう仲直りしたかは知らないんだ。部族違いの両親を持つと、色々苦労するよ」


 なるほど、妖の両親を持てど、部族が違うと苦労も多いようだ。翔はしみじみと、雪之介の話を聞いていた。


 さて、その話題となっている、彼の両親は非常に人柄がよく、泊まりに来た翔をとても可愛がってくれた。やや金銭感覚がおかしく、例えば外食に連れ出してくれた店が、異常に高い点。そして、雪之介の武勇伝を延々と聞かせてくれた、親ばかの点を除けば、本当に良い化け物達であった。


 彼等は不可抗力で妖となった翔を励まし、味方となり、小さなことでも相談に乗ってくれた。仮に親元を離れ、妖の世界で暮らさなければならなくなった時が来たら。しかし、妖の世界で暮らすことに不安があれば、ここで暮らせば良いとも言ってくれた。冗談だと思っていたのだが、錦夫妻は大真面目に言っていたようだ。わざわざ、余った部屋を紹介してくれたのだから。


 話はかわり、夜行性の翔に対し、錦家族は基本的に人間と同じ時間帯に行動しているという。つまり、朝に起床して夜に就寝する規則正しい生活を送っているのだ。

 それを聞いた翔は彼等に合わせようと努めたのだが、「いいよ。僕等はどちらでもいけるから」と、雪之介。気遣う翔に、遠慮は要らないと笑った。彼等のように昼に行動したり、夜に行動したり、生活のリズムを変えられる妖もいるとのこと。


 翔はそれを聞いて、とても羨ましくなった。


「いいなぁ。俺も生活リズムを変えることができたら、学校生活に支障も出ないのに」


「翔くんは、狐の本能を持っているからね」


 夜行性の性質は外せないのだろう。雪之介は同情してくれる。


「あーあ。こんなんで、あと一年持つかな。一応、今年は受験生なのに」

「進路は決まっているの?」


 雪之介の問いに、翔は首を横に振る。


「わかんね。でもこのままじゃな。大学に行ったとしても、居眠りばっかしそうだし」


 妖になる自分なんかが、受験なんぞできるのか。顔を顰めてしまう。


「だったら、夜間大学も視野に入れておいたらいいよ。隣町に夜間大学があってね、あそこは夕方から夜なんだ。学費も安いしさ。僕の知り合いの妖も夜行性で、そこに通っているよ。なんなら今度紹介してあげる。翔くんの悩みを分かってくれると思うし」


 ヒトの世界で生き続けるなら、そういった大学や専門学校もあるのだと、雪之介が助言してくれる。些細な悩みではあれど、翔にとって大きな悩みだったため、この助言には救われた。

 雪之介に出逢えて本当に良かったと心底思う翔は、是非お願いすると笑顔で返事する。笑顔を返す雪之介だが、ふと、こんなことを聞いてきた。


「翔くん。前より妖力が上がった? 傍にいるだけでひしひし伝わってくるんだけど」


 翔は驚き思わず、窓から夜空を確認する。

 その日の月を見て、ホッと胸を撫で下ろした。満月の今宵は自分にとって“祝の夜”。だから妖力が表に出てしまうのだろう。雪之介に答えると、納得したように頷いた。


「でも油断しない方がいいよ。それは、今日に限ったことじゃない。妖の器期だからって、いつ妖力が表に出るか分からないし」


 しっかり釘を刺されたが、不快には思わない。雪之介は翔のために助言してくれているのだから。


「ああ。気は抜かないよ。いま、正体がばれるわけにはいかないしな」


 以前、痛い目を見たのだ。油断しておくと、また白狐になってしまうだろう。


「そうそう春休みになって、狐に変化できる確率がグンと上がったんだ。最近じゃ殆ど失敗しないんだぜ」


「へえ! 随分と練習したんだね。妖の器期なのに、失敗なく変化できるって凄いことだよ。元々妖の僕にはその期がなかったけどさ」


「そうなんだよ。前はギンコが傍にいないと、変化することすら難しかったけど、だいぶん慣れたよ」


 けれど、ギンコがいないと普段は妖の姿を捉えることができない。まだまだ、半人前の証拠だろう。


「一人前の妖になれば、それもなくなるんだろうけどさ」

「翔くんは妖になりたい?」


 雪之介が問い掛けてくる。

 正直になりたくない、恐れていることを伝え、それを踏まえて、諦めている気持ちを明かした。いずれ自分は妖になる。それは避けられない未来であり、現実である。覚悟を決めておかなければならないだろう。

 現に、自分は化け物としての一歩を踏み出している。人間との価値観に、ずれが生じ始めているのだ。それまで、草花になど興味の欠片もなかったのに、今ではこよなく愛する気持ちが芽生えている。特にヒガンバナには魅せられて仕方がない。


「妖は草木を愛でたり、食べたりする生き物だろ? 俺もそれになったっぽくて」


 依然、虫は食べようという気が起きないものの、草木に対する気持ちは180度変わった。


「ヒガンバナか。僕も好きだな。日本人は忌み花として嫌うけどね」

「そうなんだよ。それが理解できないんだ。あんなにも綺麗なのにな」


 きっと、幼馴染達にあの花が綺麗だと謳えば、怪訝な顔を作られるに違いない。そう思うと、彼等とも、いずれ距離が開いていくのだろう。さみしいものだ。


「妖になりたくない。それは本当の気持ちだ。でもさ、雪之介のような妖もいる。そのおかげで、ちょっとだけ勇気も持てているんだ。幼馴染や両親のことを考えると、やっぱり怖いんだけどさ」


「僕も、そうだったよ。仲の良い人間の友人に、正体を明かすことは怖かった。本当に怖かったよ」


 翔の気持ちを理解してくれる雪童子に力なく笑みを向け、怖い、本当に怖いと、未来への恐怖を口にする。いつか、正体が暴かれた時、あるいは明かした時、自分達は今の関係のままでいられるだろうか? 否、きっと関係は崩れてしまうだろう。


 翔は最近になって、ようやく、幼馴染達の自分に対する隠し事を理解するようになっていた。


 彼等は、この関係を壊したくなかったのだ。妖祓という特殊な職業、霊力という特殊な力が宿っていると一般の自分に知られたら、きっと自分は彼等の見方を変える。幼少の自分であれば、その力が欲しいと駄々を捏ねていたかもしれない。退治すると聞けば、引っ付いて回っていたことだろう。そのせいで、危険な目に遭ったかもしれない。


 だから二人は、翔に隠し事をした。ただの幼馴染として、振る舞いたかったのだろう。


 隠し事はなしだと言い切った翔だが、己が彼等のように大きな秘密を持つようになったことで、彼等の立場になって初めて理解する。隠し事をしていた理由を。

 そう思うと、不思議と抱いていた疎外感が払拭される。おざなりかもしれないが、ひと時でも疎外感が消えてくれることは、翔にとって心の救いだった。

 包み隠さず幼馴染の関係を雪之介に話しているため、この気持ちをそっと彼に明かす。


 すると、雪之介は眼に温かな優しさを宿した。


「妖である僕等は、決してヒトになれやしない。一度化け物の血を取り入れてしまえば、前の自分に戻れもしない。なら、自分達で関係を作っていくしかないんだ」


 人間と妖は、相容れない存在と言われている。しかし、雪之介はすべてがそうだとは思わないと言い切った。


「僕はね、お互いの想いが通じれば、今まで以上の関係を作ることも可能だと思っているんだ。仮に今の関係が崩れたとしても、今以上の関係だって作れる。僕はそう信じたい」


 翔の目に光が宿る。それは希望に満ち溢れていた。


「今以上の関係……」


「そう信じていた方が、気が楽だと思わない? 過程で傷付け合うかもしれない。でも、その先に今以上の関係が築き上げることができるとしたら、それはとても素晴らしいことだよ。僕は君達にそうなって欲しいな」


 親身になって応援してくれる雪之介に、翔は心の底から感謝したくなった。


「そう、なれるよう頑張りたいな」


 もしもそうなったら、一番に祝福して欲しいと雪童子にお願いする。勿論だと大袈裟に両手を挙げる彼は、甘酒と花つぶみを奢ってあげると片目を瞑った。嗚呼、やっぱり雪之介という妖に出逢えて良かった。本当に良かった。

 翔は心中で、幾度も彼にめぐり合わせてくれた比良利に感謝した。




 雪之介とは、春休み後半になっても会い続けた。

 泊まりに来てくれたお礼に自分の家に招き、ひと時の団らんを過ごす。親には中学の時に通っていた塾友だと適当に話を作ることで、雪之介を簡単に家へ上がらせることができた。唯一の気掛かりは、幼馴染に会わないかどうかだったが、彼等も昼間は予備校だの家庭教師だのと、忙しい身の上。午前中は決して会うことがないだろうと高を括っていた。


 また雪之介自身も、人間の霊力を敏感に感じる取ることができるため、身の安全は常に確保できる。ゆえに、気兼ねなく家に招くことができた。


「噂には聞いていたけど、南の地は荒んでいるね」


 北の地に住居を置く彼曰く、「南の地は物騒」だそうだ。昼間から、人間を虎視眈々と狙う妖を見たと言う。比良利が両地の治安を、常日頃から気にしているが、本当に南の地は荒れている模様。人間の地の安寧を守る妖祓も大変なのだと知り、翔は少なからず幼馴染達に同情した。学業と並行して、妖を祓わなければならないのだ。休みも少ないことだろう。


 ふと、翔は休みに入ってから一度も幼馴染達に会っていないことに気付く。以前の自分ならば、彼等の都合を聞かず、押し売りのように遊びに行っていたのだが。


(妖の社に行ったり、雪之介と遊んだり、向こうで過ごす時間も増えたからな)


 だから頻度も減ったのだろう。翔は他人事に感じた。

 それに、不思議と焦りはない。幾日会えなくとも大丈夫、彼等とは最終日に花見をする約束だ。その時に、たくさん話せばいい。当日は、桜の蕾が膨らんでいますように。翔は約束の日を思い、心の中で願った。


 残り三日と迫った春休み、暦は四月に変わった。翔は雪之介に誘われ、南の地にある一軒のレストランに赴いていた。夕方の刻のことである。

 そこは、妖が経営している店。名はもののけ堂。まんまである。


 レトロな造りで一見洋風店にも見える。雪之介曰く、人間の世界で生計を立てている妖達が、つどう会場になっているとのこと。


「よく妖祓に見つからないな」


 危険はないのか。翔が疑問を抱く。


「当然、気付いているとは思うけど、彼等も馬鹿じゃない。僕達みたいに、人間の世界で暮らす妖がいることも知っている。危害を加えないと分かれば、手も出さないよ」


 もののけ堂には、雪之介の友人が集まっていた。妖の器になったばかりの翔のために、雪之介が声を掛けてくれたようで、集まっている妖は十代、二十代ばかり。翔の年齢と大差はなかった。


 最初こそ、どういう輩が集まっているのかと緊張していたのだが、どの輩も見た目は人の(かたち)をしていた。

 さすが雪童子の友人ともあり、彼と似たような妖が多かったが(雪女に雪男。雨ふらしなど気候季節の妖が多かった)、誰もが新米妖の翔に優しくしてくれる。すぐに打ち解けることができた翔は、そこに集った妖達と楽しく会話し、連絡先と交換することができた。


 午後九時頃には解散。のらりくらりと、店を出て雪之介と“妖の社”へ向かう。雪之介は“日輪の社”を通り、北の地へ戻るため。翔は見送るついでに駄弁りたいためであった。


「今日はマジありがとうな。すっげぇ楽しかった! みんな良い奴等だったし、妖でも人間で暮らしていけるんだって、自信もついたよ。参考になった」


 ご機嫌の翔に、雪之介がのんびりと笑う。


「今度は僕が行きつけにしている、便宜屋を紹介するね。そこには世界の妖が集っているんだ。すごいよ、もう色んな妖が集まっているんだ」


「世界?」


 目を真ん丸にする翔に、吸血鬼やエルフ、悪魔が集う店があるのだと教えてくれる。つまるところ、西洋の化け物をお目にかかれるそうだ。翔は目を輝かせた。本当に吸血鬼やエルフ、悪魔がいるのか。御伽噺だとばかり思っていたが。


「そりゃいるよ、僕等みたいな妖怪もいるんだし」


 雪之介はずれ落ちそうな眼鏡を掛けなおす。言われてみればそうだ。翔は納得したように手を叩く。日本に妖がいるなら、西洋にだっていてもおかしくない。


「吸血鬼か。やっぱり血を吸うの? コウモリにはなれんの?」


「コウモリにはなれないって言ってた。吸血はするらしいよ。ただ、ヒトを襲うと事件だと騒がれるから、入手は難しいんだって。滅多なことじゃ生き血は吸えないそうだよ。普段は、獣で代用しているんだって」


 獣。妖狐の自分は危ないのでは。翔は吸血鬼という生き物と、距離を置きたくなった。


「あはは、怖がらなくていいよ。良識ある人だから。エルフも、悪魔も、すぐに翔くんと仲良くなれると思うよ」


 今度、連れ行くから。雪之介が綻んだ。楽しみにしている、答えた直後のことである。翔は動かしていた足を止め、腹部に手を当てた。


「どうしたの?」


 先を歩く雪之介も足を止め、振り返ってくる。何度も腹部を擦る翔に、お腹でも痛いのかと質問してきた。かぶりを振り、熱いのだと呟いた。じわり、じわりと体内で何かが熱帯びている。それは腹部が熱いようで、腹部ではない。では何が。

 額に滲んだ汗を手の甲で拭い、とても熱いと唸る。熱くてたまらない。よろめいて民家の塀に凭れてしまう。


 すると、雪之介が驚いたように眼を開いた。


「翔くん。妖狐の姿に」


 指摘され、翔は己の姿を確認する。

 絶句してしまった。妖力を引き出したわけでも、狐に変化しようとしたわけでもないのに、三つの尾が尾てい骨から生え、頭に狐耳が、本来あるべきヒトの耳は消えてしまっている。体内の熱は妖力だと気付いた。


「お、おかしい」


 翔は腹部を押さえ、妖力が抑えられないと苦言した。

 その場にしゃがむと、雪之介が血相を変えて駆け寄る。


「アッツ!」


 翔の肩に手を置いた瞬間、雪之介は悲鳴を上げた。見れば、彼の手の平は赤く腫れている。それだけ妖力が熱帯びているのだろう。

 とめどなく汗を流す翔の瞳孔は赤く染まり、縦長に伸びる。体からは蒸気が立ち上り、身に余る妖気は翔の体内でうねりを上げる。グルル、低い鳴き声を零す翔の体に再び触れ、雪之介は自分の妖力を冷気にかえて、体温を冷やそうと努めた。このままでは身が持たないと判断したのだ。


「なんて妖力の大きさだっ。僕の妖力じゃ到底間に合わない」


 顔を顰める雪之介は、もしや宝珠の御魂の影響かと分析し、急いで翔の体を立たせた。

 触れるだけでも火傷するというのに、彼は惜しみなく手を貸して、比良利の下へ行こうと告げる。


「北の神主なら、きっとこの症状を治めてくれる。歩ける?」

「わ、悪い」


 火傷を負う雪之介を気遣い、謝罪を口にすると、何を言っているのだと彼は真顔で返してきた。手を貸すことは当然だと言わんばかりの表情である。

 それに力なく笑い、男前だと揶揄した直後、視界が二重三重にぶれた。咄嗟に雪之介の体を突き飛ばし、自分から距離を取らせる。


「翔くんっ!」


 尻餅をつく雪童子の声は遠い。体内に込み上げてくる灼熱の妖力が爆ぜ、堪らずに膝をついて咆哮する。その声は人のものではなく、確かに狐のものだった。夜空を裂かんばかりの咆哮はやがて翔の姿かたちを変え、狐の容に、そして狐から狐らしからぬ妖の容へと変化していく。

 白い体毛に狐より三回りほど大きい体躯、長い三尾は天高く向き、歯は牙と化す。漆黒の二つ巴を額に開示する白狐は、神々しくその姿を現した。


「これが、翔くんの妖型」


 生唾を呑む雪之介を余所に、白狐は天を仰ぐ。颯爽と民家の塀へ、屋根へ、電柱へ、そして空に向かって身を投げたと思ったら、月の光を浴びながら夜空を翔け始めた。


 何処へ向かおうというのだろうか。この地、特に南の地は妖祓がはびこっている。幼馴染の関係を気にしている翔にとって、無闇に外を出歩くのは危険過ぎる。一人前の妖ならともかく、彼は妖の卵。いつまで妖型が続くかも分からない。


「翔くん!」


 声音を張っても白狐は空を翔けるばかり。

 まさか自我を失っているのだろうか。だったら非常に不味い、雪之介は急いで“妖の社”に向かった。宝珠の御魂を持った妖を止める術は、同じ宝珠の御魂を持つ妖しか持っていない。自分の妖力では高が知れているのだ。巨大な妖力はすぐに妖祓も気付くだろう。彼等よりも早く白狐を止めなければ、最終的に傷付くのは彼だ。


 転がるように舗道を駆け抜け、ゆるやかな坂道をのぼると、南の領地である神社の前に立った。鳥居を8の字に回り、一段越しに石段をあがって“妖の社”に飛び込む。


 賑わいを見せている参道を、猪突猛進に走る。

 幾度も妖達とぶつかり、その度に謝罪を口にし、ずれ落ちそうな眼鏡を掛けなおし、懸命に足を動かす雪之介はただただ祈った。どうかヒトと妖が傷付き合う事態だけは回避できますように――。


 一つ目小僧の出店でツツジの甘酒を購入しようとしている神主を見つけ、雪之介は彼の名を叫ぶように呼んだ。お供の紀緒と共に驚く比良利に、助けて欲しいと顔を歪める。



「翔くんが突然っ、妖型になって何処かへ行ってしまいました。彼はっ、妖力を抑えきれずに自我を失っているようなんです。比良利さん、お願いです。彼を止めて下さい!」




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