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南条翔は其の狐の如く  作者: つゆのあめ/梅野歩
【弐章】名を妖狐と申す
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<十九>南条翔の春休み(参)



 ギンコと仲を深める一方、翔は青葉とも仲を深めたいと考えていた。

 縁があって知りえたのだから、ぜひ仲良くしたいもの。積極的に相談役を買い、泊まりに来る時は甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる彼女と、より気兼ねない仲になりたかった。


 けれど。それは容易ではなかった。なにせ、青葉の方が厚い壁を作ってしまうのである。社交的ではあれど、ある程度の領域に足を踏み入れると、拒むように逃げられてしまう。


 本人は気付いていないようだが、都合が悪くなると、作り笑顔で立ち去ってしまうのだ。基本的に一人が好きなのようで、翔がギンコやおばばと話していても、進んで輪に入ってこようとはしない。

 青葉の性格を尋ねると、おばばにこう返される。


『あの子は、元々人見知りなんだ。警戒心が強いさね』


 地道に仲を深めていくしかないようだ。


 そんな彼女は、不在の神主に代わって、社を切り盛りしているそうだ。境内にある建物の整備や、結界の管理等など進んで行っている。しかし、その割に“日輪の社”に比べると、ずいぶん古い建物が目立っていた。それについて聞くと、資金不足とのこと。


 本来ならば、妖達から奉納された金銭でやり繰りするらしいのだが、今はその銭がなく、青葉の内職で生計を立てているとのこと。貯蓄はあるらしいのだが、滅多なことでは使わず、普段は妖達の衣類を裁縫して資金を得ているらしい。

 時たま、神職の仕事で稼いではいるが、暮らしはご覧の通りである。

 事情を聞いた翔は、できるだけ“月輪の社”の負担にならないよう、夕食は事前に、自宅で食べて来ようと決意する。


 また世話になっている分、みんなに手土産を持参するようになった。大半は菓子類なのだが、これがたいへん喜ばれる。特に青葉は甘味が好きなようで、それらが入った袋を手渡すと、いつも嬉しそうに尾っぽを出して鳴く。


 そんな彼女のお気に入りは、甘いミルクチョコレート。これを食べる時の彼女の顔は、とても幼く、あどけなく、ただの少女のように見える。なにより、青葉の素の心が垣間見えるので、翔もつい嬉しくなった。

 普段の青葉は、何処となく、己を作っている気がしてならないのだ。本人には口が裂けてもいえないが、彼女がチョコレートを食べている時ほど、大きな親しみを感じる。常にそんな姿を見せてくれたらな、と翔は思って仕方がなかった。

 


 ある夜のこと。


「翔殿。お茶を淹れました。休憩にしましょう」


 闇が深まった空の下。白いヒガンバナが咲き乱れる中庭で、ギンコと変化の練習をしていた翔の下に青葉が現れる。両の手でお盆を持つ彼女は、縁側に膝をつくと、おいでおいでと手招きをしてきた。


 丁度、喉が渇いていた翔は、ギンコに休憩だと笑い、彼女の下へ走る。


「青葉サンキュ。ナイスタイミングだよ」

「さんきゅ、ないすたいみんぐ……翔殿、それは日本語でございましょうか?」


 見た目は少女でも、中身は150のおばあちゃんであるからして、片仮名には弱い。青葉は見事に困惑していた。


「うーんっとな。ありがとう。丁度良い時に来てくれたって意味だよ」

「それが、さんきゅ、ないすたいみんぐ、なのですか?」

「ザッツライト!」


「……翔殿、妙ちきりんな言葉で、私を遊んでいますね?」

「ノーノー。ちゃんとした言葉だよ、コトバ」


 似非外国人風に、からかい口調で話すと、青葉が眉をつり上げてきた。これ以上、英語で話すと、淹れてくれた茶を没収されそうである。


 翔は逃げるように縁側に腰を下ろし、茶に添えてある沢庵を一切れ摘む。体を動かしていたせいか、塩気のあるものが欲しくて仕方がなかったのだ。


「ん、うまい。ギンコ、うま……おっと、いつものお邪魔狐が来たみたいだ」


 こりこりと沢庵を咀嚼していると、ギンコの下にツネキが遊びに来た。

一緒に遊ぼうと言っているのか、それとも出掛けようと言っているのか。その場で跳ねて、何度もギンコに鳴いた。きっとギンコと水入らずの時間を過ごしたいのだろう。が、ギンコは素知らぬ顔で沢庵を食べるばかり。


「ツネキ。オツネにまずは謝罪をして下さいね」


 これだけで分かる、金狐の失態。また異性の妖に下心を見せたのか。


「ったく、お前も懲りねえよな」


 翔の嫌味もなんのその。ツネキは、何度もギンコの前で鳴いた。無視され続けている。自業自得の一言で済まされる現状だが、やや可哀想になってきた。

 そこで、助け船を出してやる。


「ギンコ。ちょっと行ってみたら? あんな馬鹿狐でも、お前を喜ばせたい気持ちはあるみたいだしさ。嫌気が差したら、俺の下に戻って来いよ」


 クオン! ツネキが威嚇の鳴きを浴びせてくる。翔は舌を出した。


「俺はお前と違って一途なんだよ。日本中探しても、ギンコばかの一番は、誰でもない俺だって言えるね」


「翔殿、それは褒められたことではありませんよ」

「あはは。だって、しょーがない。本当のことだし」


 心に響いたのか、それとも心に思うことがあったのか。ギンコが勢いよく縁側を飛び下りた。行って来ます代わりの一鳴きを置き、銀狐は金狐と共に走り出す。


「気を付けてな」


 仲良く駆けて行く二匹に、微笑ましい気持ちを抱く。なんだかんだで、仲が良さそうだ。

 湯気立っている茶に息を吹きかけ、それで喉を潤す。初めて口にする茶の味に、「お茶っ葉かわった?」と、尋ねた。


 前より苦味の強い煎茶に、舌鼓を打ってしまう。味は苦いが、こちらの方が好きだと感想を述べると、淹れ方を変えたせいかもしれないと青葉が返事した。

 曰く、お茶の葉は変えていないそうだ。なにぶん家計は常に火の車。高いお茶の葉は、到底買えそうにない、と彼女がおどける。完全に自虐である。


「勘違いか。味が変わったと思ったんだけどな」


 首を傾げると巫女が目を細め、赤袴を握り締める。その姿に気付かない翔は、何度もお茶の味を噛み締めていた。


「翔殿、変化の修行は如何でしょうか?」


 振られた話題によって、お茶の味のことなんぞ、すぐに忘れてしまう。


「失敗する時が多い。完全とは言えないや」


 青葉のように、要領よくはできそうにない。翔は肩を落とした。


「それは、貴殿が妖の器だからですよ」


 一人前の妖になれば失敗など、万が一にしか起きないと彼女は励ましてくれる。一人前になれば、妖型にだって容易に変化できるし、自分の意思で妖術も使えるようになると青葉。

 翔は生返事で誤魔化した。寧ろ、一人前になることを恐れている。できることなら、いつまでも“妖の器”でいたいが、それはきっと無理な話なのだろう。


「俺が完全な妖になったら、ヒトの世界にはもう住めないよな。傍には幼馴染達がいるし」


 雪之介のように、正体を隠して暮らすこともできるだろうが、果たして妖祓の彼らに通用するだろうか。勇気が持てない。

 近い未来に心を寄せ、思い悩む。妖になった自分は、その先、どうやって生きていけば良いのだろう。勝手に親元を離れ、騒動を起こすのも本意ではない。


「羨ましいです」


 うんぬん悩んでいると、青葉から苦笑をもらった。視線を流すと、彼女は目を伏せ、自分にそういう悩みがなかった、と吐露した。


「ヒトの世界に、家族などいませんでしたので」


 翔は一呼吸間を置く。


「青葉って、元は人間だったんだよな。ギンコと姉妹だって言っていたけど」

「無論、本当の姉妹ではございません。彼女とは、姉妹として、先代に育ててもらいましたので」


 青葉は語り部となる。自分は親に売られ、女郎屋(じょろうや)と呼ばれる、遊女を携えて客を呼び込む店に身を置いていた。当時、幼女の自分には、まだそういった大人の仕事は早く、皿洗いや食事の支度、遊女の身の世話ばかりをさせられていた。

 ろくに食事をもらえない日もあった。満足に眠る時間も与えられず、仕事を強いられていた日もあった。時に遊女の理不尽な怒りを、身に受ける日もあった。


「あの頃の私は、ただ、使われるだけの生き物でした」


 懐古する青葉に、翔はなんて声を掛けて良いか分からず、逃避するようにヒガンバナに目を向けた。白いヒガンバナが夜風に吹かれ、体をゆらゆらと揺らしている。


「女郎屋が嫌になり、ついに私は逃げ出しました。木枯らしの吹く、寒い夜でした」


 しかしながら、簡単に大人達は見逃してくれない。山に逃げ込んだものの、途中で見つかり、青葉はその場で身に余るほどの暴力を受けた。泣き叫んでも、許しを乞いても、手は緩められなかった。

 もう駄目もしれない。そう思った時、救いの手を差し伸べられた。それが先代だった。


「あの方が、虐げられている私を見つけたのは偶然でした。ですが、先代は正義感が強く、人間の仕打ちを見かねて、暴力の手から私を救ってくれたのです」


 大怪我を負った青葉を、先代は手厚く世話を焼いた。その時、人間の治癒力だけではどうにもならないと判断し、己の妖力を分け与えた。それが、青葉が妖の器になった契機。動ける程度に回復すると、先代は彼女に居場所と家族を与えてくれた。そう、先代が引き取り手となったのだ。

 ヒトの世界に良い思い出がない青葉にとって、人間の種族という未練はなかった。寧ろ、拾ってくれた先代と同じ妖狐になれたことを、心から嬉しく思った。


 巫女の才を見出された時は、同じ神職になれる喜び。そして、立派に務めを果たそうという揺るぎない誓いを立てた。いつまでも、先代の役に立てる存在でありたいと、家族でありたいと思い続けた。なのに。


「先代の死は悲しみに暮れました。いまも、受け入れがたいものです」

「どうして先代は死んだの?」


 瞳を揺らす青葉に目を細め、翔は以前から聞きたいと思っていた疑問を、彼女にぶつける。今なら聞けると思った。短命と言われた先代の死を。


 青葉は重たい唇を動かした。その目は限りなく冷たい。


「先代の体内にある宝珠の御魂を狙う輩は多い。それは妖に限ったことではなく、知識ある人間にも同じことが言えます。先代は、悪しき妖と人間に殺されたのです」


 翔の体温が夜風に奪われていく。湯飲みを持つ指先まで冷え始めていた。


「宝珠の御魂は妖力の塊であり、神秘の力を宿しております。霊力ある人間が手にすれば、その力は増大する。先代は悪しき妖と手を組んだ人間の罠に落ち、命を落とす重傷を負ったのです。深手の傷を負わせたのは、人間でした」


 それゆえ人間が憎いと思う時がある。人間は傲慢だ。語り部は吐き捨て、己が人間であった時代をも蔑んだ。


 翔はそんな、憎悪を垣間見せる彼女の横顔を見つめる。ああ、この顔も彼女の素なのだろう。誰にも見せられない、阿修羅のような表情も、笑顔の中に秘められた彼女の素顔だとしたら、彼女の抱える感情は決して軽くない。

 掛ける言葉が見つからず、翔はその口を閉ざした。すると、我に返る青葉が決まり悪そうに苦々しく笑う。


「お見苦しいところを見せました。お気になさらないで下さいね。翔殿が人間に抱える思いは、私が否定できるものではありません。あくまで、私個人の問題です」


「それは俺にも言えることだよ。青葉の気持ちは、俺がとやかく言うことじゃないと思う」


 もし、青葉の立場になれば、きっと自分も似た感情を抱くことだろう。


「……人間も宝珠の御魂を狙う馬鹿がいるんだな」

「ええ。そんな私ですので、妖とヒトの間で揺れる、翔殿の気持ちは分かりかねるのです」


 分かってやりたいが、自分にはそういう気持ちがなかった。そのため、妖になる己に怯え、苦悩する翔が、よく分からないのだと話す。


「先代のこと。本当に好きだったんだね」


 翔は先代の話題を続ける。すかさずかぶりを縦に動かす青葉は、この体が朽ちるまで、妖の社を守り続けたいのだと決意を口にした。


「此処は、先代が残した大切な社。私にできる先代への恩返しは、此処を守り続けることにあります。私の居場所は此処にしかありません。神主が不在の今、巫女の私がこの社、そしてこの地を守ると心に決めています」


 青葉がヒガンバナに目を向ける。


「あの白いヒガンバナは神主不在を表しており、妖の間ではあまり善く思わておりませぬ」


 だから此処のヒガンバナは白いのか。“日輪の社”に咲き乱れるヒガンバナは、どれも美しく紅づいていたのに。


「いずれ南の神主が決まるでしょう。巫女にも限度がありますので。しかし……」


 まるで、神主など永遠に決まって欲しくないと言わんばかりに、彼女の表情は憂い帯びた。


「湿っぽくなりましたね。お茶のおかわりを持ってきましょう」


 空気と気分を切り替えるため、青葉が翔の手から空っぽの湯飲みを取り上げる。

 すぐに持ってくる。満面の笑顔を作る青葉の表情は、偽りに近かった。その作られた笑顔に、翔も作った笑顔しか返せず、気持ちは曇っていくばかりである。

 視線をヒガンバナに戻す。白いヒガンバナ畑が、翔を慰めるように体を揺らし、独創的なその姿を此方に見せた。


「さみしいな」


 白いヒガンバナはさみしい。何かがさみしい。今の気持ちを繰り返す。


「本当にさみしいな、“月輪の社”は。先代が死んで九十九年、さびれた時間を過ごしてきたなんて……ギンコが外に出たいのも納得するよ」


 では、青葉はどうなのだろう。様子を見る限り、殆ど社を離れない、性格の持ち主のようだが。

 参拝する客も訪れず、神主も不在、社は寂れていく一方。それでも青葉は頑なに、この地を守り続けようとしている。内職をしては修繕費に当て、この社を守ろうとしている。

 姉に当たる守護獣ギンコの目には、それがどう映っているのだろう。お節介を焼いているおばばの目には? 双子の対である比良利には? 翔には長い月を過ごしてきた妖達の心情を理解することは難しく、汲み取ることすら容易ではなかった。


「宝珠の御魂を狙うのは妖だけじゃない、か」


 体内に宿っていると言われている宝珠の御魂を感じるべく、己の腹部に手を当てる。

 これが宿っている限り、自分は南の神主代行なのだろう。なおざりでギンコから受け継いでしまった、これが、取り出せるのはいつなのだろうか。できることなら、早く青葉達の手元に返してやりたいが。


 ぐるぐる考えることに疲れてしまった翔は、その場に寝転がり、四肢を投げた。


「先代ってどんな奴だったんだろうな。ギンコから嫌われて、青葉を救った妖狐。皆から尊敬されていた九代目南の神主。会ってみたかったかも」


 大の字に寝転ぶ翔の呟きは夜風に攫われる。


「味が変わるほどの劇薬か……気を付けて使わないと」


 廊下に佇んで、そっと開く手の平を見つめる青葉の呟きは、夜風に攫われそこね、宙に留まった。


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