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南条翔は其の狐の如く  作者: つゆのあめ/梅野歩
【壱章】少年は妖と化す
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<一>幼馴染達の関係



「ショウくん、おはよう」


 早朝、寒空の下。

 何度も欠伸をこぼして、スマホの画面を親指でフリックさせていた翔は、背後から聞こえてくる呼び声に足を止める。


(飛鳥だな)


 翔は膨れ面を作りながら、スマホをスラックスのポケットに捩じり込んだ。


 ショウとは翔のことだ。

 一般的に『翔』と書いて『ショウ』と読むのが主流なので、周囲の人間から『ショウ』と読み間違えられることが多い。

 大体の人間は『読み方はカケルです』と言えば訂正してくれるが、幼馴染は敢えて翔を『ショウ』と呼んでいる。翔も指摘する気持ちはない。

 幼馴染らにとって『ショウ』は愛称となっているのだ。

 昔からそう呼ばれているので、指摘したところで今さらの話だ。


 体ごと振り返る。

 斜め掛けにしている通学鞄を忙しなく揺らしながら、こちらへ駆け寄って来る飛鳥に、翔はすっと目を細めた。

 まばゆい朝日を浴び、学校指定の紺色マフラーを風に靡かせる少女が、颯爽と翔の前に立つ。ぱちんと両手を合わせ、深々と頭を下げて謝罪してきたのはこの直後のことだ。

 昨日のドタキャンを指しているのだと、すぐに理解する。


「ショウくん、昨日は本当にごめんね。家庭教師がうるさくて」


 ほぼと言っていいほど、飛鳥の弁解は“家庭教師”だ。

 複雑な気持ちを抱きながら「んっ」と、短い返事をする。

 こちらの顔色を窺ってくる彼女から視線を逸らし、灰色マフラーに顔を埋めた。


 ほどなくして、車道を挟んだ向かい側の歩道にもう一人の幼馴染が現れた。

 いかなる時も自分のペースを崩さない朔夜は、翔の視線に気づくと、決まり悪そうに笑みをこぼして片手を出してくる。

 彼もまた“塾”という口実を述べてくるに違いない。

 揃いも揃ってご尤もらしい“勉強”を口実にするなんて卑怯だ。

 翔は常々思っている。


「おはよう。ショウ、昨日はごめん。塾に行かないと親がうるさくてね」


 見事なまでに予想通りの弁解だった。


(やっぱりそう言うと思ったぜ。なあにが塾だよ)


 翔は心中でため息をつく。

 そろそろ別の言い訳を考えてきても良いのではないだろうか。


「んっ」


 ふたたび短い返事をすると、翔は学校へに向かって歩き始める。

 ドタキャンをされた翌日の翔の態度は素っ気ない。子ども染みているが、態度で怒っていると示しているのである。


 ただし。度重なるドタキャンのせいで、この流れは恒例となっている。

 約束を破られた翔が拗ねてしまい、それをどうにか許してもらおうと幼馴染らが声を掛けてくる。重々しい空気を和らげるために飛鳥が謝罪を繰り返したり、朔夜が機嫌を直してくれるようメシを奢ると言ってきたり、仕切り直すためにどこかへ遊びに行こうと誘ってくる。

 一連の流れはすっかりパターン化しているので、翔は人知れず肩を落とした。


(俺もひとのことは言えねえか)


 拗ねることしかやっていないのだから。


(思い切って昨日のことを聞いてみっかな)


 じつは昨日ドタキャンをした二人を尾行した。そして、化け物を倒す光景を見たと暴露すれば、少しはこのもやっとする気持ちも晴れるのだろうか。

 しかし……もしも、はぐらされてしまったら。


(幼馴染のあいつらと一緒に何かしたいと思っているのは、俺の方だもんな)


 妙な疎外感を抱いてしまう。


(嘘ってのは分かってるんだけどなあ。もし正直に話して逆切れでもされちまったら……口を利いてもらえなくなったら一週間は寝込む自信があるんだけど)


 幼馴染の関係を壊したくない気持ちが勝り、結局なにも聞けず、翔は尻込みばかりしていた。

 所詮その程度の“存在”だったと思い知らされるのが怖いのだ。二人に限って、そんな酷い感情を抱くはずはないだろうが、躊躇いばかりがこみ上げてくる。


(妖祓。聞いたら教えてくれる……わけねえか)


 聞く勇気が持てず、翔はポケットに仕舞った携帯を取り出して現実逃避をすることにした。情けない。


(それに昨日は奇妙なことばかり起きていた。朔夜と飛鳥のことも、豚まんをねだった狐のことも……怪我したことも)


 確かにあの夜、翔は“何”かに襲われた。

 そして大怪我を負ったはずだ。痛みは鮮明に覚えている。脳裏に過ぎるだけで、鳥肌が立つのだから。


(なのに、気を失った俺が目を覚ますと()()だった。夢にしちゃ生々しい痛みだったぜ、あれ)


 昨晩の出来事が混乱に混乱を呼ぶ。

 誰かに胸の内を明かしたいが、なにぶん非現実的な出来事だ。話せる人間が限られてくる。幼馴染達に話せたら、どれほど良いだろう。


「ショーウくん」


 携帯を見つめ、興味もない記事をフリックしていると、飛鳥が前に回ってきた。

 後ろ歩きとなった彼女が、翔と向き合う。


「埋め合わせをさせてよ。なんでもするよ」


 彼女が頬を緩めてくる。

 これも毎度のパターンだ。そして自分がこの笑顔にときめくのも、朔夜がしたり顔で畳み掛けてくるのも、毎度のことなのだ。


「なんなら二人でデートでもいいんだよ。僕は構わないから」


 ほおら、きた。

 そしてこれに異議を唱えるのは必ず飛鳥だ。


「自分だって約束をすっぽかしたんだから、ちゃんお詫びしなきゃダメだよ。朔夜くん」


 朔夜に恋心を持っている飛鳥からしたら面白くない発言なのだろう。もちろん、異議を唱えられた翔にとっても面白くないこと極まりないが。


(そろそろ、まともに会話するか)


 腐っても自分達は園児の頃からのヨシミ。

 これくらいのことで機嫌を損ね続けていたら身が持たない。


「いつものでいいよ」


 ようやく幼馴染らに返事をした。

 いつもの、とはファミレスでメシを奢ってくれたら、それで良いという意味だ。

 翔がまともに受け答えする、いうことはドタキャンが許された証拠である。飛鳥と朔夜が約束すると口を揃え、小さく微笑む。

 これで許してしまうのだから自分も甘いものだ。


「あれ。ショウくんのコート……前に着ていたお父さんのお古でしょう? 買ってもらったコートはどうしたの?」


 これ以上、ドタキャンの話題に触れられたくないのか、飛鳥が話題を替えてくる。

 見る見る顔色を失くす翔に気づかない彼女は、こてんと首を傾げた。


「お古が嫌だから、新しいコートを買ったんじゃなかったっけ?」


 スマホの画面にロックをかけ、それをポケットに仕舞いながら、「クリーニングに出しているんだ」と返す。咄嗟に作った嘘にしては上出来だろう。

 しかし、現実はそう甘くない。

 人間の表情に敏い朔夜が遠慮がちに、けれどもストレートに尋ねてきた。


「ショウ、何か遭ったのかい?」


 元々翔は感情を隠すことを苦手としている人間だ。

 ましてや朔夜とは付き合いが長い。翔がコートについて、何かしらの事情があり、それを隠そうとしていることに気づいていたのだ。


「なーんもねぇよ」


 素っ気なく返したつもりなのに、上擦った声が動揺を表してしまう。

 これだから、嘘をつくことが苦手なのだ。

 自分の不器用さに、翔は舌を鳴らしたくなった。


「ドタキャンばっかするお前らに腹を立てていたら、コートが可哀相なことになったんだよ。頭に血がのぼり過ぎて、周りを見ずに歩いていたら派手に転んで汚しちまったんだ」


 飄々とした態度を貫こうとするも、朔夜は簡単に騙されてくれない。

 彼の、銀縁眼鏡越しに心境を見透かそうとする、その鋭い眼光に少しならず怖じてしまう。

 また情けない声を出してしまったせいか、飛鳥にまで憂慮を含んだ視線を向けられてしまった。


「ショウくん。なにか隠したいことでもあるの? いつも隠し事はなしだって言っているのに」


 胸の内を抉られる問いかけは、そっくりそのまま返してやりたい。

 なぜ今まで、妖祓という職について黙っていたのか。

 二人の裏の顔を同じ幼馴染の自分には教えてくれなかったのか。

 秘密にしなければならないほどのことだったとしても、自分にだけは話してほしかった。

 そう思うのは我儘なのだろうか。


(それとも……)


 翔に事情を話せば、自分もなれるのかと詰問し、妖祓になりたいと駄々を捏ねられると懸念したのだろうか。

 可能性は否定できない。

 翔は、なんでも三人で一緒にしたいという考えがあるのだ。


(俺ばっかなんだよな。幼馴染三人で何かをしたがるのって)

 遊ぶ計画を立てるのはもっぱら翔。誘うのも翔。断られるのも、いつも翔。

 こんなことを思っている時点で自分の女々しさにため息だ。自己嫌悪したくなる。


「ショウは顔に出やすいんだからさ。観念したら?」


 ぽんっと朔夜に軽く肩を叩かれる。

 するとどうだろう。

 総身の毛が逆立った。吐き気を催す嫌悪が駆けめぐり、目の前がほんの数秒間、真っ暗になった。一寸の光も差さない暗闇に放り込まれた。


「しょ、ショウ!」

「ショウくん!」


 二人の驚きと焦りがまじった悲鳴により、ようやく倒れたのだと気づく。

 派手に転倒したらしく、肩に掛けていた通学鞄が前方に放り出されていた。頭上では彼らの心配する声が響く。やたら大きい声は耳元で叫ばれているように聞こえた。

 すぐ側の道路でバイクが通り過ぎると、思わず耳を塞いでしまう。

 なんてエンジン音の大きさ。鼓膜から血が出てしまいそうだ。ついでに、排気ガスの臭いが鼻を曲げてしまいそうである。


(なんだなんだなんだ。急に音がでかくなったり、臭いがきつくなったり……おぇっ、最悪。吐きそう! ガスの臭いが強すぎる)


 ああっ、幼馴染らに染みついているニオイまではっきり分かる始末。

 いつまでも耳を塞いでいたいし、鼻をもぎ取ってしまいたい衝動に駆られる。


「きもちっ、わるい」


 翔は涙目になって身を起こすと、「ごめん。先に行く」と謝って、転がっていた鞄を引っ掴んだ。


「ショウくん!」


 好意を寄せている女の子の呼びかけに応える余裕はない。

 一刻も早く、学校のトイレに駆け込み、げぇげぇと吐いてしまいたかった。


(ま、まずい……)


 胃液であろうか。

 酸いが口の中いっぱいに広がり、余計に吐き気を煽る。とうてい間に合いそうにないと判断した翔は予定を変更し、吐けそうなところを探そうと切り替える。


(向こうに、コンビニが見える。あそこまで行けばトイレで吐ける)


 しかし。足を動かしても、動かしても、コンビニまでの道のりが遠い。

 ふと翔は妙なことに気づいた。

 向かうコンビニがおかしいのではない。コンビニが見えている()()()()がおかしいのだ。

 つまるところ、己の目が異常なまでに景色を映している。

 遠い景色まで見えすぎているのだ。


(視力いくつあったっけ。俺)


 混乱と限界を感じた翔は、動かしているつま先を側の電柱に向け、その場でしゃがみ込んだ。


(頭が痛い。死にそう。殺される)


 キーンと鋭い耳鳴りが脳天を突き抜ける。見えすぎる景色には瞼をおろし、視界を遮断する。ああ鼻が麻痺しそうだ。


(耳っ、まじでおかしい。鼻も、目もっ)


 どれほど、その場でしゃがんでいただろう。

 両手で耳を塞ぎ、かたく目を瞑り、なるべく口で呼吸をしていた翔はふっ、と気配を感じた。嫌悪感を抱いてしまう、いやな空気が周辺に漂い始めた。


(来る。二人が、こっちに来る)


 それが朔夜と飛鳥だという確証はない。

 しかし、妙な確信があった。

 彼らはもう近くまで来ている。

 翔は閉じていた瞼を持ち上げ、おおきく目を見開いた。

 塞いでいる耳に、しかと二人の駆け寄って来る足音が聞こえてくる。これは一体。


「あ、」


 足音が消えた。

 同時に嫌悪感を抱いた空気も、脳天を突き抜けていた耳鳴りも、強烈な臭いも、見えすぎていた景色も、何事もなかったかのように治まる。


(……もう大丈夫、か?)


 恐る恐る両耳から手を放す。

 自動車が通り過ぎたが爆音だとは思えない。排気ガスの臭いを嗅いでも大丈夫だ。

 吐き気が消えたところで、ドッと疲労が襲ってきた。


「朝から災難だ」


 電柱に背をあずけ、その場に座り込む。

 まだ頭の芯が痛い。


「今日はもう休んじまおうかな。気分が乗らねーや」


 ぼやきを口にして空を仰ぐ。

 電信柱に張り巡らされている電線には、多数の雀がのんびりと朝の日光浴を楽しんでいた。

 何度もまばたきをして、小鳥たちを眺めていた翔は口端をぺろっと一舐めする。


「うまそう」


 無意識に零したひとりり言は宙に舞い、誰にも聞かれずに溶け消えていく。

 翔を心配し、後を追って来た幼馴染らと合流したのは、それから間もなくのことであった。

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