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南条翔は其の狐の如く  作者: つゆのあめ/梅野歩
【弐章】名を妖狐と申す
38/160

<十七>南条翔の春休み(壱)

 

 

 暦が変わり、季節は三月の終業式。

 三月一日に三年生が卒業したことで、いよいよ翔も最高学年に上がる。


(……三年になりたくねえ)


 翔はうんざりしていた。

 三年生が卒業した途端、教師からはやれ受験だの、やれ進路だの、やれ大学だの。クラスメイトの口からはやれ予備校だの、やれ偏差値だの、やれセンター試験だの。

 どこに行っても同じ話題しか耳にしない。

 当然、翔も受験生になるので進路のことは気にするべきだろうが……四六時中、似たり寄ったりの話題ばかり。息だって詰まる。


(進路ねぇ)


 配布された進路調査のプリントと睨めっこする。

 ただいま終業式後のHR中。できるだけ詳しく進路状況を書けと担任に指示されたので、仕方がなしにボールペンを持っているのだが、翔は何も書けずにいる。


 大学も専門学校も考えていない、まっさらな状態なのだ。

 両親からは国立大を狙えと言われているもの、まことに遺憾ながら学力不足である。翔にやる気があれば、予備校の春季口座に申し込んでも良いと言われているが、これはやる気以前の問題だろう。


(残り一年足らずで、どこまで勉強できるかだろうけど……)


 明確な目標が無いせいで翔は何も書けずにいる。


(私立大に行きたい気持ちも薄いし、専門学校に行くにしてもなあ)


 窓の向こうを眺めて早々に現実逃避を始める。

 暖かな日差しを受けた梅の蕾がそっと花開こうとしている。

 まだまだ残寒の季節だ。

 人間たちはコートもマフラーも手放せずにいるが、花々は確実に春を感じているようだった。


(ねむっ)


 欠伸を噛み締めて、こっくりと微睡む。

 結局、白紙のままプリントは回収されてしまった。

 


 

 帰りのHRが終わると翔のテンションは一気に上がる。

 明日から待ち望んでいた春休みだ。妖になって初めて出来た友達と交わした約束がある。半妖となった翔にとって、同級生の妖と過ごす時間は貴重である。


(さっそく雪之介に連絡して予定を合わせねえと)


 毎日、正体を隠して生きるのもしんどい。隠し事をもっぱら苦手とする翔だ。妖の身分を隠して生きることに、大なり小なりストレスを感じている。

 それだけではない。幼馴染やクラスメイトと価値観にずれが生じている。

 例えば、周りの興味は流行りの動画や音楽、人工ばかり。

 翔の興味は草木や風の音、自然ばかり。

 みんなに話を合わせて笑っているが、心でノれていない自分がいる。

 もっと言えば、翔の本能は車もヒトもいないお山で駆け回り、獲物を狩りたい気持ちが強い。


(妖狐の血が濃くなっているんだろうな)


 この感覚が恐ろしいと思う一方で、少しずつ体に馴染み始めている。


(ちょっとずつ妖狐の俺も受け入れなきゃな)


 翔は化け物の自覚を持つようになっていた。以前より前向きになれているのは、周りの妖が支えてくれているからだろう。


「ショウ」


 ん?

 身支度をしていた翔の手が止まる。


「ショウ。こっちだよこっち」


 鞄に置き勉していた教科書を詰めていると、珍しく幼馴染の朔夜が翔の下にやって来た。

 何事に対しても腰の重い彼が翔の下を訪問してくるなんて珍しい。


「なんだ。朔夜か、どうした?」

「一緒に帰らないかい?」

「は?」

「え、だから一緒に帰らないかい?」

「……明日は大雨なんじゃ」

「なんでそうなるんだよ」

「いやだって」


 あの朔夜が一緒に帰ろうと誘ってきた、なんて。


(声が掛からないと、お前はさっさと帰るじゃん)


 翔は遠い目を作る。

 あれやこれやと記憶を探っても、朔夜が何かに対して誘う側に回るなんて珍しいどころの話ではない。稀である。片手で数えられるほどではないだろうか。

 驚きを隠せずにいる翔だが断る理由もない。


「すぐ行くから、廊下で待ってろ」


 さっさと鞄に教科書を詰め込む。


(……朔夜や飛鳥の傍にいても大丈夫だろ)


 ここ最近、気持ちが落ち着いているので、彼らを避ける行為は少なくなった。一緒に帰宅するくらいなんてことないはずだ。


「まだかいショウ」

「今いく」


 廊下で待つ朔夜の下に走り、揃って昇降口に足を向ける。

 飛鳥の姿は見えない。

 今日は別個に帰るのだろうか?

 それはそれで珍しい光景だ。


「飛鳥はいねえの?」

「野暮用で先に帰ったんだ」


 朔夜がやんわりと目尻を下げる。


「ショウ。今日暇かい?」

「ん? なんで」

「一緒にお昼を食べよう」

「お昼ぅ? お前、俺を誘ってんの?」

「他に何かあるのかい?」

「いやだって……お前が昼を誘ってくるなんて」


 思わず聞き返してしまった。

 天変地異でも起きるのではないだろか。帰るだけでなく、昼食の誘いまで来るなんて。朔夜の性格を熟知しているからこそ、翔は顎が外れそうなほど驚いてしまった。


「だめかい? ショウ」

「まあ暇だからべつにいいけど」


 朔夜は安堵したように良かったと笑みをこぼす。

 もしや何か悩み事でも抱いているのだろうか。だとしたら、相談に乗るつもりだ。朔夜が行動を起こすなんて、よっぽどなのだから。

 

 

 朔夜と正門をくぐると、今日も今日とて心配性のおばばが顔を出しに赴いてくれた。

 猫又は本当に心配性でしょっちゅう学校まで顔を出す。

 おばばは散歩がてらだと言っていたが、猫又の気持ちは察していた。


「ごめん。今から朔夜と飯に行くんだ」


 ブロック塀から飛び下りたおばばを受け止め、迎えに来てくれたおばばの頭を撫でる。

 翔の予定を聞いた猫又は右の前足を出して宙をかいた。楽しんで来いと伝えているのだろう。


「迎えに来てくれてありがとな」


 おばばを先ほどいた場所に戻すと、猫又は颯爽とブロック塀の上を走って行く。

 祖母には世話になりっぱなしだ。

 妖の社に行く際は手土産でも買っていかないと。


「まだ仲が良いんだね」


 見守っていた朔夜が声を掛けてくる。

 やや言い方に棘があった。


「コタマは世話焼きだからな。いつも、ばかな孫の面倒を看てくれるよ」


 当たり前のように猫又を『祖母』と言ってしまう。

 それは翔の中で大きな変化が起こっている証拠なのだが、翔自身その異常に気づけずにいた。


「ショウ。君の心はどこまで猫又に……」


 苦い顔をする朔夜にようやっと気づき、翔は慌てて話題を替える。


「朔夜、なに食べる? 俺、千円ちょいしかねぇから高いもんは無理だぜ」


 すると、朔夜はもう決めているのだと返事する。


「今日のお昼はオムライスだよ」

「はあ、オムライスぅ? お前好きだっけ?」

「ううん。普通」

「オムライスって高くね?」


 朔夜がオムライスを食べたいというのならば、付き合ってやらなくもない。

 しかし先ほども述べた通り、翔は千円ちょいしか持っていない。ぎりぎり足りるか、足りないかの線だろう。

 さらに言えば、そんな洒落た店が近所にあるとも思えない。バスで移動するつもりなのだろうか。行き帰りの運賃が気になるところである。


「どこの店だよ。携帯で調べるから。頼むから歩ける場所にしてくれよ」

「調べなくても大丈夫だよ。徒歩で行ける距離だから」

「だったらいいけどさ……野郎だけで行ける店なんだろうな?」


 どうもオムライスというものに抵抗感を覚えてしまう。

 翔が偏見を持っているせいだろう。

 そういう店に限って女性向け、働く大人向けを対象にしているように思えるのである。学生のお前たちが来るなんてお門違いだ、という空気は味わいたくないのが……。


「女性に大人気のお店なんだって」

「げっ。まじ?」

「肝試しにぴったりだね」

「いやいや。勘弁しろって。おい朔夜、まじで行くのか?」

「あはは。冗談だよ冗談。僕らでも入りやすい所だから」

「本当か? 超心配なんですけど」


 憂慮を抱く翔だが、朔夜が案内する道には見覚えがあった。

 まさかな、と首を傾げていたものの丁字路を直進し、住宅街を突き進むこと十五分。

 やはりそこは予想していた通り、飛鳥の家であった。


「定食屋でも開き始めたわけじゃねーよな」


 冗談もほどほどに、翔は見なれた幼馴染の家を眺める。

 レンガ造りの二階建て一軒家。玄関門前には花壇があり、なんともメルヘンチックな小人の置物が飾られている。とうてい妖祓の家とは思えない。


(あ、花だ。きれいだな)


 花壇に植えてある、名も知らない草花を眺めていると朔夜がインターフォンを鳴らした。


『はーい。待ってたよ、入って』


 家主は翔と朔夜を待っていたのだろう。玄関扉の鍵は開けていると伝えてきた。

 先に朔夜が家の門を潜り、無造作に玄関扉を開ける。


「来たよ。上がるね、飛鳥」


 彼は中にいる飛鳥に声を掛けると、玄関前で佇む翔を手招きしてくる。


「ショウ行くよ」

「……おう」


 まったく意図が読めない。

 オムライスを食べる予定のはずが、なぜ飛鳥の家に来ることになったのだろう。


(何かあるんだろうけど……)


 考えたところで答えが出るはずもない。翔は後頭部を掻いて軽く頭を振ると、早足で朔夜の後を追った。

 

 

 

「ショウくん。朔夜くん。いらっしゃい」


 部屋にお邪魔させてもらうと、リビングで忙しく食事の支度をしている飛鳥の姿が見受けられた。母親の姿はない。彼女一人のようだ。

 三人分のオムライスを食卓に並べている彼女は私服姿だった。可愛らしい猫のプリントが入った桃色のTシャツに短パン姿の飛鳥は、肩まで伸びている髪を一つに縛っている。


(……かわいい)


 翔は心中で思いつつ、面に出さないよう努めた。


「お。ミミじゃん」


 側らのソファーにコートと通学鞄を置くと、その上で身を丸くしていた猫が顔を上げる。

 飛鳥の家で飼われている猫のミミだ。

 アメリカンショートヘアのあどけない顔は愛くるしい。


「ごめん。起こしたか」


 この猫はたいへん気まぐれな上、飼い主とその家族にしか懐かない。

 そのため翔が声を掛けても、そっぽを向くことが多い。

 けれど今日は様子がおかしい。

 翔を確認するや足元にすり寄ってきた。


「なんだよ珍しいな」


 頭を撫でてやると、ご機嫌に鳴いてくる。

 それだけなら良いのだが翔の移動をするところ、ミミがついて回ってくる。トイレを借りようとしたら、そこまでついて来たのだから困ってしまった。


「お、お前な。俺たち、一緒にトイレに入るほどの仲じゃねーだろ」


 ミミをトイレから追い出すと、扉の前でミミは鳴き続けた。

 あまりにも鳴かれるので急いでトイレから出ると、これまた翔の足にすり寄ってくる。文字通りべったりであった。歩くことも困難なので、仕方がなしに抱っこをしてやる。

 いつものミミなら他人に抱っこされることを極端に嫌がるというのに、今日のミミは嬉しそうに鳴くばかり。翔を見上げて尾っぽを揺らしている。


「久しぶりに会ったら、ずいぶんと可愛い性格になったな。お前」


 こんなに懐いてくるなんて。

 翔は腕の中でゴロゴロと鳴く猫の頭を撫でた。

 

 

「あ。ミミ、探したんだよ。ご飯食べよう」


 リビングに戻ると皿を並べ終わった飛鳥が、翔の腕からミミを抱き上げた。

 どうやら先に食事を与えたいようで、キャットフードの入った皿の前にミミを移動させる。

 これでようやく落ち着けると胸を撫で下ろしていると、皿から目を放したミミが翔に向かってかまびすしく鳴き始めた。


「ミミ。どうしたの?」


 飛鳥が困ったように頭を撫でているが、ミミは翔に向かって鳴き続ける。

 こっちに来て。

 飯はここにあるよ。

 そのような鳴き方でいつまでも翔を誘ってくる。隣に来いと言わんばかりに、同胞に声を掛けるように、仲間意識を宿したように。


(そうか。ミミは俺を人間として見てねえんだ)


 翔は鳴き続ける猫の隣に並ぶと、しゃがんで小さな頭を撫でた。


「お前はやさしいんだな」


 瞳孔を真ん丸にするミミの目を覗き込み、翔は小さく微笑む。


「俺を仲間に誘ってくれてありがとうな」


 みゃあ。

 鳴き声を発するミミには、やはり分かっているのだろう。

 目の前の翔は獣の化け物、人間ではない、と。

 ここまでべったり傍にいようとするのは、おおよそミミの目には翔が生まれたての獣に見えるのだろう。

 だから自分が世話をしなければ。傍にいて教えてやらねば。仲間に入れてやってもいい、なんて思っているのだとしたらミミの行動にも説明がつく。

 じっと見つめてくるミミに軽く頷き、翔は世話をしてくる猫に向かって小さく鳴いた。無意識であった。

しかし確実にその声は狐の鳴き声であった。


「ショウ」


 背後から右肩をつよく掴まれる。

 それによって我に返った翔は、ゆるりと視線を持ち上げた。険しい顔をした朔夜が翔を見下ろしているので、つい力なく笑ってしまった。


「どうした朔夜。怖い顔しちゃって」


 何か変なことをしたか?

 翔の問いに朔夜は大きく息をついた後、静かに目を逸らす。


「席に着こう。昼食ができたそうだから」

「ああ。分かった」

「その前にショウくんも、朔夜くんも手を洗って来てね」

「はいはい。洗ってきますよ」


 翔はもう一度、ミミの頭を撫でると、すくりと立ち上がってキッチンに入った。

 石鹸で手を洗う間、朔夜と飛鳥が小声で会話している姿が視界の端に映ったが、気づかない振りをした。

 下手に話の輪に入ったら最後、ボロを出してしまう気がした。



(珍しいな。飛鳥が俺の隣に座るなんて)


 四人掛けのテーブルに腰を下ろした翔は、隣に座る飛鳥を一瞥する。

 彼女の性格上、朔夜の隣に座りたがるというのに……今日は不可解なことばかりだ。朔夜に一緒に下校しようと誘われて、お昼を誘われて、飛鳥の家に赴いて。


「いただきます」


 スプーンを手に取って、出来立てのオムライスを割っていく。


(それにしてもなんで飛鳥の家で昼飯?)


 どうしてこうなったんだっけ。

 こうなった経緯が思い出せない。


「ん。なんだ、ミミ。飯は食い終わったのか?」


 もそもそとオムライスを食べていると、ミミが足元でじゃれてくる。


「今は遊べないぞ」


 ミミに話し掛けると、猫は無遠慮に膝の上に乗ってきた。

 そこで何をするわけでもなく身を丸めてしまう。やや食べにくいが、ギンコも同じようなことをしてくるため慣れている。

 翔は気にすることなく食事を再開した。


「ショウくん。おいしい?」


 作り手が味の感想を聞いてくる。

 翔は素直においしいと頷き、付け合わせのコンソメスープに手を伸ばした。


「良かった。ショウくんがおいしいって言ってくれて。作った甲斐があったよ」


 翔はコンソメスープを啜り、曖昧に肩を竦める。

 そういう台詞は朔夜に言ってやればいいのに。

 今日の飛鳥は朔夜と同じくらいに『らしくない』。


「なんだか、久しぶりだね。学校以外で、三人で過ごすの」


 飛鳥が話題を振る。


(そういえば、そうだな)


 翔はスープを見つめ、飛鳥の言葉を反芻した。

 幼馴染らと学校以外で過ごす時間はいつぶりだろう。最後に過ごした時間すらもう覚えていない。


(おかしいな。いつも必死に傍にいようとしていたのに)


 それすら遠い昔のように思える。

 半妖になって一か月くらいしか、まだ経っていないはずなのに。


「ショウ、飛鳥。春先から僕らは受験生だね」


 これから遊べる時間が少なくなると朔夜。


「だから時間が作りやすい春休みに予定を立てよう」


 朔夜がこのような提案を出す。

 翔は口に入れようとしていたオムライスを落としそうになる。


(どうしたんだよ。朔夜……)


 彼らしくない。

 朔夜は率先して、計画を立てるような男ではないのだ。

 その役はいつも翔が受け持っていた。


「二人とも塾の予定は?」

「私は春休みから家庭教師を辞めて予備校に切り替える予定」

「へえ飛鳥。家庭教師を辞めるんだ」

「うん、成績の伸びがあんまり良くないから予備校に通うことになったんだ。朔夜くんは引き続き、予備校?」

「そんなところ」


 他人事のように様子を見守っていると朔夜と飛鳥が会話を進めていく。

 各々予定が詰まっているようで遊べる時間帯は午後からだと話していた。


「ショウくんは?」

「え。ああ……俺はべつに」


 翔にも話を振られたため、いつでも良いと正直に答える。


「俺は予備校も家庭教師もねえからな」


 すると息を合わせたかのように、二人から行きたい場所を聞かれた。

 何をしたいでも可能だとのこと。


「二人に合わせるよ」


 特に自分からの要望は無いと返事した。


「お前らがいてくれたら、俺はそれでいいからさ」


 朔夜が唸り声をあげる。


「あーもう。やっぱり言うと思った。ショウ、たまには自分のしたいことを言ってくれよ」


「いま言ったじゃん。お前らがいてくれたらいいって」

「違う違う。そういうことじゃなくて……君はいつも僕らに合わせるだろう?」


 計画を立てるのは翔だが、遊ぶ場所を合わせてくれるのも翔だ。

 朔夜がスプーンでこちらを指してくる。


「ショウはいつもそうだ。僕らに我儘を言わない」


 朔夜が映画に行きたいと言えば前売り券を買おうと提案し、飛鳥がカラオケに行きたいと言えば、予約を取っておくと答える。

 とうの本人は何かしたいと口にしたことは無い。


「ショウは僕らと一緒にいたいと言うけど、それだけなんだ」


 三人で一緒に過ごしたいと駄々を捏ねるのは翔だが、あれこれ計画を立ててくれる翔自身の我儘は聞いたことないと朔夜。

 いつも翔は幼馴染の望むことしかしようとしない。


「飛鳥と計画を立てて、はじめて気づいたよ。僕らはショウのことを何も知らない。何をしたらショウが嬉しいのか、どこに行きたいのか、それすら分からないんだ。何年の付き合いだろうね、僕たち」


 力なく笑う朔夜と、心配の眼を向けてくる飛鳥を交互に見つめ、翔はようやく気づく。

 彼ららしくない流れの意味を。


(一緒に帰ろうと誘ってきたのも、昼食も、遊ぶ計画も俺のため……)


 二人はきっと翔のために奔走しているのだ。ある日突然体調を崩したり、落ち込んだり、幼馴染と距離を置き始めたり、挙句の果てには猫と過ごすことを優先したり。

 朔夜と飛鳥は奇怪な態度を取る翔を心配してくれている。

 だからこその行動なのだろう。

 少しでも翔のために何かしなければと思って行動を起こしているのだ。

 それに気づいてしまった翔は、泣きたいような、笑いたいような、曖昧な感情に駆られた。彼らの優しさが嬉しくもあり、つらくもあった。


「なんだよ。らしくないことしやがって」


 憎まれ口を叩くが効果はない。

 幼馴染らは待っている、翔が心を見せてくれる瞬間を。


(……だけど俺は)


 打ち明けることはできない。

 だって自分は化け物。妖祓にとって人間にとって不都合な生き物。言ったところで、自分たちに待っているのは傷つけ合う未来でしかない。


 と、重い空気を散らすように、朔夜が椅子に凭れて唸った。


「そう簡単に悩みを白状してくれないか。覚悟はしていたんだけどね」


 翔に向ける目はどこか落胆の色に帯びていた。申し訳ない気持ちでいっぱいになる。二人のことを信用していないわけではないのだ。


(いや……信用してねえのかもな)


 話せないということは結局のところ疑心暗鬼になっているのかもしれない。

 相反する気持ちが交差する。


「朔夜、飛鳥、俺さ」


 やっと切り出せた声は少しだけ震えてしまった。


「少しずつお前らから離れていくべきなんだと思うんだ」


 それは翔の望まない気持ちであり、どこか望む気持ちであった。


「昔から俺はお前らに執着している。どこに行く時も一緒にいたがった。小学校も中学校も高校も。俺はお前らの邪魔をしている。分かっているのに、お前らのこと大切なのに、俺はずっと止められなくて……」


 この気持ちはあまりにも我儘だ。


「俺はいつも我儘だったんだよ」


 いつだって翔に楽しい景色を見せてくれたのは、この二人だった。

 幼いあの頃、つくねんとひとりで遊んでいた翔に手を差し伸べてくれた日からずっと、朔夜と飛鳥は翔に色鮮やかな世界を見せてくれた。ゆえに常に我儘を抱いた。もっとこの景色を見たい。幼馴染と三人で過ごしたい。一緒にいたい――なんて子ども染みた醜い感情なのだろう。重いなんてものではない。これを寄せられた二人はさぞ息苦しかったことだろう。

 だから翔は我儘を言わない、という朔夜の言葉を否定した。


「俺は我儘だ」


 今も昔も。


「ずっと一緒にいたい、ばかみたいに願って」


 そんなこと無理なのに。


「お前らの時間を奪って」


 相手の都合すら顧みず、傍にいたがってばかりで。


「疲れさせることばかりしている。俺は何してるんだろうな」


 分かっていても、簡単にこの性格は直せない。


「それでもやっぱり執着しちまう……答えは出ているのに、離れることを恐れている」


 だったら、いっそのこと物理的に離れてしまうのも手かもしれない。


(こいつらと離れちまえば執着心も消えてくれるのかな)


 翔は自嘲する。

 執着心のことを偉そうに語りながら、結局行きつく先はこれからもこの関係が続いてほしい、なのだから自分が滑稽に思える。


「分かったショウくん。取りあえず、米倉くん辺りを叩きのめせば解決するね」


 斜め上の回答がきた。

 翔は間の抜けた声を出し、飛鳥を凝視してしまう。

 そこで、どうして悪友の米倉が出てくるのかが分からなかった。


「米倉……なんで?」

「変なことを吹き込まれたんでしょ? ショウくん、単純だから」


 完全に濡れ衣である。

 本人が聞いたら激怒することだろう。


「あいつに何も言われてねーけど」

「じゃあ、どうして離れようなんて考えたの? 私たち、ショウくんに迷惑だなんて言ったことあった?」


 言われたことは無いが、態度がそれを物語っていたことが多々あった。

 見て見ぬ振りをしていたが、重い溜息を何度つかれたことか。

 ああ、そうだ。適当に会話を切られたこともあったっけ。


(あれ……これは本当に離れるべきかも)


 思い出に泣きそうである。

 遠い目を作って当時のことを思い出していると、「あったかもしれないけど!」と、飛鳥が大きな声を出して遮ってくる。


「それでも、ショウくんを嫌いになったことなんて一度もないよ。私も朔夜くんも」


 知っている。二人は優しいから。


「ショウくんは、私たちを大切だと言ってくれるけど、私たちも同じ気持ちなんだよ。そうじゃなかったら、わざわざ手料理なんて作らないよ」


 翔は呆けてしまう。

 まさか面と向かって、同じ気持ちと言われるとは思いもしなかったのである。


「その顔、やっぱり分かってない……朔夜くん、ショウくん何も分かってないよ」


 信じられないと言わんばかりに、飛鳥が頭を抱えた。

 向かい側にいる朔夜に至っては、こめかみを擦って溜息ばかりついている。


「単純馬鹿のくせに、変なところで単純じゃなくなって。ほんと、ただの馬鹿だよ」

「おいこら。普通に悪口なってんぞ」


「悪態だってつきたくなるさ。お前、僕たちをなんだと思っているんだい。自分だけ、大切だと思っているような素振りをして。ばかなの? お前が日に日に落ち込んで、体調を崩して、おかしくなっていくのを見て何も思わないとでも? ふざけるなよ。こっちの気がどうにかなりそうだよ」


 非常に腹立たしい。

 朔夜が舌打ちを鳴らす。本人に聞こえるほどの音であった。

 隠す振る舞いすら見せない。裏を返せばそれだけ頼ってほしいのだろう。もし翔が朔夜の立場で、同じような態度を見せられたら、きっと盛大な舌打ちを鳴らすに違いない。


 なんだか可笑しい気持ちに駆られる。

 怒りを向けられているというのに、笑いたくなるし、嬉しい気持ちもこみ上げてくる。


 なにより、同じ気持ちなのだということが切に伝わってくる。

 それだけで胸に抱えていた悩みが軽くなった。


「そっか。おんなじなのか」


 翔は笑う。

 久しぶりに二人の前で無邪気に笑えた。


「ごめん。お前たちのことを舐めていたよ」


 軽んじていた節については真摯に謝る。

 心配してくれている朔夜と飛鳥に失礼な振る舞いをしていたのは、やはり謝るべきだろうから。


 ただ。

 そうただ。


「こんなに心配してくれているのに……悪いな。いまの俺じゃお前たちに何も話せない。話すことができない」


 待ってくれている二人には悪いが、これが翔の答えだった。


「それはつまり。ショウくんの悩みが、直接私たちに関係することだと思っていい?」


 スプーンを置くと、膝に乗っているミミを抱いて椅子を引く。

 みゃあ、鳴き声を上げてくる猫の頭を撫で、中庭に通じる大きな窓辺の前に立った。

 硝子の向こうに見える中庭には様々な草花が植えられている。日差しを浴びている草花に目を細めた。あの世界は本当に眩しく、不快だ。


「言っただろう。俺はお前たちに執着している。そして恐れている。お前たちが離れていくことに。だから、いまは言わない」


 いまは。

 翔は強調する。


「言っとくけど、お前たちが何かしたってわけじゃない」


 それだけは、勘違いしないでほしい。

 これは翔自身の問題だ。


「俺が臆病になっているだけなんだ。いつかを思って、俺は臆病風に吹かれている。それだけなんだよ」


 怖い。いつか、人間でなくなる、自分が。

 怖い。いつか、崩れてしまうであろう、この関係が。

 怖い。いつか、彼らに祓われるやもしれない、未来が。


「ショウ。あんまり自分の気持ちを執着と称して卑下するのは良くないよ。確かにお前の幼馴染に対する気持ちは僕らの中の誰よりも強い。傍から見たら執着なのかもしれない。それでも僕らはお前がいなくなってしまえば、悲しい気持ちになる」


 それは知っておくべきだ、と朔夜が諭してくる。


「お前の気持ちが固まるまで、僕たちは気長に待つことにする。ゆっくりでいい。いつか、すべてを話してくれよ。いまはショウが、僕たちの気持ちを知ってくれていたら、それでいいから」


 翔の真似をするように、いまは、と朔夜は強調する。


「猫以外にもお前を心配している奴がいる。忘れるなよ。ショウ」


 驚き、ゆるりと背後を振り向く。

 二人から微笑まれた。


「猫に心を奪われても良いさ。傍に置いても良い。ただ頼られず、相談もしてもらえず、見守るだけの僕らはさみしいよ。それを忘れないでな」


「そうそう。これでもショウくんを心配しているんだから」


 二人の口から気持ちを伝えられる。

 隠し事を作る翔を咎める言葉はない。

 問い詰めたい気持ちはあれど、翔の気持ちを優先してくれているのだろう。


(お前らの方こそばかだろ。面倒な幼馴染と距離を置けるチャンスなのに)


 決して翔を切り捨てようとしない二人に、少しだけ、淡い期待を抱いても良いだろうか。


「約束するよ。いつか、お前たちに話す」


 その時が来ても、自分たちの関係は変わっても、それを越えられる未来がある。

 そんな甘い希望を持っても良いだろうか。

 今日一番の笑顔を見せると、この話は仕舞いだと飛鳥が手を叩いた。


「せっかく遊びに来てくれたんだし、楽しい話をしようよ」


 そう言って翔を手招き。

 テーブルに戻って食事を再開するよう促してくる。


「あとどこに行きたいか、はやく決めてね。ショウくん」


 春休み計画の決定権は翔にあるようだ。

 翔としては二人の希望を聞いて計画を立てた方が慣れている上に気も楽だ。自分から何かをしたいと考え、行動することは非常に苦手なのである。

 二人の傍にいたいがために行動を起こすことはできるものの、遊ぶ内容は幼馴染らに任せてばかりだった。


 翔はさり気なく、二人に観たい映画はないか、と尋ねた。

 聞き出すことができれば喜んでそれに便乗しようと思う。


「そうだね。ショウが観たい映画かな」


 意地の悪い返事だ。

 見透かされている。


「俺が決めろって言われてもな。ミミ、お前は何がしたい?」


 みゃあ。能天気な猫はごろごろと喉を鳴らし、撫でろと態度で示してくる。

 味方にはなってくれなさそうだ。


「ショウくんが決められないなら、私が決めてもいいよ。ショッピングとか、ケーキの食べ放題とか」


「お願いだからショウ、君が決めてくれ。飛鳥の計画は地獄にしか思えない」


 翔としても、あまり飛鳥の計画には乗りたくない。

 ケーキは好きだが食べ放題には行きたいと思えないし、女の子と行く買い物は根気と覚悟がいる。少なくとも飛鳥の場合、色んなものを見て回りたい性格をしているため、あちらこちらに連れ回される。それで疲弊することも多々あるので、翔も朔夜も彼女と行く買い物は苦手としている。


(さて、どうしようかな)


 遊園地は乗り継ぎがあって面倒だし、山海は季節的にも寒い。

 無難に映画というべきところなのだろうが、そもそも観たいものがない。


 うんぬん考えながら、ふたたび中庭に目を向ける。

 日光を浴びる草花があまりにも綺麗で見惚れてしまった。


 そうだ、この季節にぴったりの行事があるではないか。


「俺、桜が見たい」


 季節的に早いかもしれないが温暖化の影響で、翔の住む地域では三月の下旬から四月の上旬にかけて桜が花開くことが多い。

 来年は進路もバラバラとなり、三人で集まる機会も少なくなるだろう。

 だから今年の内に四季折々三人で楽しめることをしたい。


 名案だと思えた。

 


「朔夜、飛鳥、近場でいいから花見に行こう。俺、みんなで桜が見たい」

 

 

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