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南条翔は其の狐の如く  作者: つゆのあめ/梅野歩
【弐章】名を妖狐と申す
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<十六>人を愛し、人になりたい妖



 出店を見回り終えると二人は拝殿に向かった。

 もちろん目的はお参りするため。妖の社に赴く機会はあれど手を合わせたことは一度もない。この機にちゃんと参拝しておこうと思ったのだ。


(ここの神様は大御魂だったな――なあ神様、どうして俺を南の神主に選んだ)


 手を合わせながら翔は疑問をぶつけた。当然返事はなかった。



 参拝が終わると休憩場となっている参集殿へ足を運び、雪之介と冷水で喉を潤す。

 周りでは妖らが思い思いに談笑していた。

 小豆一杯の笊を洗いながら河童と会話している小柄な爺さんに、将棋盤を睨んで腕を組む狐狸。手の平からつららを生み出し、それを磨く着物女。ちょうちんと傘が今後の日本について討論している姿も見受けられた。

受け入れられがたい光景だが、いまの翔も化け狐なので傍から見ればあれらと同類なのだろう。


「不思議な光景でしょ」


 花つぶみを口に放りながら妖を観察していると雪之介が顔を覗き込んでくる。


「まあ、異界だなってかんじ」


 うやむやな態度を取って苦笑いを浮かべたが、彼には通用しなかった。


「戸惑って当然だよ。向こうの世界じゃ滅多に見られない光景だから」


 雪之介は肩を竦めた。

 その拍子にずれてしまった眼鏡を掛けなおす。

 翔は冷水の入った湯飲みを忙しなく親指で擦り、雪之介に返す言葉を探していた。


 今しばらく、つるつるとした湯飲みの表面を堪能していた翔だったが、意を決して雪之介に尋ねる。


「なあ、雪之介ってどんな妖なんだ?」


 これでも大きな勇気を持って尋ねたつもりなのだが、彼は間延びに返事をした。


「言わなかったっけ? 僕は雪童子だよ」


「いや、それは分かっているよ。けど、なんっつーか……雪之介って妖っぽくないから」


 妖とは大なり小なり見た目に変化があるものだと翔は認識している。

 耳と尾っぽが生えている翔の目からしたら、雪之介はあまりにも変化のない妖だと思えた。


「翔くん。握ってみて」


 雪之介が右手を差し出してくる。

 迷わずその手を掴むと三本の尾っぽが膨らみ、思わず身を引いてしまった。雪之介の手は氷のように冷たかった。体温があるかどうかも疑わしい。


「冷たいでしょ」

「冷たいのレベルを超えているんだけど」


「ふふっ。見た目じゃ分からないだろうけど、僕も君と同じ化け物だってことだよ」


 今は雪童子と名乗っているが、成人を迎えたら『雪男』に名前が変わると雪之介。所謂、雪女の男版だそうだ。

 改めて雪之介が両手で翔の右手を包んでくる。それはまるで雪の中に手を突っ込んだような身を切る冷たさであった。ぶるぶると体中を震わせると、彼はいたずら気に頬を崩した。


「翔くんの体温はとても熱いね。溶けそうだよ」


 しごく大袈裟な表現だが、雪之介は至って真面目に溶けそうだと繰り返す。


「僕の体は雪の結晶が集合したもの。体温という体温がないんだ。だから温かいものに憧れているんだ」


 雪之介が手を離すと、包まれていた手が薄っすらと濡れていた。

 これは翔の汗ではない。


 かといって、雪之介の汗でもなさそうだ。ということは……。


「お、おい雪之介!」


 翔は血相を変えた。

 雪之介は翔の手を握ったことで溶けているのだ。

 慌てふためいていると、彼はおかしそうに心配はないよと答えた。


「結晶の一部が溶けただけで、僕自身に影響はないよ」

「結局それ、溶けてるじゃんか! ああもう、溶けるなら溶けるって言ってくれよ。止めたのに」


「これくらいで溶け消えたら夏なんて乗り切れないよ」


 毎年溶け消えることになってしまう。

 雪之介は大げさに肩を竦めた。


「まあ、この体のせいで毎年学校である身体検査をどう乗り切ろうか、頭を悩ませるんだけどね」


 苦労をしているのだろう。語り部が顔を顰めた。


「ヒトに化けられねえの?」


 翔は浅い知識ながらも、妖の常識を雪之介に意見してみる。

 間髪を容れず、雪之介は首を横に振った。


「雪の化け物の大半は化ける能力を持ち合わせていない。翔くんのように妖狐だったら、話は別なんだけどね」


「妖って誰でも化ける能力を持っているわけじゃないのか?」


「基本的に化ける能力を持つのは獣の妖。ヒトを化かすことに長けていると云われている。もちろん例外はいるけど、僕は持たない部族だ」


 だから、化けられる妖狐が羨ましい。

 羨望を口にする雪之介に、どう返して良いか分からず、翔はふたたび視線を湯飲みに向けた。


「翔くんはヒトの子なんだよね」

「まあな」

「生まれも育ちも」

「ああ」

「ご両親も?」

「人間だよ。雪之介は妖の子なんだろ?」


 なのに、どうして人間の町で暮らしているのだと尋ねる。下手をすれば、ヒトから命を狙われかねない。何処に妖祓が潜んでいるのか分からないのだから。

 すると雪之介は投げ出している両足をうんっと伸ばして天を仰ぐ。


「単純に妖の暮らす場所が減っているからかなぁ」

「減っている?」


「日本の妖は山林に住んでいることが多いんだけど、森林伐採で住む場所が極端に減ったんだって。だから人間の町で暮らすようになったってお母さんは言っていた。僕は生まれた頃から人間の町で暮らしていたから、山林でどういう生活を送っていたのかは分からないんだ」


 だから、これが当たり前の生活なのだと雪之介は口元を緩める。

 今年で受験生だなんて夢のようだとおどけて目尻を下げた。


「どこにでもいそうな学生でしょう?」


 人間となんら変わらない生活を送っている。

 そう主張する雪之介は、おかげで自分が妖であることを忘れてしまいそうだと言葉を重ねる。その横顔はもの寂しそうだった。


「比良利さんからある程度、翔くんの身の上話は聞かせてもらっているよ。半妖狐になった翔くんがヒトの子であり続けたいことも聞いている」


 気遣いを見せてくる雪之介は幼馴染の件も知っており、そのことについて「さみしいね」と、感想を述べてきてくれた。


 翔は驚いてしまう。

 今まで誰もが境遇に辛い思いをしたね、と同情を込めて言葉を掛けてきてくれた。

 しかし雪之介は翔に「さみしいね」と言う。それが新鮮でならない。雪之介を凝視していると力なく笑い返された。


「僕が君だったらさみしいよ。だって同種族だった友人と異種族になってしまったことで、おおきな壁を感じるから」


 親しい仲に隔たりができるということは、とてもさみしいことだと雪之介。


(あ、)


 翔は新たな気持ちに気づく。

 雪之介の言うように、妖になってしまったことで幼馴染らと壁を感じるようになった。

 元々彼らとはドタキャン騒動で疎外感を抱いていたのだが、いまは翔が半妖になったことで明確に壁を感じる。翔自身が壁をつくるようになってしまった。それがさみしいと思える。


(そっか、おれはいま)


 とてもさみしい気持ちを抱いているのか。


「妖になる人間の俺って、お前の目から見たら変か?」


 ヒトから妖になることを未だに恐れる翔は、率直な意見を雪之介に求めた。

 すると彼は質問を質問で返してくる。


「人間になりたい妖の僕って変だと思う?」


 言葉を見失ってしまう。

 彼はいま、なんと言った。


「僕はね。人間になりたいんだ」


 建前でなく本心からヒトになりたい。

 心から夢見る妖はそっと語り部に立った。


「人間はとても不便だ」


 妖力もなく、大した力もない。

 特別な能力を備えているわけでもない。寿命も短く、何をするにも不便で哀れな生き物。

 それでいて『妖』の存在を知らない大半の人間が傲慢にも『ヒトが一番偉い』と思い込んでいる。妖すら見えない哀れな生き物に同情すら覚える。


 それでも雪之介は人間になりたい。


「人間になる可能性があるなら、僕は夢中でその可能性を掴みたいよ」


 語り部は右の人差し指を自分の湯飲みに向ける。

 指先が青白く光り、瞬く間に閃光が水面を覆う。勢い押された水面上に細波が立ち、そのままの状態で氷結した。


「すげえ」


 翔は声を上げて雪之介の手から湯飲みを受け取る。冷水の表面を指でぱちんぱちんと弾く。心地良い音が容器を満たした。本当に凍っている。


「これが僕の力だよ」


「雪の化け物だから凍らせることができるんだな」


「そうだよ。僕らは季節の妖とも呼ばれている。その気になれば冬を呼ぶことだってできる」


 反面、火や熱に弱いと伸ばしていた両の足を曲げた。


「人間は火も氷も操れない。妖の僕らからすれば、本当に不便で哀れな生き物だ。でも僕は人間になりたくて仕方がない。どうしてだと思う?」


 まるで、謎掛けのような口振りで翔に話を振ってくる。答えられずに、ただただ雪之介を見つめていると「君と同じだよ」と雪童子は答えを口にした。


「さみしいんだ」


 彼は赤裸々にさみしいと伝えた。

 どんなに強い妖力を持っても周りにはそのような力などなく、妖の雪之介は正体を隠して生きていかなければならない。幼少時はそれがつらく、持ち前の妖力を隠して生きることが、とても大変だった。


 雪之介は目を伏せた。


「夏は誰よりもバテた。人間と同じことができなかった。冬は昂ぶる妖力を抑えられなくて、学校の敷地で雪を降らせたこともある」


 ある時は妖祓に目をつけられたこともあった。

 ある時は人間には見えない妖に声を掛け、変人扱いを受けたこともあった。

 ある時は人間の価値についていけず、戸惑うこともあった。


 その度に思うのだ。

 ああ、人間の町で生きようとも、自分は人間とは別個の生き物であり同じではないのだと。

 それはとてもさみしく、孤独であり、疎外感を抱くもの。何度人間の町から逃げ出したいと思ったか。元より自分がヒトであれば、こんなにもさみしい気持ちを抱かずに済んだのか。


 いつしか雪之介は想いを寄せるようになる。

 ただの人間になりたい、と。


「人間になりたいと思うほど、自分で周りと壁を作ったものだよ。真綿で首を絞めるってヤツかな? 自分で自分を孤独にさせるような環境を作っていたんだ」


 自分と人間とは違う。割り切ってしまえば早い話なのに、事はそう上手く運ばない。割り切る前にさみしさが胸を占めるのだから。


 雪之介は苦笑する。


「人間はとても不便な生き物だけど、妖力がない分、自分の努力で補おうとしている」


 そこが愛おしい、雪之介は翔と視線を合わせた。


「中には無能の人間を馬鹿にする妖もいるけれど、僕は不器用で不便な生き物を愛してやまないんだ」


 雪之介は翔の持っている湯飲みを引き寄せると器用に中の氷を取り出す。

 それをグッと右手で握り締め、優しく真上に放る。宙を舞い上がった氷は粉々に砕け、ふわふわと落下した。まるで雪のようだ。

夜空に浮かぶ半月の光を浴びて煌く氷の粒子は、なんて幻想的なのだろうか。反射する光は七色に輝いている。心奪われてしまいそうだ。


 翔が手の平を前に出すと、粒子が手の上で音なく溶けていく。


「まあ、これでも随分マシになったんだよ。前ほど人間になりたいと思う気持ちは薄くなっているんだ」


「諦めがついたのか?」


 翔は手を結んで問う。

 雪之介は首を横に振り、ずれ落ちそうになる眼鏡を掛けなおした。


「僕の正体を知った人間がいた。本当の僕を知ってもなお、怖がらず傍にいてくれる」


 今ではかけがえのない親友。

 そのような人間がいたからこそ妖の自分を、もっと大事にしようと思えるようになった。雪之介は静かに語る。


「翔くんとまったく境遇が違うけど抱く思いは似ている。だからこそ言えるよ。大丈夫、妖の自分を大切にしようと思える日が来る。幼馴染のことだって、上手くいくよ」


「そうかな」


 相手は妖祓なのだけれど。

 翔は尻すぼみに返事した。


「その前に大事な幼馴染なんでしょう?」


 翔が大切だと思っているなら、相手も同じなのではないか。雪之介の一言に目を丸くしてしまう。

 照れるように綻んでしまったのはその直後のこと。


「そうだと嬉しいや」


 誤魔化すように花つぶみの入った笹の器を持ち、揚げ菓子を口に放った。




 雪童子の雪之介は、とても不思議な少年だった。

 初対面だというのに身の上話を気兼ねなくできる。

 前提に相手が『自分と同じ妖であること』。『同い年であること』。そして『人間を愛している妖であること』が、翔の気持ちを明かせる要因となっていた。


 まるで付き合いの長い友人のように、親しく接してしまう。

 雪之介も翔の心境を感じ取ってくれているのだろう。彼は知り合いに面白い妖がいるから紹介すると言って移動を始める。

 誘われるがまま彼の後をついて行くと、参道の外れ、切り開かれた広場のような場所でひょっとこのお面を被った輩たちが和太鼓を叩いたり、小歌に合わせて踊りの練習をしたりしていた。


 これまた小歌がおかしなもので『おくれ。われらにおくれ。かほをおくれ』と、音頭に合わせて手足を動かしている。


「こんばんは、藤兵衛(とうべえ)さん」


「ああ。その声は雪之介かい」


 雪之介が彼らに挨拶をすると、ひょっとこのお面を被った輩たちが練習を止めた。

 顔なじみらしく雪之介に手を振り、お面を取って挨拶していた。

 しかし顔なじみとは言えないかもしれない。何故ならば相手に『顔』がないのだから!


 ゆで卵の表面のようにつるつるの顔面、所謂のっぺらぼうの彼らに、翔は目を白黒させる。


 一方、雪之介はのっぺらぼうのひとり、藤兵衛(とうべえ)と呼ばれた青年と会話していた。麻の甚平を着こなしている短髪青年の身なりを見るかぎり男性らしい。声音からして年上だろう。


「新しい友達ができたんですよ」


 雪之介は彼らに翔を紹介する。


「ど、ど、どうも」


 引き攣った愛想笑いを浮かべることしかできない翔に対し、「皆さんと同じ元ヒトの子なんですよ」と雪之介。

 新入りも新入りだと伝えれば、藤兵衛が笑声を上げた。


「それはそれは。ヒトの子ならおいらたちに戸惑うじゃろう? ヒトの子だったおいらもそんな若い頃があったものよ。見たところ妖狐のようじゃな」


 のっぺらい顔は翔のどこを見ているのだろうか。どうやって翔の姿を捉えているのだろう。

 花火のように疑問が弾けては消えていく。藤兵衛(とうべえ)と顔を合わせて、しゃべることすら困惑してしまった。


 しかし翔の戸惑いは最初だけだった。

 藤兵衛らの気さくな振り舞いが身構える心を溶かしてくれた。たとえ合わせる顔がなくとも、親しみを込めた会話ができたのである。


 藤兵衛らは定期的に日輪の社へ足を運び、妖らに雅楽や神楽、踊りなどを見せるのという。

 また日月の社は年に三回大きな行事があり、その度に藤兵衛らが活躍するらしい。

 今宵は二ヶ月後の卯月に控えている行事のひとつに向け、汗水垂らしながら練習しているのだという。


 気さくでありながらも優しく面白い妖らは異界に戸惑っている翔のために、妖の良き文化を知ってもらおうと一曲、踊りを贈ってくれた。


 それだけでなく強引に翔を引き込み、その踊りを教えてくれる。

 盆踊りすら踊ったことのない翔は踊ることに気恥ずかしさばかりが胸を占めていたが、それも徐々に慣れて彼等の音頭に合わせることができた。


 それが終わると藤兵衛らが大切にしてやまない和太鼓を叩かせてもらったり、彼らの着ている甚平を自分も着たり、雪之介と藤兵衛の練習光景を携帯におさめたり。


「翔。おもしろいことを教えてやろう」

「おもしろい?」

「じつはおいらたちの顔はな。顔を下から上に撫でると顔が出てくるのだ」

「はあ?」


 藤兵衛に向かって素っ頓狂な声を上げてしまう。

 はやくそれを教えてほしかった。大袈裟に驚いた自分が馬鹿みたいではないか! 翔は嘆く。


「ああもう。俺こそばか面を晒した顔を隠したい気分!」


 皆から大笑いされてしまった。

 顔つきは皆、三十代前後の青年たちだった。


 別れの際はお付き合いのしるしにとお面をくれた。それは狐を模ったお面で、顔のないのっぺらぼうらが使用するお面の一つだった。


「妖狐の翔にぴったりじゃろう?」


 藤兵衛の洒落に笑い、ありがたく狐のお面を頂戴する。卯月に踊る神楽を是非観に来てほしいと頼まれたため、絶対に観に来ると約束を取り結んだ。




 のっぺらぼうの藤兵衛らと別れた後は、また別の妖を紹介してもらう。


 それは読書に励む油ずましだったり(片手に油の入ったひょうたんを持った爺さん妖だった)、やたら落語に熱を入れている鬼だったり(天邪鬼という鬼で落語なんか嫌い嫌いと言いながら落語を楽しんでいる様子)、化粧売りの化け猫娘だったり(猫又とは違う猫の妖のようだ。なかなかの美人さんだった)。


 雪之介を通してたくさんの妖と知り合い、話をして、触れ合うことができた。

 ずいぶんと充実した時間を過ごしていたようで、気づけば時刻は夜明け前。妖らが棲み処に還る刻が迫っていた。



「ぼん。そろそろ錦夫妻が帰宅するそうじゃぞ」


 参道の外れで雪之介と連絡交換をしていた翔の下に、比良利とおばばが錦夫妻を引き連れてやって来る。


「もうそんな時間か」


 翔は落胆の声を漏らした。

 それだけ雪之介と過ごす時間が楽しくて仕方がなかったのだ。

 久しぶりに心の底から夜の時間を楽しむことができた翔にとって、この時間はまだまだ終わらせたくないものであった。

 半妖になって初めてかもしれない、こんなにも楽しい気持ちになったのは。


「翔くん。僕の家、日輪の社から近いんだ。もうすぐ春休みだし、休みに入ったら家に泊まりにおいでよ」

「いいのか?」

「もちろんだよ」


 誰にも正体を明かせない翔の心苦しい気持ちを理解している雪之介は、自分の家ならば家族を含んだ皆が妖だから遠慮も要らないと笑った。


「その代わり、サイダーを奢ってね」


「あはは。すっかり忘れてた。そんな約束してたっけ」


「してましたぁ。なんのために連絡を交換したと思ってるの! 奢ってもらうまでLINEし続けるからね」


「お前は取り立て屋かよ」


「サイダー限定のね」


 揃って声を上げると、また春休みに会おうと約束を結び、翔は錦夫妻と共に帰って行く雪之介を鳥居まで見送った。


「雪之介。今日はありがとうな」


「はいはーい。案内料は次回でいいよ。振込みでお願いね」


「最後までずりぃぞお前」


 おどけにおどけで返し、雪童子の背中に手を振った。

 姿が見えなくなると、翔は藤兵衛から貰った狐のお面に目を落とす。

 それを見るだけで楽しかった時間が鮮明に蘇ってくる。ああ、早く春休みにならないだろうか。再会を心待ちにする翔に、「気の合う奴じゃったろう?」と比良利。


「おう。調子乗りですげえ楽しい奴だった」

「類は友を呼ぶ、とはなんとやらじゃのう」

「どういう意味だよ」

「ぼんもお調子者ということじゃよ」


 からかいもなんのその。

 翔は比良利に感謝した。

 常に鉛のように重かった心がこんなにも軽い。幼馴染の件も、半妖の件も解決していないのに心が羽のように軽い。それはどうしてだろう?


「また明日から頑張れそうだ」


 小さな欠伸をこぼし、薄っすらと白く染み始めた夜空を仰ぐ。

 地上を見下ろしている半月が遠い。お月さんもお眠の時間なのだろう。やがて昇るであろう太陽と早く交替したいのか月光も弱々しい。


 遊び疲れた翔は今日が日曜だということもあり、日輪の社に泊まらせてもらうことにした。月輪の社に戻ることすら億劫だったのだ。


 憩殿(いこいどの)の一室を借りると、巫女の紀緒から布団から受け取り、さっさとそれを敷いて素早くそこに潜る。

眠気はすぐに訪れた。

 翔は妖狐の姿のまま眠りに就く。夢路を歩き始めた翔の表情は幼くあどけない。時折聞こえてくる狐の鳴き声は、安心と幸せに満たされていた。




『坊やったら本当に楽しかったんだろうねえ。あれほど妖に気を許す姿ははじめて見たよ。比良利、お前さんの計らいは成功したようだねぇ』


「おかげでわしは錦夫妻の親ばか話に半日も付き合わされた……一にも、二にも、三にも息子の話ばかりしおって。耳にタコができるかと思ったわい」


 しかしその苦労が報われたなら、こちらも救われるというもの。はやく妖の自分を受け入れられる日が来ればいい。

 比良利は慈愛深い笑みを浮かべると、客間の障子を静かに閉める。その際、おばばが翔と同じ部屋で寝ると言ったため、比良利はひとりで廊下を歩いた。


 日輪の社を一望するため、お気に入りの和傘を片手に参道へ出る。

 紀緒がお供について来た。和気藹々と会話しながら帰っていく妖らを見送りつつ、和傘を開いて、彼女を入れてやる。

 寄り添ってくる紀緒がそっと口を開いた。


「比良利さま。あの少年に貴方様と並ぶ素質はございましょうか」

「む?」


「失礼。素質に関わりなく比良利さまにとって、あの子どもは双子の対でしたね」


 だから甲斐甲斐しく世話をしているのか。紀緒が尋ねてくる。答えは「いいえ」だった。


「わしは第四代目北の神主。妖らを統べる頭領。苦境に強いられている妖を放ってはおけぬ。それはどのような妖とて同じこと――紀緒に問おう。わしは利害のみで動く狐と思っているのかのう?」


 だったら心外だと比良利。

 珍しくも、子どものように鼻を鳴らして不機嫌を示す。


「いいえ。最初から分かっておりますよ」


 にわかに整った表情を崩した紀緒が優しい笑みを浮かべる。彼女に試されたようだ。


「お主はどう思っておる? ぼんのことを」


 比良利は宝珠の御魂が見出した少年について尋ねる。他者の意見が聞きたかった。

 紀緒はやや考えた素振りを見せた後、平坦な声でこう返す。


「あれは幼すぎます。南の神主として素質があるかどうか、いまの段階では明言できませぬ」


 けれど翔には妖を想う気持ちが宿っている。身を挺して銀狐を守ったことがなによりもの証。

 だから宝珠の御魂も翔を生かし、素質を見出し、力を与えているのでは。


 紀緒は考えを述べた。


「想う気持ちは妖だけではない」


 比良利は己の意見を述べる。

 あの子どもは元ヒトの子。妖とヒトを想う気持ちが宿っている。

 だから宝珠の御魂は、彼を選んだのではないかと意見した。


 たとえ相容れぬ存在とも、妖はヒトと交わらない暮らしは送れない。双方はお互いを尊重し、共存していかなければならない存在だ。


「正直神主の素質なんぞ二の次、三の次じゃと思っておる。力量など後からどうとでもなれる。わしがそうじゃったのだから」


 では神主に選ばれる条件とは何か。

 取り巻く環境もあるだろうし、その妖の性質もあるだろう。

 けれど、なによりも妖とヒトの両方を心の底から想い合える者が選ばれる第一条件にくるのではないだろうか。比良利はそう思っている。


 妖が傍若無人に振る舞えば、ヒトは妖の力を恐れ、調伏しようと腰を上げる。逆も然り。どちらが上かを示すような、傲慢な態度では、双方に溝を作るだけなのだ。


「ぼんはヒトの子じゃ」


 ゆえに妖となった自分を恐れ、大切にしている幼馴染らの関係に苦しんでいる。それはヒトを想う気持ちが芽生えている証拠。

 一方で妖という新たな世界を知り、そこで関係を築き始めた。翔の中で妖を想う気持ちが芽生えている。神主が必要とする、両種族を想う気持ちがあの子どもの中に宿っているのだ。


 妖祓と関わりがある、というところもミソなのかもしれない。


「オツネの凍てついた心を動かしたのは、ぼんの力量であろう。北の神主をもっても、あの狐の心は癒せなかった」


 そういった意味では、あの狐には大きな素質があると言っても過言ではない。他者の心を動かすことは容易ではないのだから。


「比良利さまは、翔さまを双子の対にしたいとお考えなのですね」


「無論、神主の負担は軽い方が良いからのう」


「それは北の神主としての意見でございましょう? 貴方様自身、あの子に期待を寄せているのではありませぬか?」


 何もかも見透かした眼差しに、比良利は飄々と肩を竦める。


「南の神主になるかどうかは、ぼん次第じゃがな」


「問題も多いことでしょう。たとえ神主になると決めても、青葉が心許さないかぎりは難しいでしょうね」


 あの子は未だに先代を強く想っている。思いの丈の強さは、双子関係である紀緒でもどうしようもできない。


「それだけ、惣七が優秀だったということじゃのう」


 腹立たしい話だ。

 比良利は和傘を回す。蛇の目模様がくるりと回転した。


「早く新たな神主が決まれば良いですね。貴方様の負担が減れば、過労で倒れる回数も少なくなりますから。鬼門(きもん)(ほこら)の件もございますし」


「倒れる度に、紀緒が手厚く介抱してくれる。そう思うと惜しい気もするのう。寝ながら眺めるこの腰とか特にッ、イツツツッ!」


 しなやかな腰に触れようと伸ばした比良利の手が容赦なく抓られる。


「貴方様の邪な性格は変えられないのでしょうか? だとすれば、比良利さまを選んだ宝珠の御魂も大層、助兵衛(すけべえ)なのかもしれませんね」


 紀緒の嫌味は右からの左に聞き流すことにしよう。

 抓られた手を振りつつ、この性格は変えられない、と比良利はおどけた。ひっくるめて六尾の妖狐、赤狐の比良利なのだ。

 たとえ宝珠の御魂といえども、この性格だけは変えられないだろう。



「さあ紀緒。夜が明ける。妖の時間は仕舞いじゃ。月が昇り始める頃まで一眠りしようぞ」



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