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南条翔は其の狐の如く  作者: つゆのあめ/梅野歩
【弐章】名を妖狐と申す
35/158

<幕間>妖祓、闇夜に動く



 ◆◆◆



 和泉家の座敷にて。

 時刻は子の正刻。

 人や町は寝静まり、夜の闇に深まっていく。


 本来であれば受験に向けて勉学に励む時間。自分の好きなことをする時間。もしくは就寝の時間を過ごすのだが、朔夜と飛鳥は和泉家の座敷に足を運んでいた。


「(この空気すごくやだね。朔夜くん)」

「(しっ。じいさまたちに聞こえるよ)」


 正座をする二人の目の前には、紺の無地着物の袖に手を入れている老翁と、梅の着物を身に纏っている老婆が並んでいた。

 老翁は和泉家の長であり、老婆は楢崎家の長を務めている。

 謂わば、朔夜と飛鳥の祖父母にあたる人間だった。


 それだけではない。座敷には和泉と楢崎の人間が揃っている。

 全員が妖祓。朔夜と飛鳥にとって、みながみな上司となる。


 朔夜と飛鳥は視線を交わす。


「(朔夜くん、これ家族会議っていうのかな)」

「(一般家庭の家族会議を知らないからなあ)」


 朔夜と飛鳥はとくに祖父母を苦手としていた。

 礼儀作法に厳しいだけでなく、妖祓の玄人として、当主として敬わなければならない。下手な態度を取れば目をつけられる。


「(はやく終わらないかな)」


 飛鳥は妖祓長の反応を窺う。

 腕を組んで一点を見つめているのは朔夜の祖父、和泉月彦(いずみつきひこ)

 目を伏せたまま微動だにしないのは飛鳥の祖母、楢崎紅緒(ならざきべにお)


 態度表情こそ違えど、双方深く思案している様子。


 このまま何も始まらずに時だけが過ぎてしまうのではないか。

 不安を胸に抱いていると、ようやく月彦が張り詰めた空気に一石を投じた。

 息を詰めている朔夜と飛鳥にこのようなことを切り出す。


「お前たちの知らせを耳にしたが……北の神主に会ったとはな。お前たちは運が良かった。あれに目をつけられながらも無傷で済むなんぞ滅多にないことだ」


 それは、先日の一件についての感想であった。

 朔夜と飛鳥は先日の事件を各々親に報告していた。

 この地に妖狐が出ることはおろか、足が竦むほどの妖力を持った化け物が目の前に現れたのだ。黙っておくわけにはいかなかった。


 想像以上に知らせは深刻だったようで、事を聞いた親は血相を変えた。

 当主に一報を伝えて、【北の神主】と呼ばれる赤狐が現れた話に恐れていた。


 ここまで反応されるとは。

 朔夜と飛鳥は驚いてしまったのだが、知らせを聞いた双方の当主が、重い一大事として受け止め、新人の妖祓を呼びつけたのである。


 それだけ【北の神主】と呼ばれる存在は、妖祓にとって脅威なのだ。


「北の神主とは一体何者なのでしょうか?」


 ぜひ説明がほしい。

 朔夜が願い申し出ると、月彦がひとつ頷いた。


「朔夜。飛鳥。お前たちはようやく妖祓として、妖を祓う立場となった。幼少から長けた霊力を操り、ついに妖を祓うまでに大きくなった。その成長はまことに喜ばしい」


 だからこそ成長した朔夜と飛鳥には、より知ってもらう必要がある。

 化け物が巣食う異界のことを。


「まずお前たちに謝罪させてほしい」


 朔夜と飛鳥は目を丸くする。

 なぜ謝罪されるのか、意味が分からなかった。


「幼少から【妖祓】そのものを目指させ、妖を祓う修行ばかりさせていた。それゆえ妖に関する知識に少々偏見があることだろう」


 本来ならば、調伏と並行して知識を与えるべきところだったのだが、それすら間に合わないほど、この地の妖は凶暴化していた。

 二人には一刻も早く一人前の妖祓となってほしかった。


 月彦は静かに語る。


「我々妖祓に当主がいるように、妖の中にも首魁がいる。お前たちが見た北の神主こそまさに首魁(しゅかい)だ」


 和泉と楢崎が守るこの地は人間が治める一方で、ひっそりと妖も治めている。

 妖は人知れず独自の文化を築き、その土地の安寧秩序を保っているのだ。


「日本各地にそのような文化はあるが、ここの文化はまた変わっている。妖の神職が治めている。系統は神道だ」


「神職……神道……」


 朔夜が眉をひそめたので、飛鳥は思わず一瞥してしまう。


「だから【北の神主】が首魁なのですね」

「そのとおりだ」


 北の神主は神職のひとりであり、妖の首魁にあたる者。

 善良な妖を守護してその地を統べている。


「妖の価値観は極端だ。守るべき妖は同胞として守り抜くが、ひとたび悪事を働いた妖は敵とみなす。情に篤く残忍で同胞ではないと見切りをつけられると、相手の殺生すら厭わない」


 それの筆頭が神道の神職であり、【北の神主】だと月彦。


「あれは大妖。名前は六尾の妖狐、赤狐の比良利。北を統べる化け狐だ。一見、温和な性格だが、肚の内は一切読めず警戒が必要だ」


 かつて赤狐の怒りを買い、食われた人間や妖祓もいた。

 だからこそ白狐や銀狐を捕らえようとした二人が無傷で見逃してもらったことに、とても驚いている。


 月彦は吐息をついた。


「妖狐がこの地にいることも知りませんでした」


 飛鳥の顔色が土色になる。

 運が良かったと言われて、はじめて助かったという気持ちと、言い知れぬ恐怖心が襲ってきた。


 月彦は話を続ける。


「神職の妖は滅多なことで人間の前に姿を現さない。下手に姿を現せば、争いの火種になると知っているからな。たとえ町に現れることはあれど、その姿を化かして人間の前に現すはずだが」


 北の神主は浄衣で、妖狐であることを隠さず姿に現れた。非常に不吉だ。

 顔を顰める月彦に、意を決して飛鳥が疑問を投げた。


「北の神主についてなのですが……ほかにも神主がいるのですか」


「ご名答。妖たちの間で統べる土地を分担しているようだ」


 この土地の守りは神職によって委ねられている。

 けれど広範囲のため、神職は南北に分かれている。異界に【妖の社】を建て、末永く妖らの暮らしを見守っている。


「【妖の社】がどこにあるのかは分からない。いつの時代もそれを探そうとして失敗に終わっている」


 明確に言えることは、それは人間の暮らす町にはない。異界にある。


「私たちが妖を祓う行為は首魁の逆鱗に触れていませんか」


「飛鳥が懸念するのも無理はない。さりとて先ほども述べたとおり、妖の価値観は極端だ。情に篤く残忍な化け物たちは、同胞や人間に危害を加える妖を見捨てている」


 代々妖祓と神職は境界線を引いている。

 悪行を犯した妖がいると妖側はそれを殺生するし、たとえ妖祓が調伏しようと口出しをしない。

 そのような暗黙の了解があったのである。


 しかし近年。

 この地を治める【南の神主】が不在しており、妖の素行が悪くなっている。


 だから若い朔夜や飛鳥がろくに知識も得ることもできず、とにかく妖を祓うことだけに専念する事態に追いやられている。


「北の神主を筆頭に神職も安寧秩序を保とうとするばかりなのだ」


 人間に対して悪行を重ねる妖まで手が回っていないのだろう。

 だが。


「先日、北の神主が白狐を見て『我が対』と言っておったそうだな」

「はい。それは僕も飛鳥も、しっかりと聞いています」


「となれば、南の神主になる可能性のある妖が現れたということか。しばらく妖側が荒れるな」


 苦い顔を作る月彦に飛鳥は何故と問うた。


「南の神主が現れたのなら、首魁として妖を治める立場。妖たちは大人しくなるんじゃ」


 この疑問について、それまで口を閉ざしていた紅緒が答える。


「事情を聞くかぎり、白狐は南の神主として選ばれた段階。正式に決まったわけではないでしょう」


 ならば、悪しき妖は我が物で力を狙うはず。

 南北の神主は各々『宝珠の御魂』と呼ばれる御魂を体内におさめている。

 これは土地神の御魂だと耳にしており、手にすることができれば数百倍もの力が得られるだけでなく、その土地の妖を平服することもできる。


「荒れるとはつまり、その力を求め、悪しき妖が傍若無人に振る舞うということです」


 心してかからなければならないだろう。

 紅緒は平坦な声音で説明した。

 月彦も深々頷き、さらにこのような話を出す。


「神主の存在も気になるが、それとは別件に【鬼門(きもん)(ほこら)】に異変が起きている」


 曰く、それはヒトと妖の住む世界に境界線を引く祠だという。

 一説によると『妖の社』を守る結界の一部とも古書には記されている。

 それが在るからこそ、妖は人間を襲うことなく、自分たちの棲むべき世界に帰ると云われている。


「鬼門の祠は人間の町にある。それも妖が定める南北の領地に一つずつ。異界にないのは、おおよそ境界線を引ける場所が人間の町側にしかなかったのだろうと推測している」


 けれど困ったことに近頃、南にある【鬼門の祠】の結界が解けかけている様子。


「境界線の役割を果たす祠は非常に強力な結界を生んでいる。その力は計り知れないが、そのものは強大な妖力だと云われている」


 鬼門の祠は妖にとって、とても大切なもの。

 宝珠の御魂を宿している首魁の神主が管理されるとも言われている。

 だが、南の地にある鬼門の祠の結界が解けかけている。管理する南の神主も不在なため、結界の力が弱まっているのだ。月彦は低く唸る。


「何か問題があるのですか?」


 飛鳥が聞くと、祠から漏れ出す妖力が問題なのだと紅緒が返した。


「祠に宿る妖力は外界に触れると『瘴気(しょうき)』というものに姿を変えます。それは妖にとって有毒。瘴気に当てられた妖は善良な妖であろうと自我を失い、暴走をするそうです」


「人間を襲う妖が増える、ということでございますか?」


 血相を変える飛鳥にその通りだと紅緒は頷く。


「あなた方の父。朔と時貞が定期的に様子を見に行ってくれていますが、結界の緩みは酷くなる一方で、それを止める手立てはございません」


 一刻も早く何とかしなければ、妖が人間の住む町を襲いかねない。

 近年の目に余る妖の悪行と、悪しき妖の多さの要因の一つは、これに当たると紅緒は教えた。


「これは由々しき事態。瘴気のせいで人間が妖になるやもしれません」


 人間が妖になる話は珍しくない。

 姑獲鳥(うぶめ)だって、七人同行(しちにんどうぎょう)だって、海座頭(うみざとう)だって元は人間であった。驚くべき話ではない。


 けれど、このままでは瘴気を吸った人間が妖になるやもしれない。

 瘴気を吸った妖が人間を殺した結果、殺された人間が妖になるやもしれない。


 どのような事態になるか予測がつかない。


「人間が妖になるきっかけは予想すらできません。けれど、人間が妖になった事例は多々あります。あなた方はきっと、これから多くの妖を目にするでしょう。その中に人間から妖になった者もいるやもしれません」


「……それでも割り切らなければいけない、とおっしゃりたいのですね」


 口を閉ざす飛鳥に代わり、朔夜が返事する。

 静かに頷く紅緒の横顔は儚げであった。


「仮に鬼門の祠の結界がすべて解けてしまった場合を想定して、我々が管理することも視野に入れなければなりませんね」


 管理とは。

 飛鳥と朔夜は紅緒を見つめる。


「先ほど手立てがないと申しましたが、ひとつだけございます。しかし、できることならしたくない手段なのです。なにせ妖を敵に回すのですから」


 鬼門の祠は首魁の体内に宿る『宝珠の御魂』の力によって管理されている。

 であれば妖祓が南の地に伝わる宝珠の御魂を手にし、宝珠ごと祠を封印してしまう。

 そうすれば漏れ出す瘴気を止められる。多くの妖は瘴気にあてられずに済むだろう。

 

 とはいえ、この手段はこの地に棲む妖をすべて敵に回してしまうも同じこと。


 宝珠の御魂は妖にとって重宝である。

 事を知れば片割れの北の神主が決して黙っておかないだろう。


「赤狐とは何度も顔を合わせましたが、大層痛い目を合っています。大妖と呼ぶに相応しい強さを兼ね備えている化け狐なので、悪戦になるのは間違いないでしょう」


 正直に言えば、無用な戦は避けたい。紅緒は吐露した。


「最善の手は、妖側が鬼門の祠を早急に対処してくれることなのですが」


 妖祓と神職。

 立場は違えど双方、守るべき立場にある者。

 お互いを尊重し合い、双方の領域に足を踏み込まぬよう配慮することが、最大の思いやりだろう。


 昔から続いてきた関係なので、あまり壊すような真似をしたくないものだが。


「万が一を考えると、最後の手段を心に留めておかなければなりませんね」


「紅緒の言うとおりだな。朔夜、飛鳥。お前たちも心に留めておきなさい」


 月彦は言う。

 朔夜と飛鳥が見た白狐と銀狐は『妖の社』の関係者だと考えてよい。

 白狐は新たな南の神主になるやもしれない妖狐だろう。

 そのため、妖狐は白狐に監視の目を置きたい。足取りを掴み、生態を調べ、向こうの出方を見張れ。妖祓長は二人に命じた。


 鬼門の祠の状況次第では、たとえ妖の顰蹙を買おうと人びとの暮らしを守るため、宝珠の御魂を宿す妖を捕縛する。宝珠の御魂を妖祓のものとする。


「捕縛対象になるのは、無論未熟であろう白狐だ。心してかかれ」


 朔夜と飛鳥は、その場に手をついて深く一礼する。妖祓長の命令は絶対であった。


「じいさま。ひとつ、よろしいでしょうか」


 顔を上げた朔夜が「相談事がしたいのですが」と話を持ち掛ける。

 遅れて顔を上げた飛鳥が見守る中、月彦から許可を得た朔夜が悩みを明かす。


「いま友人が猫又に取り憑かれていまして。それの対処についてお聞きしたいのです。取り憑かれた友人は僕らの幼馴染なのですが」


「南条さんの息子ですね?」


 紅緒が聞き返すと、語り手が小さく頷いた。


「おっしゃるとおり。取り憑かれたのはショウです。彼は最近、夜遊びが酷く親御さまも困っているようでして。それに猫又が関わっているようなのです」


 彼は事細かに猫又と幼馴染の状況を説明する。

 元気のない幼馴染に寄り添うかたちで猫又が傍にいること。猫又は幼馴染を孫と見ており、幼馴染も祖母と口走っていること。妖の価値観がうつったのか、彼自身が猫になりたがっていること。


「猫又を調伏することはしごく簡単です。けれど、それをしてしまえばショウの心は壊れてしまいかねない」


 それだけ猫又の取り憑きが強い。


「どうすればショウを救えるのか、知恵を貸していただきたいのです」


 朔夜は妖祓長に頭を下げる。

 倣うように飛鳥も頭を下げた。

 二人にとって、これは頭痛のする悩みの種であった。


「あのやんちゃ坊主が猫又に」


 月彦が顎に指を絡める。

 月彦も翔のことは幼少から知っているので、取り憑かれたことに少々驚いるようだ。


「猫又は彼を孫にしたいと言ったんだな?」


「はい。孫だと言い切っておりました。孫として置くだけならまだしも、あいつ……最近体調を崩してばかりなんです。登下校中や学校で何度か倒れたこともありますし、授業は居眠りばかり。とにかく様子がおかしくて」


 なにより、幼馴染を避け始めた。

 誰よりも幼馴染を大切にしている男が朔夜と飛鳥に対して、時折後ろめたそうに、時折悲しそうに、時折泣きそうに見つめてくる。

 なにが彼をそう駆り立てているのか、皆目見当もつかない。


「なるほど。彼の心が弱っているのは確かだな」

「心、ですか」

「取り憑かれる人間には二種類いる。前者は妖術、後者は心の隙によるもの。彼の心に隙があったのだろう」


 そこを猫又がつけ込む形で取り憑いたのだろう。

 月彦は推測を立てた。


「彼が猫に大きく魅せられているのは、猫又が彼の心の隙間を埋めているからだな」


 取り憑いた人間が妖に信頼を寄せれば寄せるほど心の隙間は埋められる。


「取り憑かれた経緯は不明だが……彼はある意味危険な状態だな。最悪人間の自分すら忘れかねない」


「はい。どうすれば良いのか、僕らには分からなくて」


「思い出させてやることだ、人間の彼自身を。聞いたところ猫又に悪意はないようだ。それを祓ったところで、お前たちが懸念するように、彼の心は壊れてしまうだけだろう」


 だったら翔自身をどうにかする必要性がある。

 きっと翔の心に大きな隙間があったのだろう。


「いまそれを埋めているのは猫又だ。だから彼は猫又に魅せられている。それを朔夜と飛鳥の役割とすればいい」


 そうすれば、少しずつ翔は自分を取り戻すことだろう。


「猫又が彼の支えになっている以上、焦らず慎重に動くことが肝心だ。まずは、なぜ彼の心が弱っているのか、それを探るがいい。進展がないようなら、また相談に乗ろう」


 月彦の表情が緩和する。

 それは悩める孫に対する、祖父としての助言であった。





「――うわあ、疲れた。おばあちゃんも、朔夜くんのおじいちゃんも、めちゃくちゃ怖かった。苦手なんだよね、あの空気」


 朔夜の部屋に移動した飛鳥は畳に座り込む。

 勉強机に着いた朔夜も一々言動に目を配るから妖祓長は苦手だと吐息をついた。

 その表情は疲労に満ちている。


(相変わらず、朔夜くんの部屋は整理されているな)


 飛鳥はこっそりと勉強机に目を向ける。

 そこには整理整頓された教科書と分厚い参考書の数々。勉強家なのだと一目で分かる机だ。

 少し目を引くと、堂々と存在感を表している名門の国立大学の赤本が数冊並べてある。地元の大学もあるが、多くは県外の大学だ。


(朔夜くん、地元を出たいんだろうな)


 一度たりとも口にしたことはないが、これでも付き合いは長い。空気で察してしまう。

 努めて気付かぬ振りをしているが、やはり飛鳥の本音は県外に出てほしくない、だった。


(県外は無理だろうけどね。朔夜くんは妖祓の家系に生まれた子ども。家を継がないといけないから)


 朔夜には上に二人の兄がいる。

 二人とも『血筋・家系・一族の誇り』を守るために妖祓となり、和泉家長の下で活躍していると耳にしている。末弟の朔夜も当然、一族の血を絶やさぬよう妖祓にならなければならない。


(それは私もなんだけどね)


 箪笥に目を向ける。

 背丈の低い箪笥の上には写真が飾られていた。

 これは朔夜の母親が勝手に飾った物で、朔夜の意思ではないらしい。

 飛鳥は部屋に来るたびに写真を眺めるようにしている。幼い頃の朔夜が可愛くてかわいくて、つい母性本能を擽られるのだ。


 まだ眼鏡を掛けていない小学生時代の彼を見るために腰を上げる。


「君も好きだねえ」


 また見ようとしている。

 朔夜の呆れにも気にすることなく写真に視線を留めた。

そこにはキャンプで釣りをした幼馴染三人の姿が映っている。真ん中は飛鳥、両隣で魚を持っているのは朔夜と翔。みんな幼く無邪気に笑っている。


(この頃は良かったな)


 妖祓の修行も少なく、遊び放題だった。

 夏休み、冬休み、春休み、出掛けるときはどこでも三人いっしょだった。


(朔夜くんと二人きりになろうとすると、いつもショウくんが邪魔してきたんだよね。あの頃からちっとも変わっていないな)


 これからもこの関係は変わらないのだろう。

 思い出に浸っていた飛鳥だが、脳裏に成長した翔の姿が過ぎる。

 誰よりも幼馴染に執着していた翔。


 月に三度は遊びの誘いもあり、ややうざったいと思うこともあったのだが……今の彼はどうだろう。

 誰よりお喋りだったのに口数は半分以下。話し手から聞き手に回るようになった。落ち込んでいる様子は見られなくなったが、物思いに耽る様子は目に余る。

 猫又に魅せられ、毎日のように猫と散歩している。


 そろそろ遊びの誘いがあっても良いのに一向に音沙汰がない。


(三人で過ごす時間が好きだったんだなぁ)


 仕事の都合でドタキャンばかりしていたが、いまでは翔からの誘いが恋しい。


「ショウくん。私たちには何も言わないけど、心が弱っていたのかな」


 だとしたら、どんな悩みが彼の心を弱めているのか。


「なんだか、最近のショウくんは遠くへ行っちゃいそう」

「あのショウが、飛鳥を置いてどこかに行くとは思わないけど」


 返事は期待していなかったのだが、ぶっきらぼうな声が返ってくる。

 猫又に取り憑かれている翔に何もできないことが歯がゆいのだろう。朔夜の表情は不機嫌だった。本当は猫又を調伏したくて仕方ないに違いない。


「猫になりたい……か」


 飛鳥は翔の放った言葉を噛み締める。

 翔は猫又を腕に抱き、うっとりとして語っていた。猫になりたいのだと。猫又は自分の祖母なのだと。自分は孫なのだと。あんな翔は見たことが無かった。


(このままだとショウくんがショウくんじゃなくなる)


 飛鳥は不安に駆られる。

 好意を寄せてくる翔のことは嫌いではない。むしろ幼馴染としては大好きだ。そして三人で過ごすあの時間はとても大切だ。

 いざ、そういう時間を過ごせていないことに気づいてしまうと無性にさみしい。


「あの猫又が、全部そうさせているのかな」


「だとしたら、僕は容赦なくあの猫又を祓うよ。ショウが悲しもうとも、僕は妖を祓う。ショウに万が一のことが遭ったら遅いから」


「朔夜くん。それはだめだよ。ショウくんの心が壊れる。分かっているでしょ?」


「分かっているよ。だけど、僕は許せないんだ。あいつが妖のせいで変わっていくことが、どうしても」


 取り出した数珠を力強く握り締める朔夜にすっと目を細めた後、飛鳥は写真に視線を戻した。


(早く元のショウくんに戻ってほしいな)


 誘われたら今度こそドタキャンせずに遊ぶのだ。

 たとえ妖祓の仕事が入っていようとも。


(――ショウくん。どうして私たちに何も言ってくれないの。いつもだったら、相談してくれるのに)


 どうして、幼馴染を避けるのだ?

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