<十四>はじめての同級生
形代を手に入れてから翔の生活は少しだけ変わった。
悩みの種になっていた親の目問題が解消されたことで、明け方までのびのびと妖の社に滞在できるようになったのである。
一方、狐の夜行性問題は解消されていないので、相変わらず学校では居眠りばかりして教師に叱られている。
呼び出しの常連になりつつあるので、こちらについても早いところ解決したいもの。保護者面談をすると言われたら堪ったものではない。
そうそう。幼馴染たちとの関係は今のところ良好だ。
呼び出される翔にため息をこぼすことは多いが、口やかましく詰問することはなくなった。
代わりに猫についてよく聞かれる。
「ショウくん。猫なんだけど」
「コタマのことか?」
「飼いたい?」
「コタマは俺のばあちゃんだぜ? 飼うもなにも、ずっといっしょにいるよ」
「……うん、そうだね。うん」
「……ショウ。勘弁してくれよ」
「どうしたんだよ。お前らも孫になりたいならコタマにお願いするけど」
このような会話を繰り返して、翔がシラを切っているからだろう。
猫又に取り憑かれている人間を演じられているか不安ではあるが、とりあえず乗り切れているので良しとしておく。
今のところ、おばばを調伏する様子も見られないのでひと安心だ。
人間側の生活に少しだけ落ち着きを取り戻すと、翔は妖側の生活も考えるようになった。
どんなに嘆いてもいずれ翔は妖狐になる。
であれば妖狐になった後のことを考えるべきだろう。
いまのうちに準備できるところを準備してしまえば、自然と心構えもできるのだから。
(化け狐なんだし、狐にもヒトにもなれた方が良いよな)
そのように考えた翔は青葉に変化を教わることにした。
妖狐には狐になる『獣型』と、ヒトになる『人型』、妖狐本来の姿になる『妖型』があるそうなので、手始めにいつでも狐に変化できるようになろうと練習に励んでいる、
しかし、翔の意思で狐になることは容易ではない。
四苦八苦に妖力を引き出して、自分の姿かたちを狐にしようとしても尾っぽと耳が生えるだけであった。
ギンコの妖力を借りれば、あっという間に狐になれるのだが……自分の力だけで変化を試みると上手くいかず、無駄に妖力を使い果たしてしまうのが関の山。
今宵も妖の社を訪れた翔は行集殿の庭で変化の練習をしていたのが、やはり狐にはなれず耳だけが出てしまい青葉に笑われていた。
「翔殿。耳だけご立派な狐ですよ」
縁側に腰を掛けて様子を見守っていた青葉が、笑いながら指摘してくる。
「ううっ。また失敗かよ」
顔を紅潮させ、両手を頭に置く。
立派な狐耳に触れ顔を顰めてしまった。確かに手触りの良い耳がそこには生えている。しかしそれだけである。狐に変化した様子はない。
青葉の隣で応援しているギンコがどんまいと鳴いてくれるが、さらにその隣に座るツネキは鼻を鳴らすばかり。明らかに小ばかにしている。
「ツネキ。お前、性格悪いぜ」
こっちは必死で練習しているのだから、少しは応援してくれても良いではないか。
翔が文句をぶつけるも、ツネキはシッシと尾を振って、まだまだ青二才だと舌を出してくる。腹立たしい狐である。
近ごろのツネキは翔の前に姿を現すことが多くなっている。
理由はもちろん、ギンコといたいがためである。
狐火の練習を始めたギンコは積極的に翔を誘ってくる。翔としても変化以外の術を使ってみたい気持ちが勝り、当たり前のように誘いに乗っている。
そうなれば当然、翔とギンコがいっしょに過ごす時間が増える。
これに許婚のツネキは危機感を覚えたようだ。
二匹だけの世界にさせまいと、毎度のように姿を現すようになったのである。
それだけなら良いのだが、変化の練習をする翔を毎度のように小ばかにしてくる。恋敵と見られているため仕方のない態度なのだろうが、腹立つことには変わりない。
翔はべろべろんと舌を出してくるツネキに口元を引き攣らせた。可愛くない狐である。
「お前さぁ。俺に嫉妬する暇があるなら、もっとギンコを大切にしろよ。ツネキが余所見するから、ギンコが愛想を尽かすんだろう」
うるさいと吠えてくるツネキにも、多少の罪悪感はあるらしい。
ギンコをちらちらと一瞥すると甘えたな声で鳴いた。おおかた甘い囁きを紡いだのだろうが、銀狐の反応はそっぽを向くばかりであった。
その様子に青葉がちくりと嫌味をこぼした。
「ツネキ。オツネにばれていますよ。貴方が昨日つらら女に甘えてすり寄っていたこと」
金狐が固まる。
翔は頓狂な声を上げ、ギンコを腕に抱いた。
「呆れた、また浮気したのよ……ギンコ。さすがにお前が可哀想になってきた。許婚に愛想が尽きたら、いつでも俺のところに来いよ。俺がもらってやるから」
途端にツネキが殺気立った。
ぶわっと総身の毛を逆立て、鋭い牙を見せてくる。
しかし翔は余裕綽々に金狐を見据えると、「じゃあ浮気はやめるか」と言って語気を強める。
「ギンコを泣かせないなら、身を引いてやっても良いぜ」
かぎりなく上から目線で伝えると、ツネキが思い悩むように唸った。
「………お前。普通そこは悩まねえだろ」
一途にギンコを思う!
そう吠えてくれたら男としての株も上がっただろうに。
「ったく。まじでもらっちまうぞ」
ギンコを縁側に置き、放置している携帯を手に取る。
「ほら見ろよ。俺とギンコの仲の良さを!」
待ち受け画像をツネキに見せてやる。そこには翔とギンコが密接に写っていた。
これだけで驚くことなかれ、既に画像フォルダはギンコでいっぱいである。
「俺たちはラブラブなんだよ」
許婚よりも仲が良いと断言できる。
「悔しいかばーか! 悔しいならギンコとこれくらいくっ付いて見せっ、アブネっ!」
噛みつこうとするツネキから颯爽と逃げ、先ほどのお返しに舌を出す。
この狐とは喧嘩する仲になっているため、このやり取りは日常茶飯事となっていた。
「うわっち」
翔の懐に入ってきたので、ツネキを素早く抱き上げてやる。
それが相手にとって屈辱的だったらしく、クオンクオン! 激しく鳴いて尾っぽで腕を叩いてくる。さほど痛くもない。
翔はツネキの繰り出してくる攻撃を、臨機応変に対応できるようになっていた。
ただし狐火だけはどうしようもない。
これが出ると本気で逃げるようにしている。
「出た狐火っ! お前、十七の餓鬼相手におとなげねーぜ!」
今回も抱き上げたツネキが容赦ない狐火を出そうとしたため、急いで金狐を解放する。
そしてギンコたちの下に避難すると、べろべろんと舌を出した。ギンコや青葉を盾にされるとツネキも攻撃ができないようだ。ツネキは悔しそうに前脚で地団太を踏んでいた。
「見たか、俺の勝ち」
右手をあげて笑う。
「飽きませぬか?」
一連の様子を傍観していた青葉が心底呆れている。
ギンコと頻繁に喧嘩をしている青葉にだけは言われたくない台詞である。
「あーあ。疲れた」
翔は縁側に腰を掛けて休憩を取ることにした。
柱の側に置いているコンビニ袋を手繰り寄せると、スポーツドリンクを取り出して喉を潤した。
「ん?」
と、ギンコから期待に満ちた眼を向けられる。
「ああ。お菓子か? 買っているよ」
ペットボトルに蓋をし、袋から板チョコを取り出した。
すると青葉も爛々に目を輝かせる。必死に隠そうとしているが、双眸はつよい期待をしていた。彼女はすっかりチョコに魅せられているようだ。
「ほら、青葉の分」
「お心遣い感謝いたします。遠慮なくいただきますね」
板チョコを差し出すと、青葉がすまし顔で受け取った。努めて平常心を保っているようだが、礼を言う声は喜びに満ち溢れていた。分かりやすい巫女さんである。
心の中で笑いつつ、ツネキにも声を掛ける。
「お前は何が好きなんだ。板チョコの他にポテチもあるけど……甘いのがいい? しょっぱいのがいい?」
菓子を見せると、ツネキの間の抜けた顔が飛び込んできた。
己の分があるとは夢にも思わなかったようだ。
確かにツネキとは喧嘩ばかりだし、小ばかにされることも多い。時にギンコのことで命辛々に逃げることもあるが、それはそれである。
間食をする時くらい穏やかにいきたいではないか。
「早く来いよ。いっしょに食おうぜ」
手招く翔に怪訝な顔を作り、ツネキがのそりのそりと歩んでくる。
その身を抱き上げ、膝に乗せると盛大に暴れられた。太い爪で引っ掻こうとしてくるが、お構いなしにポテトチップスの袋を開けて一枚を差し出すとぴたりと動きが止まる。
「お前が食わねえなら俺が食うぜ?」
間を置いて悔しそうに鳴くツネキは、ポテチにかぶりつくと膝の上でおとなしく食べてくれた。
通訳する青葉曰く、食えないことはないがおいしいものではないらしい。だから今度は自分が本当のうまいと思える菓子を持ってくるとのこと。餓鬼の舌では、これが精一杯なんだろうそうなんだろう……と、絶えず悪態をついているそうだ。
「それにしちゃポテチの食いつきがいいことで」
ぽいぽいとポテチを口に入れるツネキは天の邪鬼とみた。
「ツネキ。ポテチってうすしお味以外にも味あるんだけど?」
するとどうだ。
ツネキの耳が見事に立った。食べたいらしい。天の邪鬼だが正直狐なのだろう。仕方がない狐だ。明日持ってきてやろう。
クオンクオン。
ツネキが翔を見上げて鳴いてくる。
はて今度はなんだ。
「翔殿。お団子は好きですか」
「ん? まあ嫌いじゃないぜ。みたらし団子とか好きだけど」
「ツネキが明日買ってくると言ってますよ」
おや?
ふたたびツネキを見ると、ふんと鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまった。
借りは作りたくない主義なのだと主張しているらしい。
たぶんポテチのお礼なのだろう。ありがたく受け取ることにしよう。
「風が気持ちいいな。油断したら風邪引きそうだけど」
冷え込む縁側で休憩を取るのもなんだが、火照った体には丁度いい。二月終わりの夜風が余熱を攫ってくれる。寒がりなので長時間、夜風にあたっていると凍えそうだが。
「青葉は寒くないか? 俺は動いているから、そんなに寒くないけど」
狐たちはともかく人型の青葉は非常に寒そうである。
巫女装束は薄手なのでこれまた寒そうに思える。
「中に入ってていいぜ。寒いだろ?」
青葉はかぶりを振る。
「かいまきを掛けているので大丈夫ですよ。心配してくださり、ありがとうございます」
目尻を下げると、彼女は優しく微笑んだ。
その表情を恍惚に見つめていると、青葉からどうかしたのかと声を掛けられる。我に返った翔は率直に自分の思ったことを伝えた。
「青葉。もっと笑った方がいいと思うよ」
「え?」
「そっちの方が可愛いって」
彼女の第一印象を思い出した翔は、もっと感情を表に出した方が良いと伝える。
「青葉の最初の印象って取っ付きにくいっつーか……やけにもの寂しい印象があったから。俺はいまの青葉の方が好きだな」
親しみやすいよ、と言ったところで猫の鳴く声が聞こえた。
『楽しそうだねぇ』
しゃがれた笑声がひとつ。おばばだ。
姿を探すと行集殿の傍にある草むらから、ひょっこりと猫又が顔を出した。
「おばば。どこに行っていたんだよ」
それまで留守にしていた猫又に出掛けた先を尋ねるが、おばばは何も答えない。
「坊や。支度をし。出掛けるよ」
「え、いま来たのにまた出掛けんの? しかも俺も行くのか?」
念を押して聞くと、おばばは間髪を容れずに頷いた。
四つ尾っぽで手招き、いや尾招きしてくるため、しぶしぶと腰を上げる。
『青葉、留守を任せたよ。オツネ、今回はお前さんも留守番だ。ツネキと仲良くしておくれ』
おばばは当たり前のように、青葉に留守番を任せた。
またギンコがついて来ることを許さなかったので少々驚いてしまう。誰がついて来ようと、留守番をしようと、個人の自由にさせるのがおばばなのに。
「どこに行くんだよ。おばば」
おばばは翔を鳥居まで誘導してくる。
寒い寒いと呟くおばばを抱き上げ、向かう方角を尋ねると日輪の社に行きたいとのこと。
日輪の社に行くには一旦、月輪の社を出てなければならない。
翔は石段をくだり、玉桂神社を出ると鳥居に足をのばした。そこで時計回り8の字に歩き、石段を一段越しに上がっていく。
「一回出るって面倒だよな」
『出口は一本道だからねえ』
「入り口は複数あるのにな」
白い息を零しながら、頂上までのぼる。
見る見る空間が歪み、賑わいを見せる日輪の社に到達した。
相変わらず、さびれた月輪の社とは違って活気ある社だ。行き交う妖らの光景に目を奪われてしまう。
「日輪の社に着いたけど、これからどうするんだ?」
腕の中で暖を取るおばばに目を落とす。
『比良利と参道で落ち合う約束なのだけれど……』
「え、比良利さんと?」
『憩殿にいるのかねえ……あ、いた。坊や、比良利はあそこだよあそこ』
猫又が忙しなく四つ尾で参道外れを指す。
おばばの言う方角を見ると、一つ目小僧の開く出店前に浄衣姿の比良利がいた。手に持っている蛇の目模様の和傘が大層目を引く。
駆け足で赤狐の下に向かうと、店主と談笑していた比良利が翔に気づき、体ごと振り向いた。
「待っておったぞ、ぼん」
和傘を回す比良利に会釈する。
「比良利さん。こんばんは……えっと、俺に用?」
赤狐の計らいで呼びつけられたのは容易に察することができた。
(もしかして何かあったのか。宝珠の御魂のことで)
北の神主が小僧狐を呼び出すなんて、よっぽどのことである。周りに妖がいるので口には出せないが、宝珠の御魂関連の厄介事でも起きたのだろうか。
これでも比良利とは双子関係なので、宝珠の御魂に関わることなら翔も話を聞かねばならないだろう。
身構えていると、比良利が能天気に話を切り出した。
「お主に紹介したい者がいてのう」
予想外の言葉である。
目を点にし、比良利の言葉を復唱する。
「紹介したい者? 俺に?」
「そうじゃ」
比良利はひとつ頷く。
なんでも比良利の友人を紹介したいらしい。
「彼らじゃよ」
ゆるりと彼が背後を振り返る。
翔も比良利越しに紹介したい者を覗き込む。
そこには人の良さそうな夫妻が立っていた。
一人は眼鏡を掛けた中年の男が、一人は純白の着物を着た女が肩を並べて立っている。
黒髪の男は山伏の装束で一本歯の高下駄を履き、手には葉団扇を持っていた。
対して女はカーキ色の髪と、雪のように白い肌を持っている。
「こんにちは。南条翔さんだね。木の葉天狗の錦辰之助です」
「お初にお目にかかります。雪女の錦雪江と申します」
丁寧に挨拶してくる夫妻にぺこりと頭を下げ、比良利を見上げる。
とても親しい仲のようで、赤狐は上機嫌に付き合いの長い友人なのだと教えてくれた。くるりくるりと何度も和傘を回しているので、よほど錦夫妻に会えて嬉しいのだろう。
「ぼんよ。彼らは人里で生活し、生計を立てている妖なのじゃよ」
「それって妖がヒトにまぎれて生活しているってこと?」
頓狂な声を上げてしまう。
妖とヒトは相容れぬ存在だと、比良利自身から常々聞いていた。ゆえに驚きを隠せない。
「凄いじゃろう。わしも真似できんよ」
比良利はひとつ笑い、錦夫妻に自慢の息子を紹介してやってくれと頼んだ。
「きっとヒトの子のぼんと話が合うであろう」
そう断言する比良利の申し出により、錦夫妻が息子を呼ぶ。
「雪ちゃん。そこにいるのでしょ」
「雪之介、こちらに来てご挨拶なさい」
錦夫妻の息子は出店で買い物をしていたらしく、一つ目小僧の店で甘酒を購入していた。
「え」
翔はふたたび驚いてしまう。
錦夫妻の息子は妖でありながら、人間の学生が身に纏う学ランを着ていた。
「一つ目小僧さん。多めにお願い」
雪之介と呼ばれる息子は漆塗りの器を差し出すと、一つ目小僧に並々と甘酒を注いでもらっていた。
「あいよ、お待たせ」
「ありがとう、これお代ね」
ポケットから青い小石を取り出して、甘酒を受け取る雪之介は迷うことなく翔の前に立つと「これは君の分」と言って甘酒を差し出してきた。
「え、あ、ありがとう」
反射的に受け取ってしまう。
翔が恐る恐る錦夫妻の息子を見やると、彼はずれた眼鏡を掛けなおしていた。
「南条翔くんだよね。はじめまして、僕は錦雪之介。君と同じ人間にまぎれて暮らす高校二年生だよ」