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南条翔は其の狐の如く  作者: つゆのあめ/梅野歩
【弐章】名を妖狐と申す
32/158

<十二>君の恐れ(壱)



 ◆◆◆



「失礼しました」


 職員室を出た翔は眠たい目をこじ開けながら、重い足取りで昇降口へ向かっていた。

 あくびを噛み締めるも、口からは止まらないあくびと、重いため息がこぼれてしまう。


(参ったなぁ。ついに常習犯になっちまった)


 がっくり肩を落としてしまう。

 翔は担任に呼び出しを食らっていた。

 理由はしごく簡単で、大半の授業を居眠りしていたからである。

 それこそ朝補習から放課後補習まで居眠りしてしまった結果、担任からカミナリを落とされてしまった。

 かれこれ三度目の説教なので、そろそろ保護者面談も視野に入ると宣言された。


 それだけは勘弁してほしいのだが……。


(眠くなるのはしゃーないだろ。俺は半分、夜行性の狐なんだから)


 夜行性の本能を持つ翔にとって、朝昼の活動は非常につらい。

 本来であれば眠っている時間なのだから。

 その代わり、夕夜はぱっちり目が冴えている。これも狐の血がそうさせているのだろう。


(いくら妖力で狐の五感は抑えられても、狐の習性を変えるのは難しいって)


 担任からは「受験生になる意味が分かっているのか」等など、と耳にタコができるまで叱られた。

 どんな生活を送っているのだ。ちゃんと寝ているのか。まさか勉強疲れではなさそうだが、と余計なことまで言われてしまい、翔は苦い顔を作るしかない。


(朝昼は学校。夕夜は妖の社で妖のことや、妖力の制御を教えてもらっている。そのせいで寝る時間がねえんだよなぁ)


 妖の社へ行くのは、妖の世界をもっと知るため、自分の生態を知るためである。

 以前のように『祝の夜』を知らなかったばかりに、危険な目に遭うのは真っ平御免(ごめん)である。半分でも妖狐の血が流れているのだから、知っておくべきところは知っておかなければならないだろう。


(だけど、このままじゃまずい)


 両親に事が知られてしまえば……保護者面談の光景を想像した翔は身震いしてしまう。


(何か手を打たねえと)


 昇降口でスニーカーに履き替える。


(今日は何時頃、妖の社へ出よう)


 最近、親の目が光っているせいで家を抜け出すことがとても難しい。

 『祝の夜』の日も、部屋を空けていたことが親にばれて大目玉を食らったばかりである。

 まったくもって不本意だったのだが、親にどう弁解して良いか分からず、翔は言い訳できずに説教を浴びた。


 とくに激しく説教をしてきた母は翔の目の前で「翔の小遣いはなしにしましょうよ」と、父に相談を持ち掛けていた。勘弁してほしいと謝り倒したあの日のことは、昨日のことのように思い出せる。二重生活は楽ではない。


(親を誤魔化せる手がねえかな。それこそ妖術とか……あれは)


 校舎を出ると、正門前で幼馴染達を見かけた。

 相変わらず、仲良しこよしと登下校を共にしている彼らの姿に苦笑した。

 幼馴染らも学生と妖祓の二重生活も苦労しているようだ。顔つきが険しい。妖の話でもしているのだろうか。


(声を掛けてみるかな)


 先日の件を思い返してしまい、自然と体が強張る。

 大好きな幼馴染らに命を狙われた恐怖は簡単に拭えない。怪我を聞かれた時は思わず八つ当たりをしてしまったほど、彼らには警戒心が募ってしまっている。

 心配してくれている気持ちは分かっていたのに。


(皮肉だよな。妖の俺は妖祓に狙われて、人間の俺は幼馴染に心配されて……苛々しちまう自分が嫌になる)


 態度こそ改めたがあれ以来、翔は幼馴染らと距離を置いている。

 できるだけ自然に振る舞いながら、けれど、以前よりも幼馴染にまとわりつかないようにしている。

 下手に距離を縮めて、また理不尽な態度を取ってしまわないようにしようと努めているのだ。日頃の行いが悪いせいで、幼馴染らは距離を置こうとする翔を勘づいているようだが、翔は気づかない振りをしている。


 わがままだと思っている。

 でも、いまはそうさせてほしい。


(少しでも距離を置かねえと……あいつらを失うかもしれねえしな)


 翔は前を歩く二人に軽く目を伏せた後、早足で通り過ぎることにした。


「じゃあな。朔夜。飛鳥」


 当たりさわりのない挨拶をかけて終わる。

 これならば自然に見える一方で距離も保っているように見える、はずだ。

 しかし通学鞄を引っ掴まれて翔は足を止めてしまう。

 振り返ると、朔夜が微笑んでいた。恐ろしいほど綺麗に微笑んでいた。翔の直感が働く。この顔をしている幼馴染は危険だ。すぐに逃げなければ!


「丁度良かったよ。ショウ」

「俺はたぶん良くないよな。この状況」

「つれないこと言わないでよ」

「……なんか用か?」


 恐る恐る聞くと、朔夜の眼光が鋭くなった。


「いまね。ショウのことを飛鳥と話していたんだ」

「なんだよ。俺と遊んでくれるのか?」


「遊んでくれたら夜遊びを止めてくれるのかい?」


 げっ、その話は。

 翔は顔を引きつらせる。


「うちの母さんが相談されたらしいんだ。最近、どこかのばか息子が夜遊びをしている。柄の悪い友達でもできたんじゃないか。何か知っていないかって」


「な。なんの話だろうな」


 うそが下手くそな翔は冷汗を流しながら通学鞄を大きく振る。朔夜は手を放そうとしない。

 思わず飛鳥に視線を投げて助けを求めるが、無言の笑顔を返された。やばい、敵はもうひとりいる。

 こうなれば強行突破だと、掴まれた通学鞄ごと走ってみたが、さすがの翔も二人がかりで鞄を掴まれてしまえば抵抗が弱まる。


 正門を抜けたところで朔夜が切り出した。


「ショウ。逃げても無駄だよ」


 なんなら家に押しかけてやろうか。

 今日職員室に呼び出された内容を翔の母親に告げ口してもいいのだけど、と最高の脅し文句を投げられてしまい、ぴたりと足が止まってしまう。

 なんて卑怯な……翔は朔夜をじとりと睨んだ。


「お前が悪いんだろ」

「なんだよ。俺は悪いことなんて」

「だったら逃げる必要なんてないだろう?」


 それもそうである。

 ああもう。翔は考えることを放棄したくなった。

 どうすればこの二人から逃げられるのだろうか。いつもいっしょにいたいと考えたことはあれど、逃げたいなど一度も考えたことがないため、この状況は頭を悩ませる。


(もういいや。どうにでもなれ)


 翔は考えることを投げた。

 こうなれば流れに身を委ねるしかない。なるようになれ、である。


「はあ、分かった。もう逃げねえよ」

「最初からそうすればいいんだよ」

「で?」

「ショウくん。誤魔化さないでよ」

「べつに誤魔化してなんて」


「夜遊びのこと、本当なの?」


 飛鳥が問うてくる。

 翔は無言を貫いたが、それは肯定も同然の態度であった。

 そうなれば幼馴染らの尋問は詰問になる。なぜ夜遊びをしているのだ。どうして夜な夜な部屋を出ているのだ。夜どこをほっつき回っているのだ等など、翔の両親と同じくらい親らしい問いかけをしてくる。


(やべえ第二の親がここにいる。お前らはいつから俺のパパとママになったんだよ)


 喉元まで出かかった言葉を無理やり嚥下する。

 下手なことを言えば、火に油を注いでしまうだろう。


(放っておいてもいい話なのにな)


 それだけ心配してくれているのだろうが…………。

 普通の幼馴染というものは、夜遊びをする幼馴染の奇行に首を突っ込むものなのだろうか。

 まあ、翔が反対の立場なら同じことをする自信はあるが。


――にゃあ。

 

 と、しゃがれた猫の声がひとつ。

 まるで頃合いを見計らったかのように、鳴き声が三者の会話を遮った。

 聞き覚えのある鳴き声に思わず猫の姿を探すと、民家のブロック塀にキジ三毛猫がいた。おばばだった。

 散歩がてらに翔を迎えに来てくれたのだろうか。

 お節介猫は度々学校まで赴いてくれる。


「コタマ。なんだよ、来てくれたのか」


 一匹の猫として振る舞っているおばばを【おばば】と呼ぶより、【コタマ】と呼んだ方が自然だろう。翔は殆ど口にしない本名で猫又を呼び、ブロック塀に歩み寄る。


 おばばが颯爽と肩に飛び乗ってきた。

 ごろごろと喉を鳴らすおばばは翔の頬に頭をすり寄せた後、寒い寒いと鳴いてくる。腕を持ち上げると、さっさと移動して、その中に収まった。

 さらに目が意味深長に訴えてくるため、片手でマフラーをほどき、それを猫に掛けてやる。相変わらず、寒がりなおばあちゃんだ。


「ショウくん。その猫……」


 飛鳥が猫を指さしてきたので、翔は笑顔で答える。


「お前たちも見たことあるだろ? 仲良くなった猫だよ。最近いっしょにいるんだ」


 猫の正体を知っている幼馴染らは、ぐっと片眉をつり上げた。それに気づかない振りをするのも一苦労である。


「最近いっしょにいるって……ショウ、まさか夜遊びをしている理由は」


 朔夜の探りを入れ始める。

 違う違う、否定しようとした言葉は猫の鳴き声にかぶせられた。

 そして驚くべきことに、自分の意思とは関係なく口が動き始める。


「俺はコタマの孫だから、いっしょにいてやらないと。とくに冬の夜は冷えるから、ばあちゃんの傍にいて温めてやらないといけなくて」


 これは翔の言葉ではない。

 むしろ本人は口をどう閉じようか、心の中で焦りまくっている。


 なのに幼馴染らに告げる言葉は止まらず、うっとりと頬を緩めた。


「いっそ、このまま猫になりたい。そしたら何もかも悩まずにすむ。人間は面倒な生き物だ。俺は猫になりたい。大丈夫、なれるさ坊や。お前さんは、わたしの孫なんだからねぇ」


 もはや頭の中は大混乱の嵐である。

 なぜ口が止まらない。

 なぜ自分の意思に反し、思ってもいないことを口走るのだ!


(ちょっ、おばばのせいだろこれ!)


 所々おばばの口調がまじっているのは、これ如何に。

 このような発言をしてしまえば、余計幼馴染らに怪しまれるではないか。


(俺に何をしたんだよ。おばば!)


 ぎこちなくおばばに視線を落とすと、翔の腕の中で猫又が顔を洗っている。そしてあの不気味な笑い声を漏らした。やはり、これは猫又の仕業のようだ。


「なるほどね。ショウの夜遊びの原因はお前か。猫又」


 翔の前だというのに、朔夜は猫の正体を明かした。

 その眼差しは、ひと目で子どもを大泣きさせるほどの威圧感を持っている。


「おやおや。目つきの怖い坊やだねぇ。この子をちょいと孫にしたからって、怒らなくてもいいじゃあないか」


 返事をしたのは翔だが、答えたのはまぎれもなくおばばであった。


「人畜無害だと思っていたら……お前、ショウに取り憑いて何をたくらんでいるんだ」


 どうやら、おばばは翔に取り憑いているらしい。

 だから勝手に口が動き、おばばの言葉が出てきたのだ。納得である。


「何もしやしないさ。ただ、この子を傍に置きたいだけだよ。そうだよ、俺はコタマの傍にいたかっただけだぜ。どうして怒っているんだ、朔夜」


 わけが分からない。

 首を傾げる翔は勝手に動きしゃべる自分を、他人事のように見守るほかなかった。

 いつになったら自分の言葉で話せるのだろう。


「おばあちゃん、ショウくんに取り憑くのはやめてよ。妖に取り憑つかれた人間は、どんどんおばあちゃんの影響を受けるんだよ。それを知らないわけないよね?」


「もちろん知っているさ。だから坊やは、俺は、祖母なんだ。孫なんだよ」


「分かった。お前の目的はそこなんだね。ったく、老婆の出来心なのかもしれないけど、ショウは人間だ。猫になれるわけがない」


 だから取り憑つく行為をやめろ。調伏されたくないだろう。

 朔夜が脅迫する。数珠を取り出し、その右手に巻くものだから、彼は本気でおばばを調伏する心構えなのだろう。

倣うように飛鳥が呪符を取り出す。状況は悪化したと言っても過言ではない。


「朔夜、飛鳥、コタマに何をするんだ?」


「ショウ。頼むから猫をこっちに渡してくれ」


「お前らも孫になりたいの? いいぜ、いっしょに孫になろう。猫になろう」


「……違うのショウくん」


「違う? じゃあコタマに何をするんだ? 俺とコタマは離れないよ。ずっといっしょにいるんだから。俺はコタマの孫なんだから」


「ああくそ。猫又っ、ショウにどれくらい深く取り憑いているんだよ」


 舌打ちをする朔夜にも、数珠を鳴らす飛鳥にも動じず、猫又は翔を取り憑き続ける。


 おばばは肝が据わっている。

 さすがは四百年と半世紀生きる化け猫。この状況を、簡単に突破する策を出した。正しくは鳴いた。


 あれこれ翔にしゃべらせた後、周囲一帯を響かせるほど大きく鳴いた。鼓膜が破れそうな鳴き声は、鋭く尖っており、黒板を引っ掻く音よりも甲高い。聞いた者は、みな動きを止める。

 それが走る合図だった。


 翔はおばばを抱えて幼馴染らに背中を向けた。死に物狂いで走る羽目になった。

 当然ながら彼らも全力で追い駆けてくる。

 真剣勝負、本気の鬼ごっこの始まりである。


「おい、おばば! 俺に何させてるんだよ!」


 とんでもないことになったではないか。

 文句を垂れる翔は、もうおばばに取り憑つかれていない。

 おかげで自由になった口でたっぷりと文句を吐くことができた。


『これで夜遊びの一件は解決したじゃあないか。お前さん、言い訳に困っていただろ? 良かったねぇ』


「悪化した気がするんですけど! あいつらに今度はなんて言い訳しよう!」


『ほらほら。文句を言う前に足を動かしなねえ。あの坊やたちに捕まれば、わたしが危ないんだから』


 だったら、自分の足で走ってくれないだろうか。

 翔が振り返ると、ああ来てる。来てる。法具を握った二人が自分の背中を追い駆けてきている。翔を救おうとして、あんなにも必死で走っている。片隅では嬉しく思うが、まさか人間を装っている昼下がりから妖祓と追いかけっこになるなんて。


(とにかく人目のつくところに行こう)


 大通りへ向かうために緩やかな坂道をのぼる。

 頂上に辿り着く頃には息が切れはじめていたが、足を止めたら一巻の終わりである。


「うげ。はやっ」


 足の速さと体力には自信があるものの、二人の前ではそれも砕け散りそうだ。

 あっという間に坂をのぼってくる幼馴染らを一瞥し、逃げられそうな道を探す。おばばを調伏されるわけにはいかない。


『坊や。そこの小道にお入り』


 指定された小道は行き止まりのはずだが何か策があるのだろう。

 おばばの言う通り、坂道の向こうに見える小道へ飛び込んだ。

 すると待ち構えていたかのように、両脇のブロック塀に猫たちが集まっている。

 先ほどの鳴き声で集まった猫たちであった。


『お前たち、頼むよ』


 おばばの一鳴きによって猫たちが一斉にブロック塀から飛び降りる。

 そして遅れて小道に入った少年、少女にすり寄ったのだから呆気にとられるしかない。行く道を塞がれた二人は、猫の多さに素っ頓狂な声を上げている。

 さすがに猫相手では手も足も出ないようだ。


『さあさあ。猫の可愛さをとくと堪能しておくれ。お代はいらないよ』


 ひーっひひひひ。

 不気味な笑いを上げるおばばは、自分を調伏しようだなんて三百年早いと妖祓らを小ばかにする。妖力なんぞ使わなくとも、賢い知恵さえあれば難は乗り切れるとのこと。


「勘弁しろよ猫又。よりにもよって、なんでショウなんだよ。ショウを本当に人間を孫にできると思っているのかい?」


 朔夜の苛立った声はすでに遠い。

 翔は行き止まりのブロック塀によじ登り、民家に不法侵入をしていたところだった。


 先に敷地へ飛び降りる。

 ブロック塀を見上げると、猫又はまだ塀の上にいた。


『もちろん、思っているさ。たとえこの子が人間であろうと、わたしが化け猫であろうと、この姥心は本物なのだから。それは誰にも否定することができないものさ』


 孫にした以上は、責任を持って面倒を看よう。

 そう宣言するおばばに、なんだか泣きたいやら、気恥ずかしいやらである。


(おばばはいつもそうだよ)


 それがどれだけ翔の心を軽くしているのか猫又婆は知らないだろう。

 にゃあ。一声鳴いて、待ち構えている翔の腕に飛び込むおばばがこちらを見上げる。


『おばばは、いつだって坊やの味方だ。だから泣かなくてもいいんだよ』


「なっ、泣いてねーよ、うるせぇな。そんなこと知ってらぁ」


 悪態をつくと、何もかも見透かしたように、そしておかしそうに、おばばが一声鳴いた。

 まったくもっておばばには敵わない。逆立ちしたって敵いっこない。四百年も生きている化け猫相手に勝てるわけがないのだ。


「ひとまず移動するぞ。おばば」


 紅潮する顔をそのままに、翔はこそこそと移動を始めた。

 幸い敷地の家主は不在しており、客人を装って門を通ることができた。

 朔夜と飛鳥はまだ猫たちに足を取られていることだろう。今のうちに稼げるだけ距離を稼いでおかなければならない。



「おばば。助けてくれたのは嬉しいけど、今度あいつらに会ったら、絶対に危ないじゃん。大丈夫なのか?」


 ひと気のない団地に入ったところで翔は心配事を口にした。

 団地を突っ切れば大通りに出られる。


「ばあちゃんが調伏されるところなんて見たくないぜ」


 しかし賢い猫又は、そんなことにはならないと能天気に答えた。


「なんで言い切れるんだ?」


『さっきの騒動でお前さんは表向き、猫又に取り憑かれたことになっている。じつは取り憑いた妖を調伏するのはしごく難しく危険な行為なんだ』


「危険? なんで?」


『取り憑きってのは、人間の心を巣食うに等しい』


 弱った心や隙のある心を病ませたり、操ったり、我が物にしてしまう。

 それが取り憑きの基本であるが、取り憑いた妖を無理やり調伏してしまえば、その人間の心も傷つける可能性がある。


『心を巣食っているんだ。取り憑いたままの人間に無理やり法術を使えば、そらあ傷つくさね』


 ゆえに妖祓などの霊媒師は取り憑ついた妖や魔物を人間の心から追い出し、外へ出たところを調伏するのが一般的である。

 一方的に巣食っている化け物であれば、妖祓も追い出すことに手間は取らないことだろう。


『だけど、坊やとわたしはそうはいかない』


 翔とおばばは双方心を開き、身を委ねている状態の取り憑きとなっている。


 この場合の取り憑きはたいへん厄介だ。

 半ば無理やり化け物を追い出せば、取り憑つかれた人間は虚無感に襲われ、精神状態に異常をきたすことがある。最悪、廃人になってしまうこともある。


 双方を離したい場合は、まず人間の方から対処していかなければならない。

 当然、妖祓はこの対処を知っているはずなので、おばばを調伏することはできないだろう。


「じゃあ無理に逃げなくても良かったんじゃねーの? 変に疑いが掛かっちまったじゃん」


 次、幼馴染らに会ったら、逃げた言い訳を考えなければいけないではないか。

 翔は唸り声をもらす。


『あれで正解だったんだよ。あの坊やたちったら、お前さんが取り憑つかれていると分かった途端に鬼も驚く怖い顔になった。頭に血がのぼっていたんだろうねぇ。命の危機を感じたよ』


 それに言い訳など考えなくていいとおばば。

 翔は猫又に取り憑つかれていたことになっている。

 だったら幼馴染らには何も覚えていないとシラを切ればいい。妖祓の目には『取り憑つかれた人間によくある現象だ』と心から納得するだろうから。


「それなら良いけど」


 いまいち釈然としない翔は、腕にいるおばばを見つめる。


「なあ、取り憑つくってどうすんの?」


 自分にもできるのだろうか。認めたくないが、これでも化け狐の端くれである。取り憑きくらいできても不思議ではない。


『取り憑つきはできる部族と、できない部族がいるよ』


「部族? ああ、妖狐とか猫又とか、妖の種類のことだな。妖狐はできるの?」


『ああ、妖狐はできる部族だ。あれは取り憑つきや祟り、化かしに特化した部族だからねえ』


「おばばはどうやってんの?」


『わたしの場合は人間の目を見て、その心に入るんだ。老体だから短時間しか取り憑つけないし、気難しい人間には失敗することが多いねぇ』


 と、いうことは。


「取り憑つけた俺は単純な奴ってことか?」


『おやおや。坊やは、自分が複雑な子だと思っているのかい?』


「……思ってねーけど」


『そうだろうねぇ。坊やは単純ばか、おっと間違えた。まっすぐで素直だから』


 なんて、失礼なばあちゃんなのだろうか。

 大笑いするおばばに鼻を鳴らすと、ますます声を上げて笑われた。

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