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南条翔は其の狐の如く  作者: つゆのあめ/梅野歩
【弐章】名を妖狐と申す
31/158

<幕間>選ばれて、成りえるものではなく



「まことか、コタマ」

『ほんとさね』


「あの性悪狐が妖術の稽古を始めるようになったか。信じがたい話じゃのう」



 場所は日輪の社、憩殿にて。

 客人を持て成していた北の神主のこと赤狐の比良利は、煙管の吸口をはなして、猫又の知らせを興味深く聞いていた。


 それはギンコの話であった。

 なんでも、あれほど妖術の稽古を嫌っていた我儘狐が妖術の稽古を始めたのだという。それも、自ら進んで稽古に励み始めたというのだから、付き合いの長い者らにとって、たいへん驚く話であった。


 同時にそれは日輪の社としても喜ばしい吉報である。

 月輪の社を守護する神使が妖術を使えない。

 そうなると対となる日輪の社に大きな負担が掛かる。現に日輪の社を守護する神使のツネキが、ギンコの代わりを受け持っている場面も多々あったので、これは大いに喜ばしい知らせであった。


「惣七の行き過ぎた稽古のせいで己には才が無いとへそを曲げていた、あのオツネがのう」


 あの過去をついに乗り越えたか。

 しみじみと過去を振り返った比良利は、おばばに疑問を投げた。


 すると猫又婆は答える。


『それは少し違うねえ』


 おばばは陶器の器に入った煮干を噛み砕き、それを美味そうに食べながら返事する。


『最近、坊やがふ……ふり、ふりすびいとやらを持ってくるようになってね。

「はて。ふりすびいとはなんぞ?」


 初めて聞く名称だ。

 比良利は糸目をうすく見開き、ゆらゆらと尾っぽを揺らして好奇心を寄せる。


『円盤形をした玩具さ。投げて遊ぶ道具みたいでねぇ』

「ほう。玩具」


『坊やとオツネが、それで投げあいっこしていたんだ』


 すると、夢中で遊んでいた銀狐がその円盤に火を宿した。それはすぐに消えてしまったが、呆然と様子を見ていた翔は大はしゃぎした。



――すげえ。いまのは狐火だろ!



 そんなばかな。

 ギンコはひとつ鳴いて違う、と首を振ったらしいが翔は何度も言った。

 いまのは狐火だ。ギンコは狐火が使える狐なのだ。コツを掴めば絶対に妖術を使えるようになる。だってギンコは自分を救ってくれた勇敢な狐。誰よりもつよい狐だと知っている、と。


 まだ己が信じられないギンコに翔は言葉を重ねたそうだ。



――お前が信じられない分、俺がお前を信じる。ギンコ、お前が思っている以上に『神使のオツネ』はつよいんだぜ。



 その夜、ギンコは失敗しながらも狐火を出せるようになったそうだ。


『坊やの言葉に自信を持ったんだろうねえ。オツネは狐火を会得しようと、青葉に妖術の稽古を申し出た。皮肉だよ。惣七があれほど躍起になって教えていたのに』


 姉妹である青葉も姉のやる気に感銘を受けたようで、それはそれは嬉しそうに、妖術の稽古に付き合うようになった。

 いつも喧嘩ばかりしている妹だが、やはり姉の悩みや心苦しさは見抜いていたのだろう。


 いま、ギンコは青葉に指導してもらいながら稽古に励んでいる。

 自由自在に妖術が使えるよう、まずはフリスビーに狐火を宿すところから始めていた。

 ついでにギンコに自信をつけさせた翔も、狐火を使ってみたいと羨望を抱き、いっしょに稽古に励んでいる。


『その稽古の景色はどこか楽しげで和やかだったねえ』


 時に三人でフリスビーを投げ合って遊んでいるところを、おばばは目にしている。

 青葉としては真面目に稽古に励んで欲しいようだが、どうも翔やギンコに流されているようだ。呆れながらも、最後は仕方がなさそうに笑い、フリスビーの投げ合いに参加している。


 話を聞いた比良利は、大切なことだと頬を緩めた。


「惣七には遊び心が欠けておったのじゃよ。どんなものでもそうじゃ。余裕がないとだめになる。たとえば、溢れんばかりの水を器に注いで飲む阿呆はおらぬじゃろ?」


 ある程度、余裕を持たせなければ、少しの振動でもこぼれてしまう。

 それと同じだ。


「惣七は何事も呑み込みが早かった。鬼才がゆえに、凡人の気持ちが分からなかった。それが、あのような悲劇を生んでしまった」


 一方、翔は半妖狐。

 ヒトの気持ちがつよく、妖の知識が乏しい。神職に対する興味もうすい。

 それがかえってギンコの気持ちを軽くさせ、本来宿る力が目覚め始めたのやもしれない。


 なにより翔の信じる力がギンコを大きく変えた。比良利はそう思っている。


「鬼才も形無(かたな)しじゃのう」


 煙管の先端を噛み締め、比良利はへらへらと笑う。


「今ごろ黄泉におる惣七は悔しがっておろう。なにせ、齢十余りの子どもがオツネの力を引き出したのじゃからのう。いい気味じゃて」


 比良利の毒のない悪態におばばは目元を和らげて一鳴きした。

 同調してくれたのだろう。


『坊やはわたしや青葉と違って、オツネを神使と見ていない。オツネを一介の妖として見ている。あの子には嬉しいこと、この上ないだろう』


「自信を失っておったオツネにとって、神使の肩書きは重荷じゃからのう」


『おかげでオツネは坊やに首っ丈だよ。毎日のように毛並みを整えて、坊やを待っている。すっかり恋するおなごだ。ツネキの立場が危ういねぇ』


「あやつの女癖の悪さが祟っておるからのう」


『…………』


「なんじゃい、その意味深な眼は」


 じとり。おばばの尖った視線が比良利に突き刺さる。

 当の猫又婆はなんでもないと四つの尾を振っているものの、その態度は物言いたげだった。


 たいへん決まりが悪くなった比良利は咳払いをひとつして話題を替える。


「して。ぼんの様子はどうであろうか」


 少しは妖の己を受け入れられそうか。

 もしそうであれば、少しは神職についての知識を与えて、さり気なくその道に誘ってみるつもりである。あくまで、さり気なく。

 本気でその道に誘うこともできるが、本人の気持ちがない中、それをしてしまえば脅迫に近くなってしまう。


 比良利としては、翔から神職の道を選んでもらいたいのである。


(まあ天命を授かっている以上、簡単には逃がさぬがのう)


 脅迫はしないつもりだ。脅迫は。

 ただ潔く引き下がることもしてやるものか、と比良利は腹黒く考える。


『さてねえ。こればっかりは本人でないと分からないよ』


 おばばは小さく息をついた。

 気持ちは複雑なのだろう。


『ただ心はヒトでも、体は確実に妖に近づいているよ。坊やはすっかり昼夜逆転しているみたいで、昼間の生活に支障が出ているらしいんだ。学び舎では殆ど寝ているらしい』


 それは仕様のないことだろう。


「ぼんは狐の本能を持った妖狐。夜行性の本能を持つ狐の化け物にとって朝昼の活動はつらかろうて」


『比良利、坊やの妖狐化が予想よりも早い気がするのだけれど』


「宝珠の御魂の力が妖の血を濃くしておるのじゃろう。年内に覚醒するやもしれぬのう」


『あの子を神主にしたいかえ?』


「当然じゃよ」


 日月の神主は双方が揃ってようやく成り立つお役。

 南北領地をひとりで治めるのは容易い話ではない。

 悪しき妖らの素行も目立っているので、早いところ新しい南の神主を立てたいのが本音だ。


『お前さんの目から見て、坊やに才はあると思うかえ?』


「オツネの心を励ますだけでなく、本来の力を引き出させた。素質はあるじゃろう」


 それだけの理由で神主として相応しいかと聞かれたら、『いいえ』ではあるが、少なくとも神主に必要な御魂は持っている。


「あれは必ず化ける。必ず」


 これは比良利の直感であった。


「神主は選ばれて成りえるものではない。選ばれて、はじめて土俵に立つことを許される。それを活かすも、殺すも本人次第じゃな」


『そうさね』


「また、はじめから神主になれる者などおらぬ」


 その道に身を捧げるのならば、相応に覚悟をしてもらわねばならない。

 そして周りも協力してやらねばならないだろう。神主は、巫女は、守護獣は、神職はひとりで成長できるほど甘い道ではないのだ。


「わしが双子に求めるのは三つ。その道に身を捧げるだけの『覚悟』と『姿勢』。なにより『妖を想う心』。これがなくて、どうして神主になれようか」


『坊やは妖を想える子だろう。オツネの心を支えたのだから』


「素質はあるじゃろうな」


『だけど欠けている部分は大きい。それが覚悟と姿勢。今の儘では神主の道はないわけだ』


「左様。ゆえにあやつにも申した。決めるのはぼん自身じゃと」


『あの子が嫌と言えば、お前さんは諦めるのかえ?』


「コタマ。わしが容易く引き下がる狐とお思いか?」


『やれやれ。坊やも厄介な狐に目をつけられたものだねえ』


 くつくつと比良利は喉を鳴らすように笑う。

 簡単に諦めるつもりはない。

 せっかく宝珠の御魂が見定めた新しい対なのだ。上手く事を運びたいもの。そのためにも、翔にはまず妖の己を受け入れる心を持ってほしい。そうでなければ話も進まない。


「天命を授けた宝珠の御魂はぼんには、別の期待も込めておるやもしれぬのう」


『別の期待?』


「あやつは妖祓と繋がる者。それも皮肉なことに、妖を祓う竹馬の友と繋がっている者。歴代の神主の中でも異質な経歴を持つ」


『比良利。坊やが見定められたのは』


「最大の素質は【妖祓】と繋がっている点やもしれぬのう」


 だとしたら、天命を与える宝珠も意地が悪いものだ。


『比良利。問題は坊やだけじゃない』

「ん?」

『青葉のこともあるよ』


 声音を落とす猫又婆に、比良利は眉を寄せた。


『もし坊やが神主になると決めても、周りが協力的ではないなら話は終わりさ。オツネはきっと坊やの支えになるだろう。けど、青葉の方は……』


「先代に対する想い入れの強さは、わしも把握しておる。されど、いつまでも南の神主を不在にしておくわけにはいかぬ」


 かれこれ九十九年。

 南の神主を失った南の地が、よくここまで平穏が保っているものだ。それはひとえに巫女の青葉が身を張って奉仕をしてくれているからだろう。

 そこは称賛するべき話であるが、青葉も限界は感じているはずだ。


「青葉が拒もうと、必ず第十代南の神主の時代はやってくる。惣七の時代は終わったのじゃよ。そこはあやつも分かっておろう」


 なおも惣七に執着するのであれば、比良利も手を打たねばならなくなる。

 巫女を筆頭に神職は氏子の妖こそ優先に思わねばならない。しあわせを願わなければならない、


「南の地は荒れておる上に、その地にある鬼門(きもん)(ほこら)の封印が解けかけている。いつ決壊してもおかしくない。度々赴いて封を強めてはおるが。それもいつまで持つか」


 紅の宝珠の御魂の力だけではどうにもならない、と比良利。

 素っ頓狂な声を上げたのはおばばであった。


『無理をするんじゃないよ。お前さんは、北地にある鬼門の祠も管理しているんだ。また過労で倒れたらどうする気だい? それこそ妖達の危機だよ』


 おばばの厳しい進言にも、比良利は「仕方がない」の一言ですませる。

 あそこからは多大な瘴気(しょうき)が漏れている。

 それを止められる術を持つのは、宝珠の御魂をその身に宿す者のみ。比良利が行かずして誰が瘴気を食い止めようか。


「妖術の使えぬオツネに宝珠の御魂を使いこなすチカラはなかった。ぼんの身に宿っても状況は同じこと。いまのぼんに宝珠のチカラは使いこなせぬ」


 瘴気にあてられた善良な妖は理性を失い、無差別に人を襲う。悪しき妖ならば妖力の糧とする。

 瘴気は危険だ。なんとしても、南北の地に広まることは阻止しなければならない。


「ただでさえ妖らはつらい日々を送っておる」


 これ以上、妖らを不安に貶めるなんぞ神主の名が泣くというものだ。


「南の神主が不在のいま、無謀だと言われようがわしは引かぬよ。妖らの秩序安寧はこの比良利が守る。それがわしに与えられた天命じゃ」


 険しいかんばせは、猫又の進言を砕いてしまう。

 少しの沈黙。

 先に折れたのは、比良利の身を案じるおばばであった。


『六尾の妖狐、赤狐の比良利。出過ぎたことを言ってすまなかったねえ』


 恭しく頭を下げて謝罪する。


「コタマ。なぜ謝る」


 比良利は小さく頬を緩める。

 おばばの気持ちは謹んで受け取るつもりだ。心配してくれる気持ちは純粋に嬉しいのだから。


「お主のお節介は変わらぬのう。そこがコタマの長所とも言えよう。お主はわしが妖になり立ての頃から、良き相談相手となってくれた。感謝してもし切れぬ」


『今さら何を言うんだい。水くさい』


「ふふっ。こうして理解者がおるだけでも、肩の荷が軽くなるものよ。ぼんにも、早くそういう者ができれば、少しは前へ進めるのじゃろうが……」


 そうだ。


「コタマよ。ぼんを妖の子と会わせてはどうかのう?」


『妖の子を?』


「ああ。名案であろう」


 比良利は脇息を叩いて笑顔を作る。


「ぼんに妖の友人がおるのも良かろう。さすれば、些少なりとも妖が受け入れられるのではないか」


 幸い、今週末に比良利の友人が妻子を率いて、日輪の社へ参拝しに赴いてくる。

 久方ぶりに再会するので心待ちにしているのだが、その友人には子どもがいる。確か翔と同性で同い年だ。ヒトの世界で暮らしている妖なので、いくぶん話も合うに違いない。


 ぜひ会わせてみよう。


「コタマ、わしと共に一役買ってくれまいか」


 比良利が愛用の煙管でおばばを指した。

 もちろんだと頷く猫又は、子どもに伝えておくと一鳴きした。その表情は限りなく慈愛に溢れていた。

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