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南条翔は其の狐の如く  作者: つゆのあめ/梅野歩
【弐章】名を妖狐と申す
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<三>妖力の制御(壱)



 ◆◆◆



 翔は行集殿(ぎょうしゅうでん)と呼ばれる板張りの間に移動した。


 そこは憩殿の中にある部屋で四面は板張り。

 四隅にろうそく台が立てられているほか何もない。

 揺らめく小さな炎だけが室内をぼんやりと明るく照らしている。


(薄暗いけど何となく視えるな)


 ろうそくの明かりは弱々しく頼りない。

 けれど、十分に部屋の内部を把握することができた。


 夜目が利いているせいだろうか。

 疑問を抱いていると、おばばから『狐の性質だよ』と声を掛けられる。

 曰く、狐は夜行性。縦に長い瞳孔を持ち合わせているという。

 猫と同じで狐は夜行性に狩りをする動物。視野が利かない闇夜でも獲物が捕らえられるように、そのような瞳孔を持っているのだそうな。


『謂わば、夜行性の証だねえ』


「じゃあ。俺の瞳孔も縦長に伸びてんの?」


『もちろんだよ。鏡を持ってくるかえ?』


「……見る自信ねえからいいや」


 狐の顔になっていたらどうしよう。ひそかに恐怖する翔だった。


 さて行集殿の広さは八畳ほど。物がない分、広々としている。

 翔は部屋の中央で正座をすると青葉やおばば、ギンコと向かい合う。


 これから妖力の制御を学ぶのだ。


 自分の中に妖力があるのか、未だに半信半疑の翔だが、狐の五感をどうにかしなければ今後の生活に支障をきたす。

 制御がやれるかどうかわからないが、腹を括ってやるしかない。


「それでは始めましょうか。翔殿」

「お、おうよ」


 強張った面持ちで頷く。

 思いのほか緊張していた。


「力を抜いてください。怖いことは何もありませんから」


 青葉が可笑しそうに目尻を下げた。

 苦笑いしか返せない。

 彼女はそう言ってくれるが、妖力がおのれの体内に宿っているなど、なかなか受け入れがたいこと。


 簡単に恐怖心は拭えそうにない。


「まず翔殿の中にある妖力を引き出しましょうか。オツネ、出番ですよ」


 颯爽とギンコが翔の前に移動する。

 銀狐の胴を両手で添えるように指示されたため、翔は手馴れた手つきでギンコの体に触れた。


『いいかい坊や。これからオツネがお前さんに妖力を送る。その妖力はお前さんの中にある力を引き出すための引き金のようなもの。坊やはオツネの妖力を受け止めるんだよ』


「う、受け止めるって……そんなことできるのか?」


 恐れおののく翔を安心させるように、大丈夫だとおばばは一声鳴く。


『怖がらなくていいよ。妖力がどんなものなのか、ちょいと体で覚えさせるだけさね。オツネ、やっておくれ』


 心の準備ができる前に猫又が指示してきた。


『ほら坊や。オツネから手を離すんじゃあないよ』

「まっ、待ってくれよ。まだ覚悟が」


 焦燥感に駆られる翔を余所に、ギンコが小さく鳴く。

 まもなく銀狐の体が根元から淡く光り始めた。

 息を呑んで目を丸くする翔の前に淡い光は白色(はくしょく)を帯びて狐の全身をめぐる。その光は次第に手を添えている翔の下へ伝った。


 驚きのあまり思わず手を放したくなったが、それ以上に体が強張ってしまい、結局動けずじまい。

 その間にも光はじわじわと翔に向かい、ついに自分の下に到達。身構えてしまう翔だったが、体が発光するだけで何も起こらない。


 はて、妖力は受け止められているのだろうか。


『肩の力を抜くんだ坊や。妖力を拒んでいるよ』


「え? いま俺、拒んでるの?」


 どうやら送り込まれている妖力を拒んでいるらしい。自覚はない。


『呼吸を深く吸って力を抜くんだ。落ち着いて。大丈夫だから』


 翔はどうにか呼吸を深く吸って自分なりに力を抜こうと努力する。

 しかし、ギンコと自分を包んでいる光はすっ、と空気に溶けるように消えてしまった。


 どうやら失敗してしまったらしい。

 翔が必要以上に身構えているせいで、送られる妖力を無意識に拒んでいるそうだ。


「ごめんな。ギンコ」


 申し訳ないと頬を掻き、協力してくれるギンコに謝罪をする。

 気にする素振りもなく、銀狐は尾っぽを振った。励ましてくれているようだ。

 今度こそ妖力を受け止めようと気持ちを切り替えるのだが、二度も三度も失敗が続くと自分の要領の悪さに落ち込みたくなった。


『うーん。これは坊や自身の心の問題だねえ。坊やは無意識の内に、自分を守ろうと自己防衛を張っているようだ。困ったねえ』


 ギンコの妖力を受け止めることができなければ、次の段階に進められない。

 猫又が小さなため息をついた。


「わ、悪いとは思ってるんだ。でも、どうしようもなくて」


 その場から消えてなくなりたい衝動に駆られる。器用になりたい。


「ギンコごめんな。お前を拒んでいるわけじゃないんだぞ。ほんとだぞ」


 上手くいかないことに、すっかりしょげてしまっているのは銀狐だった。

 責任を感じているらしく、耳も尾っぽも力なく垂れてしまっている。ごめんごめんと体を撫で回し、ギンコは頑張っていると告げる。


 誰が見ても、原因は翔だ。


「困りましたね。まずは翔殿の恐怖心を摘まなければ話になりません。翔殿、妖は怖いですか?」

 

 青葉の問いに、間を置き、正直に頷く。

 うそを言っても仕様がない。


 なにせ初めて妖に出逢った際、身を裂かれたのだ。あの痛みは未だ忘れることができない。恐怖の有無を聞かれたら、やはり『有る』と答える。


「襲われた痛みを思い出すんだ。やっぱり妖は怖いかな」


「心中お察しします。さりとて低俗な輩はどこに出もいるものです。それはヒトの世界も同じではないでしょうか」


 思い悩む翔に、青葉が優しく尋ねる。ここにいる妖狐や猫又は怖いか、と。

 それについては間髪を容れず否定することができた。

 青葉を、おばばを、ギンコを怖いなどと誰が思おうか。こんなにも良くしてくれているのに。

 見上げてくるギンコをじっと見つめる。怖いなど到底思わない。目の前の化け狐は、本当に可愛い。


「青葉たちは良い妖だ。全部が全部怖い妖じゃないよな。でも」


「少しずつでもよろしいので、恐怖を塗り替えてくださいまし。今のままではいずれ、竹馬の友である妖祓にばれてしまいます」


 その言葉に一筋の光を見出す。

 そうだ、このままではいけない。

 なんのために妖力の制御を教えてもらっているのだ。


 自分のため、もちろんそれもある。

 けれど最大の理由は幼馴染らにばれないため、もとより彼らとの関係を壊さないため。半妖だとばれるわけにはいかない。


「もう一度、やってもらっていいかな。今度こそ成功させるから」


「その意気です。翔殿、オツネに手を添えてください。オツネ頼みましたよ」


 覚悟を決めた翔はギンコの体に触れた。

 白く発光する狐の体から妖力が放たれる。伝い流れてくる妖力を受け止めるために構えていると、体内で何かが込み上げてくるのを感じた。


 まるで鼓動のようにそれは脈を打つ。

 思わずギンコを見つめる。獣から送られる妖力が、体内に宿る何かが脈を打っている。腹の底で熱が渦巻いている――これが妖力なのか。


「いい調子ですよ。翔ど……おばばさま。何か様子がおかしいですよ」


『坊やの体が明滅している。いけない! あの子ったらオツネの妖力を受け止めるどころか吸収しているよ! 坊や、おやめ!』


 周囲の声など耳に届かない。

 翔は自分の体内に溢れる妖力を噛み締め、ただギンコの妖力を受け止める。体がもう十分だと判断した刹那、体内で高熱が生まれた。


(熱い! 焼け爛れそうッ!)


 身悶える間もなく体内で何かが爆ぜ、翔の体は光に包まれる。

 それからどうなったのかは翔自身にも分からない。気づけば横たわっていた。


 数秒の間、失神していたらしい。


(アイタタッ、一体何がどうなったんだ)


 翔は身を起こしてかぶりを振る。

 向こうを見やれば、呆けた顔を作る青葉とおばばの姿が映った。

 首を傾げていると、ギンコが嬉しそうに鳴いて擦り寄ってくる。


 いつものように受け止めてやろうと手を出したのだが、そこに翔の手はなく、代わりに白い前足がおいでおいでと手招きをするかのように動いていた。

 結局ギンコの体は受け止められず、銀狐の方からフンフンと鼻を鳴らして顔を寄せてきた。


(あ、あれ?)


 目線の低さに驚いてしまう。

 いつもはギンコを見下ろす立場にいるというのに、今はほぼいっしょである。

おずおずと視線を落とせば、白い体毛に包まれた前足が揃えられていた。これは自分の足だろう。


 まさか。


 ぎこちなく背後を振り返れば、滑らかな三本の尾っぽと、艶やかな白い体毛が飛び込んできた。ギンコのはしゃぎっぷりといい、おばばたちの様子といい、この体といい……間違いない。


 自分は狐そのものになってしまったのだ!


『う、嘘だろぉおおお! お、おばば! 青葉! 俺、狐になっちまったんだけど!』


 総身の毛を逆立て、その場でぐるぐると回る。

 酷いことに青葉もおばばも大笑いしてきた。笑い事ではないのに!


『気合が入りすぎたねえ』


 おばばが体を震わせる。


『本当はオツネの妖力を受け入れて、その妖力を本体に返すことをしたかったんだ』


 そうやって妖力を扱うことによって、自然と翔の中にある妖力を引き出す予定であった。

 妖力を扱うことができれば、たとえ人間の霊力に当てられても、うまいこと狐の五感を抑えることができるのだそうだ。


『これは青葉がやった修行の一つなんだけど、まさかオツネの妖力を自分のものにしてしまうなんてねえ。そういえば、坊やはオツネから妖力をちょうだいして妖狐になったんだっけねえ。吸収するはずだよ』


 ケッケッケ。

 不気味に笑うおばばは『器用な坊やだねえ』と褒めてくれたが、ちっとも嬉しくない。

 翔は狐耳をしょんぼりと垂らして、どうすれば元に戻るのかを尋ねる。


「簡単ですよ」


 青葉は答えた。

 妖力を最小限に抑え、ヒトの血を濃くすれば良い。そうすれば元の姿に戻る。

 得意げに説明されてしまったが、翔は困ってしまった。もう少し話のレベルを落として説明してほしい。妖力を最小限に抑えるなんて、どういう方法をやればいいのだ。


『今の青葉はヒトの血を濃くしているのか?』


 だからヒトのかたちをしているのか。

 翔は疑問を投げる。


「いいえ。私は既に成熟した妖ですので、ヒトの(かたち)を保っているのです。ヒトに変化していると思ってください。私の体内には人間の血はありませんので。ふふっ、それにしてもお可愛らしい姿ですね。それが妖狐の普段の姿なのでしょう」


『あんま嬉しくねえよ。可愛いなんて言われても』


 不機嫌に翔が鼻を鳴らす。

 気にすることなく青葉は説明を続けた。


「妖狐には三つの形態があります。まず私のようなヒト型。次にオツネのような獣型。最後に妖狐本来の姿になる妖型。今の翔殿は獣型なのですよ。一般の妖狐は獣型として生活を送っているので、私からしてみれば違和感はございませんが」


『俺は大有りだって! まさか狐になっちまうなんて……妖狐だとは言われていたけど、狐そのものになるとか聞いてねぇよ』


 でも、まてよ。


『狐になったってことはギンコと話せたりするのかな?』


 ぴったり寄り添って離れないギンコに声を掛ける。

 クオーンと鳴き返してくれるだけで、まるで獣の言葉は分からなかった。


『そりゃあ無理だよ、今の坊やは人語を喋っているのだから』


 疑問符を頭上に浮かべていると、おばばが尾っぽを振って無理だと態度で示す。


『姿かたちは狐だけど、坊や自身は人間の中で育ったんだ。勉強しないと獣語を話せるわけないよ』


『げっ、勉強しないといけないのかよ!』


 英語だけでも手一杯なのに、ここにきてまた新たな語学を学ばないといけないなんて。

 しかも獣語。それは必修科目か? 習得しなければいけないのだろうか?


『ギンコは人語を話せないのか? 人語を理解することはできているみたいだけど』


『獣が人語を習得するのには五十年から百年くらい歳月を要するからねえ。それだけ獣には人語が難しいのさ』


 気の遠い話である。

 十年、二十年、海外に滞在して語学を身につけるとは次元が違うようだ。


 ギンコと体躯の大きさを比較してみる。

 どうやら翔の方が二回りほど、体躯が大きいらしい。

 目線はほとんどいっしょだが、寄り添ってくるギンコが小さく見える。三本の尾っぽで銀狐の体を撫でてやると、その尾っぽの一つとギンコの尾っぽが絡み合った。


 ヒトで言うところの手を結ぶ行為なのだろう。

 許婚のツネキに見られたら殺されそうな光景である。


『ん、あれ? なんで俺は三本も尻尾があるんだ? ギンコは一本なのに』


 空いた二本の尾っぽを揺らし、おばばと青葉に疑問を投げかける。


『それはお前さんの妖力の度合いを示しているんだよ。妖狐は年月をかけて尾っぽに妖力を溜め、尾っぽの数を増やしていくんだ。それは猫又のおばばもいっしょだよ。おばばは四本あるから、百年単位で尾を増やしていったってことになるねえ。坊やの場合は、宝珠の御魂が宿っているから尾っぽの数が多いんだよ』


 へえ。

 相槌を打つ翔だが、早く元に戻りたいという気持ちの方が強い。ギンコには悪いがやはり自分は人間の(かたち)が好きだ。


(百年後には獣の(かたち)がいいって笑う俺がいるのかな)


 いまの翔には想像ができなかった。

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