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南条翔は其の狐の如く  作者: つゆのあめ/梅野歩
【弐章】名を妖狐と申す
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<二>現代の妖事情(弐)


 ようやく嵐が過ぎ去り、翔は温かい茶を啜って体を温める。

 傍らでは青葉がおばばのために、茶を淹れようとお椀を用意していた。

 お椀にはあらかじめ少量の水が張っており、そこに温かな茶を注いでいる。猫舌を持つおばばに対する配慮だろう。


(可愛い顔して、姉妹(きょだい)喧嘩は雄々しいんだな。青葉もギンコも)


 翔は横目で青葉とギンコを交互に見やる。

 それぞれそっぽを向いている狐らといったら、青葉は髪がぼさぼさで跳ね返っているし、ギンコの毛並みは静電気に充てられたかのようにところどころ逆立っている。


 さらに言えば、姉妹喧嘩のせいで部屋の空気は最悪である。


(一応、俺は客人なんだけど……日を改めた方がいいか?)


 いやいや、ここで下手に帰宅すると口にしたら、新たな火種になりかねない。

 翔はひとつ頷くと、近くにいる青葉に話題を振った。


「青葉は元々人間だったんだよな?」


 不機嫌ながらも、青葉はこくんと頷いた。

 これでも翔は人三倍、他人の機嫌や雰囲気を察することが得意と思っているので、青葉の態度に少々怯んでしまった。


(気にするな。相手の不機嫌に呑まれたら、無駄に神経がすり減るだけだぞ)


 翔は努めて能天気に、けれど世間話をする要領で話を続ける。


「ならさ。狐の持つ五感に悩まされなかったか?」


 眉を八の字に下げ、今日の出来事を話して青葉に相談を持ちかけた。


「俺は妖になった自覚が全然持てない。だけど少しずつ、俺の中で変化が起きているんだ。今日だってそうだ。五感が鋭くなって具合を悪くしちまった。このままじゃ幼馴染たちにばれちまうかもしれない」


 幼馴染らの前で具合を悪くしたのは、今回で三度目。

 そろそろ朔夜や飛鳥も疑問を抱き、翔に何かあるのではないか、と探ってくるかもしれない。否、すでにおばばと下校しようとした時点で、多少なりとも疑いの心を抱いているはずだ。


 翔は良くも悪くも正直な性格をしている。


 いざ二人から詰められた際、誤魔化し通せる自信がない。

 何か策を打たなくては。

 そのためにも、まず鋭くなる五感をどうにかしたいところだ。


「青葉も人間だったんだろう? どう乗り切った?」


 胡坐を掻いている翔の膝に颯爽とギンコがのってきた。

 くるんと体を丸める銀狐の体を優しく撫でる。

 おばばが「五感の悩みは解決する。治るよ」とは言ってくれたが、こういう身の上話はヒトから妖狐になった、翔と似た境遇を経験している人物に聞くのが一番だろう。


 青葉は自分も苦労した、と顔を顰めて返事する。


 ため息をつく翔の表情を目にして、苦労していることを察してくれたようだ。


「ただ私と翔殿と時代が違います。私の経験はあまり役立たないやもしれませぬ」

「どういう意味だ?」


「私の時代は、今ほど騒音や悪臭には悩まされずに済みました。絡繰り車もありませんでしたし、夜も明かりという明かりはありませんでした。大砲や銃声の音、火薬の臭いに悩まされましたが……」


「大砲、銃声、火薬……」

「はい。私が生まれた時代は動乱の幕末でしたから」


 湯飲みを落としそうになる。

 幕末、というとあの幕末だろうか。

 黒船来航から戊辰戦争時代を指す、あの幕末のことを言っているのだろうか。


(待て待て待て。幕末ってことは)


 石化している翔の脳内で年齢計算が始まる。

 今の時代から年月を差し引くと、少なくとも青葉の年齢は150歳前後となる。世界一の長寿者に選ばれるのも夢ではない。ギネス登録も目前だ。


 見た目は少女、中身は150歳のおばあちゃん。

 翔はどう反応すれば良いか分からない。


「幕末生まれにしては若いんだね。青葉って」


 目上に敬語を使うべきなのだろうか?

 だが、今さらのような気もする。


『年齢的には、坊やと変わらないよ。妖になると歳を取るのが遅くなるからねぇ。わたしは猫又だから、妖にしては歳を取るのが早いけれど、妖狐の青葉はとても遅いんだよ』


 翔の様子にケラケラと笑うおばばは、妖の部族によって歳を取り方が違うのだと教えてくれた。

 そうは言っても、少女は幕末から現代を生き抜いている。

 たかが十余年しか生きていない現代生まれの翔にとって大先輩には違いなかった。


「青葉は、どうして妖に?」


 翔は控えめに尋ね、おもむろに湯呑を回す。茶の水面にはぼんやりと自分の姿が映っていた。

 音を立てて茶を啜る青葉はやや間を置くと、気づいたら“妖の器”になっていたのだと話してくれる。要は翔と同じ成り行きで妖になったそうだ。


 ふうんと翔は相づちを打ち、それ以上話を掘り下げなかった。青葉の気持ちを察してのことだった。


 代わりに戸惑わなかったのかと質問を重ねる。

 翔は妖の器とやらになったものの、まだまだ受け入れるのには時間が掛かりそうである。人間として何年も生きてきたのだ。こればかりは仕方がない。


 ギンコが顔を上げたので、わしゃわしゃと頭を撫でてやった。

 銀狐を責めているわけではないと気持ちを込めて。


「その点に関しては、翔殿と大きく違いますね。私はすんなりと受け入れることができましたから」


 意味深長に口角を緩める青葉の心意が見えない。

 ただ表情を見るかぎり嬉々としている様子。

 この件に関しては彼女から共感を得ることは難しそうだ。


 翔は青葉に、五感の制御を教えてほしいと頼み込む。一刻も早くこの状況を改善したかった。


「ええ、もちろん。ご協力します。姉の命の恩人ですから」

「ありがとう。すごく助かるよ」


 表情をほころばせる翔は、そうだと手を叩き、忘れていたと畳の上に放置していたコンビニの袋を取りに向かう。


「お土産を買ってきていたんだ。みんなで食べようと思って。ほら、これ」


 袋から取り出したのは、油揚げが使用されている稲荷寿司(いなりずし)

 身を起こして鼻をひくつかせるギンコに「美味そうだろう」と笑い、他にも買ってきたのだと袋をひっくり返した。


 個別にお土産を買ってきている翔は、おばばに秋刀魚(さんま)の缶詰。ギンコにから揚げ。そして青葉にマーブルチョコレートだと得意げに説明して、それらを畳の上に並べていく。


「おばば。人間用の缶詰だけど、これで大丈夫か? 普通の猫は人間用の食べ物をダメだから、猫専用の缶詰も買ってきたけど」


 猫のイラストが入った缶詰を差し出す。

 おばばは、舌なめずりをしてフフンと鼻を鳴らす。


『おばばは妖だ。大半のものは食べても平気なのさ。あ、玉ねぎは生理的に受けつけないけれど。秋刀魚の缶詰なんて久しぶりだねえ。気が利くじゃないか坊や。いつの間に買ったんだい?』


「おばばと別れた後にね。ほら、ギンコ。から揚げ。お稲荷さんがいいか?」


 尾っぽを振るギンコは、ツンツンとから揚げの入ったカップを鼻先で押す。

 笑声をこぼして封を開けてやる翔だったが、呆けた顔でこちらを見つめている青葉に気づき、どうしたのだと目尻を下げる。


「青葉も好きなのを食べなよ」


 次の瞬間、青葉から腹の虫が聞こえる。

 我に返ったように彼女は赤面し、「夕餉(ゆうげ)がまだでした」と、口ごもって身を小さくした。

 妖にとって夕餉(ゆうげ)朝餉(あさげ)のようだ。

 ちなみに夕餉(ゆうげ)は夕食、朝餉(あさげ)は朝食の意味である。


「なら丁度良かった。買って来た甲斐があったよ」


 翔は割り箸の入った袋を差し出し、食べるよう促す。

 満腹とまではいかないが、きっと腹の足しにはなるだろう。


 気恥ずかしそうに箸を受け取る青葉がマーブルチョコレートに興味を示す。これは彼女の土産だ。好きな時に食べてほしい。


「これは、どういった食べ物でしょうか?」


 差し出されたマーブルチョコレートに、青葉は不安げな面持ちを浮かべた。どうやらチョコレートを食べたことがないらしい。口に合うかどうかを心配している。

 おもむろに封を開けると、青葉の手の平に数粒のチョコを落とし、一粒食べてみるよう指示した。


「色彩豊かなお菓子ですが、おはじきのように硬いですね」


「思ったほど硬くないって。まずは試しに食べてみろよ」


 どぎまぎする青葉はしばらくチョコを観察していたが、恐々口を開けてチョコを口に入れる。

 見る見る強張(こわば)っていた表情が緩んだ。


「これはこれは、とびっきりの甘味ですね!」


 青葉は子どものように目を輝かせ、チョコの粒を見つめる。

 マーブルチョコレートに向ける視線は見事に変わっていた。

 どうやらお気に召してくれたようだ。


「この食べ物は餡とは違う甘味で、風味が香ばしく思えます」


「そ、そう?」


 チョコレートを食べて、香ばしいと思ったことがあるだろうか。

 翔は遠い目を作りながら、チョコの粒を見つめる。


落雁(らくがん)に匹敵するほど、口当たりがよいですね」


 青葉と話していると時代の壁を感じる。

 彼女は現代の食べ物をあまり食べないのだろう。

 改めて食べ物の名称を聞かれたため、チョコだと答える。うんっと首を傾げたため、チョコレートだと正式名称を教えた。彼女は覚えたと手を叩く。


「チヨコレイトですね。美味しゅうございます」


「えーっと、それは宜しゅうございました」


 やはり時代の壁を感じた翔であった。

 マーブルチョコレートの入った長筒を彼女に手渡すと、物欲しそうに缶詰を手で転がしている猫又のために場所を移動する。


「おばば。缶詰を開けてやるから待ってな。皿に移した方が良いかな」


 クーン。

 ギンコが甘く鳴いて翔の学ランを銜えてくる。


「ちょっと待ってくれよ」


 翔は苦笑いした。


「お稲荷(いなり)さんを食いたいんだろ? ちょっと待ってろ。おばばの缶詰を開けたら……え、違う? なんだよ。ギンコもマーブルチョコを食いたいのか? 分かったわかった。いっしょに食べような」




(不思議な方だなぁ)


 青葉は長筒を握り締め、翔の姿を恍惚に見つめた。

 おばばのために缶詰の蓋を開ける彼は、自分用の菓子がないことに気づき、素っ頓狂な声を上げていた。すっかり忘れていたと落胆している。


 それにおばばが笑い、ギンコは早く早くと急かすように学ランを引いていた。


(今までにない光景……)


 他愛もない一光景なのに大きな新鮮味を感じる。


(だめだめ。無用な情は向けてはいけない)


 かぶりを振って抱く感情を払拭しようと努める青葉だが、手中の長筒が視界に入るとそれすらできなくなった。


(……ただの妖狐であれば、すぐに受け入れられたのに)


 どうしても拭えなかった。

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