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南条翔は其の狐の如く  作者: つゆのあめ/梅野歩
【弐章】名を妖狐と申す
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<一>現代の妖事情(壱)





「まさか、おばばが学校に来るなんて思いもしなかったよ。学校には、妖祓の朔夜や飛鳥がいるのに……大丈夫だったのか?」



 二月の寒空の下。

 翔は仄かに赤く染まった鼻を啜ると、腕の中にいる猫、いやいや猫又に声を掛けた。

 マフラーで暖を取っている猫はただの猫にしか見えないが、きっと翔が見えないだけで、一本に見える尾っぽは根元から四つに分かれているに違いない。


 ぶるぶると全身を震わせるおばばは、しゃがれた鳴き声を出すと『何もなかったよ』と言って、マフラーに潜り込んでしまう。


『先日も言っただろう? わたしはお節介ババアだって。坊やのことを考えると、昼寝が好きなことさえ忘れちまうんだよ』


 それだけ親身になって、翔に心配を寄せてくれているのだろう。

 自称『お節介』と名乗るだけある。


「嫌いじゃないぜ、おばばのそういうところ」


 翔は小さく肩を竦め、おばばのお節介を受け止めた。


『それに。あそこでわたしが来なかったら、お前さんの竹馬の友が、坊やの後をつけていたかもしれない。お前さんを心配しているようだったよ。いい子たちだねえ』


 脳裏に過ぎる幼馴染らの顔に、翔はなにも言えなくなる。


「あいつらも俺を心配してくれるんだと思う。今朝は吐きそうなほど体調を崩しちまったからな。ここ数日の態度も、あからさま落ち込んでいただろうし……はあ、普通どおりに振る舞うってムズイよ」


 口から重々しいため息が漏れる。

 どうして、自分はこんなにも不器用なのか。

 決して、幼馴染らに悟られてはいけないと頭の中で分かっていながら、普段どおりに振る舞えず、落ち込んでばかりの情けない自分がいる。


 幼馴染二人はとても聡い。

 翔の落ち込む姿や体調不良を起こしている場面を目にして、何か遭ったのだろうと容易に想像はついているはずだ。


 幼馴染らに半妖だとバレてはいけない。

 事が表立ってしまえば最後、この関係は崩壊してしまう。分かっているというのに。


『お前さんは素直な子なんだろう。ああ、馬鹿正直とも言うねぇ』


 馬鹿正直は褒め言葉ではないと思う。

 翔はぐいっと片眉をつり上げる。けれども猫又はどこ吹く風で前足を舐めていた。その足で顔を洗い始める。


『坊や、少しは気が落ち着いたかい?』


「おばば。この馬鹿正直者の顔を見てどう思う? きっと今の俺は、正直な顔をしていると思うぜ」


 しゃがれた猫の声がおかしそうに笑った。


『これは一本取られたねぇ。聞くまでもなかったよ。なにせ、お前さんは馬鹿正直だからねぇ。気は落ち着いたけど、まったく現実が受け入れられない状態、といったところかえ?』


 一寸の狂いもない。ご名答である。

 おばばの言うとおり、気持ちは落ち着いた。

 冷静な目で現実を見つめることができるようになった。


 しかし、それと事を受け入れるは、まったく別問題である。

 翔はこれまで自分が人間として生きることに、なんの躊躇いもなかった。人間として生まれ、こんにちまで生きていたのだ。それが翔にとっての当たり前であり、この命が尽きるまで人間であり続けるのだと、信じて疑わなかった。

 誰が想像しようか。化け狐になる人生など。


「正直、途方に暮れているよ。今日からお前は妖狐ですよって言われてもさ。はい、そうですか。なんて言えねえだろう? しかも神主候補って……勘弁してくれよ。神社のことなんて、これっぽっちも分からないのに」


『ふふ。坊やにとって魂の双子である、北の神主はお前さんに会いたがっているよ。早いところ自分のところに寄こしてほしいそうだ』


「魂の双子?」


『日輪の社のことは憶えているかい?』


「あ、うん。月輪の社と日輪の社があるって話は憶えているよ。対になっているんだよな?」


『そのとおり。そして対になっているのは社だけじゃあない。神主、巫女、神使の三職もそれぞれ対になっている。お前さんは月輪の社が守護する“白の宝珠の御魂”を身に宿した、謂わば依り代。同じく日輪の社が守護する“紅の宝珠の御魂”を宿した依り代がいる。坊やにとって、その依り代が対となる存在なんだ』


 対となる関係性を、魂の双子と呼ばれているそうだ。

 特に宝珠の御魂の依り代となり、妖らを統べる神主を『双子』と指すことが多いのだとか。


「……魂の双子なんて、大それたことを言われても」


『今宵にでも会いに行きたいと言っていたほど、坊やと会える日を楽しみにしているよ』


「なんで?」


『そりゃあ北の神主にとって片割れと言っても過言じゃない、南の神主の存在は大きいからねえ。新しい南の神主が誕生するやもしれない知らせに居ても立っても居られないのさ』


 九十九年、片割れを失っていた北の神主にとって、此度の一件は朗報だったのだとおばば。首を長くして、翔を待っていると話してくれた。


 もちろん、それを聞いて嬉しい……と思う筈もなく、むしろ断りにくい現状に嘆きたくなった。翔は神主なんぞに興味はないのである。


(魂の双子ねえ……)


 いずれは会わねばならないだろう。


「おばば、北の神主って怖いか?」


 神主であり頭領の役割を果たしている、まだ見ぬ北の神主を想像する。

 どうにも強面(こわもて)のおっさんしか浮かんでこない。


『わたしから見たら、まだまだ青い狐だよ』


 どうやら北の神主は翔と同じ化け狐らしい。

 若くて翔より少し年上に見えるそうだ。強面(こわもて)のおっさんではないとのこと。


『北の神主はみなから敬われているよ。南の神主がいない間も、ひとりで南北を統べて、安寧秩序を保とうと努めている。良識ある妖なら、まず逆らう者はいないよ』


 おばばは語気を強くする。


「逆らった妖はどうなるんだ?」


 恐る恐る聞くと、猫又は間を置いて答えた。


『暴挙に出る妖に慈悲はない。時と場合によっては切り捨てられる』


「き、切り……それって殺されるってことかよ」


 ますます神主の件が断りづらくなった。

 翔はとんでもない頭領だと固唾を呑む。


『これは妖の価値観だねぇ。同胞には慈悲深い一方で、敵に一切情けはかけない。それが妖の理だから。ヒトの子であるお前さんには想像もつかないだろう。人情に(あつ)い妖の姿も、敵に残酷な一面を見せる妖の姿も』


 これから、そういう世界で生きていかなければいけないなんて涙が出そうである。早々に化け狐として生きていく自信がなくなった。人間に戻りたい。

 すっかり怖気づいてしまった翔に、『安心しなさい』と、おばばが一声鳴く。


『要は、悪いことをしなければいいだけの話なんだ。仮に坊やが神主の話を蹴ったところで、怒ることはない。あの子は聞き入れてくれるだろうさ』


 まあ簡単には諦めないだろうけど……と、猫又は小声で呟く。

 幸い、翔の耳には届かなかった。


「まだ、現実を受け入れるまで時間が掛かりそうだよ。狐の五感には悩ませられているし」


『安心しなさい。ちゃんと治る方法を教えてあげるから』


 ホッと胸を撫で下ろす。

 なにせ狐の鋭い五感のせいで、今朝から散々な目に遭ったのだから。


 まことに狐の本能とやらは厄介だ。

 妖狐だと知った日から毎日のように五感が敏感となり、体内時計は狂ってしまっている。狐は夜行性の生き物。朝昼は眠っていることが多いため、その獣の本能を持つ翔も必然的に夜行性となりつつある。


 また雀やカラスを見ると、無性に捕まえたくなる衝動に駆り立てられる。

 これも狩りの習性があるせいだろう。


 いまはどうにか自分を抑制できているが、いずれ衝動を抑えられなくなる日が来るかもしれない。


「そういえば、おばば。朔夜たちと何を話したんだ?」


 先ほどのことを思い出し、気になっていたことを尋ねる。

 その際、猫又の体から滑り落ちそうになったマフラーを引き上げた。


『妖祓は妖の天敵だからねぇ。どんな子らか、ちょいと拝んでおこうと思ったのさ。宝珠の御魂を持っている坊やの傍にいる子らだ。心配じゃあないか』


「で、どうだった?」


『妖祓としては、とても優秀な類いの子らだろうねぇ。ただ視野がとても狭いねえ。世界を知らないんだろうねえ。まあ若いってこった。ケッケッケ』


 奇怪な笑い声を漏らす猫又に、思わず苦笑い。

 その笑い方はどうにかならないものか。



 それなりに都会だった風景も、田畑とひと気のない道路ばかりが目につくようになる。

 しかし都会のニオイは浸透しており、殺風景な場所に大型のマンションや新築の一軒家がちらほら目に付いた。長いこと土地に建っているであろう一軒家が霞んで見える。


 見晴らしの良い道中を通り過ぎ、例の、妖の社と繋がった神社に辿り着く。


玉桂(たまかつら)神社だっけ?」


 翔はおばばを抱えたまま石段を見上げた。

 玉桂神社に続く石段は、水分を失った落ち葉で散らかっており、赤かったであろう鳥居の肌は風化してむき出しになっている。


 季節は冬、玉桂神社を囲んでいる木々は枯れ葉を必死に維持して、裸の状態を避けようと努力していた。

 この先に“妖の社”と呼ばれる、妖の聖地がある。


 石段をのぼろうと足を前に出した瞬間、『お待ち』と、おばばから止められた。

 動きを止めると、おばばが、このようなことを言った。


『妖の社にはちょいとした仕掛けがあるんだ』


 しゃがれた声で鳴き、猫又は鳥居を尾で指した。


『鳥居の正面右に立って8の字に歩いてごらん。その時、反時計回りに歩くことが大切だからね』


 言われたとおり鳥居の右側に立ち、鳥居を軸にして8の字に歩く。反時計回りに歩くことを忘れずに。


 おばば次の指示を出した。

 それは石段をのぼる際は一段越しにのぼるというもの。


「なんで?」


 つい疑問を口にしてしまう。


『いいから』


 てっぺんまで、必ず一段越しにのぼるように。

 再三再四教えられ、翔は勢いよく段に足を掛けた。一段越しに石段をあがっていくと玉桂神社の参道が見えてきた。

 頂上に足を掛けた瞬間、見えていた景色が掻き消え、見慣れぬ社が顔を出す――妖の社だ。


「何が起きたんだ?」


 その場に佇み、光景に呆けてしまう翔に、『今のは妖の社に入る鍵の術だよ』と、おばば。


「術? 俺、術を使ったのか?」


 翔はやや興奮気味に目を輝かせる。

 こくんと、おばばは頷いた。


『霊力のない人間にもできる簡単な術だよ。坊や、術といえば呪文を唱えたり、道具を使って力を使ったりするものだと思っていないかい?』


「あ。分かる。漫画とかアニメを観ていると、特に」


 素直に思っていたと頷く翔に一笑し、猫又は翔の腕から抜け出した。

 ぴょんと右肩にのると、翔の背後に続く石段を見やる。


『動きそのものが術になることもあるんだよ。今のは結界反転の術。この社にはヒトに見つからぬように用心深く結界が張られている。坊やは一連の動きで、自身に結界を潜り抜けるよう術を掛けたんだ』


「へえ、そりゃ凄いなぁ」


 術を使ったなんて、とてもわくわくする。男心をくすぐられる。

 翔は内心子どものようにはしゃいでしまう。


「あ、待てよ」


 ふと翔は疑問を抱き、肩にのる猫又に疑問を投げた。


「人間にもできるなら、今の手順が誰かにばれたらやばくないか?」


『いいところに目を付けたねぇ。安心しなさい。この社の入り口にも結界が張ってある。今の坊やには見えないだろうけど、薄い膜のような壁があるんだ』


 所謂、社の玄関扉のようなものが翔の背後にあるらしい。

 振り返って確かめてみるが、翔の目に映るのは木々と石段ばかりである。


「なんも視えねえや」


 ギンコが傍にいたら視えるのだろうか?

 化け物鳥に襲われた時も、ギンコが傍にいたら視えていた。


『ここを潜ることができるのは神使に許された者のみ。もし通りたくば、神使の許可を得なければいけないんだよ』


 それだけ厳重な結界が張られているそうだ。

 たとえ巨大な霊力を持つ人間がここに入ろうとしても、神使の許しがない限り、結界に阻まれるとおばばは教えてくれた。


「ギンコってすげぇんだな」


 深々と感心する。

 見た目は、あんなにも愛らしい狐だというのに、じつは神につかえる神聖な獣なのだなんて、ゆめゆめ想像もつかない。


『どんなにオツネがおてんばの我が儘娘でも、神力を宿す神使あることには間違いないんだけど』


 猫又は困ったような顔で唸る。


『もう少し、オツネは神使として自覚を持ってもらいたいところだよ。あの子もまだ若いから神使のお役より遊びたい気持ちが勝っているんだろうけど……昨日も、ここを抜け出そうとしてねえ』


「え、危ない目に遭ったのに」


 思わず呆れてしまう。


 あれほど命が危ぶまれたのに、また外へ出ようとしたのか。


『どうやら坊やに会いに行こうとしたみたいなんだ。恋する娘は日々人恋しいようだねぇ。二日も翔の坊やに会えなくて嘆いていたよ』


 空笑いする翔は、どう反応すれば良いか分からない。

 狐に片恋を寄せられるなど、これまでの人生の中でも経験にないことだ。


 クオーン。


 と、どこからともなく狐の鳴き声が聞こえた。噂をすればなんとらやらしい。


「これオツネ! まだ話は終わっていませんよ!」


 姿の見えない青葉の呼び止めが宙を舞う中、住居にしている憩殿(いこいどの)の方角から銀の毛並みを持った狐が飛び出してきた。まるで、風に溶け込むような銀の体毛を靡かせ、軽やかな足取りでこちらへと駆けてくる狐。ギンコだ。

 しゃがんで腕を広げてやると、勢いよくギンコが飛び込んでくる。

 早々に二足立ちで顔を舐めてくる銀狐の愛らしい姿に、つい写真を撮りたいと思う翔だった。


「うはっ、くすぐったい。くすぐったいってギンコ」


 柔らかな尾を千切れんばかりに振るギンコが頬を寄せてくる。

 フンフン。鼻を鳴らす狐の体を持ち上げてやると、胸部に頭を擦りつけてきた。甘えているらしい。優しく胴を撫でてやれば、クーンと嬉しそうに鳴く。


 つい、でれっと頬を緩めてしまった。

 やっぱりギンコは可愛い。いつまでも愛でたくなる。過ごしたあの一週間が翔の中で鮮明に息づいているため、余計に可愛がりたくなるのだ。


「ごめんな。さみしいを思いさせて」


 怪我していた左前足に目を向け、怪我の具合を確認する。切り傷は殆ど癒えているようだ。

 あとは傷跡が残らぬよう、体毛が覆ってしまえば完治と言える。


「良かった。元通りの綺麗な足に戻りそうで」


 己の不器用な手当てに不安を抱いていたのだが、ひと安心である。

 それにしても腕に狐、肩に猫と、動物が二匹も体に乗っているのは些かつらい。それなりに重みを感じる。


「あ、」


 翔の視界端に何かが映り、思わず振り返る。

 石段の景色ばかりがあったそこには、白く濁った薄い膜のようなものがそびえ立っていた。


 結界だ。

 おばばの言うとおり、薄い膜のような壁が翔を見下ろしている。これを通り抜けてきたのだ。


 侵入者を拒むような結界にあっ気を取られていると青葉が走って来る。

 今日も巫女装束に身を包んでいる彼女は、一つに結っている緑の黒髪を揺らし、肩を弾ませながら翔の前に立った。

 翔は青葉の髪がやや乱れていることに気づく。彼女らしくない。


「これは翔殿。おはようございます」


 柔和に目尻を下げてくる青葉に笑みを返すが、時刻は夕暮れ近い。挨拶に違和感を抱く。

 すると翔の心境を見透かしたおばばが、ギンコや青葉は先ほど起床したのだと教えてくれた。

 なにせ妖だ。夕夜に活動する生き物ゆえ、朝昼は就寝しているという。だから“おはよう”なのだとおどける猫又に翔は「なるほどな」と納得した。


「おはよ。青葉」


 挨拶を返し、髪がはねていると指摘してやる。

 青葉は顔を紅潮させ、慌てて手櫛で髪を整えた。


「見苦しいところをお見せしました。オツネと、その」


『なんだい。またオツネと喧嘩したのかい? 青葉。起きて早々元気なこった』


 やれやれと首を振る猫又に、「お。オツネが悪いのですよ」と、青葉が弁解を始めた。

 どうも喧嘩ばかりしているらしい、この巫女と銀狐。


「オツネったら、ぼろきれとなった黒衣を始終銜えて放さないんです。それを持ったまま移動するものだから、部屋が糸屑だらけになってしまって。捨てるよう言っても聞かないのですよ」


『ああ。あれかい? 黒衣を無理やり捨てようとして喧嘩になったんだねぇ』


 黒衣。

 思い当たる節があった翔は、目を丸くしてギンコに尋ねる。


「なんだギンコ。お前、まだあのコートを持っていたのか?」


 うんうんと頷く銀狐にやっぱり、と翔は苦笑した。

 その黒衣は狐と出逢った夜に駄目にしてしまった翔のコートだ。

 ギンコは翔の部屋にいた頃から、なにかとあのコートを気に入って放さなかった。ギンコにしてみれば、気を落ち着かせる自分専用の毛布のようなものなのだろう。

 それを青葉に説明してやると、困ったものだと彼女が腕を組む。


「掃除をするのは、私なのですよオツネ」


 そんなの知ったこっちゃない。ギンコが青葉に尾っぽを向けた。


「小憎たらしい!」


 握り拳を作ってキッと相手を睨む青葉の頭から、ひょっこりと狐の耳が生えた。

 目を点にする翔の視線に気づき、どうしたのだと彼女が訝しげな眼を向ける。

 おずおずと彼女の頭を指差した。ジェスチャーで耳が出ていることを教えれば、「わ、私ったら!」と、恥ずかしそうに耳を押さえる。


「興奮すると、つい耳や尻尾が出てしまうのです。私としたことが、修行が足りません」


 ああ、青葉もまごうことなき妖なのだ。

 なんとなくギンコやおばばは“妖”だと信じられたのだが、青葉はまんま人間の少女にしか見えないため、今まで本当に妖狐なのかと心中で疑っていた。が、やはり彼女も妖らしく、いそいそと狐耳を消そうと奮闘していた。


 おばばのクシャミにより、立ち話もなんだからと青葉が耳を押さえたまま憩殿に案内してくれる。

 その光景に笑いながら翔は、獣たちと共に参道から()れ、憩殿(いこいどの)へ向かった。



 憩殿は昔ながらの古い木造建である。

 玄関であろう引き戸を潜ると、広い土間が翔を出迎えてくれた。奥に台所であろう炊事場が見える。さらに手洗い場であろう場所に手押しポンプが堂々と据わっていた。水道が当たり前の翔には新鮮な光景に思える。


 土間でスニーカーを脱ぎ、「お邪魔します」と挨拶をして憩殿に上がる。

 ギシギシと軋む廊下の板張りは年期が入っているらしく、歩く度に音が鳴っていた。


 茶の間らしき畳部屋に入ると、掛け軸が落ち、積んであった座布団が放られている。

 座布団からは綿が出ていた。何枚もの座布団が同じ状態になっているので、翔は目を点にしてしまう。

 嵐でも起こったのだろうか。この部屋は。


「……えーっと、凄まじい喧嘩だったんだな」


 恥ずかしそうに座布団を拾い始める青葉を手伝うため、翔はギンコを畳の上におろす。

 おばばは颯爽と大きな火鉢の前で暖を取っていた。よほど寒かったらしく、毛を逆立て、ぶるぶると身を震わせている。


「すみません」


 まだ、彼女の頭には狐耳が存在しているのだが、その耳がシュンと垂れてしまった。


(あ、可愛い。触ってみたい)


 翔は青葉と目が合いそうになり、大慌てで目を逸らして咳払いをする。


(……耳を触ってみたい、は失礼だろう)


 いやでも、できることならその耳を一度でいいから触ってみたい。ふわふわしてそうだ。触り心地がよさそうだ。ヨコシマな気持ちを抱いてしまった。

 これもそれも青葉が可愛い耳をしているのが悪い。


「はい、これ」


 束ねた座布団を青葉に差し出す。


「ありがとうございます」


 笑顔を作る彼女の耳が立った。

 自然と目が耳に向いてしまう。


(俺もあんな風に耳が動くのか? ……俺と狐耳、ぜってぇ似合わないだろうなぁ。想像もしたくねえんだけど)


 その直後のこと。

 ぴょんと畳を蹴ったギンコが青葉の頭を踏み台にして、翔の持つ座布団の上に飛び乗る。狐は座布団を銜え、自分も手伝っているのだと得意げに主張してきた。

 散らかった元凶は青葉とギンコの喧嘩なのだが、銀狐に甘い翔はついつい偉いぞ、と褒めてしまう。


「オツネっ、貴方という狐は」


 間もなく、青葉の地を這うような声と、ほの暗い表情を直視してしまった翔は、すぐさま彼女に謝るようギンコに促す。


「妹の青葉を踏むのはだめだろ。ギンコ。ごめんなさいしような」


 ぷい、ギンコはそっぽを向いてしまった。謝りたくないらしい。



「ぎ、ギンコさん。頼むよ……あ、青葉。落ち着け。な? ギンコも悪気はあったと思うんだけど……ああっ! 二人とも座布団を投げ合うな! ばか、綿が出てるって!」



 こうして二度目の嵐が訪れることになったのだが、翔にはどうすることもできず、おばばと部屋の隅っこにある火鉢で暖を取って嵐が過ぎ去るのを待つ他なかった。

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