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南条翔は其の狐の如く  作者: つゆのあめ/梅野歩
【弐章】名を妖狐と申す
19/158

<幕間>とある妖祓と猫又



  ◆◆◆



「飛鳥、いつまでいるの。早く行きなさい。遅刻するわよ」


 楢崎飛鳥は自室の机で鏡と顔を見合わせている真っ最中だった。

 軽くファンデーションをつけていると、一階にいる母親から声を掛けられたので、「分かっているよ」と、声音を張る。


「ちゃんと時間は気にしてるってば」


 不満げに鏡に視線を戻す。

 時間が迫っていることは百も承知していた。

 けれど、時間を掛けなければいけないものもある。

 飛鳥は鏡面に映る自分を見つめ、化粧のりの悪さにため息をつく。

 連日のように夜遅くまで妖を追っているせいか、みごとに肌が荒れている。おでこにニキビらしきものが、ぽつんとできている。


「寝不足のせいだよね。今日は早く寝たいんだけど」


 ニキビに触らないよう注意をしながら、チークを塗ってコンパクトを閉じた。

 急いで家を出るとプリーツを(ひるがえ)し、通学路を早足で歩く。


 向かうは学校……と、その前に大事な寄り道をする。

 坂道を下り、郵便局から三軒挟んで隣の一軒家の呼び鈴を鳴らそうとした飛鳥だったが、タイミングよく和泉朔夜が玄関から出てきたため、そっと頬を緩めた。


「朔夜くん。おはよう」


 軽く手を振ると、「おはよう。いつも早いね」と、朔夜が目尻を下げた。この表情(かお)を見たいから、彼よりも早く家を出て迎えに来ているのだ。当然早いはずだ。

 肩を並べてくる朔夜に微笑み、先程よりもゆったりとした歩調で学校に向かう。


(今日こそ、朔夜くんと距離を縮めるよう)


 飛鳥にとってこの時間は非常に貴重だった。特別に二人きりになれる時間なのだから。

 普段は友人やもう一人の幼馴染と三人でいることが多い。もちろん、それはそれで楽しい。賑やかな気持ちになる。


 だが恋多き年頃の飛鳥にとって、どうしても好意を寄せている相手と二人きりになる時間が欲しかった。

 夜は妖祓として、朔夜と二人で行動することが多いが、それは異性というより相棒という関係で落ち着いている。

 妖祓として務めてを果たしている間は、仕事の話ばかりなのだ。

 もっと学生らしい時間を過ごしたい飛鳥にとって、この時間はとても大切にしていた。


 ただし、相手は生真面目な性格をした和泉朔夜。

 貴重な時間すらも仕事の話題を振ってくることが多い。


「昨晩も妖が多かったね」


 ほらきた。仕事の話題だ。


(もっと早く学校の話題を振っておけば良かった)


 しまった、と飛鳥は内心で肩を落とす。

 表向きは努めて笑いながら、「おかげで寝不足だよ」と、明るく返事をした。


「深夜二時半まで町中の妖を調伏していたせいで肌荒れが酷いよ。今日は日付が変わる前に寝たいな」

「もっと妖が大人しくしてくれたらいいんだけどね」


「そしたら、もっと自分の時間ができるよね。朔夜くん、時間ができたら」

「気兼ねなく勉強ができるね」


「……そうじゃなくて。もっと自由な時間ができたら」

「ショウとの約束を破らずに済むよ。あいつの誘いを断るのは、毎度心苦しくてさ」


 この男、ちっとも飛鳥の気持ちに寄り添おうとしない。

 飛鳥はぐぬぬっと下唇を噛み締める。


(二人きりになっても、朔夜くんと話すことと言ったら妖か、ショウくんのことばっかりなんだよな。負けてる気分)


 朔夜は飛鳥の気持ちを知っている。

 けれども、あまり恋愛に興味がないようで、まったく靡く素振りを見せない。そういう男だとは知っていたが、ここまで無頓着だと自信を無くしてしまう。

 これでも飛鳥は女の子である。

 もう少し、異性として意識してくれても良いのでは。


(せめて普通の女の子だったらなぁ。妖とかそんなの気にせず、恋愛に集中できるのに)


 代々続いている生業(なりわい)とはいえ、厄介な御家(おいえ)に生まれてしまったものだ。

 妖祓は基本的に夜に行動する。友人達がカラオケやファミレスでガールズトークをしている間も、自分は妖祓として責務を果たしているのだ。もっと遊びたいのに。不満が募るばかりである。


 これも妖達が悪いのだ。

 おとなしくしていれば良いのに、人に害を及ぼすから。


 弾まない会話を淡々と交わしていると、丁字路に差し掛かる。

 地元でなかなかに美味しいと定評のある総菜屋の曲がり角から、忙しなくリーマンが出てきた。寒そうに手をすり合わせている。

 そのすぐ後ろから、ひょっこりと学生が出てきた。もう一人の幼馴染、南条翔だ。

 やけにくたびれているコートは父親のお古だと言っていたっけ。


「ショウだ」


 微かに表情が明るくなる朔夜とは対照的に、飛鳥の心が暗く落ち込んでしまう。


(私の時と全然違う反応するじゃんか)


 飛鳥と二人きりの時間よりも嬉しそうである。


(朔夜くんも男の子だもんね。幼馴染とはいえ、やっぱり同性が親しみやすいだろうし)


 仲良く三人で幼馴染をしているが、飛鳥は時折、性別の壁を感じていた。

 異性の幼馴染と同性の幼馴染では価値観も、共通の話題も、抱く感情にも大きな壁がある。


(男の子だったら良かったのになぁ)


 これは密かに抱いている、飛鳥の幼馴染に対するコンプレックスだった。

 苦い顔をしている飛鳥に目もくれず、朔夜が翔を呼ぶ。

 しかし翔は気づかず、目を伏せ、鈍りのように重たそうな足取りで学校を目指していた。飛鳥が呼んでも結果は同じ。

 思わず顔を見合わせてしまう。

 駆け足で彼の下に向かい、背中を叩く。


「うひゃっ!」


 素っ頓狂な声を上げる翔は軽くかぶりを振ると、引き攣り顔で二人を恨めしそうに見つめる。


「……なんだ。朔夜と飛鳥か。脅かすなって」


「驚かすも何も、私も朔夜くんも何度もショウくんを呼んだよ。でもショウくんが全然気づいてくれないから」


「呼んだか?」

「呼んだよっ!」

「お、大きな声を出すなよ」


 彼は右の耳に指を突っ込み、「ごめんごめん」と素っ気なく謝罪してくる。

 赤い軽自動車が通り過ぎると翔が両耳を押さえた。不可解な行動に飛鳥はきょとんとしてしまう。


「ショウくん、何しているの?」


「いや、朝から頭痛がしてさ。妙に音が頭に響くんだよ」


 へらへらっとおどける翔の顔色が、みごとに青褪めていた。


「顔色が優れないようだけど大丈夫? ……頭痛薬ならあるよ」


 飛鳥は通学鞄を叩いてみせる。

 しかし翔は虚勢を張るように笑った。


「薬は飲んだから。すぐに治るよ。すぐにっ……まずい」


 言った直後に彼は足を止め、近くの電柱に手をついた。吐き気を催しているようだ。

 ついにはその場でしゃがんでしまう。

 これは一刻を争うやもしれない。


「朔夜くん。私、そこのコンビニでビニール袋を買ってくる。ショウくんをお願い」


 飛鳥は朔夜に翔を頼み、急いで近場のコンビニへ走った。

 ビニール袋といっしょに水を購入して戻ると、翔の顔色が土色になっている。

 誰がどう見ても彼は限界にきている。必死にこみ上げてくるものを我慢している。水の入ったペットボトルを差し出しても受け取る気配はない。


「ショウ。ビニール袋は渡しておくよ」


 飛鳥の手からビニール袋を受け取った朔夜が、それをそのまま翔に横流しする。片手を出して感謝を示す翔は立つこともできなさそうだ。


「飛鳥。ごめんけど、先に行っててくれるかい。ショウをこのまま放っておけないからさ」


 朔夜がこのように話を切り出してくる。

 曰く、翔の担任に翔の体調不良のことを伝えてほしいとのこと。ついでに朔夜の担任にも事情を話しておいてほしいと頼んできた。


(薄々私に回ってくるとは思ったけど)


 誰かがしなければならない役回りだが、なんとなく疎外感を抱いてしまう。

 それは飛鳥がためらいを見せた際、朔夜から小声で耳打ちされたことが原因だろう。


「飛鳥がいると、ショウも意地を張るからさ」


 翔の気持ちを知っている彼は正論を述べただけであった。

 飛鳥とて、翔から異性として気持ちを向けられていることは察している。

 けれど、やはり何か心に引っ掛かるものがあった。それはきっと朔夜には弱っているところをまるっと見せてくれるのに、飛鳥には一切見せてもらえない、小さなさみしさがあるのだろう。


(……小学生の時はそんなこと考えたこともなかったのに)


 昔は異性の壁など一切存在しなかった。飛鳥が朔夜へ向ける心も、翔が飛鳥へ向ける心も。

 ただただ、そこには幼馴染としての友情のみが存在していたというのに。

 いつから、異性の壁が邪魔をするようになったのだろう。


(男の子同士の会話に、ついていけなくなることが多くなったなぁ)


 時々思う。自分が男の子だったらな、と。

 そうすれば本当の意味で、気兼ねない関係を築けたのではないだろうか。恋愛も何もなく、二人と常に近い存在でいられたのではないだろうか。

 学校へ向かう中、飛鳥は常日頃から心に引っ掛かっている悩みを噛み締める。


(女って、めんどくさいな)


 二人には言えない仄暗い感情を抱いた。




 翔の様子は、遅刻してきた付添人の朔夜から話を聞くことができた。

 あれから二人は時間を掛けて登校してきたらしい。

 朔夜は翔の顔色の悪さを心配して背負おうとしたようだが、向こうは自力で歩くの一点張りだったとか。帰宅をすすめても、首を縦に振らなかったらしい。


 それゆえ、いつもの倍の時間を掛けて通学路を歩いたらしいのだが、学校に着くや否や翔は力尽きたそうだ。保健室に運んでやると、教師や学年主任と言葉を交わし、貧血を起こしているかもしれない、と推測した。

 午前中はベッドで安静させるが、あまりにも酷いようなら保護者に連絡して、病院に連れて行くようお願いする予定だという。


 朔夜は飛鳥に状況を説明した後、小さく吐露した。


「ショウの奴、体も心も弱っているんじゃないかな」


 それは飛鳥も感じていたことだ。

 静かに頷き、「そうだね」と返す。


「あの日以来、ショウくんに元気がない。きっと、なにか遭ったんだと思うんだけど……」


 あの日とは翔を探し回った夜を指す。

 妖鳥に狙われた翔を見つけ出すことに成功したものの、翔はすっかり元気をなくしてしまっている。声を掛けても、話を振っても、力なく笑うばかり。落ち込んでいるのは明白だった。


「こうも元気がないと、ショウくんに無理やり聞くこともできないね」


「そうだね……こういう時、どうしてやればいいんだろう。いつもだったら、愚痴も悩みもおおっぴらに話してくれるのにね」


「今はそっとしておく方がいいのかもね。なにも言わないって、よっぽどのことなんだと思うよ」


「分かっているんだけどね。ただ、少しだけ引っ掛かっていることがあるんだ。僕の予想が外れてくれたら良いんだけど」


 昼休み前、翔は保健室のベッドから下りる程度にまで回復できたらしい。

 飛鳥が友達と話しながら廊下を眺めていると、翔が自分の教室へ戻って行く姿を見かけた。声を掛けたかったが、いまいち元気がなさそうだったので、そっとしておくことにした。

 昼休みになると翔の方から声を掛けられ、迷惑を掛けてしまったと謝罪された。


(長い付き合いなのだから、そこは気にしなくても良いのに)


 飛鳥の思いもむなしく翔は力ない笑みを浮かべ何度も謝ってきた。

 見慣れない微笑みに、戸惑うことしかできなかった。 




 一日の学校生活を終えると、飛鳥は真っ先に朔夜のいる教室に向かった。

 いっしょに帰るためではなく、いっしょに仕事をするためであった。

 妖気を感じたのだ――この学校の敷地内で。


 急いで身支度をした朔夜と校舎を駆け回る。被害者が出る前に妖をどうにかしなければ。

 奏楽部が使用している音楽室や談笑広場になっている美術室、陸上部などの運動部がいるグランドを隈なく見て回り、二人は学校に侵入してきた妖を探す。

 そうして奔走していた二人の前に、ようやく妖が姿を現す。

 ただし生徒付きだ。


 裏門の側らの茂みで妖を腕に抱えている生徒は、「寒かっただろう」と、声を掛けて体を撫でている。

 くたびれたコートを着ているのは翔だ。

 その腕にはキジ三毛猫――しかし、二人の目にはただの猫としては映らず、その長い尾っぽは根元から四本に分かれていた。あれの正体は猫又(ねこまた)。学校に侵入して犯人であった。


「あの猫又。この前、ショウといっしょにいたな……なんで学校に」


 翔の腕の中でごろごろと喉を鳴らしている猫又は、明らかに翔を目的としているようだ。翔が頭を撫でても嫌がる素振りも見せず、撫でられる手にご満悦している。


 基本的に猫又は人畜無害だ。

 一昔前であれば人を食い殺す輩もいたようだが、現代の猫又は非常におとなしい。一説では、飼い主に恩返しをする心優しい猫又もいるとか。ちなみに十年以上生きると、猫は猫又になる可能性を秘めるらしい。

 見るかぎり、あの猫又は翔に懐いているようで、腕の中で能天気に欠伸を噛み締めている。


「行こうな」


 猫の様子に頬を緩めた翔は、そのまま猫を抱いて裏門を潜った。

 二人は顔を見合わせる。そっちは翔の家とは真逆の道であった。

 翔が猫又に襲われない可能性もゼロではないため、急いで後を追い駆ける。


「ふぁーっ……ねむ」


 欠伸をする猫又に感化されたのか、翔も欠伸をこぼし始めた。


「最近、朝昼が苦手になっちまったよ。太陽が嫌なほど眩しいぜ」


 昼夜逆転してしまった、と翔は猫又に話し掛けている。

 木枯らしが吹くと、翔は猫又を守るように獣を抱えなおした。彼らはとても親しくなっているようだ。


(朔夜くん。ショウくん、大丈夫かな)


(……油断はしない方がいい。飛鳥、いつでも法具は出せるようにね)


 しばらく様子を見守っていたが猫又は翔を襲う素振りを見せない。ずっと懐いている様子を見せる。

 どうやら杞憂だったようだ。

 おおよそ翔が猫又に優しさを与えた結果、恩を返そうと善意で翔の傍にいるのだろう。

 猫又は義理と人情に篤い生き物でもあるので、そういうケースはよく耳にしている。驚きはしない。


「じゃあまたな」


 古い木造の一軒家の塀に猫又を置き、翔がバイバイと手を振る。そのまま自分の住むマンションに帰るため、翔は大通りの方へ向かった。

 曲がり角からそっと様子を見守っていた飛鳥は、ホッと胸を撫で下ろす。


「何事もなく終わって良かったぁ」


 視えない幼馴染が、妖を腕に抱えている時はどうしようかと思った。


「良かったね」


 飛鳥が隣に立つ朔夜に声を掛けると、脱力したように彼も苦笑い。同じ気持ちを抱いていたようだ。


『おやおや。坊やたち、覗き見は悪趣味さねえ』


 しゃがれた声が足元から聞こえてくる。

 視線を落とせば、先ほどの猫又が前足を使って顔を洗っていた。声を上げて驚く飛鳥とは対照的に、朔夜がおどけて挨拶する。


「これは失礼。化け猫が人間を食らわないか、ちょっと見張っていただけだよ」


 気にする素振りもなく、猫又はケッケッケと不気味に笑声を漏らした。


『妖祓の坊やたちは警戒心が強いねぇ。わたしはヒトなんて食べないよ。見るからに硬そうだし、腹を下しそうだよ』


「そう言ってくれると、こっちも安心だよ。なんでショウと一緒にいるんだい?」


『おや? あの子はカケルと言うんじゃないのかい? 空を(かけ)るの翔だろう?』


「僕たちがつけた愛称だよ。単なるあだ名さ」


 片目を瞑る朔夜に『仲良しさんなんだね』と猫又は一声鳴いた。

 冷たい風に吹かれ、ぶるぶると身震いしている。


「で、猫又婆(ねこまたばあ)さん」

『なんだい?』

「僕は質問の答えを待っているんだけど」


『ああ、なんで一緒にいるのかって話かえ? そりゃあ猫又婆の気まぐれさ。ババアは冬が苦手でねえ。人肌が恋しくなるんだよ』


「へえ、可愛い性格をしているじゃないか」


『そう思うなら腕に抱いておくれ。まったく、冬は寒くて敵わないよ……おっと、その数珠は仕舞っておくれ。調伏(ちょうぶく)なんて、真っ平ごめんさ』


 学ランの右のポケットに手を忍ばせる、朔夜の意図を読んだ猫又が釘を刺す。

 肩を竦めて右の手を下ろす幼馴染に、物騒な坊やだと猫又は苦笑いした。


『修羅場を潜り抜けてきたゆえの自己防衛なんだろうねえ。若いのに苦労しているようだ。そちらのお嬢ちゃんも、呪符(じゅふ)は勘弁しておくれ。妖はそれを毛嫌っているのだから』


 ばれていたのか。

 飛鳥もスカートのポケットから手を出した。

 揃いも揃って物騒な坊やだと前足を舐める猫又は、殺生に慣れてはいけないことを告げてきた。

殺生をした分、その命を背負って生きなければいけない。その意味を知ってほしい、とのこと。


「お説教でもしに来たのかい?」


 呆れる朔夜に、ただのお節介だと猫又は鼻を鳴らす。


『ちょいと妖を軽んじてみている坊やたちが気になっただけさね。特にそこの眼鏡の坊や、妖の命は軽くはないよ』


 何もかもを見透かした眼をしている。

 飛鳥は猫又の目がとても冷たく、厳しいものだと思えてならない。


「人間の命を軽く見る妖がいなくなれば、見方も変わるだろうね」


 飄々と猫又の鋭い眼光を受け流す朔夜に、どことなく猫又は哀しげなため息をついた。


『――なら、いずれきっと変わるよ。いずれ変わるきっかけは訪れる。いずれ。その時、坊やたちがどう受け止められるかは分からないけれど』


 スン、シュンと鼻を鳴らす猫又は寒そうに立ち上がって、くるりっと尾っぽを向けた。


「お説教は終わったかい?」


 朔夜が冷ややかな口調で猫又に尋ねる。


『お説教じゃないよ。これは助言だ。視野を広く持つんだねえ、坊やたち』


 首だけ動かし、こちらに視線を向ける猫又は人肌が恋しいと、総身の毛をぶわりと逆立てた。


『あたたかい人間を探すかねぇ。ここには雪男と雪女しかいないようだから』


 しっかりと嫌味を返すことを忘れない猫又は天晴れである。

 颯爽と駆け出す猫又を見送り、飛鳥はやれやれと吐息をついた。おしゃべり好きな猫又だ。


「性格はともかく、害は無さそうだよ。ショウくんと純粋に仲良くしているみたいだし」


「そうだといいけど……妖は油断がならない。化かす奴も多いから」


「化かされて何度泣かされたっけね」


「思い出したくもないよ。さあ、そろそろ仕事に入ろうか」


 今日も妖の被害報告が入っている。

 朔夜が来た道を戻り始める。

 相棒の背を追おうとした飛鳥だが、ふと足を止めて猫又の去った舗道を見つめた。


(さっきの猫又の言葉……なんだろう。不安になるな)


 まるで未来を予知するかのように言葉を置いて去ってしまった猫又に、言いようのない感情が込み上げてくる。


「飛鳥?」


 朔夜に呼ばれ、不安を払拭するように足を動かす。

 数分もしない内に、飛鳥は不安そのものを忘れてしまっていた。




 さて一方。

 子どもたちと別れた猫又は、身を切るような冷たい風に顔を顰めながら、手頃な一軒家の塀に飛び乗る。それを伝って大通りに出ると、人の流れに逆らうように道の真ん中を歩く。

 幼子や女子高生が「猫ちゃんだ」と愉快げに声を上げて指差す中、猫又はおもむろに石畳のタイルを蹴った。


 そして、その体は前方で構えていた人間によって受け止められる。

 ぶるぶると身震いをしていると、ぬくもりある灰色のマフラーで包んでくれた。優しい手は何度も体を撫でてくれる。寒さを取り除くように、何度もなんども。


「今日は特別冷えるよな、おばば。早く行こうぜ。風邪ひいちまうよ」


 ほおっと白い息を吐き出し、腕に猫又を抱えた少年、南条翔は歩みを再開した。

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