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南条翔は其の狐の如く  作者: つゆのあめ/梅野歩
【壱章】少年は妖と化す
16/158

<十二>妖の社(肆)



「な、なんの声だ?」


 獣の鳴き声に、思わずあの化け物鳥なのかと身を強張らせた翔だったが、クオーンと鼓膜を振動させる鳴き声はやや聞き覚えがある。


 この声は狐だろうか。

 どこからともなく聞こえてくる狐の姿を探そうと目を配った次の瞬間、額に鋭い衝撃が走った。例えるならドッジボールのボールを不意打ちで食らったような気分である。


「ぐえっ!」

「だ、大丈夫ですか」


 くらっとよろめいて尻もちをつく翔に、青葉が両膝をついて手を貸してくれた。

 どうにか腕の中にいるギンコを落とさずに済んだものの、頭に衝撃を食らった翔は目を回していた。


「な、なんだ?」


 かぶりを振って額を押さえる。

 目を動かして原因を探していると、視界の端に神々しい毛並みが映った。

 ぎこちなく視線を流すと、その先には眩しいばかりの光……ではなく、うつくしい太陽のような毛並みを持った黄金色の狐が牙をむき出していた。

 すらっと長い脚に、ヒトを魅了させるふさふさな尾っぽは見事である。ギンコに引けを取らないうつくしさに息を呑む翔だったが、その狐は殺気立ち、翔に敵意を見せていた。


『ツネキじゃあないか。もうオツネのことを耳したのかえ?』


 あきれ返るおばばに、金狐が軽く鼻を鳴らした。視線は翔を捉えたままだ。

 低い唸り声を上げる金狐の気迫に押されてしまう。


(えええ。なんで威嚇されてんの俺)


 翔はじんわりと冷汗を流した。


(こいつ、絶対俺に怒ってる。なんで? なんかしたっけ?)


 金狐が尾っぽをゆるやかに揺らし始める。

 左右に振れる尾っぽのまわりに恒星のような、小さな青白い球体が現れた。

 おや、あの光景は何処かで見覚えがあるような。


「つ、ツネキ! この方は敵じゃありませんよ!」


 青葉の切羽詰まった声よりも先に金狐の行動の方が速かった。

 恒星に生命が宿り、瞬く間に産声の炎を上げる。青白い炎を目の当たりにした翔は思い出したと指を鳴らす。あれは青葉が化け物鳥に使っていたチンチクリンな術ではないか。

 思い出してすっきりだと頷く翔だったが、間もなく血の気を引かせる。まさかあの炎を自分に投げるつもりじゃ。


『おやめツネキ!』


 おばばが止めに入るが、時すでに遅く、燃え盛る炎が翔目掛けて飛んでくる。

 悲鳴を上げる翔は、大慌てでギンコを青葉に投げ渡すと、自分は炎の餌食にならぬよう地面を蹴った。


「あ、あ、あぶね」


 紙一重で炎を避けることに成功した翔は前方を見据える。

 ふたたび青白い球体を召喚する金狐が一声鳴いた。二重、三重、白い螺旋が金狐を取り巻いているように見えたのは目の錯覚だろうか。


 ギンコが何度も鳴き、四肢をばたつかせて翔に駆け寄ろうとしている。それを必死に止める青葉に感謝して、こちらへ駆けてくる金狐から逃げた。

 このままでは二人を巻き込む。


(なんで金色の狐が俺を狙ってくるか分からないけど)


 また怪我するのだけはごめんだ。


 電光石火の如く駆けて、先回りしてくる金狐の足止めに舌を鳴らす。

 その間にも球体を炎に変え、金狐が容赦なく放ってくる。

翔の中で炎を投げてくる相手に対する恐怖と、傷つきたくない恐れが募り始めた。体内で何かが焚きつく最中、焦れた金狐が球体の数を増やして炎を呼び起こす。


 放られたそれらは一度に避けきれる数ではなく、青白く燃えている炎をまとも受けてしまう。


「翔殿!」


 青葉の叫びが微かに聞こえた。

 けれど翔の耳には届かず、その炎を白く長い三本の尾っぽで振り払い、己の身を守る。


「お前。何すんだよ!」


 翔はグルルと唸り声を上げた。丸い瞳孔が縦長に伸び、紅に染まる。微かに驚きを見せたのは金狐だったが、引く気はないらしく、牙をむき出す一方である。

 まさに一触即発、両者に青い火花を散った。


『ええ加減にせんかい(わっぱ)ども!』


 怒鳴り声と共に猫又が大きく鳴く。

 空気が波打ち、鳴き声は超音波と化す。

 鼓膜が破れそうな音に思わず翔は耳を塞ぎ、金狐は身を低くした。

 一瞬にして戦意を喪失させる鳴き声を発した猫又は、問題の金狐を叱り飛ばす。


『ツネキ。相手は坊やだよ。なに、大人げないことをしているんだい』


 金狐の方が年上なのだろうか。

 目を細める翔をよそに、叱られた金狐は戦意喪失したのか、ふんと顔を逸らして拗ねてしまう。

 もう襲われる心配が無いのだと分かった瞬間、翔はその場でへたり込んでしまった。


「こ、怖かった。マジ何なんだよ、あいつ……俺もよく炎を避けられたな」


 ふう。息をつく翔の視界に白い物が映る。

 首を傾げて背後に目を向ける。そこには三本の尾っぽがふよふよと宙を漂っていた。おもむろにそれを引っ張ると、尾てい骨辺りに痛みを感じる。


「え?」


 恐る恐る手を伸ばし揉み解すように尾っぽを触る。

その感触が自分に伝わるのが分かり、「エッ?」と、翔は声を漏らして石化した。

 まさか、いやまさかでなくとも尻尾が生えている。自分の尾てい骨付近から。しかも触っている感触が伝わってくる。


 つまり、これは自分の尻尾……?


「お、お、おばばぁああ! なんか生えてきたっ! なんか生えてきたんだけど!」


 すっかり動揺してしまった翔は、自分の尾っぽの一本を握っておばばに駆け寄る。


『お前さんは妖狐の器なんだよ。尾っぽが生えてもおかしくはないさね』


 猫又から落ち着くように促されるが、これが落ち着いていられるものか!


「なんだよこれ。邪魔なんだけど」


 半べそになりながら、尾っぽを引っこ抜く勢いでグイグイと引っ張る。尾てい骨に鋭い痛みが走った。

 自分の意思で動かせるのかと疑問を抱き、残り二本の尾っぽを重ね合わせてみた。


「動く……」


 自分の意思で動かせてしまう。

 ああ、本当に自分は狐になってしまったのか!


「う、う、嘘だろ」


 これはどうすればいいのだ。

 シュンっと項垂れると、頭部に違和感を抱く。

 ぎこちなく手を伸ばして頭部を擦る。

 ふにふにとした感触に生唾を呑んだ。尾っぽから手を放し、両手で頭を擦る。指先に絡みつくのは自分の髪の毛と、それに柔らかい感触の何か。


「違ってくれよ」


 ぴくぴくと動いているそれの輪郭をなぞり、翔は裏返りそうになる声を必死に抑えて、猫又婆に尋ねた。


「おばば。頭にも、なにか生えてない?」

『ああ、耳が生えているね』


 膝から崩れ落ちてしまう。

 狐の耳が頭に生えているだなんて、誰が想像しようか。


「本来、顔の横にあるはずの耳もねえし。まじで、俺は妖狐になったんだな」


 頭上に雨雲を作っていた翔の下に、ギンコが駆け寄ってきた。

 大丈夫か言わんばかりに鼻先を顔にくっつけてくる。つぶらな瞳の愛らしさはなんともいえない。


(癒し。俺の超癒しだよ。ギンコ)


 心配してくれたお礼に頭を撫でようと腕を持ち上げた瞬間、ゴム毬のように跳んだ金狐が翔の額に頭突きをかます。


「アダッ!」


 目から火花が出そうになった。

 くらっと体が傾き、翔はその場に倒れてしまう。


「イテテテっ、なんだよ」


 腫れた額に手を当て、痛む個所を優しくさする。今のは痛恨の一撃である。

 痛みに呻き声を上げていると、ギンコが激しく金狐に吠え始めた。

 負けじと金狐も吠え返しているが、銀狐の方が威勢の良い。歯を剥き出して迫るギンコに、金狐はやや押されながらも、ツンと顔を背けてそっぽ向いた。するとギンコは尾っぽごと背けてそっぽを向いてしまう。


 途端に金狐が耳を垂らしてギンコの前に回った。機嫌を取っているらしい。やり取りはまるで恋人だ。もしや。


「なんだよ。お前ら、付き合っているのか?」


 上体を起こし、その場で胡坐を掻いた翔がギンコと金狐に話しかける。

 それがどうしたと言わんばかりに鼻を鳴らす金狐と、ぶんぶんと頭を振って否定するギンコ。

 はて、どちらを信じれば良いのか。


 しかし先程の流れといい、翔だけ襲われた経緯といい、ギンコに触れるなといわんばかりの態度といい。

 どう見ても、金狐が翔を敵と見なした理由が『ギンコ』にあるようにしか思えないんだが。


『まあ、許婚と言ったところだねぇ』


 青葉に抱かれたおばばが、しゃがれた声でにゃあと口を開く。


『さっき南北に頭領がいる話はしただろう? その金狐は“日輪(にちりん)の社”の神使なんだ』


「月輪に日輪……あ、対になっている。南北協力して治めているからか?」


『そうだよ坊や。そしてここら一帯を治める南北の神主を総称して“日月(じつげつ)の神主”もしくは頭領と呼んでいるんだ。その内、北の神主とも会うだろうさ』


 北の神主。どんな妖だろう。

 翔は妙な不安を抱いてしまう。


『オツネが行方不明と聞いて、とても心配していたのは評価するんだけどねぇ。ひとの話を聞かない無鉄砲なところは相変わらずだよツネキ。その性格、どうにかならないのかい?』


 おばばに金狐のツネキが鼻を鳴らす。

 それに猫又がまた一つ呆れていたが、遺憾なことに翔には通じなかった。雰囲気で『うるさい』と一蹴したのかな、と予想できる程度だ。

 ツネキがクーンと鳴いてギンコの機嫌を取ろうとするが、依然ギンコは素知らぬ顔でそっぽを向くばかり。


 それどころか、クッ、クッと鳴き、ぺしっと右前足で頭を叩く始末。

 チガウチガウと言わんばかりにツネキがかぶりを振っているが、ギンコはくわっと牙を見せた。


「うーん。痴話喧嘩でもしているのか?」


 なに一つ伝わってこない。

 翔が腕を組んで様子を見守っていると、『通訳してあげようかねぇ』と言って、おばばが二匹の様子を教えてくれる。


『「君を本当に心配していたんだよ」「うそおっしゃい。またメス野狐(やこ)の下にいたんでしょう!」「ち、違うよ!」「知っているんですからね」……と、二匹は会話しているねぇ』


「やこ? それは何?」


 ぱちくりと目を大きくする翔に青葉が答える。


「妖狐には階級がございます。野狐は妖狐の中でも一番下の階級にいる狐を指すんですよ」


 階級には野狐、気狐、天狐、空狐があるとのこと。

 妖の社の守護を任されている妖狐は気狐の階級にあたるらしい。

 ちなみ神主候補に挙がっている翔も、一人前の妖になれば気狐の位をちょうだいするとのこと。青葉が言うにはそれはそれは有難いことらしいのだが、翔にはその有難さがイマイチ理解できない。


「ふーん。階級ねえ」


 相槌を打ち、痴話喧嘩を繰り広げている金銀狐を見つめる。

 おばばが通訳するところによると、この二匹は揃って社の外に遊びに行く約束を結んでいたらしい。

 けれども約束の時間になってもツネキが来ないため、もしやと思ったギンコがツネキを探しに出かけた結果、メス野狐と楽しげに会話していたそうな。


 ツネキは狐の中でも一際、眉目秀麗(びもくしゅうれい)

 許婚の性格がキツいせいもあってか、よく他のメス野狐と遊ぶそうだ。

 ツネキに心はギンコ一筋らしいのだが……約束の時間を忘れるほど親しげに会話していたらしく、約束をすっぽかされたギンコは激怒も激怒。ひとりで社の外に出て行ったという。


 その後、約束を思い出したツネキは大慌てでギンコの下へ向かったらしいのだが、すでに軍子の姿はなかった。

 探し回った見つからずじまい。ギンコは行方不明になってしまったという。


 ツネキが走り回っている間に、翔とギンコが出逢ったのだ。


「まあ。思うところは結構あるけど……」


 翔は腕を組んだ。

 たとえば、妖の社に留まらなければいけないギンコといっしょに、社の外に行く約束を結んでいたとか。

 たとえば、ツネキがギンコ以外のメス野狐とよく遊ぶだとか。

 たとえば、ギンコがひとりで妖の外に出て行ってしまったとか。


 たいへん思うところはあるし、ツッコミたいところもあるが、まず言いたいのは。


「ツネキ、いくらなんでも約束をすっぽかすのはあんまりだって。寝坊とか、遅刻とかならまだしも他のメス野狐とおしゃべりして約束を忘れるのは、さすがに許婚としてどうかと思うぞ」


 許婚ならギンコを最優先するべきところだろうに。

 確かにギンコの態度を見ているかぎり、ちょっと我儘が入っているのやもしれない。

 翔にはまったくそのような様子を見せなかったが、青葉やおばばと接する態度を見ていると、少々気が強い狐なのかな、と思ってしまう節はあった。

 それでも約束を交わしたからには守ってほしいものである。常日頃からドタキャンを繰り返されている翔はしみじみと思った。


「もしかしてお前ら、あんま気が合わないんじゃないか?」


 ギンコとツネキを交互に見やると、おばばが小さく鳴いた。


『お互いの性格に難があるんだよねえ。困った子たちだよ』


 曰く、ギンコとツネキは『妖の社』の将来を見据え、先代南の神主と今も健在の北の神主が許婚として関係を結ばせた。次の神使を産んでもらおうと思ったらしい。が、ちっとも上手くいっていないそうな。


 なにせギンコの性格は唯我独尊の我儘狐。

 ツネキの方も少々短気で、なにより遊び盛りの若い狐。少し目を放した隙に妖のおなごと仲良くなってはデレデレとしてしまうのだとか。


 翔は思った。それは絶対に上手くいかない、と。


「……おばば。今からでも許婚の在り方を考え直した方がいいんじゃないか?」


『わたしもそう思っているよ。はあっ』


「私はツネキに同情しますけどね。我儘狐と(つが)いにならなければならないなんて、想像しただけでも胃が痛くなります」


 ふんと鼻を鳴らす青葉の言葉には茨を巻きついている。

 翔は急いでギンコの方に目を向けたが、幸いにも銀狐の耳には入らなかったようだ。


「まあ部外者が言っても始まらないよな。これも本人たち次第、もっと仲良くなれたらいいな」


 苦笑いを浮かべていると、ギンコがクーンと甘く鳴いて翔にすり寄ってくる。


「どうしたギンコ」


 首を傾げる翔の前で、もじもじとギンコが尾っぽを揺らす。


 なんだその態度は。

 なんだその恥じらう姿は。

 なんだその……恋する乙女のような態度は。


 なぜだろう。嫌な予感がする。


「ギンコ。お前、絶賛ツネキと痴話喧嘩中だろ。なんで俺のところに来たんだ? 逃げてきたのか?」


 努めて明るく、努めていつもの空気を取り戻そうとする翔に、ギンコは甘えたな鳴き声を出した。ますます嫌な予感がする。


『……坊や。大変なことをしてしまったねぇ』

「へ?」


 間抜けな声を出してしまう。

 大変なこと? 何もしていないのだが!

 おばばは吐息をつき、目を白黒させる翔に生温かい視線を送る。

 すぐ傍ではツネキがぶわっと尾っぽの毛を逆立て、ギンコが照れたようにクンクンと鳴き、青葉が脱力したようにうな垂れた。

 すっかり蚊帳の外にいる翔だが、雰囲気で察してしまう。


 まさか。


『坊やに幾度となく命を懸けて守ってもらったことに、つよい運命を感じたそうだ』


「は、はい? 運命?」


『見ず知らずの狐を庇ってくれたぬくもりは忘れられない。怪我をした狐を甲斐甲斐しく介抱し、優しくしてくれた。極めつけには守ってやると真摯に言ってくれた。もう貴方様しかいない、だそうだよ』


「だ、だそうだよって言われても……」


『オツネもメスだねぇ。わたしも二百年若かったら、坊やの男気に恋焦がれていたかもねえ』


 おばばが冗談を口にするが論外、問題外、対象外である。

 二百年若かろうが、ぴちぴちの娘だろうが、相手が動物ならば恋愛の対象にならないのだが!


「ぎ、ギンコ。まさか本気か?」


 顔を覗き込むと、怪我をしていた左前足を顔に当てて照れ隠し。あ、かわいい。動画を撮りたい……と、少しでも思った自分は相当な阿呆である。

 ついでに尾てい骨から生えている三本の尾っぽが揺れてしまった。

 尾っぽは感情に連動するようだ。


『オツネ曰く、坊やにすべてを見せたと言っているよ』


「す、すべてっ! な、なにそれっ! ぎぎぎ、ギンコっ、何言っているんだよ!」


 とんでもない誤解を招く台詞である。

 動揺する翔だが、クーンと鳴くギンコがポッと顔を逸らした。


『入浴のことを言っているようだよ。それから接吻もしたとか……しかも坊や、オツネを口説いたそうだね』


 あれか。体を綺麗にする際、オスかメスか確認したあのことを言っているのか。

 それは仕方が無いじゃないか、名前をつける際に重要なことだったのだから。


 接吻とはギンコが頬や唇を舐めてきた行為を指しているのだろう。

 いやいや、あれは動物の戯れだと思って受け止めていただけなのだが。


 口説いたなんて恐れ多い。

 ギンコのうつくしさや可愛さを賛美していただけだ。あくまで動物に向ける愛情の一つとして。


「つまり、ギンコは俺に恋をしちまったわけか」


 翔の生えている三本の尾っぽが途方に暮れるように地面に垂れてしまう。耳までへにゃっと垂れてしまった。

 大ショックを受けているツネキの傍らで、ギンコが千切れんばかりに尾っぽを振って二足立ちした。両前足を翔の体に置くとクンクンと鳴き、鼻先を唇に押し当ててくる。

 これはもしや狐なりの軽い接吻なのだろうか。


『いつかヒトに化ける術を得て、貴方様の隣に立ちます……と、言っているよ。熱いねぇオツネ。そんなことしなくとも、坊やが狐になれば良いだけなのに』


「お、俺は人間だよ! 妖の器とかなんとか言われても、気持ちはまだっ、うわわわっ、バカ! ツネキっ、ちょ、落ち着け!」


 くわっと口を開けて牙を見せてくるツネキが、ふたたび戦闘態勢に入った。

 どのような理由があれ、それこそ許婚と折り合いが合わなくとも、自分の許婚に手を出されたのは激怒ものらしい。


 元凶を辿れば、ツネキが約束をすっぽかさなければ良かった話なのだが、都合の良いことに相手の念頭からそのことは消え去っている。

 目にも留まらぬ速度で体当たりを仕掛けてくるツネキから逃げるため、翔はギンコを横に退かしてその場からトンズラした。


 逃がすかとばかりに追い駆けるツネキ。それを止めようと走り出すギンコ。必死に逃げる翔。

 まさに三つ巴の図である。


「落ち着けツネキ! 俺は善意でギンコを助けただけだって! ヨコシマな気持ちとか持ってなかったしっ……お前がちゃんとギンコを見ていないから悪いんだろ!」


 咆哮するツネキから繰り出される青白い炎を飛躍して避ける。


「俺は何もしてないのにーっ!」


 泣きべそを掻きながら。ぶわりと三本の尾っぽの毛を逆立てる。

 そして涙目になりながら夜空を裂かんばかりに叫んだ。


「ギンコ! お前もっ、妖どころか、狐の恋愛事情にまで俺を巻き込むな――っ!」


 翔の尾っぽと獣耳が消えるのは、それから間もなくのことだった。


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