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南条翔は其の狐の如く  作者: つゆのあめ/梅野歩
【壱章】少年は妖と化す
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<十>妖の社(弐)



 翔は現実を受け止めることができなかった。



(俺が……化け物?)



 そんなわけがない。

 何を根拠にこの猫は翔を化け物と言っているのだ。


「おばば。俺は人間だよ」


 やんわりと、おどけてみせるが猫又婆は静かに見つめてくるばかり。

 真剣な眼を向けるばかりのおばばと、俯く青葉が目に映り、翔は取り乱したようにそんなわけがないと否定した。


「どうして俺が化け物なんだよ。どう見たって人間じゃないか。化け物鳥みたいに目玉が三つあるわけでもないし、そっちの巫女さんみたいに動物になれるわけでもないんだぜ」


 向こうがあまりにも、真顔で言うものだから得体の知れない恐怖に駆られる。

 今までの自分を否定されている気がして、翔は人間だと強く言い張った。


 すると申し訳なさそうに、ギンコが小さく鳴いた。

 知らず知らずのうちに大きな声を出していたようだ。

 翔は驚かせてしまった狐にごめんと詫びを入れて、頭を撫でてやる。


「怒っているわけじゃないんだ。ちょっと動揺しただけだから。ギンコ、大きな声を出して悪かったな」


 けれども、ギンコはしょげてしまう一方だ。

 そんなにも凄みのある声を出してしまったのだろうか。

 顔を覗き込もうとした時、おばばがそっと口を開く。


『すべては、オツネの身勝手な行動が原因なんだ』

「ギンコのせい?」


『翔の坊や、お前さんの身に起きたことを話そう。なぜ、お前さんが人間でなくなったのか、その真相を』


 一度に理解しろとは言わない。

 納得しろとも言わない。

 だが、いまから話すことはまことの話。

 だからよく知っておいてほしい。翔の身に起きていることを。

 おばばの優しい声と慰めに、翔は落ち着きを取り戻す。


「……本当に俺は化け物なんだな?」

『ああ。そうさね』


「全然信じられねえけど……ひとまず、おばばたちの話を聞くよ」


 受け入れられる自信はないが、知るところから始めなければどうにもならない。

 翔は自分の身に何が起きたのか、真相を教えてほしいと頼んだ。


『まず、オツネとお前さんの出会った夜について話そう。これはオツネから聞いた話だ。あの夜、坊やは妖鳥(ようちょう)に襲われているオツネを庇って瀕死の重傷を負ったそうだね』


 瀕死……。


「やっぱり、俺は怪我を負っていたのか」


 あの夜の出来事が脳裏を過ぎる。

 銀狐と出会った夜。

 幼馴染らを尾行して、二人の秘密を知ってしまった翔は疎外感に苛んでいた。

 そんな時にひょっこりと現れた銀狐。

 腹を空かせていた狐を役所か、警察に連絡するべきかと悩んでいると得体の知れない“何か”が襲ってきた。

 肉体を裂かれる痛みを、翔は未だに憶えている。

 工事現場まで逃げ惑い、意識を飛ばす傷を負ったことも憶えているのだが、そこで記憶は途切れている。

 目が覚めると服こそズタボロだったが、無傷の自分がいた。


『坊やはあの夜、妖鳥に襲われて死んだ』

「え。俺、死んだの?」


 目を丸くする翔に、おばばはゆっくりと頷く。


『瀕死の重傷を負った坊やは、妖鳥にとどめを刺された。心臓を一突きにされたそうだよ。即死だったとオツネから聞いたねえ』


「そうなんだ」


 翔は他人事のように相づちを打つ。

 思うところは多々あるが、ひとつひとつに反応していたら本当に身が持たなくなる。できる限り冷静でいようと努めた。


『その時、オツネがお前さんを救いたい一心で妖力を与えたんだ』


「ギンコが俺に?」


『ああ。オツネには、とある“特別な力”があってねぇ。そのせいで度々低俗な妖に狙われてしまう身の上。翔の坊やはそれに巻き込まれ、命を落とした」


 されど狐は強く願った。

 身を挺して己を守ってくれる者を、決して死なせてはならない。


 どうか、この力を持って、少年を生きながらえさせてほしい。

 どうか、この力で彼の命を救ってやってほしい。

 どうか、どうか、どうか。


 切なる願いはしかと届き、少年は狐から妖力を譲り受ける。

 その力は血となり、肉となり、新たな生命となる。少年は人間という種族から、妖という種族に生まれ変わった。同じ化け物とはそういう意味だ、とおばばは語る。


「化け物に生まれ変わった俺は、もしかして幽霊なってるのか?」


『いいや。オツネに妖力を分け与えられた坊やは、オツネと同じ化け狐になった』


「化け狐……?」


 翔は自分の耳や尻を触った。

 化け狐と言えば、特徴的な獣の耳や尾っぽがあると思うのだが、そういったものは見受けられない。


 おばばに視線を投げると、苦笑いまじりに鳴いた。


『坊や、お前さんは生まれ変わった。オツネの妖力を体に宿したことで、新たな生き物に生まれ変わった。わたし達と同じいびつな生き物となった。でもね、完全じゃあないんだ』


 完全ではない。

 それはつまり、まことの妖として成熟していないということ。

 いまの翔は“妖の器”と呼ばれる、未熟な妖に成り下がっているらしい。原因は人間の血が色濃いため。所謂、半妖というやつだ。

 人間の血が濃いため、まだ見た目に変化がないとのこと。


 ただし内面的な変化はすでに起きている、とおばばは話す。


『オツネと出会って変わったことはないかい?』

「変わったこと? ……そういえば」


 急に五感が鋭くなったり、身に覚えのない油揚げを冷蔵庫から盗んでいたり、雀を見て強い衝撃に襲われたりしたっけ。

 あれは化け狐として生まれ変わったせいだろうか。


 翔がここ数日のことを説明すると、おばばは『やっぱり変化が起きているねえ』と返事した。


『妖狐の妖力で生き返った坊やの体内には狐の本能が宿っている。妖狐は文字通り、狐が化け物となった姿。五感が鋭くなってしまったのは、そのせいさね』


「これ治るのか? すげぇ困るんだけど」


『大丈夫。妖力を制御できるようになれば、五感も落ち着くようになる。安心しなさい』


 にゃあ。

 しゃがれ声で鳴く猫又に、ゆるりと頬を緩める。

 これにて疑問が一つ解消された。

 納得いく・いかない。信じる・信じないは置いておき、身に降りかかっていた不思議現象の原因が分かるだけで、心から安堵した。


「俺が化け狐ねえ。そう言われても実感ねえな」


「貴殿には本当に申し訳なく思っております。姉はもちろんのこと、私からも謝罪をさせてください」


 両手を添え、丁寧に頭を下げてくる青葉に翔は度肝を抜いてしまった。


 もちろん戸惑いはあるし、頭の中で混乱も渦巻いている。

 しかし、だからといってギンコたちを責めるつもりもないのだ。


 膝の上に乗る銀狐に視線を流す。

 同じように頭をさげていた。ギンコなりに猛省しているようだ。

 確かにギンコと関わらなければ、翔は大怪我を負わずに済んだことだろう。厄介事にだって巻き込まれなかった。


 けれど。ギンコの出逢いによって支えられた部分もたくさんある。

 なにより、ギンコは翔の命を救おうとしてくれたのだ。現実を呑み込めないことも多いが、銀狐を責めるつもりはない。

 翔は青葉に頭を上げてくれるよう頼み、銀狐にこう告げた。


「ギンコ。命あっての物種ってヤツだ。こうして俺が生きているのはお前のおかげなんだろう?」


 銀狐と視線を合わせる。

 おずおずと見上げてくるギンコに「ありがとう」と、微笑みを向けた。

 いたずらに指先を鼻先に当てると、ぺろりと舐められる。翔の反応を窺っているギンコに、怒っていないことを示すため、体毛をわしゃわしゃと撫で回してやった。


「あはは、ぼさぼさになってやんの」


 笑い声がギンコの安心を誘ったようだ。

 銀狐は翔の胴回りをぐるっとまわって、尾っぽを振ってくる。調子のいい奴め。

 和やかな空気が一室を包んだところで、翔は部屋を見渡して尋ねる。「ここはどこ?」と。


「妙に立派な和室に見えるけど……」


 まるで旅館のように見える。それだけ和室が立派だった。

 すると、青葉がしかと答えてくれる。


「ここは(やしろ)憩殿(いこいどの)境内(けいだい)の奥地にある我々の住まいです」


「やしろ? いこいどの? けーだい?」


 翔は目を点にした。

 どうしよう。青葉が何を言っているのか、爪先も分からない。

 ぽかんとしている翔に、青葉が小さく笑った。


「神社と言った方が分かりやすいでしょうか」

「神社? ここ神社なの?」


 聞き返すと、おばばが尻を上げて障子に向かう。


『自分の目で見た方が早いさね。おいで坊や』


「あ、ちょっと待ってくれよ。おばば」


 急いでおばばの後を追う。

 部屋を出ると青葉がゆっくりと障子を閉めたが、翔の腕の中にいる獣に物申したいことがあるようだ。細い眉がつり上がっている。


「オツネ、どうして翔殿に抱っこをされているのですか。自分で歩きなさい」


 素知らぬ顔で翔の胸部に顔を埋めてくるギンコに、ついつい苦笑い。


「いいよ青葉。俺は慣れっこだ。ギンコは甘えん坊さんなんだよな?」


 ギンコの体を抱えなおす。

 得意げな顔を作る銀狐は、ぶんぶんと尾っぽを振っていた。翔に抱っこをしてもらいご満悦な様子である。


「遠慮なく叱って良いですからね」


 本当に我が儘な狐なのだ、と青葉が眉根を寄せた。

 そんなことはないと言わんばかりに鳴く銀狐の、不機嫌なこと不機嫌なこと。

 板ばさみになった翔は「まあまあ」と、おのおのを宥める。双方が視線を逸らしたところでため息が出た。なんで自分がこんな役回りをしなければいけないのだ。


『まだかい?』


 先導するおばばが、今か今かと翔たちを待っている。


「ごめん、おばば。いま行くよ」


 会話を中断して後を追う。

 古板が続く廊下はぎしぎしと音が鳴った。年季が入っているのだろう。軋む音といっしょに、古板が浮き沈みしているのが分かった。


(憩殿って広いんだな)


 和室がいくつもある。

 翔は通り過ぎる障子を横目に見やった後、そっと中庭に目を向けた。

 すっかり日が暮れてしまっているせいで、中庭を含めて辺りは真っ暗だ。

 けれど、ぼやっと中庭の景色が分かる。配置されている灯篭(とうろう)のおかげだろう。ずっしりと重量感のある灯篭のあかりが中庭を照らしている。光源はろうそくのようだ。灯篭から揺らぐ炎が垣間見えた。


「なんだ。あれ」


 翔は足を止める。

 中庭の異様な光景に目を惹かれてしまった。

 ぼんやりと灯篭のあかりが照らすのは、地上一杯に敷き詰められた白い花々。

 毒々しいとさえ思える、その独自な姿を咲き誇っている花は『ヒガンバナ』と呼ばれる花だった。

 時々田畑近くで見ることはあるが、こんなにもたくさんのヒガンバナを一度に目にしたことはない。あれはまさしくヒガンバナ畑だ。


「すげえ」


 ヒガンバナを眺めていると、「妖が好む花なのですよ」と、青葉がさり気なく言葉を掛けてくれる。


「ヒガンバナ。別名、曼珠沙華(まんじゅしゃげ)。人間にとって忌み花ですが、我々妖にとって縁起の良い花として愛でているんです」


 妖は『菊・椿・藤の花・曼珠沙華』を四大花と称し、縁起の良い花として愛しているという。


「へえ。ヒガンバナは縁起の良い花なんだ」

「翔殿はお嫌いですか?」


「俺は花に疎いから、よく分からないや。だけど向こうに見えるヒガンバナは綺麗だと思うよ。あれって冬に咲く花だっけ? しかも赤が極端に少ないようだけど」


 ヒガンバナ畑に見える花の色は白ばかり。

 いくら花に疎い翔でも、ヒガンバナといえば赤だろうとイメージがあるのだが。


「ヒガンバナは秋に咲く花です。けれど社に咲くヒガンバナは特別で一年中咲いています」


「一年中ずっと咲いてるの? 枯れない?」


「ええ。枯れませぬ。なにしろ此処は“妖の社”ですから」


 にこっと微笑む青葉に愛想笑いしか浮かべることができない。

 なぜだろう。得体の知れない恐怖を感じる。また『妖の社』と呼ばれる所が、どういったものか理解していないせいだろう。説明の節々で不気味だと思ってしまった。


「早くヒガンバナが赤く色づけば良いのですが」


 青葉が意味深長にひとりごとをもらす。

 なにやら含みのある台詞だ。引っ掛かりを覚えた翔だったが、『翔の坊や』と、おばばが話に割り込んできたため、それはうやむやとなってしまった。


 前方に視線を戻すとおばばが三和土(たたき)に飛びおり、翔に履物を履くよう促す。

 そこには砂埃まみれのスニーカーが放置されている。翔の靴だ。


『坊や。そっちじゃないよ』

「え?」


 スニーカーを履こうとすると、隣の草履(ぞうり)を履くよう勧められる。


『歩き回るわけじゃあないからね。すぐに戻ってくるから、そっちを履きなさい』

「そっか? じゃあ借りるよ」


 草履を突っかけ、建物の外に出た翔は、おばばに先導されるがまま敷地を歩く。

 猫又が足を止めたのは、それから間もなくのことだった。


「ほんとうに神社だ」


 翔は目の前に現れた光景に声を上げる。

 そこは確かに神社と呼ばれるに相応しい場所だった。

 出入り口であろう階段には境内と俗界の境界を示す赤い鳥居。

 その側らには狛犬ならぬ二体の狐の象。拝殿まで通じる厳かな参道。身を清めるための手水(ちょうず)が用意されている手水舎(ちょうずや)

 立派な拝殿の奥には、神様が祀ってあるであろう本殿が建っている。


「こんなにも立派な神社が近所に存在したんだな」


 目を瞠る翔の耳に、さわさわっと葉音が聞こえた。

 神社の周りは森林に囲まれているらしく、夜でも木々が囲っていると音で分かる。


「そういえば、神社って木に囲まれていることが多いよな」


 こうして木々に囲まれている場所に設置されていることが多い。何故だろう?

 素朴な疑問を抱いていると、『いいところに目を付けたねえ。坊や』と、足元にいたおばばが見上げてきた。


『日本の神社は、一区域を鎮め守るために必ず神社の側に森林があるんだよ』


 神社の側にある森を、鎮守(ちんじゅ)の森と呼ぶとのこと。


『かつて人間は山の恩恵に感謝し、森そのものを信仰の対象にしていた。森と人は密接な関係だったのさ。坊や』


「おばばは物知りなんだな。あと、さっきから気になってたんだけど……」


『なんだい坊や』


「俺を坊やって呼ぶのはやめてくれよ。そこまでガキでもないんだけど」


『なあに言っているんだい。450年生きるわたしから見れば、翔は坊やも坊やだよ』


 ケッケッケ。

 不気味に笑う猫又が本殿へ向かう。


「よ、450年……」


 途方にもない数字に翔は絶句してしまう。

 今から450年前と言ったら、単純計算をして約1550年ほどだろう。

 1600年に関ヶ原だから安土桃山時代。

 戦国時代が終わるのは1500年くらいだっただろうか。


 つまり。


「おばばは戦国時代に生まれたってことか? まじか、そんなに長く生きているのかよ。あのばあさん猫」


 かの有名な織田信長と豊臣秀吉が中央政権を握っていた時代に生きていたのか。

 いや、それどころか徳川家康が開いた江戸時代の始終を生き、幕末の動乱を生き抜いているということになる。恐ろしい猫、いや化け猫、いやいや猫又だ。


 ふと翔は青葉とギンコに視線を流す。


「どうかしましたか?」

「ううん、なんでもねえ」


 頭上に疑問符を浮かべる青葉とギンコに、思わず「お幾つですか?」と、尋ねたくなったが、今は黙っておこう。


 神々しい雰囲気を醸し出している本殿の前に立つ。

 大きな本殿は古い木材を使用されているのにも関わらず、たいへん貫禄があった。

 切妻造(きりづまづくり)の屋根、(うるし)が塗られている赤い柱、麻でこしらえた注連縄(しめなわ)。どれも年季が入っており、ここに立つだけで時代を感じる。音を立てることすら許されないのではないかと錯覚してしまった。


 惹かれるように足を一歩踏み出す。

 意味もなく胸が熱くなった。


『ここは本殿。神様が祀られる場所だよ。わたしはもちろん青葉ですら、ここに入ることは数少ない。気楽に入れるのはオツネくらいかねぇ』


「ギンコが?」


『この子。こう見えて、この社の神使(しんし)なんだよ』


 頓狂な声を上げ、腕の中にいるギンコに目を落とす。

 自慢げに鳴いて見上げてくる狐に「お前が?」と、思わず尋ねてしまう。


「見えないですよね」


 やんわり皮肉を零す青葉が肩を竦めた。

 グルルと不機嫌に鳴くギンコに気づき、翔は慌てて狐の体を優しく撫でて、機嫌を宥めてやる。

 猫又婆は狐らの子ども染みたやり取りに憮然とため息をつくと無理やり話を進める。


『ここは妖の社。別名“月輪(げつりん)の社”といってね。この地の妖を護るために作られた聖地なんだ。代々社には妖の神主、巫女、そして神使がいる。そこにいる青葉はこの社の巫女を、オツネは神使を任せられている』


 翔はギンコと青葉を交互に見つめる。

 ふふんと鼻を鳴らす銀狐に対し、やや巫女は気恥ずかしそうに頭を下げた。


『ちなみにわたしは単なるお節介ババアさ。この子たちのお守りをしているに過ぎない』


 おばばが長いひげを夜風に揺らす。

 神社の直接な関係者というわけではないらしい。

 おのおの顔を見つめていた翔だが、今の説明に不足している部分があることに気づく。


「神主は?」


 説明によると『神主・巫女・神使』が社を護っているとのこと。話を聞くかぎり神主が足りないのだが。

 哀しげに吐息をついたのは青葉だった。

 軽くかぶりを振り、不在なのだと答える。


「先代は亡くなってしまったのです」


 そっと目を瞑り、悲壮感に満ちた声音で教えてくれる。

 その重たい空気は彼女だけでなく、おばばやギンコからも漂ってきた。不味いことを聞いてしまったようだ。


(お、俺のせいじゃないとは思うけど……空気が重い)


 ここは謝罪をしておくべきか。それとも心中お察しますと言えばいいのか。

 言葉を慎重に選んでいると、おばばが本殿を仰いで目を細めた。


『先代が死んで、かれこれ九十九年。長いようで短い月日だったよ。今年で百年の節目を迎えるだなんて夢のようだねえ……坊や、妖の社には少なくとも神主がいなければいけないんだ。巫女や神使も大切だけれど、神主がいなければ社は衰退していく。何故なら神主はこの地の妖を護ると同時に、頭領の役目を担っているからねぇ』


「頭領……?」


『妖を統べる(かしら)のことだよ。この近辺には二人の神主がいて南北に分かれて妖を統べていた』


 けれど、ここ南の頭領が死んでからというもの、低俗な妖が暴れるようになった。月輪の社が統べている南の土地は治安が悪くなった。問題が多々怒るようになった。

 月輪の社に神主がいない。

 それはそれは、とても深刻な問題なのだとおばばは語る。


「新しい神主は見つかんないの?」


 おばばに疑問をぶつけるも、誰でもできるわけではないと返される。

 月輪の社の神主は神社を護る責任者であり、南の地を統べる妖の頭領。悪しき者が座に就けば、それこそ一帯の治安が崩れてしまうとのこと。


 しかし、先ほども説明したとおり、神主は必要だ。

 神主がいないことで、南の土地に低俗な妖がはびこっている。人間らに襲い掛かり、傍若無人に振る舞っている。

 そのせいで人間が警戒心を抱き、片っ端から妖を調伏しているとおばばは語った。


「調伏している人間って妖祓のことか?」


 翔の問いかけに、おばばが驚きの顔を見せた。


『坊や。お前さん、妖祓を知っているのかい?』

「あーうん。じつは」


 翔は胸に秘めていた“あの日の出来事”をぽつぽつと語り出す。

 幼馴染らが妖祓だということ。それを知ってしまったこと。直後にギンコと出逢い、妖に襲われたことを包み隠さず話す。

 ずっと誰かに話したかったことだった。


 すると青葉が眉を寄せた。これは厄介なことになりそうだと、彼女は苦言する。


「妖祓は文字通り、妖を祓う人間を指します。翔殿、貴方もまたその対象になりかねない」


「あいつらはそんなことしねぇよ。絶対に」


 幼馴染に絶対の信用を置くも、ぴしゃりと青葉が釘を刺した。


「それは人間同士の価値観でのこと。相手が妖になると話が変わってきます。今の翔殿はヒトの血が濃いゆえ、自覚もなく実感もないでしょう。けれど異種族だと必ず溝が生まれるんです。必ず」


 熱弁する青葉の気迫に負け、反論の言葉を見失ってしまう。

 もちろん翔自身、朔夜や飛鳥が自分を調伏してしまうなど想像もつかない。長い付き合いなのだ。彼らが非情な人間ではないことは十二分に知っていた。


(……ちょっと前まで、なんでも知っていたはずなんだ)


 片隅で(かげ)りを抱く。

 確かに二人のことをよく知っている、知っているつもりでいた。


 しかし彼らは翔に対して秘め事を抱いている。

 なんでも話す仲でいようと一方的な約束を結んだのは翔だが、隠し事をされてショックを受けてしまうのもまた翔だった。

 朔夜と飛鳥のことを信用したい反面、名前も知らぬ焦燥感を抱いてしまう。

 こんなことでクヨクヨしてしまう自分は器が小さいのだろうか。


「あのさ」


 翔は逃げるように話題を逸らす。


「俺、幼馴染たちにばれていないかな。その……妖なっていること。妖祓って、妖のことが視えたりするんだろう? じゃあ気配とかも分かるんじゃ」


 青葉がしかめっ面を作り、「可能性はなくないと思いますが」と、言葉を濁す。

 だったらこの際、彼らに言ってしまっても良いのではないか。

 その方が翔としても気が楽だ。隠し事は好きではない。


『いや、気づいていないだろうねぇ。妖のわたしらですら、坊やが“妖の器”だとは気づかなかったのだから。普段の坊やは圧倒的に人間の血が勝っているんだよ』


 おばばが可能性そのものを否定してきた。

 もしも気づいているのならば、即行でなんらかの対処を行っているだろう。

 猫又は大丈夫だと告げ、これからも秘密にしておくように促した。


「どうして?」


 首を傾げる翔に、関係が壊れるかもしれないからだとおばば。

 今までの関係を保っておきたいのならば、決して軽はずみに公言してはいけない。猫又は厳しい口調で物申す。


『それに、お前さんを失うのは、わたしたちとしても痛手なんだ――坊やは新しい神主になるかもしれない子なのだから』



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