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南条翔は其の狐の如く  作者: つゆのあめ/梅野歩
【壱章】少年は妖と化す
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<七>南条翔の異変(参)




「まさか、さっきの電線の犯人は……あの化け物」



 ギンコを抱いたまま、クローゼットまで後ずさる。

 三つのぎょろ目が嘲笑した。


『ワタセ。狐ヲ、ワタセ。ソノ、チカラヲ、ワタセ』


 はっきりと目的を伝えてくる化け物鳥に唾を飲み、ギンコの抱く力を強くする。


「誰が渡すかよクソ鳥」


 翔が抵抗の意思を見せると、化け物鳥は脅すように大きな翼を広げ、けたたましく鳴いた。

 黒板を爪で引っ掻くような嫌な音を出してくる。

 耳を塞ぎたくなったが、ギンコを手放す気にはなれない。


「あ、」


 鳴き声のせいで、窓が小刻みに振動している。

 このままではガラスが割れてしまう。

 そしたらきっと化け物鳥が侵入してくるに違いない。ギンコや自分はもちろん、リビングには母もいるのだ。このままま侵入されるのは非常にまずい。

 化け物の恐ろしさを、身を持って体験している翔は、母親が襲われる可能性があると危機感を抱く。


 そこでクローゼットからギンコのお気に入りにしている、ボロ切れとなったコートを取り出す。それを素早くギンコの体に巻き、ひと目で狐だと分からないように仕立てると、部屋を飛び出した。

 転がるように階段をくだってマンションを後にした翔は、決して軽くない狐を抱いたまま、がむしゃらにひた走る。


 目的地など決めていない。

 ただ安全な場所に逃げなければいけない使命感に駆られていた。


 空を見上げる。

 化け物鳥が翼をはためかせ、自分たちの後を追って来た。


「に、二匹いねえか? 嘘だろ」


 翔は口元を引き攣らせる。

 化け物鳥が二体もいるではないか。

 双方銀狐を狙っているようで、視線はギンコに釘づけとなっている。

 なおさら足を止めるわけにはいかない。なにがなんでも、ギンコを守らなければ! ……でもどうやって?


「せめてっ、せめてギンコを隠せる場所を探さないと。あいつら速ぇなクソ!」


 人間の足と鳥の飛ぶ速度では、まるで話にならない。

 あっという間に追いつかれてしまう。


「こうなったら」


 翔は大通りに出ると、近場の百円駐輪場に向かった。

 そこに停めている振りをして金をちょろまかしている自転車のひとつを選ぶと、鍵が掛かっていないことを確認。カゴにギンコを入れてスタンドを蹴った。


(返す。後で返すから!)


 持ち主には、心の中で謝罪しておく。


「ギンコ。おとなしくしてろよ」


 ひょっこりとコートから顔を出してくるギンコの頭に手を置き、絶対に守ってやるからと笑ってみせる。


「うわっつ、来やがった!」


 真上を飛んでいる化け物鳥に頓狂な声を上げ、ペダルに足をかけた。


(重てぇなっ!)


 錆びついているのか、やたらペダルが重い。

 けれど無断で借りている身分なので贅沢も言ってられない。

 最初から全力で自転車を飛ばす。通りを歩いている通行人が傍迷惑そうに視線を投げてくるが、こちとら緊急事態だ。構っていられない。


(皆、あの化け物が視えないのかよ。あんなにでけぇのに)


 翔を追ってくる化け物鳥の姿は、周囲の人間には視えていないようだ。

 空なんぞに見向きもせず、不気味な鳥に気づきもせず、みな思い思いの時間を過ごしている。翔もきっとあの類いだったのだろう。そう先ほどまでは。


「なんで急に視えるようになったんだよ。ギンコは執拗に狙われているみたいだしっ」


 カゴに入っているギンコと目が合う。

 クオーンと鳴く獣が、翔の身を案じるように見つめてくる。苦笑いを返すことしかできない。この状況をどう打破すれば良いのか、翔も分からずにいるのだから。

 取り敢えず、化け物鳥を撒くことに専念しよう。

 撒けるかどうかは分からないが捕まれば最後、ギンコの命が危ぶまれる。


 点滅する歩行用の信号を渡り、ひと気の多い大通りの中を進む。

 人ごみに紛れてしまえば狙いも定まらないだろう。


 そう高を括っていると、化け物鳥の片方が急降下してきた。

 低空飛行で距離を詰めると、辺りを翼でうつように掬い上げて急上昇する。爆発的な気流が起こった。店の立て札がなぎ倒され、掲げてある看板が道端に落下する。

 人々はそれを“竜巻”だと叫んで動きを止めた。悲鳴をあげ、頭を低くし、混乱している。

 おかげで行く道が立ち止まる人間で塞がれてしまった。


「くそ。人通りの多いところはやべぇ」


 かろうじて落下物を避けることに成功した翔は、この作戦は失敗だと舌を鳴らす。

 これではかえって捕まりやすくなるし、怪我人も出る。ひと気のない場を目指すべきだ。

 翔は急いでハンドルを切った。


「まじあれ、どう倒せばいいんだよ。お経でも唱えればいいのか? 南無阿弥陀仏しか知らないぜ、俺」

 

 こうなったら幼馴染らを頼ろう。

 あの夜、不思議な力で化け物を退治していたのだ。

 彼らならあの化け物を倒してくれるに違いない。


 必然的に秘密を知ってしまった事がばれてしまうが、背に腹はかえられない。ギンコを守るためだ。翔は気持ちを固める。


「ここから近いのは飛鳥の家だな。頼むから、家にいてくれよ」


 彼女の家に行けば、何かしら助かる道が開かれるはずだ。

 一握りの希望を抱いてペダルを漕いでいると、化け物鳥の動きが大きく変化した。

 今まで追うばかりだった化け物鳥らが積極的に攻撃を仕掛けてきたのだ。逃げてばかりの翔たちに焦れたのかもしれない。


 先ほどのように急降下しては低空飛行。掬い上げるように急上昇し、瞬く間に気流を生んでは渦巻く暴風を起こす。それが二体交互に繰り出してくるため、翔の乗る自転車はなす術もなく、暴風に巻き込まれた。

 風が薙ぐように自転車を呑み込んだせいで、ギンコを乗せた自転車は横倒しとなる。


「イデッ」


 アスファルトに叩きつけられて、思わず痛みに呻いてしまうが、それを振り払うように翔は自転車のカゴからコートに包まっているギンコを腕に抱いた。

 死に物狂いで足を動かす。


「しつけぇなあいつら」


 化け物の狙いは狐である。

 助かりたいのならば、狐を手放せば良いだろう。

 しかし。翔はそれができずにいる。それだけギンコと過ごした日々が、銀狐といっしょにいた時間が、狐に対する愛情が、翔の中で深くなっていた。

 我が身可愛さにギンコを見捨てることなど到底できやしなかった。


「大丈夫だからな。きっと助かるから」


 ギンコに何度も言い聞かせるが、これは自分に向けている言葉でもあった。

 息も切れ切れに団地の中にある公園に入る。さびれている公園にひと気はなく、ブランコが微風に揺れている姿は、なんとも侘しいもの。日が暮れているせいだろう。


 赤紫に変色している空の下、化け物鳥の生み出す暴風に、ふたたび巻き込まれた翔はバランスを崩してしまう。両足が浮き、体は前方へ。

 ギンコを潰さないよう、とっさの判断で地面に背中を向けるものの、衝撃と痛みは避けられなかった。


「っ……はぁ……やっべ。足、やられた」


 倒れる際、右の足首をあらん方向に捻ったようだ。鋭い痛みが右足を襲っている。

 寝返りを打ち、腹這いとなって地面に爪を立てる。肘で体を起こすと同時に辺りが暗くなり背中にずしり、とした重みを感じた。

 必死に肘を立て、狐を潰さぬように堪える。


(つ、爪が食い込んできた。逃げられねえ)


 コートの間から、ギンコが顔を出す。

 完治しかけている左前足に目を向ける。この足ならもう走れるだろう。


「ギンコ。逃げろ……化け物の狙いはお前だ」


 翔は自分を置いて逃げるよう告げた。

 足という致命的なところを負傷した翔がギンコを庇おうとしたところで、足手纏いになるだけ。狐の足の速さならこの場を逃げ切ることも可能だろう。


「いい子だから。走ってくれ。もう、長くっ……持たねぇ」


 いつもは聞き分けが良いというのに、ギンコは動こうとしない。

 そればかりか翔を捕らえている化け物鳥の一体に牙を見せる。翔を助けるつもりでいるらしい。


「っ、ぎん、こ。はやく、にげっ」


 全長二メートル超ある化け物鳥の鉤爪が、背中の肉にずぶりと食い込む。


「アァぁ!」


 堪らず声を上げてしまう。

 それが合図であった。コートから飛び出したギンコが翔の腕から抜け出し、怪我をもろともせずに高く飛躍した。

 そして化け物鳥の右翼目掛けて、鋭利ある牙を立てる。


 それは、あの夜を彷彿とさせる光景だったがひとつ、あの時とは違う点がある。

 翔の目に化け物鳥の存在がはっきりと映っている点だ。

 いま、翔はしかと化け物の姿を映し、その光景を目の当たりにしている。


 化け物鳥が痛みに咆哮した。

 右翼に噛み付いているギンコを払おうと、化け物鳥が翔の上から退く。

 鋭い痛みから解放された安堵を感じる余裕もなく、翔は地に叩きつけられそうになるギンコに向かって走った。捻った足なんぞ念頭にもない。

 間一髪のところで狐の体を受け止めた翔は、腕に抱いたギンコを叱り飛ばす。


「ばか狐。なんで早く逃げないんだ」


 素知らぬ顔でクオーンと鳴く狐に、腹立たしいやら愛らしいと思いたいやら。

 ぬっ、と折り重なるように二体の影が翔とギンコを覆う。化け物鳥に挟まれたのだと察した翔は、獣を抱き締めて次に来るであろう衝撃に備える。


 逃げられる自信はない。

 避けられる自信もない。


 いま、翔にできることは狐の盾になることくらいだった。

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