Novice & Fugitive 4 悪評
視線が痛い。
本部廊下の無駄な長さを恨む。
もう1年来ていないからか、見ない顔も多いが、それでもなお痛烈な視線を感じる。好奇5割、敵意3割、疑念1割、その他1割といったところ。
『なんだあいつ』
『制服じゃない?』
『白い悪魔、か』
『何しに来たんだよ』
概ね良さそうな反応はなし。そりゃそうだろう。元からさほど良い印象はないし、2年前の一件で一部とは相入れないくらい敵対してるのだから。
「おい」
背後から呼びかける声。他とは違う、俺に対しての声だ。
「……」
無視。明らかにめんどくさくなる。
「聞いてんのか?」
イヤホン装着。雑音は排除っと。
「シカトこいてんじゃねえぞ!」
肩を掴まれた。くそ、めんどくせえ。
「何か用か?」
「そりゃこっちの台詞だ、今更何のつもりだ、白い悪魔さんよ」
強引に振り向かされた。嫌でも顔が目に入る。嫌な顔が。
「何って、俺はただ頼まれてきただけなんだが」
「へえ、じゃあそれも誰かに頼めばいいじゃねえか わざわざここまで来なくてもよ」
「じゃあお前に頼めばやってくれるのか?俺も絡まれるのはごめんなんでね」
左手で肩を掴んでいる腕を握りしめる。男の顔に青筋が浮かんだ。
「誰がやるかよ てめぇの汚ェ仕事なんてよ」
「汚いのはお前の顔だろ?マーウィール」
「何だと?」
少しギャラリーができつつある。全くこういうことには敏感な所も嫌いだ。
男の名はマーウィール。もちろんこれも教団内での名前だが。現役時代から何かと突っかかってくるもんだから困ったもんだ。戦士としては優秀な方なんだが、人としてはちょいと問題アリ。
「言葉まんまさ、ていうか俺はあんたに構ってる場合じゃないんだ お遊びなら後にしてくれ」
「てめぇ……!」
マーウィールが殴ってきそうだったので左手にさらに力を込める。曲がりなりにも機械、出力は結構ある。
「くっ……」
「このまま左手へし折られたくなきゃさっさとその汚い手を離すこったな」
「野郎……」
無理矢理奴の手を振りほどく。その瞬間拳が飛んできた。
「これだから……」
飛んできた左拳を屈んで避け、ガラ空きの腹に掌底一発。
「ごふっ」
「……弱い奴は」
マーウィールは咳き込みながら膝をつく。ギャラリーはより一層ざわついていた。
「待て……よ!」
「やだね 介抱でもしてもらいたいのか?」
「野゛郎ッ……げほッ」
こういう時は足早に立ち去るに限る。でないと……
『これはどういうことだ?』
よく通る声がギャラリーの向こうから聞こえる。ほらきた。教団内でトラブルがあるとすぐこれだ。
男が一歩進む度にギャラリーはサッと道をあける。毅然とした態度、がっしりした背の高い男……。
「む?ボルカノか……久しいな」
「ご無沙汰してますー、ヴラド隊長」
「またお前か……来る度に問題を起こすな、しかし」
「勝手に絡んできて自滅したのを俺のせいにされちゃたまったもんじゃねえな、おい」
「減らず口を……」
周囲が息を呑む。また喧嘩でもするとでも思ったのだろうか。
この身長が2mに達するであろう男はヴラド。教団の実戦部隊、第一部隊の隊長。つまりは最高戦力ってヤツだ。オールバックの髪に立派な髭を生やしたまさに貴族みたいな出で立ち。ゴツい。ゴツいことこの上なし。そんな男。そんな漢。
「ふむ……今日はあいつ、いないようだな」
「いいや、いるにはいるぞ 常に私に付きっきりなわけでもない」
「へぇ……」
「だが……そろそろ」
『ボールーカーノっ!』
凄まじい勢いで人を跳ね飛ばしつつ、そう文字通り吹っ飛ばしつつこちらに疾走してくる人間。そんな人間どこにいるか、という突っ込みは無しで。
「久しぶりだなーおいっ!」
そのままの勢いで彼女は俺にダイビングしてくる。俺はそれを華麗に飛び越えた。
「くっ……避けられた!」
まともにアレを食らったら痛いじゃ済まない。そもそも避けられることを想定してる時点でその破壊力を自覚しているだろ。
と、そのまま地面に手をつくと前転しながら右に半回転。再びすぐに臨戦態勢。
「今度こそーっ……」
「やめとけ、ソオラ」
「やだーっ、離せ!」
ヴラドに制服の襟を掴まれた小柄な少女はじたばたと暴れている。
周囲は一変して和やかになった雰囲気に居心地が悪くなったのか、散ってしまった(その前にソオラに物理的に散らされたのがほんとんどだが)。
ちなみにマーウィールは俺にダイブする際の踏み台にされ埋まっている。大理石の床に。
「ボルカノ、今日はどうしたんだ?」
「ちょいと野暮用 陸のパシリさ」
「何ーッ!またあのチャラ男はボルカノ先輩をそんな扱いで!」
「お前は少し黙っていろ」
ヴラドがソオラに鉄拳制裁。
「うぅぅ……」
撃沈。相変わらずこちらも最高戦力だけあって人間離れしてやがる。
『あ、ボルカノ先輩だ』
また一人増えた。なんなんだよもう。
「おお、ソアラか、ちょうどよかった この馬鹿をどっかに連れてけ」
「あらら……ソオラ、またかい?」
「だってー……」
「ほら、行くよ ボルカノ先輩、姉が失礼しました」
「ん、いや実害は今回なかったしいいよ」
「彼女のお目付役は僕の仕事なので……より気をつけます」
「後で必ず来てねーっ!」
と、叫びつつソオラはソアラに引きずられていった。
全く真逆もいいとこだ。姉弟なのに。
ソオラが姉。剣士。ソアラが弟。魔術師。双子らしいが似ていない。外見的にも。2人とも流れるように綺麗なブロンドと可憐な顔をしているが姉の方は邪魔と称して髪型はバッサリ。というか弟の方はパッと見男女の判別がつかない。どちらも15歳と若齢……といっても俺も恐らく大差がないが。
俺が過去に悪魔に蹂躙された村から救出した子供。4年前のことになる。そのまま引き取り手のいない彼らを教団が保護した……という次第。
この手のケースはよくあることで、教団の信条というか、スタンスでもある。保護された子供は城下町の孤児院に住み、時期が来たら入団するかどうか決める。実際のところ、教団の構成員の孤児率は結構高い。
「それで、陸の野暮用ってのは?」
「これって口外していいんかねぇ……」
「またあいつは良からぬことを考えているのか」
「まー大体そんなもんだ それにすぐにわかるだろうよ」
「ふむ……少し内部査定を……」
「いや、待て待て そんな重大なことじゃない、ちょっとした違反だ」
「違反?明確な違反行為か?ならばこちらも……」
また始まった。この男、真面目なのはいいんだがマジメすぎるんだよ。
「いいから気にすんなっての、違反行為の塊みたいな俺が言ってるんだから間違いねえって」
適当に言葉を並べ立てたがまるで意味が分からないな。何言ってんだ俺。
「そこまで言うなら様子を見よう」
いいんだ……。
「じゃ、さっさと用済ませてくるわ、じゃあな」
「おい、ボルカノ」
「ん?」
「やはり……戻る気はないのか?」
「ないね 去年もそう言っただろ」
「しかしな、今悪魔は勢力を増して……」
「俺には関係のない話だ」
踵を返して歩き出す。俺はもうここには戻らないと決めたんだ。
「……今のお前を見たら彼女は悲しむだろうな」
「黙れよ」
その台詞は聞き捨てならない。振り返りヴラドをキッと見据える。
「……まだ、なのか」
「いくらお前とて殺すぞ?」
「わかったよ、諦めよう」
「1つ勘違いを正しておく」
「ん?」
「俺は、お前を許してはいない わかってるよな?」
「いやーお疲れさん、いやに時間かかったね」
「ほれ、荷物……まあ俺が教団内を闊歩したら問題起きるのは目に見えてるだろ」
「だろうな、しょんぼりした隊長殿とさっきすれ違ったぜ」
「けッ……」
情報部と開発部の間。陸のオフィス。奴はどちらでもそれなりの地位を築いているため、個人用の部屋を与えられている。もっぱらやましい目的に使われるが。
「ま、ともかくだ 任務ご苦労」
「全く……報酬とやらは大丈夫なんだろうな」
「安心してくれ、それより彼の面接に付き合ってくれよ」
「は?とっとと帰らせてくれよ……」
「まあまあ乗りかかった船だし」
「その用法は間違ってるし下船させてもらう」
「つれないねえ……帰ったところで何かすることがあるわけでもないんだろ?」
「っ……」
痛いところを突かれた。
『というか先輩は普段何をしてる人なんですか?』
奥の箱から声がする。あの野郎、聞いてやがったのか。
「おいユーグ、まだその箱の中か」
『まだ出るなということでしたので』
「陸、もういいだろ?」
「まぁそろそろかな、俺が出ているはずの会議の時間」
「また代返かよ……」
「俺が話すべき議題に関しては既に会議前に結論出てるし 出る必要ねえよ」
「だとよ、そろそろ出てこいよユーグ」
『わかりました、でも意外と居心地いいですよこれ』
「知るか、新しい癖に目覚めるな」
『はーい』
のそのそと箱から出てくる。布団から出たくないみたいな顔をしながら。
「どうだユーグ、俺謹製の段ボールの居心地は」
「最高ですね、危うく寝るとこでしたよ」
「お前ら……」
教団の開発部って何してるとこだっけ……?
「で、先輩は普段何してる人なんです?」
「よし、陸 面接を開始しよう」
「……へいへい」
「まずは自己紹介から、どうぞ」
「ユーグ=ヴィクトールです。ダール南部出身、1104年2月3日生まれで、16歳です」
16!俺より年下だとは思ってたが結構若いな。
「はい、志望理由は?」
「父を見返すため、ですかね」
「ほう?何があったんだ?」
「それは……」
少しどもる。やはり話にくいのだろう。
「魔術を捨てたから、です」
「ほう?」
「彼は今、国にスカウトされ悪魔及び霊子研究を一手に担っています。悪魔対策にも一役買っていると聞きます」
「で?」
「彼は……もう魔術に興味がありません。限られた人が限られた状況でしか使えない技術などそれはただの偶然に過ぎない、と」
「言ってくれるな」
まあ、確かにそうだ。魔術が使えて、かつ適性がある人間なんて一握りだし、魔術の規模は周囲の霊子濃度に大きく影響されるし。
「僕はそれを否定したい。なので教団の実戦部隊及び技術開発部への入団を希望します」
「へえ……開発部は前提として、実戦部隊」
「はい」
「実際、開発部としてはこれ以上の逸材はない。だが実戦部隊としてはいささか動機が不十分だ……なぁ、ボルカノ?」
「まぁ、確かに」
そこで俺に振るか。
「……なんでですか」
「いやね、俺は正直面白ければよくて技術部と情報部にいるわけだから言えないんだけどね……実戦部隊は命懸けなわけだから」
「覚悟はできてますよ」
「それ相応の?」
「……はい」
「確かに、君自身はそれでいいかもしれない。親御さんの方も君がどこに埋まろうが気にしないだろうしね。だけどさ、ここは軍とは違うんだ」
「……何が違うと?」
「ボルカノ、説明よろしく。俺じゃ説得力ないからさ」
なるほど。このために俺が必要だったと。
「教団の存在意義……何だかわかってるか?」
「悪魔とそれに与するものを滅する……ですよね?」
「違う」
「へ?」
「やっぱ、これ知らない奴多いんだな」
「じゃあ何なんですか」
「悪魔から弱き者を守る、だよ」
「……結果的には同じじゃないですか?」
「例えば、1人の逃げ遅れた一般人と3匹の悪魔がいるとしよう」
「はい」
「そいつを囮にすれば、一網打尽にできる。だが、そいつを守りながら戦うとなると無茶がある。さてどうする?」
「……どうにかして一般人を逃がしてから戦いますよ」
「そういうことを聞いてるんじゃない、その回答は逃げだ」
「じゃあ先輩はどうするんです?」
「迷わず悪魔との間に割って入る。……と、入団当初の俺は答えた」
「今は違うんですか?」
「そう見えるか?」
「まぁ」
「だろうな……ま、とりあえず簡単に言うと見ず知らずの人間のために命を張れると、迷わず言えるかといったとこだ」
「……迷わずは、無理です」
「正直だな……で、陸。どうするんだ」
「まーぶっちゃけキツそうだけど、訓練のしがいはありそうだな」
「……訓練というと?」
「いや、さすがにいきなり実戦部隊に放り込むほど鬼じゃないさ。然るべき訓練期間の後に入隊、という形をとる」
「はぁ……なるほど」
「それに今の君はぶっちゃけもやしっ子だしね」
「痛いところを突いてきますね……」
「そこで、だ」
陸はチラッとこちらを見た。嫌な予感。
「ちょうどいいことだし、彼の下で訓練生としてしばらくやってみないか?」
「ちょっと待て陸」
「えー何だよボルカノ、悪いアイデアじゃないだろ?」
「最悪だ、何で俺がこんなひよっこの面倒見なきゃなんないんだ」
「彼をいきなし訓練部隊に放り込んでも多分結果は目に見えてるだろ?」
「そりゃそうだが、俺に振る意味がわからん」
「その事なんだけどさ……ちょいとちょいと」
陸がデスクを蹴ってシャーッ、と椅子でこちらに滑ってくる。
(最近、悪魔の勢力というか質が上がってきてるんだよね)
(それがどうした)
(それでさ、最近成果を上げていない支所は潰して、本部に呼び戻すことになったのよ)
(……まさか)
(そうそうそのまさか。ボルカノ、お前だって本部に戻りたくはないだろ?)
(そりゃな)
(支所における訓練実績、討伐実績を見られるわけだから……最低限の訓練実績はこれで確保できる)
(で、表向きの仕事もやれと?)
(察しがいいね、助かる。お前に普段頼んでる仕事はお世辞にも実績扱いできないからな)
(はぁ……蹴ったら俺はクビ、ってことか)
(そもそもお前のわがままは実績あってこそなんだ、もう2年になる。お上の方々もそろそろ罪悪感が薄れてくる頃さ)
(別にその時はその時だ、知ったことじゃないな)
(そうカッカするなよ。お前としても、ここにいられなくなるのは困るはずだぜ?)
(最近息詰まりを感じてる。正直ここも限界だ)
(そういうことなら……)
再び陸がデスクへ椅子を滑らせる。
「今回の報酬、もといこれからの依頼料にするつもりだったもの……」
陸が重厚なケースを取り出し、その蓋を開ける。
「……!」
俺はその中身に釘付けになった。思わず手を伸ばす。
「おっとぉ……こいつはお預けだ」
「てめえ……」
ユーグは何の話かよくわからず、おろおろしている。
「えっと……何ですか、それ?」
「ボルカノ君が冷静を欠いてしまう、喉から手が出るほど欲しいものさ」
「おい!陸、さっさとそいつをよこせ」
「おいおい、俺がこの“風のコア”を手に入れるのにどれだけかけたと思ってんだよ。タダで渡せって言われても無理々々」
「……けっ、つまりは前払いの依頼料ってことか」
「そゆこと。教団なめちゃあかんよ?」
「わかったよ 受けよう、その依頼」
「だ、そうだユーグ君。これから君は彼の支所の所属になる」
「え、えぇ?!」
「不本意だが仕方ない、おい陸、それ本物だろうな」
「間違いない。実験場で風の魔術を使ったら7人ほど医療棟送りになった」
「……どうやら今度こそ信じられそうだな」
「えーと、話が読めないんですが……」
「具体的にいくと、君にはとりあえず仮入団ってことで彼の近くに住んでもらう。それで本部での訓練や彼の依頼の手伝いをしながら経験を積んで、ある程度育ったらこっちに来てもらう次第かな」
「な、なるほど……でもそうなると部屋とかは……」
「こちらで手配する。家賃光熱費治療費交通費もこちら持ちだ」
「食費は?」
「ボルカノが作ってくれるってよ」
「おい、陸……」
「契約内容に盛り込み済み」
「死んじまえ」
「といったところ。何か質問は?」
「色々ありますけど何だか些細なものなので後でメールとかじゃ駄目ですかね」
「ほう……わかってるねぇ。俺も暇な人間じゃないしね」
まるで誰かさんは暇、みたいな言い方だ。この野郎。
「じゃあ後でアドレス教えてください。他に何かありますかね?」
「おやおや、面接官に質問を要求とは……いい姿勢だ。とりあえずは今日はこれで終わりかな。すぐに手続き及び支給品を送っておく」
「はい、ありがとうございました」
「あぁ、あと、すぐにやってもらいたいことがある。とりあえず医務棟に行ってもらって、検査だ」
「検査……ですか?」
「そう、またあの段ボールを使ってな!」
「何を検査するんですか?僕の経歴とかは既に……」
「霊子適性。及び霊子汚染だな」
「……!」
「まぁ適性に関しては言わずもがな、なんだが……経歴故に汚染に関してはかなり念入りに調べさせてもらう」
「……わかりました」
「では、その箱に入ってくれ 後でまた回収するよ。その頃には登録も済んで、晴れて教団の一員になってることだろう」
「と、なるともう僕は狙われることはないってことですか?」
「そうだな、安心していい」
「そうですか……」
ほっとしているようだ。まぁ、色々経験しているとはいえまだ子供だしな。
「ほらよ、ボルカノ。とりあえず前払いだ、踏み倒すなよ?」
「わかってるよ」
空色をした、手のひら大の六角形の塊。読めない象形文字が刻まれている。正真正銘、風属性のコアだ。
「先輩……結局それって何なんですか?」
「お前のことだから、霊子については説明するまでもないよな」
「まあ、多分」
「む、ユーグ、試しにその博識っぷりを披露してみてくれよ」
「陸さんも知ってるようなことばかりですよ?」
「いいよ、それでも」
「……わかりました。霊子っていうのは、質量を持たないエネルギー体の一種で、悪魔の棲む世界、俗にいう地獄由来のものとされています。粒子状で大気中に漂っていて、個々が非常に大きなエネルギーを内包しており、同じ霊子による干渉、及び生物の特定周波数の脳波に感応して霊子は“非励起状態”から“半励起状態”になり、エネルギーを発散し始めます。これだけだと、不定形のエネルギーの利用はできませんが、さらに特定の触媒や脳波に接触するとそれぞれの属性に呼応した“励起状態”へと移行します。この状態だと、水、炎、雷、風、土、鉄、光、闇、8つの属性の物理的現象へとエネルギーを変換することができます。そしてエネルギーが無くなると“減衰状態”となり働きが弱まりますが再びエネルギーを充填すれば、再び非励起状態となります。減衰状態が長く続くと霊子は“灰化”して不活性霊子として実体化し、性質は霊子伝導に限られるようになる……といったところでしょうか」
な、長い。俺は魔術に必要なエネルギーとしてくらいしか理解してなかった。
「で、この“脳波に反応して作用する”性質に目をつけ、生み出されたのが魔術ですね。原理的にいくと、悪魔ができることの物真似です」
「うむ。百点満点。というか俺も“灰化”については知らなかったな」
「陸さんでも知らないことがあるんですか」
「俺だってまだそーゆー意味じゃひよっこさ」
「……で、その風のコアっていうのは」
「おう、文字通り風の霊子の源だな」
「……!」
「本来実体を持たないはずの霊子が個体として結晶化するレベルで圧縮された鉱物、というのが俺の見解」
「見解、というと?」
「まだ全然ブラックボックスなのよ、ソレ……常に霊子を生み出してるのは確かなんだけどさ」
「興味深いですね……で、もちろんそんな馬鹿げた霊子濃度の塊で魔術を行使したら……」
「さっき言った通り。突風や衝撃波で医務棟送りさ」
「じゃあ、先輩は魔術師でもないなら、なんでソレを集めてるんですか?」
「俺は信じてないんだけどねえ」
俺がコアを集める理由。それは……。
「全てのコアを集めて1つにすると、願望器になるといわれている」
「願望器……そんなものが、実在すると?」
「するかしないかじゃない。俺は、ありとあらゆる可能性に縋るだけだ」
「でも、1つにするって……どうやって」
「お前はさっき見ただろ?この、左手」
そう。この左手が持つ組成変更の力があれば可能なはず。できなくともやる。やってみせる。
「……それが先輩のここにいる理由、ですか」
「まあ概ねそんなところだ」
「何を願うんですか?それこそ、先輩はそんな魔法のような出来事を信じるメルヘンなタイプには思えないんですが」
「……魔法のような、ね。魔術師が言うことかよ、それ」
「僕の持論ですよ。魔術はあくまで現実でしかありません」
「ハッ、夢のない話だな」
「で、先輩の願……」
「やめとけ」
陸がユーグを制する。今までになく真面目な口調。さすがにこいつも察したみたいだ。
「ま、全部揃って、叶えたら話してやるよ」
「……期待しないで待ってますよ」
「それがいい」
「さて、少し長引いてしまったな……ユーグ、至急箱に」
「はい!」
スポンと箱に飛び込む。順応早すぎだろ。
「ではこの荷車に乗せて、と」
陸がドアを開ける。申し合わせたようなタイミングで搬入のスタッフが現れた。
「じゃ、よろしく」
「わかりました……あのことは、くれぐれも内密に」
「わかってるよ……」
戻ってきた陸は黒い笑みを浮かべている。
「お前ってホント計り知れないヤツだな」
「やめろよ照れるな」
「褒めてねえよ……それに、お前は気が付かなかったか?」
「ん?」
「ユーグ……あいつは、嘘をついている」
父親絡みの話……あの一瞬、あいつは顔を歪めた。父親を見返したい。そんな程度の表情ではなかった。
「ほう?俺は分析派なんでね、直観は信じない……で、どんな嘘だ?」
「恐らく、だが……。あいつは親父さんのことを見返したいとは思ってない」
「別に、そこは不自然では……」
「あいつには……ドス黒い過去がある。多分。あいつは、親父さんのことを……」
俺も、影がある人間として、何かを感じた……と思う。
「最低でも、ブッ殺すつもりだ」
・霊子
Pneuma Particle。PP。悪魔の生息する世界のエネルギーであり、悪魔の生命の源。莫大なエネルギーを内包し、同じ霊的な干渉、触媒、脳波により認識され、操ることができる。初めて悪魔が確認されたとともに現れ、どこからか漏れ出ているかのごとく、この世界に充満した。研究は進んでいるが、まだまだ未知の部分が多く、教団も政府も全力で解明しようとしている。
・魔術
悪魔の火を吐いたり、周囲を凍りつかせたりする特殊な能力の研究課程で生まれた現象。
人間の特定の脳波によって、悪魔が行うそれと近似した現象を引き起こせるという仮説を元に、言葉による詠唱、文字や記号の視認を組み合わせてその脳波を再現した。
結果、周囲の霊子が反応し魔術という現象が確認された。しかしそれは各研究者によってバラバラな方法で確立されたため、全く互換性がなく、しかも可変性がなかった。それを全て体系化したのがクラム=ヴィクトールであり、彼によって「属性、範囲、密度、向き、持続時間など」がそれぞれ独立した術式として抽出され、組み合わせることで魔術を現象としてではなく技術として昇華させることに成功した。
・霊子適正
Pneuma Aptitude。PA。そのまま、霊子を扱う素質。脳波がどれくらい霊子とマッチングしているかの適性。これが高ければ高いほど、霊子に与える影響が大きく、広範囲になる。またごく一握りの人間は、霊子を感知することすら可能になる。ある程度までは訓練や開発で伸びるが、基本は本人の素質によるものが大きい。
一般的にはこの値が高いほど優秀な魔術師とされるが、それは同時に霊子の影響を受けやすいということでもある。
・霊子汚染
Pneuma Collapsion。PC。霊子は脳波によって知覚され、制御される。それはつまり裏を返せば「霊子は脳波に影響を及ぼす」ということでもある。
人間の身体に霊子が蓄積すると、一定量を超えたあたりで身体機能、思考能力、記憶などに干渉し始める。身体が思った通りに動かなかったり、性格が変わったり、大事なことを忘れたりする。この状態を霊子で汚染された、という。体内霊子密度が深刻なレベルに達すると、生命維持すら困難になり、とある学説によれば悪魔に成り果てるともいわれている。一応除染の方法は確立されているが、その治療には気の遠くなるような時間と手間がかかる。
無論、この世界に住む人間は多かれ少なかれ汚染されてはいるが、影響が出るほどではない。また、悪魔と対峙したり、霊子濃度が高い空間に長い間いる人間、つまりは兵士や教団などは汚染されやすい。特に魔術師はその性質上霊子汚染の進行が著しく早く、総じて短命である。
・霊子耐性
Pneuma Resistant。PR。霊子適正の高い人間の増加にしたがって判明した、もう一つの霊子適正。
適性とは逆に、どれだけ霊子の影響を受けにくいかの指標。霊子適正が低ければ必ずこの値が高いというわけでもなく、適性と耐性を高次元で両立する人間もわずかながら存在する。
この値が高いと自身に向けられた魔術を弱体化するなど、単なる霊子汚染に対する強さだけではないことを匂わせる。発見されたての新しい概念であり、耐性が高い人間は今のところかなり稀有。