Chimera 8 抑醒
「あぐっ……」
まずい。横隔膜が上がって、呼吸が!
直後、先輩が倒れる。
「……?!」
おい、あれ…心臓に刺さってないか?!
「げ……ふ」
駄目だ、声が出ない。
そんな。そんなあっさり……僕を鍛えるんじゃなかったのか?おい!
「ひゅー、ひゅー……」
ヘレナさんが悪魔の触手に捕らえられている。落ち着け……先輩は……もう……。
彼女が終われば、次は僕だ。不甲斐なくて死にたくなるけど、僕にはアレを倒すだけの力はない。
死ぬわけにはいかない。僕はまだ、何も成していない。
「……助けて!」
ああ、やめてくれ。僕を揺さぶらないでくれ。そんな声を出されたら、僕は放っておけなく……?
「……ごひゅっ、え?」
咳き込みながらも、僕は見た。確かに。
倒れたいたはずの先輩の、左手が動くのを。
それからは一瞬だった。あの悪魔の触手と、男の両腕が一度に消えたのだ。
「なッ……!」
ヘレナさんが目を見張りつつも、その場にへたり込む。両腕を失った男は、悪魔と共に大きく後退した。
「……はは!成る程!このタイミングかァ!」
呼吸は落ち着いてきた。そのはずなのに僕はその場に打ち付けられたかのように動けなかった。頭が、何かに、浸されて、おかしくなるような感覚……そう、濃い霊子に曝された時の感覚。
だが、これはおかしい。濃いなんてものじゃない。まるで、霊子の塊が、そこにいるような……。
『……守る』
ハッと目線を先輩の方へと戻す。僕の頭を締め付ける元凶が、そこにあった。
相変わらず、心臓に剣、肩に杭は刺さったままだ。
だが、彼は立ち上がっていた。そして、彼の背後。いや正確には彼と半分くらいは重なっている。
紅い、そう、赤黒い、半透明の悪魔がまるで彼に寄り添うように浮き上がっていたのだ。
そして、当の本人の左眼は、同じく紅く、男の眼が先ほど緑に輝くのと同じように光を放っていた。
何なんだ。一体。
『絶対に、守り切る』
「なら……やってみろよォッ!」
いつ間の間にか触手を全て生やし直した悪魔が、またあの杭を斉射する。
「先輩!危な……」
そう言うが早いか、彼の背後の悪魔がその左手の細長い刃を振るい、右手で杭を掴み、彼に当たる軌道のその全てを捌き切った。
「な……」
よく見ると、腹からはもう血が出ていない。そしておもむろに自分の胸に突き立てられた剣を抜いた。
大量の血が出たが、それも一瞬。そのまま剣を男へ投げ返した。
「ぐはッ……」
『お返し……だ』
わからない。何が起きているんだ?!アレはなんだ?
「へ、ヘェ……思わぬ形で目的達成、か」
『……』
本当にお返しとばかりに腹部に剣が刺さっているのに、男は動じていない。それどころか、何事もなかったかのように剣を腹から抜き、背中へと戻……?
……あれ?両腕を斬り飛ばされたはずじゃ?
「ま、君の悪魔がなんたるかも確認できたことだし……ここは引かせてもらおうかなぁ」
『……』
先輩は変わらず無表情のまま、立ち尽くしている。
「攻撃の意思はない、と。ホント、腹立たしいねぇ。ま、その女はともかくとしてそこの魔術師は厄介だから少し……手荒な撤退を」
男の眼が再び緑の光を発する。そしてそれを大きく見開いた瞬間、頭に衝撃が走り、僕達を極光が襲った。
目を閉じても、襲い来る眩しさ。まるで、脳に直接信号を送られているような感覚。
「……く」
頭がぐらぐらする。脳を締め付ける霊子はもうないが、目を開こうとするとチカチカしてまぶたが痙攣する。
「……刺激……低減」
闇の魔術。目に入る光を制限する。
「っふぅ」
視界はかなり悪いが、なんとか確保できた。
「……いない?」
あの悪魔を伴った男は、どこかへ消えていた。あの光は、不意打ちのためじゃなく、本当に撤退のためだったのか。
「何だったんだ、一体……」
あまりに現実味のない一連の出来事に途方にくれる僕が、再びぶっ倒れた先輩とそれを揺り起こすヘレナさんに気がついたのは大分後のことだった。
いつもの……部屋。今回は鏡はなく、前回より整っている。
「お前は……なんだ」
『何度も言わせるなよ。俺はお前だ』
俺の前に、赤黒い痩躯の悪魔が立っている。幾何学的な紋様を全身に走らせ、形は概ね人型だがその左手には細長い刃と、骨のような腕しかついていない。
そして、いつぞやの夢の中の自分がつけていた仮面を被っている。
「なぜ今出てきた」
『そりゃ、必要とされれば』
「頼んだ覚えはないぞ」
『今のお前には、な』
「……訳がわからない、外、というか現実は今どうなってんだ。俺は死んだのか?」
『残念ながらピンピンしてる。今回はまあ俺が表に出たから、事はもう終わってるよ』
「表……?」
『端的に言えば、お前の身体を使わせてもらった』
「……!」
乗っ取った、ってことか?!
『人聞きの悪いこと言うなよ、あの状況じゃ俺が生き残ることを最優先したかったんだから』
「この前もそうだが、なんで死にそうな時しか出てこねえんだよ」
『そりゃ、お前がずっと目を逸らしてるせいだろ。ここぞの死にそうな時ぐらいしか……あれだしな』
「言葉を濁すな」
『言葉にしにくいんだよ……自分の語彙が貧弱なのはよく知ってるだろ?』
「……」
『ま、何れにせよやっぱり俺は俺だった、ってところみたいだが』
「なんのことだ」
『人間、いくらぶっ壊れようが根っこは変わらないってことさ』
「お前も、俺も人間じゃないだろ。もう」
『いいや。人間さ。そうそうやめられるもんじゃない』
「……何が言いたい」
『認めろ、ってことさ。いつもと変わらない』
「けっ……」
『さて、なんだか外が騒がしいようだ。起きる時間だな』
「毎回毎回勝手に始めておいて勝手に終わらすのかよ」
『結局俺を呼んでるのはお前だし、終わらせたいのもお前なんだぜ』
「お前は俺だから、か?」
『ご名答。早く起きて彼女を安心させてやれ』
「……わかったよ」
彼女、というのはヘレナのことだろう。なぜ、この自分とやらはあいつのことをやたらと気にかけるのだろうか。
「なぁ」
『なんだ?』
「お前は……俺の知らないようなことまで知ってる。本当に俺なのか?」
『残念なことに、それを立証する手段は持ち合わせていないな』
「……そうか」
部屋が崩れていく。落下する感覚。そして俺の意識は、再び闇へ吸い込まれ……。
「ボルカノ!」
……んん?だいぶうるさいな。そんなに揺さぶらなくても起きてるっての。
「……?!」
顔面にぽたたっ、と水滴が落ちた。なんだ?もしかして……。
ゆっくりと目を開ける。
「ってうおお?!」
目の前、かなり間近にヘレナの……相変わらず見えない顔があった。
というか俺に馬乗りになる形で揺さぶっていたようだ。
「あ、起きた。よかったぁ……」
「ちょい、近い近い」
「……?」
無頓着な奴だな……というか。
「泣いてた……のか?」
「え、あ……ぅん」
そんなしゅんとした声を出すなよ。俺が悪いみたいじゃないか。
「なんか、死なないのはわかってたんだけど……」
「おい」
「あなたが私を守る、ってうわごとのように言ってたのを聞いてたら、自然と涙が」
「うわ、なんだそれ恥ずかしい」
「恥ずかしくないよ」
「え」
「だってまた、私を守ってくれたんだもの」
気がつくと彼女は泣き止んでいるようで、その口調から、顔が綻んでいるであろう……というか。
「この距離でまだなお顔が見えないとか、何かあるだろそれ」
「ばれた?」
「ばれたも何も、そのコートには認識齟齬の魔術がかかってますからね」
頭を抑えつつ、ふらふらとジグがこちらに向かってくる。
「なんだジグ、無事だったのか」
「だからそのなんだっていうのやめてもらえますかね」
「で?なんだ?認識齟齬?」
「そのコートの内部に、闇属性の魔術をかけて光を分散したり通しにくくしたりするんですよ」
「へぇ……」
なるほど。そういう使い方もあるのか。俗に言う魔道具ってやつかね。
「で、何があったんだ。結局」
ぐすん、と相変わらず距離が近いままで鼻を啜りつつ、彼女は律儀に説明を始める。
「えっとね、私があの男に捕まって、四肢を封じられたあたりで、あなたが突然立ち上がって反撃したの……その、悪魔を伴ってね」
「……悪魔?それはもしかして、紅くて痩せた奴だったか?」
「うん?そうだけど……意識あったの?」
「いや、ないが」
「ん、それで、あの男と悪魔を軽くあしらったら、何らかの眼の力を使って私達の視界を封じて逃げちゃったの」
「俺の知らない間に結構派手にやってんなぁ……」
「で、ボルカノ 身体どこかおかしかったりしない?」
「そういや俺、心臓ぶっ刺されたよな」
パッと胸を見る。服に穴こそあれ、傷は綺麗に塞がっていた。肩も腹も同様だ。
「そうですよ。ヘレナさんといい、先輩といいどうなってるんですか。全く」
ジグが信じらんねえ、と言いたげな顔をしている。まあそりゃそうなるよな。
「どっちからでもいいですけど、説明してもらいますよ」
「あー、まあ、もうさすがに誤魔化せないか」
「当たり前です」
「えっと、じゃあ私が説明するね」
あの、その前に俺の上からどいてもらえませんかね。地味に重いんですけど。
「まずは……」
斯く斯く然々。
「なるほど。つまり、半人半魔ってことですね?」
「えーと?まあそれで合ってるかな。実際に半分かどうかはわからないけど」
「それであの眼とやらも、憑き者の力の一部と」
「そう。でも持ってない人もいるみたいよ」
「じゃあ、あの男の緑の眼はなんなんですかね」
「眼に関しては私もよく知らないけど、多分人によって違う力を持ってるんだと思う。あの人はきちんと使いこなしてるからあんなこともできたのかも」
「なんか脳に直接情報ぶち込まれる感覚したんですけど、そんな感じですかね?」
「んん……そこまではわからないかな」
なんだこいつ。俺以上に順応が早いぞ。
「まあ、大体事情はわかりました。これはさすがに教団に報告するわけにはいきませんね」
「おいジグ、信じるのか?」
「疑ってばっかじゃ研究なんてできませんし。それに目の前で起こったことまで否定してちゃ始まりませんよ。認めたくはないですけど」
「お、おう」
「で、そういえばボルカノ、紅くて痩せた悪魔……だっけ?」
「ああ、そんで左手が細くて、刃が生えてる」
「ちょっと左眼見せて」
「あっ、おい!」
俺の左眼をずいと無理矢理開けて、顔を寄せてくる。近すぎるぞ!ていうかこの距離でも見えないとか魔術どんだけ万能なんだよ!
「んー……確かに」
もはや喋る度に吐息がかかるレベルだ。くすぐったい。こんな感覚はいつ以来……ん?そういや、この距離なら、もしかして……。
「えい」
俺はサッと腕を上げ、後ろから彼女のコート、そのフードを引っ張った。
「あ」
完全に不意打ちだったようで、するりとそれは外れた。
そうすれば、どうなるかというのは自明で。
割と彼女が頑なに隠してきた顔が、俺のすぐ目の前に現れた。
それは、白かった。
白い肌。白い髪。白い睫毛、眉毛。
唇すらその色は薄く、まるで陶磁器のよう。
そしてその白の隙間から見えるは、蒼い眼。深く、透き通るような青。
泣いていたせいか、少し表情は崩れているが、きょとんとした顔はまた。
「……」
と、俺を唖然とさせるに十分足るものだった。
「……あ、あぁう……」
が、その白はあっという間に赤くなる。
そしてその背から、対照的な黒い翼を生やすと、即座に俺の上から退く。そして、大きく後ろに宙返りしながら、華麗に着地……できなかった。
ずでん。と後ろにひっくり返って落下。
すぐに座り直すとフードを強く引っ張って被った。
「ぅぅう……」
俺は少し軋む身体を起こして立ち上がる。
彼女はちょこんと縮こまって恨めしげにこちらを見ていた。多分。
「……かわいい」
ぼそりとジグがつぶやく。それを聞いてヘレナはさらに小さくなる。
「見た、よね」
「そりゃ、さすがに」
「わかっ……ちゃった?」
わかった?何がだ?
「何のことだ?」
「……ぇ?」
「いやマジでさっぱり」
「本当に、知らない?」
「ああ、で、なんなんだよ」
フードを引っ張る力が気持ち弱まったようだ。
「えぇと、私、首都だと割と顔が通ってるはずなんだけど」
「そういう理由だったか」
「本当に本当に見たことない?」
「ああ、ない……ジグはどうだ?」
「ありませんよ。というか、どこかで見たなら忘れませんて」
その類稀なる容姿は、と続くのだろうが多分余計に刺激しない方がいいだろう。
「……なんだ、よかった」
「そんなこと気にしてわざわざ魔道具まで使ってたのか?」
「そんなことって……私には割と死活問題レベルなんだからね……魔道具に関しては、使い始めてから使う必要が出てきたから、一概にどっちが先とは言えないけどさ」
ぱんぱん、と土埃を払って立ち上がる。
そして、なんてことなしに自分からフードを脱いだ。
「……」
「何か言ってよ、とまではいわないけどさ。顔見せる度に黙られちゃ困るよ」
「お、おう」
まだ少し顔は赤く、耳に至ってはまだまだ赤いが、少し凛とした顔つきになっていた。普段がこれだとすると、さっきのは相当珍しいのではないだろうか。
「それで!」
「ん?」
「何か言うことは?!」
「あー……」
ジグをチラ見する。諦めてくださいとばかりに肩をすくめられた。
「本当に申し訳ありませんでした」
「いやそこまで仰々しくならなくてもいいけど……というかジグ君!土下座までしなくていいから!」
「え、いいんですか」
「なんで土下座が当たり前みたいになってるの……」
「謝罪の基本では?」
「基本じゃないよ?!」
なんだろうか。思ったより、表情の起伏が激しい奴だな。泣いたり笑ったり焦ったり。
「……ふう。まあ、うん。見られてしまったものは仕方ない。わかってると思うけど、口外しないでね?」
「いや、見ただけのものをどう口外しろと」
「真っ白、だけで形容できるじゃない」
「確かに……」
というか、自覚あんだな。白さ加減でいえば俺もいい勝負してるとは思うが。
「勘のいい人はそれだけで気づいちゃうから……お願いね」
「まあ全般的に今回はこちらの落ち度だしな……」
「あと、さっきはあんなことされたせいで言い忘れたけど」
「はい」
「あなたの中の悪魔、結構曲者かも」
「……どういうことだ?」
「ちょっと話しかけてみたんだけど、ガン無視。拒絶されちゃった」
「おおう……」
「私の翼みたいにモノにするには苦労すると思う。がんばってね」
「ありがたい助言どうも」
そう言うと、また翼を広げてふわりと浮かぶ。
そして、コートの中にしまっていたであろう髪を両手でかきあげた。
「……っと」
白く、しなやかな髪。腰に届きそうなくらい長いそれをなびかせつつ、彼女は飛び立った。
「じゃあ、二人とも。またね!」
「ああ」
「はい」
「ボルカノ!絶対に!秘密だからね!」
「わかってる」
「ジグ君!卑屈すぎるのもよくないよ!」
「なんか励まされた?!」
そして、いつものようにくすり、と笑い、南の方へと飛び去っていった。
「あーなんか……調子狂うな」
「さすがに僕も同感です」
『用は済みました?お二方』
「お、エイラ。すまないな油売ってて」
『いえ、私も途中から反吐が出ると感じ聞いていませんでしたので』
「なんだ、そうか……って、反吐?ええ?!」
『何任務も終えてないくせしてしっぽりしてるんですか。任務中はあなた方を一分一秒たりとも欠かさずモニタリングしてる方の身にもなってください』
「はい、すいません……」
これに関しては全般的に俺が悪いな……というか。
「なんかやっと、って感じだな」
『はい?』
「いや、なんかエイラって無感情なイメージあったからさ。普通に怒るんだなと」
『今すぐ解雇してもいいんですよ?』
「ごめんなさい」
と、言いつつジグと顔を見合わせ、少し笑う。
『……はぁ。あなた方が筋金入りの馬鹿だということは重々承知しましたので。いい加減帰投してください。作戦時間も迫っています』
「あ、そうだこの仕事期限付きだった。ちなみにあと何時間だ?」
『40分です』
「は?」
『はい?』
あ、やべぇ。これはさすがにキレてる。
『無論、間に合わなければ報酬は抜きです』
「よし、ジグその端末貸せ」
「え、あ、はい」
俺は受け取るや否や、全力でバイクを停めておいた地点へと駆け出す。
「ちょ、先輩えぇ?!待ってくださいよ!」
「時間が惜しい!お前徒歩な!」
「それないと地図も見れませんよ!」
「この端末の中身を届けるのが最優先だ!悪いな!」
「ぜってぇ悪いと思ってないよこの人!」
『それと』
「ん?」
『私に対する個人的な賠償として、戻ったら一緒に食事でもどうでしょうか』
「え……あ、ああ」
『報酬、たっぷりありますものね?』
あの、全部借金の返済に消えるんですけど……。
『いいですね?』
「はい……」
やはり、女性は信用ならない。苦手だ。プライベートなら、特に。
「というか先輩速すぎですよ!」
「諦めろ!気が向いたら拾いに来るから!」
「どうせ来ないんでしょうっ!」
「ちっ……」
「今舌打ちした……ってまた速くなった!憑き者とやらの力ですかそれはーっ!」
ジグの声が遠のいていく。俺はこの状況にうんざりしつつも、どこかで楽しんでいるのを感じていた。
さすがに否定しきれるものじゃない、か。
そして何より、ヘレナの、あの去り際の笑顔が俺の目に強く焼き付いていた。
「グリーニア南開発局潜入」
形式:潜入
依頼主:リクラス
結果:達成+α
報酬:457000A
「合成獣」終わりです。また間話挟みます。




