Chimera 2 そうていがい
「……って、あれ?」
刺すような声が、柔らかくなる。なんだ、どうしたんだ?
「君、なんでこんなところに……?」
首から冷たい感触が離れた。え?何これ僕動いてもいいの?
すっと、僕を踏みつけていた体重が軽くなる。
「ジグ君、だよね」
「……そうですけども」
「あぁ、ごめん。別にもう敵対する意思はないから。立って立って」
立った瞬間頭ぶち抜かれないだろうな、と危惧しつつも僕は言葉に従い立ち上がる。僕の今の名前を知っているということは、ここ最近で会った人間……?
「あ……」
見覚えのある黒いロングコート。深々と被ったフード。そして何よりその背中から生える……翼。
「やほ、久しぶり……でもないか」
「ヘレナさん、でしたよね」
間違いない。先週の僕の初陣で先輩とともにあのミノタウロスと戦った女性だ。
ついでに僕の術式に細工をした人でもある。
「えーと、聞きたいことは君にも私にも山ほどあると思うんだけど、とりあえずここは巡回ルート上だから、こっちに逃げよう」
「あ、ちょ」
ヘレナさんは翼を畳んで着地すると、僕の腕を掴んで歩き出した。施設の廊下を迷いなく進んでいく。
だが、僕の意識は彼女の手に向かっていた。
(きれいな……手だ)
しなやかで、細く真っ白な指。何も装飾していない健康的な爪。
「とうっ」
……と、思った瞬間彼女はもう片方の手で足元の壁の通風口の蓋を剥ぎ取った。きれいでパワフルな手ですね。
「ここ、入って」
「あ、はい」
少し地面より落ち込んだ空間。空調ダクトの交点だ。人一人くらいなら余裕で収まる広さがある。
……けど。
「よいしょっと」
「ちょ、2人は狭くないですか」
「え?いやかな」
「そういうわけではなく」
すし詰め状態だ。僕の上にヘレナさんが座ってる形になる。
「とりあえずここならやり過ごせるとして」
蓋を元に戻す。閉じ込められちゃったよ。僕は足を放り出して座っているのに対してヘレナさんはその上に体育座りでいる感じだ。
「で……君は何をしにここへ?」
「言えない、じゃ駄目ですかね」
「それはお互い様だから仕方ないね。じゃあ質問を変えて、誰から頼まれたのかな?」
「……」
「だんまりか。自分がやられるとなかなかにあれだね」
そう言うとヘレナさんは僕の方へ手を伸ばしてきた。そのきれいな手を。
「な、何を」
そのまま僕の頬に手をあてる。なんだ、何を……。
「えい」
「あ」
耳に挿してたインカムを取られた。
「ちょ、返してくださいよ!」
「嫌だと言ったら?」
「やめてください!」
ダクトの中で姿勢が姿勢なので、暴れられないし態勢的にもヘレナさんより不利だ。何より迂闊に動くちょっといけないことに……。
「聞こえてるんでしょ?ボルカノと……恐らくリクラスかラトミあたりの人」
「あー……」
『その声は……ヘレナだな』
「やほ、久しぶり」
『どちら様で?』
「一応アトラスの依頼でここのデータをもらいにきたヘレナです」
『アトラス……?』
僕にはヘレナさんの声しか聞こえないが、はっきりと聞き取れた。
おかしい。アトラスとブルーローズは同じ側のはずじゃ?
「そっちの目的も大方同じなんでしょう?」
『それは言えませんね』
「というか、このタイミングで来るとかそれ以外ありえないし。目的が同じなら……」
ヘレナさんがにやりとする。
「協力しない?」
『それでお前がデータぶんどってとんずら、じゃ割に合わねえぞ』
「データ回収権はそっちに譲るわ。残しておいてくれればあとはこっちで勝手にやる」
『俺らがとんずらしたら?』
「しないと思うけどね。それに、私から逃げられるとでも?」
ヘレナさんの機動力は一瞬だが垣間見た。ミノタウロスの巨体を蹴っ飛ばせるほどの速度は出るようだし、逃げ切れるとは思えない。
「それに、ここでいがみあってる方が効率悪いでしょう?」
『それは確かにそうだな』
「どうする?」
『だとよ、どうするよ、エイラ?』
『オペレータ06とお呼びくださいと何度言えばわかるのですか?記憶障害ですか?』
『いや、今はそういう問題じゃないだろ』
『協働は効率的です。この状況下において断るメリットはあまりないかと』
『へえ。珍しく肯定的だな』
『アトラスのヘレナとなれば当然です』
『ちょっと待て、名が通ってるのか、こいつ』
『ええ。それに、傭兵は仕事にだけは忠実ですから。まあ、彼女の任務がこの開発局の護衛だった場合、大変なことになりますが』
確かに、同じ陣営だからそう考えるのが妥当だ。
『それに、現状ジグさんは捕縛されており、動けない状況なのですよね』
「そうすることもできなくもないかな?」
何それ怖い。ていうか確かにこの状況で色ボケなこと考えてる場合じゃなかった!
『はぁ……折角もっとも簡単なルートを皆で考案したというのに、相手が悪いとはいえここまで役に立たないとは……』
『やっぱ俺単騎の方がいいって言ったじゃん』
『プランを変更しますか?ジグさんはなかったことにして』
『アリだな……』
散々だ。みんな僕を何だと思ってるんだ。
「ま、とりあえず彼が本命じゃなくて、あくまでボルカノが来るまでの手引きってとこなんでしょ?」
『まあ隠し立てする必要もないですね。ええ。彼が本命でジグ君は捨て駒です」
「なら、目的地まで護衛する」
『ほう、信じられると?』
「選択肢があると?」
『……』
「……」
なにこの空気。怖い。
『どうしますか、ボルカノさん」
「ボルカノ、どうするの?」
『なんで俺に聞くんだよ!』
『ここで見捨てるのであればプラン変更、正面突破になります。見捨てないのであればもしかすると彼女と一戦交えることになるかもしれません」
『どちらもぞっとしねえよ……なら、後者だ。ヘレナ、余計な気は起こすんじゃねえぞ』
「言われなくともそんな物騒なことしないって」
『お前がそれを言うのか……』
「わかってるって」
もー、といった体でヘレナさんが笑う。顔は相変わらず見えないが、屈託のない笑いだと思った。
「はい」
インカムを多少強引に耳に挿される。あ、なにこれきもちいい。じゃなくて。
「とりあえず、味方ってことでいいんですよね」
「うん。でもあの態度は心外だなあ。確かにアトラスは信用ならないとは思ってるけど」
「一応自分の雇用先ですよね?」
「彼ら、基本的に手段選ばないし。ま、とりあえず」
足音が聞こえた、
ちら、とヘレナさんがダクトの外を見る。
(誰か来たんですか?)
(……ガード、のようだけど何かおかしい。何かから逃げてる……?)
(逃げてる?先輩が面倒くさくなって正面突破でもしたんでしょうか?)
(あなたボルカノを何だと思ってるの……)
(悪魔)
(言い切ったわね……確かにある意味そうだけど)
(あはたも大概じゃないですか)
そう言う間に、足音は近づいてくる。確かに、走っているようだ。
「ていっ」
「あ、ちょっ!」
ヘレナさんがダクトの蓋を蹴っ飛ばした。急に視界が開ける。真っ先に映ったのはダクトの蓋の角の直撃をうけ卒倒する警備員だった。
「よし、直撃」
「よしじゃないですよ、当たりどころが悪かったらどうするんです」
「それはそれでまあ目的は達せられてるわけで」
「テキトーすぎる!」
と、ここまで言ったところで僕も違和感に気づいた。警備員が、血まみれだったのだ。
そして、ここに入った時に感じたおかしな匂いも、濃くなっている。
「本当に当たりどころ悪かったんじゃ……」
「えぇ?!いや、あんなに血出ないって!」
「わかってますよ それに血痕はヘレナさんが当てる前からありますしね」
「だ、だよね」
自分でやっといておどおどしないでくださいよ……。
「むー……」
ヘレナさんが周囲を見渡している。フードの中の青い光を、もう隠そうとはしていないようだ。
「ヘレナさん、そのコート……呪われてますよね」
「おうぅ?」
「なんて返事してんですか……」
「いや、いきなり話しかけてくるもんだから」
「内側に認識阻害の闇属性の呪術がかかってると踏んだんですが、どうですかね」
前回初めて会った時から感じていたことだ。不自然なまでに彼女のコートの中は暗いのだ。別に中が見たいとかそういうわけじゃないけど。
「んー、まあそんなもんかな。貰い物だから詳しい経緯とかは知らないけど」
「で、その認識阻害を貫通するその青い光はなんなんですか」
「知りたい?」
「まあ」
「秘密」
「ですよねえ」
まあタダで教えてもらえるとは思ってない。
「おかしいなあ。悪魔じゃ……なさそうなんだけど」
「何見てんですか?」
「ん?まあ、ちょっと悪魔の匂いを嗅いでるみたいな?」
「わかりませんよ……」
「わからなくても大丈夫!」
「何が大丈夫なんですかね……」
うーん、なんだかこの人も先輩とは違うベクトルで傍若無人だなぁ。なまじその……かわいいだけに。
って待て僕。今のところ彼女の素顔を見てないんだ。かわいいかどうかは早計だろ。
「ま、とりあえず現状が掴めない以上、ボルカノと合流するのが先決だね」
「そーですね。明らかに異常ではありますが」
いい加減認めると、さっきからする異臭。鉄の匂い……すなわち血の匂い。ここで何らかの殺戮行為が行われたのは間違いなさそうだ。行われている、という可能性も考慮できる。
「じゃ、少しの間だけどよろしくね」
「あ、はい」
不意にこちらの手を握ってくる。あ、やばいかわいい。
「さて、裏口は私が元来た方向だったかな」
「そうですね」
周囲を警戒しつつ、ヘレナさんの後を追う。やはり静かすぎる。さっきの警備員も何かから逃げていたようだけど、叫び声一つ聞こえないのもおかしい。
「何が起こってるんですかね」
「さあね。少なくとも警備が働かないレベルではあるみたいだけど」
「あと、何かしらあったにしては静かすぎません?」
「私が来た時には既に静かだったかな それに、ここの防音はかなりのものらしいしね」
「なるほど」
すぐに裏口に着く。この人に捕まらなきゃすんなりここまで来たんだろうけど。
……というか、そもそもなんで彼女はあそこで待ち伏せていたのだろうか。
「開けるよ」
「はい」
鍵を外し、パスを打ち込みロックを解除。扉を開けるスイッチを……
「……!」
「動くな」
こちらが開けるよりも先に開いた扉から、銃口が覗いている。
「先輩、僕です」
「そこ、安全か?」
「今のところは」
周囲を警戒しつつ、身を滑らせるように入ってきたのは勿論先輩だ。
「……ちっ、無事みたいだな」
「今舌打ちしませんでした?!」
「それより、中の現状は」
僕が口を開こうとしたが、代わりにヘレナさんが話しだす。
「多分壊滅状態じゃないかなあ?警備もほとんど機能してないし」
「……ヘレナ、お前は本当に俺達と目的を同じにしてるのか?」
「タイミング的には私が一番怪しいとはいえなかなかひどいね……」
「信用に足る判断材料がない、どうしろと?」
相変わらず身も蓋もないなあ。
「まあ、いいでしょう。今回ここで研究を引き受けたのはブルーローズの独断なのよ」
「……ほう」
「盟主であるレオンとしてはあまり面白くなかったのね。アトラスにデータ奪取を依頼したわ。せめて何を研究してるのかくらいは知る必要があるとね」
「普通に教えてもらえばいいだろうに」
「ブルーローズはレオン陣営の中でも少し異端なのよ。目的が若干ずれてるというかね」
「へぇ……」
つまり、これは一種の内輪揉めってことでもあるのか。複雑だ。
「確かに、リクラス陣営からの刺客は警戒しておけと言われたけども、排除しろとまでは言われてないわ。むしろ可能ならば協働しろ、だって」
「ふぅん……まあ、確かに互いにメリットのある提案だな」
「でしょ?」
「ま、ひとまずは信じるとしよう。後ろから頭ぶち抜かれても文句言うなよ?」
「お互い様」
「ふっ」
「……ふふ」
2人ともなんか怖いですよ……ていうかなんで笑ってんですか……。
「じゃあ僕は外で待機ですね」
「いや」
え?
「もうこの状況、データ奪取だけで済みそうもない。お前が単独でいるのはあまりよろしくないな」
「でも、僕は潜入においては足手まといもいいとこですよ?」
「安心しろ、足手まといなのは潜入だけじゃない」
「何を安心するんですかねぇ?!」
「とりあえず警備が無効化されてる以上は中のほうが安全だ」
……まあ、確かに。
『合流できたようですね』
インカムから事務的な声が聞こえる。
「あ、はい」
『あら、ジグさん。生きてましたか』
「なんで残念そうなんですか……」
『ま、それは置いておいて。その施設にネット上及び電話回線上からアクセスを試みましたが、反応はありませんでした。機能していないものと思われます』
「……誰も反応しない?」
「いよいよまずそうだな」
「そのようです」
「とりあえずデータうんぬんの前にここで何が起こっているか、だな」
「はい」
「ヘレナ」
「なにかな」
「悪魔は中にいるのか?」
「んー、それが微妙なラインというかね」
「微妙?」
「そもそもがこの建物、霊子を通しにくいから見えにくいのよ」
「俺も見えなかった」
「でもなんか、いるはいるのよね……」
何の話をしてるんだ。見えるだの見えないだの。
「じゃあ何れにせよ目視で確認するしかねえな、行くぞ」
「は、はい」
「うん!」
「とりあえずお前らがお寝んねさせた警備員に話を聞くのが手っ取り早そうだ。そこまで行くぞ」
「僕は何もしてないんですけど……」
潜入にしては大所帯になってしまったが、僕達は当初の目的を変更し、さきほどの警備員のところまで戻ることになった。
……ここでおとなしく撤退して出直していれば、あんなことは起こらなかったのに。
・レオン
Leon.tec。レオン・テクノロジー。最大のハイテク産業。コンピュータ系だったが、それを大型兵器開発に生かした結果、軍事産業としてのし上がった。ここでしか開発できない兵器を多く擁しており、またそれに搭載される電子部品も非常に高品質。またデバイスや通信にも秀でている。主に光学兵装、戦略兵器、戦術兵器に特化している。もちろん情報戦にも優れ、多くの競合相手を直接手を下さず排除してきた。
・KORYU
甲龍。シンから進出してきた、重工業。大型車両や装甲に関しては、他の追随を許さない。また砲に関しても独自のこだわりを持ち、いわばロマン砲、単発破壊力では他の砲と一線を画する「使いこなしてみろ」といわんばかりの大艦巨砲主義。だがもちろんそこに魅力を感じ、傾倒する者も少なくない。ここまでだとまるで脳筋のようだが、伊達にシンで成功してるだけのことはあり意外と頭が回る。自分たちの領分をわきまえた姿勢によって他企業との摩擦は少ないが、同じ砲メーカーとしてヴィクティムを勝手にライバル認定している節がある。
・オルケ
Alchemist。霊子鋳造の研究機関。成功した作品を販売している。シン固有だった技術である霊子鋳造を大陸に広めた立役者。同時に、優れた鋳造師を多く擁する機関でもある。鋳造の特性や性格の調査研究に余念がなく、様々な特化兵器を生み出している。基本的に近代的なデザインの刀剣類を生産している。霊子鋳造以外にも白兵装に対する新技術を次々編み出しており、実質的に白兵装のリーディングカンパニーといえる。その対人殺傷能力を突き詰める姿勢は世間から不気味がられている。




