クラスの陰キャな俺、実は超人気Vチューバー(の中の人)の「お悩み相談相手」だった。 ~配信でうっかり名前を呼ばれて大炎上? 正体バレ寸前だけど、彼女が甘えてくるのは俺にだけらしい~
「……はぁ。もう無理、死ぬ。限界。今日の配信、休みにしていいかな」
放課後の家庭科室。夕陽が斜めに差し込み、埃の粒子が黄金色に踊る教室内で、この学校の『女王』と称される少女――高坂朱音が、調理台に突っ伏して呻いていた。
校内一の美貌と、誰に対しても分け隔てなく接する完璧な振る舞い。そんな彼女のパブリックイメージを知る者が今の姿を見れば、間違いなく卒倒するだろう。
「だめだよ。今日、新作ゲームの発売日だろ? リスナーも待ってるはずだ」
「わかってる、わかってるわよ……! でも、昨日のマシュマロ読みで変な粘着に絡まれて、まだメンタルが回復してないの。あーあ、どこかに私の代わりにゲームして、私の代わりに罵詈雑言を浴びてくれる身代わりロボットとか落ちてないかしら」
「そんな物騒なロボット、家庭科室には落ちてないな」
俺――市ノ瀬悠真は、苦笑しながらオーブンから天板を引き出した。
甘く香ばしい、蜂蜜とレモンの香りが一気に広がっていく。
「ほら、焼けたぞ。マドレーヌ」
「……ん」
朱音がのそりと顔を上げた。
乱れた髪から覗く瞳は、獲物を見つけた肉食獣のように鋭い。
彼女は差し出された焼きたてのマドレーヌを一つ、熱いのも構わずに口へ放り込んだ。
「熱っ……ふ、ふふ……。……んー、おいしい。生き返る……」
幸せそうに頬を緩める。
これだ。この顔が見たくて、俺は幽霊部員しかいない料理部の部室を、彼女との『密会場所』として提供している。
彼女の正体は、登録者数五十万人を誇る超人気個人勢Vチューバー『ルル』。
毒舌キャラで鳴らし、どんなクソゲーも根性でクリアする、いわゆる「ストロングスタイル」の配信者だ。
そんな彼女の、ここは唯一の避難所。そして俺は、彼女にとっての「専属パティシエ兼、愚痴聞き役」というわけだ。
「悠真さ、いっそ私のマネージャーにならない? 毎日これ焼いてくれたら、収益の半分あげるから」
「丁重にお断りする。俺は目立つの嫌いだし、そもそもこれ、俺の趣味だから」
「相変わらず欲がないわねぇ。クラスじゃ『空気くん』なんて呼ばれてるくせに、こんなに女の子を骨抜きにするお菓子が作れるなんて、誰も思ってないでしょうね」
朱音は二つ目のマドレーヌを手に取り、今度はゆっくりと味わうように齧った。
「……ねえ、悠真」
「ん?」
「今日の配信、ちょっと不安なんだ。昨日の今日だし、また荒れるかな」
完璧な女王様が、ほんの一瞬だけ見せた弱音。
俺は彼女の頭を軽く小突いた。
「お前は『ルル』だろ。最強で最恐の、ドSVチューバー。……まあ、どうしても辛くなったら、途中で俺のところに電話してきてもいいぞ。出ないけどな」
「ちょっと、そこは『すぐ駆けつけるよ』って言うところじゃない!? ……ふふ、でも、いいわ。あんたの意地悪な一言で、なんかちょっとやる気出た」
彼女はパッと立ち上がり、いつもの凛とした笑顔を作った。
『女王』の仮面。でも、その内側には俺が焼いたマドレーヌの甘さが残っているはずだ。
「じゃあね、空気くん。……あ、残りのマドレーヌ、全部包んで。夜食にするから」
「はいはい。ちゃんと歯磨けよ、ルル様」
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その日の夜、二十三時。
俺は自室でノートパソコンを開き、ヘッドセットを装着していた。
画面に映っているのは、フリルたっぷりの衣装に身を包んだ銀髪の美少女アバター。
――超人気Vチューバー、ルルの生配信だ。
『はいはーい、お待たせ! 全人類の飼い主、ルル様のお通りよ! ……え、昨日泣いてたって? 誰が? 寝ぼけたこと言ってると、全員アーカイブ禁止にするわよ?』
放課後の弱々しい姿は微塵もない。
画面の中の彼女は、リスナーを煽り、キレのあるトークで場を支配していた。
コメント欄は「さすがルル様」「通常運転で安心した」「今日も罵ってください」と、恐ろしい勢いで流れていく。
俺はログインせず、一人のリスナーとしてその光景を眺めていた。
彼女はプロだ。裏でどれだけボロボロになっても、表では決してそれを見せない。
……少しだけ、胸が疼く。あのマドレーヌは、少しは彼女の力になれただろうか。
配信開始から二時間。話題は「理想のタイプ」へと移っていた。
『理想のタイプ? そんなの決まってるじゃない。……そうね、普段は空気みたいに目立たないけど、私が本当にダメな時に、黙って隣にいてくれる人。それでいて、私が一番好きな味を知ってる人かな。……まあ、この世にそんな都合のいい人間なんて、存在しないんでしょうけど!』
コメント欄が色めき立つ。
「それガチなやつじゃん」「ルル様に好きな人いるの?」「特定急げ」
俺は心臓が跳ねるのを感じた。それ、さっきの俺との会話じゃないか?
いや、自意識過剰だ。彼女はリップサービスのつもりで言っているだけだ。そう自分に言い聞かせる。
しかし、事件は配信の終盤に起きた。
ゲームのボス戦を終え、一息ついた彼女が、画面の外で何かを食べる音がマイクに乗った。
『ふぅ……。疲れた。あ、そうだ。これ食べて元気出そ……』
サクッ、という軽い音。
『……ん。やっぱり、ユウ君の作るお菓子が、世界一落ち着く……。あ。』
一瞬。
本当に一瞬の出来事だった。
彼女が素の、あの家庭科室で見せる、甘えるようなトーンで呟いた名前。
コメント欄が、時を止めた。
そして次の瞬間、爆発した。
「ユウ君って誰!?!?!?!」
「ユウ君のお菓子!?!?!?!」
「世界一落ち着く!?!?!?!」
「ガチ恋勢死亡のお知らせ」
「ルル様、今なんて言った!?!?!」
画面の中のルルのアバターが、目に見えて動揺している。
『あ、え、今の、今のなし! 今の、えっと、飼ってるハムスターの名前! そう、ハムスター! 名前はユウ三郎! あー、もう、終わり! 今日の配信はここまで! 乙ルル!』
逃げるように配信が終了した。
真っ暗になった画面を見つめたまま、俺は固まっていた。
「……ユウ君、って」
俺の下の名前は、悠真。
家庭科室で彼女はいつも、俺のことを「悠真」か、たまにふざけて「ハル」と呼ぶ。
でも、たまに……本当に機嫌がいい時だけ、彼女は俺を「ユウ君」と呼ぶことがある。
スマホが震えた。
通知画面には、朱音からのメッセージ。
【今の、聞いてた?】
【……バッチリ、五万人と一緒に聞いてた】
【死にたい。明日学校行けない。責任取って】
【俺にどうしろってんだよ】
【明日、マドレーヌ二倍焼いてきて。じゃないと、クラス全員の前で『私を振った男はこいつです』って言いふらすから】
めちゃくちゃだ。
でも、彼女らしい。
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翌朝。
教室に入ると、空気が異様だった。
昨夜のルルの失言は、案の定「切り抜き動画」となり、トレンド入りを果たしていた。
「おい、聞いたか? ルル様の『ユウ君』事件」
「ユウって、このクラスにも何人かいるよな。佐藤裕也とか、鈴木悠太とか……」
クラスの連中が色めき立っている。
そんな中、俺はいつも通り、窓際の自分の席に座って本を開いた。
誰も、俺に注目する者はいない。なんと言っても、俺はこのクラスの『空気』なのだから。
ガラッ、と教室の扉が開いた。
登校してきた朱音に、クラス中の視線が集まる。
彼女はいつもの完璧な笑みを浮かべ、友人たちの輪へと向かっていく。
だが、俺の席の横を通り過ぎる瞬間。
トン、と。
俺の机の上に、一通の折り畳まれた付箋が置かれた。
周りに気づかれないよう、慎重に中を見る。
『放課後、家庭科室で。……昨日より美味しく焼けてなかったら、承知しないからね。ユウ君』
最後の一言にだけ、小さなハートマークが添えられていた。
俺は溜息をつき、本で口元を隠した。
緩んでしまいそうな頬を、必死で抑える。
どうやら、俺の平穏な「空気」としての生活は、今日で終わりを告げることになりそうだ。
……まあ、それも悪くない。
女王様――いや、ルル様の専属パティシエも、なかなかやりがいのある仕事だからな。
俺はこっそりスマホを取り出し、一言だけ返信した。
【レモン多めにしておく。楽しみにしてろ、朱音】
その直後、朱音の耳の端が、真っ赤に染まったのを俺は見逃さなかった。
二人にしか分からない秘密が、甘い香りのように教室の隅で静かに溶けていった。




