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エルフに転生した私、森の診療所で“休む”を教えます

作者: 星渡リン
掲載日:2026/02/04

 森の診療所には、休めない空気がある。


 薬草を煎じる匂い。布を干す湿り気。煮沸消毒の鍋が鳴らす、急かすような音。

 森の朝は澄んでいるのに、この建物の中だけ、息が浅くなりがちだ。


 私は窓を開けて、森の匂いを入れた。土と苔、昨夜の雨の名残。

 そこに薬草の香りが混じると、胸の奥が少し軽くなる。


「よし。今日も“回復しやすい空気”を作ろう」


 小さく言って、棚の瓶を並べ直す。乾かした葉、刻んだ根、塩、布。

 手順が整うと、心も整う。これは前の人生で身につけた癖だ。


 ……前の人生。


 私は転生したエルフで、ここで医師の手伝いをしている。

 エルフは寿命が長い。急がなくていい。と言いたいところだけど。


「リィネ。包帯あるか」


 診療所の奥から声がした。


 人間の医師、カイ先生。腕はいい。だけど、休むのが壊滅的に下手だ。


「あります。先生、寝ました?」


「寝た。たぶん」


「たぶんって言った時点で怪しいです」


「……寝た、と思う」


「思うも危ないです」


 私は包帯を持って奥へ入った。


 先生は机に片手をつき、もう片手で帳面をめくっている。目の下に薄い影。肩が上がりっぱなし。

 手がほんの少し震えているのも見えた。


「水、飲みました?」


「さっき飲んだ」


「さっきって、いつですか」


「……朝」


「朝って、今も朝です」


「細かいな」


「細かいのが仕事です。私の」


 先生は苦笑して、包帯を受け取った。


「今日は多いですか」


「多い。……いや、“ためて来る”」


 重い言い方だった。


 この村の人たちは、我慢が当たり前だ。

 咳は放っておく。小さな傷も放っておく。熱が出ても「仕事がある」と笑う。


 そして限界まで悪くしてから、まとめて来る。


 つまり診療所は、いつも急に忙しくなる。

 休む隙が消える。


「ためるの、やめてほしいですね」


「言ってる。聞かない」


「聞かせましょう」


「どうやって」


「手順にします」


 先生が眉を上げた。


「また、札とか作る気か」


「はい。札は強いです」


「……森の診療所で札が強いって、どういう世界だよ」


「現場の世界です」


 私は笑って、鍋の火を調整した。煮沸消毒の時間は変えない。ここは真面目に守る。



 診療所の一日は、すぐ始まった。


 指を切ったおばさん。腰を痛めた木こり。咳が続く子ども。

 口癖はだいたい同じだ。


「このくらい、大丈夫」

「我慢すれば治る」

「忙しいから寝てられない」


 私は毎回、同じように返す。


「大丈夫でも、今日はここに来ましたよね」

「我慢して悪化したら、もっと時間がかかります」

「忙しいからこそ、休まないと回りません」


 でも言葉だけだと届きにくい。

 休むのは気合いではなく、技術なのに。


 子どもの咳が少し落ち着いたところで、私は小さな魔法を使った。


「深呼吸の輪」


 床に淡い光の輪が広がり、空気が少しだけ整う。

 派手じゃない。でも胸の苦しさをほどくには、これで十分だ。


 子どもが目を丸くする。


「わぁ……息、しやすい」


「息を吸いやすくするだけだよ。咳を止める魔法じゃない」


「でも、楽」


「楽になったら、薬草茶と、寝ること」


 付き添いの母親が困った顔をした。


「寝させたいんですけど……家のことが」


「だから“短い休み方”を教えます。昼に十五分でもいい。椅子に座って背中を預けて、目を閉じる。深呼吸の輪も一緒に使えます」


「十五分で変わるの?」


「変わります。積み上げると、もっと変わる」


 母親は半信半疑。でも子どもは、嬉しそうに頷いた。

 こういう小さな頷きが、私には宝物だ。



 昼を少し過ぎたころ。先生が机に向かいっぱなしになった。


「先生、休憩です」


「今は無理」


「無理だから必要です」


「……患者が」


「今はいません。だから今です」


 私は薬草茶を差し出した。先生は受け取って飲み、目を閉じる。


「……温かい」


「温かいのは大事です」


 先生の肩が、ほんの少し落ちた。

 ……のに、すぐ立ち上がろうとする。


「よし、次の準備を」


「座ったままでいいです。準備は私がやります」


「任せるの、苦手なんだよ」


「知ってます。だから教えます」


「……何を」


「休むことと、任せること」


 先生は笑った。笑い方が、疲れている。


 そのとき、診療所の扉が乱暴に開いた。


「先生! 助けてくれ!」


 息の荒い声。

 担ぎ込まれてきたのは、若い木こりのヨハンだった。顔が真っ赤で、唇が乾いている。目が焦点を結んでいない。


「熱……」


 触れると肌が熱い。汗は出ているのに、体の中が干からびている感じがする。


「いつからだ」


 先生が低い声で聞く。


「昨日から……いや、もっと前からかも……でも、仕事が……」


「我慢してたな」


「だって……休んだら、迷惑が……」


 その言葉に、胸の奥がきゅっとした。

 前の人生の私も、同じ言葉を飲み込んでいたから。


「まず、水」


 私は瓶を持ってきて唇に当てる。ヨハンは少し飲んで咳き込んだ。

 先生は手際よく体温を測り、脈を確認する。


「脱水。熱が高い。意識も薄い。寝かせる」


「ヨハンさん、横になって」


「いや……帰る……」


「帰れません」


 先生の声が強くなる。


「帰ったら倒れる。倒れたら、もっと迷惑だ」


「でも……!」


 先生の正しさが、時々、人を追い詰める正しさになる。


 私は先生の横に立ち、静かに言った。


「ヨハンさん。深呼吸しましょう」


「今は……」


「今だから、です」


 床に手をつく。


「深呼吸の輪」


 淡い光が広がり、診療所の空気の角が取れる。

 ヨハンの肩が、わずかに落ちた。


「……息、しやすい」


「いい。ゆっくり吸って、ゆっくり吐いて」


 先生が布を濡らして額に当てる。

 私は別の魔法を重ねた。


「熱の布」


 冷やしすぎず、温めすぎず。体にちょうどいい温度を保つ布。

 触れた瞬間、ヨハンの眉間の皺が少しゆるんだ。


「……楽だ」


「楽になったら、寝ます」


「寝たら……」


「寝たら、回復が始まります」


 それでもヨハンは首を振る。


「仕事が……俺がいないと……」


 先生が言いかけた。


「だから、それを」


 私は先生の袖をそっと引いた。

 先生が口を止める。


 私はヨハンに向き直った。


「ヨハンさん。休むのは、あなたが弱いからじゃありません」


 ヨハンの目が、少しだけ合う。


「休まないと、次に助けたい人も助けられなくなるんです」


「……」


「今、体が“止まれ”って言ってます。止まらないと、壊れます」


 ヨハンの唇が震えた。


「俺、迷惑かけたくないんだ」


「迷惑をかけない方法があります」


「……あるのか」


「あります。休むのを気合いにしないで、手順にします」


 先生が眉をひそめる。


「今、それを言うのか」


「今だから言います。患者さんは今、“休む許可”が必要なんです」


 先生の顔が一瞬こわばった。でも否定しない。否定できない。


 ヨハンの呼吸がまた浅くなる。焦りが戻りかける。

 私は指を一本立てた。


「五分だけでいいです。目を閉じてください」


「五分……」


「五分だけ。起きたら次の手順を一緒に決めます」


 ヨハンは悔しそうに目を閉じた。

 閉じた途端、涙が一筋だけこぼれた。


 先生が黙って布を交換する。

 私も黙って水を用意する。


 ……そのとき。


 先生が、ふらりと揺れた。


「先生!」


 私は反射で支えた。先生の体は軽い。軽すぎる。

 先生は唇を噛んで立っていようとする。


「大丈夫だ。まだ……」


「大丈夫じゃありません」


 私の声が少しだけ強くなる。


「先生も、休んでください」


「今は患者が」


「患者さんは“休む手順”の途中です。先生が倒れたら全部止まります」


 先生の目が揺れた。頑固さと、怖さの揺れ。


 診療所の扉が、もう一度開いた。


「先生! ごはん!」


 入ってきたのはマルタだった。村の食事係で、ここでも手伝ってくれている。

 腕に鍋を抱え、顔が怖いほど真剣。


「先生、座れ。飲め。寝ろ」


「……命令形だな」


「命令。回復は命令でいい。先生は命令されないと休まないから」


 マルタは迷いなく先生の背中を押し、椅子に座らせた。

 私は水を差し出す。


「先生、飲んで」


 先生は、ほんの少し笑って水を飲んだ。


「……負けた気分だ」


「負けじゃないです。休憩に“降りる”んです」


 先生は息を吐いて、やっと言った。


「……交代しよう」


 その一言で、診療所の空気が変わった。

 張りつめていた糸が切れたんじゃない。ほどけた。


 私は机から紙を取り、さらさらと書く。


「休養札」


 短い項目を並べていく。


 水を飲む。

 横になる。

 光を避ける。

 薬草茶。

 体温の管理。

 短い睡眠。

 起きたら、少し食べる。

 無理に動かない。


 最後に一行。


 休むのは、回復の手順。


 マルタが覗き込んで頷く。


「いいね。分かりやすい」


 先生が椅子のまま苦笑する。


「……札って、そんなに効くのか」


「効きます。先生も今、札があったら休めます」


「……俺用の札も作れ」


「作ります」


 私はすぐ書いた。


 水。

 食事。

 十分寝る。

 一日三回、椅子に座る。

 患者が途切れたら、必ず五分目を閉じる。

 任せる。


「最後、難しいな」


「だから練習です」


 先生は札を受け取り、しばらく見つめた。

 その目が、少しだけ柔らかくなる。


 ヨハンは眠っている。物音が刺さらないように、私はそっと魔法を重ねた。


「眠りの音」


 診療所が、静かに呼吸を始める。


 私は小さな鐘を持ってきて入口の柱に吊した。鳴らすと、ちりん、と優しい音がする。


「それ、何だ」


 先生が聞く。


「短い休憩の鐘です」


「鐘で休めるか」


「休めます。合図があると止まりやすい」


 マルタが頷いた。


「いい。鳴ったら座る。反論は禁止」


「……反論禁止は強いな」


「強くしないと休まない」


 先生が笑った。

 さっきより、少し楽な笑い方だった。



 数日後。


 ヨハンは自分の足で診療所に来た。まだ少し痩せているけど、目がちゃんと澄んでいる。

 手には木の実の入った籠。


「これ……お礼」


「ありがとうございます。でも無理はしないで」


「してない。今日は“休んでから来た”」


 照れくさそうに言う。


「……休むって、技術なんだな」


 私は頷いた。


「そうです。習うと上手になります」


 壁には札が貼られていた。休養札。交代札。短い休憩の鐘のルール。

 先生は机に向かっていたけれど、姿勢が前より楽そうだ。


 鐘が鳴ると、先生はちゃんと椅子に座る。

 最初は渋い顔をしていたのに、今は渋らない。


 ヨハンが先生に頭を下げる。


「先生も……ありがとうございました」


 先生は少しだけ目を逸らして言う。


「礼はリィネに言え。俺は……」


 言いかけて止めて、それから珍しく素直に続けた。


「……教えられたのは患者じゃなく、俺かもしれない」


 私は笑う。


「じゃあ先生。今日は“休む”の復習です」


「今からか」


「今からです」


 私は鐘を鳴らした。


 ちりん。


 先生が椅子に座る。マルタが水を置く。

 ヨハンが安心した顔で見ている。


 窓から木漏れ日が入ってきた。森の音が、やさしく息をする。


 治す場所が、回復する場所に変わるのは、魔法の力だけじゃない。

 休む手順があると、人はちゃんと戻ってこれる。


 私は薬草茶を注ぎながら、心の中で小さく言った。


 大丈夫。

 ここでは、休んでいい。


 白い蒸気がふわっと立って、森の匂いと混じった。

 診療所の空気が、今日も少しだけやわらかくなる。

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。


このお話で書きたかったのは、「休むことは性格ではなく技術」という感覚です。

頑張れる人ほど、休むタイミングを失ってしまいがちで、気づいたときには体や心が先に止まろうとします。けれど休み方を“手順”にすると、不思議と実行しやすくなります。札に書く、合図を鳴らす、交代のルールを決める。小さな仕組みが、頑張りすぎを静かに止めてくれます。


リィネの魔法は派手ではありません。呼吸を整えたり、温度を保ったり、音をやわらげたり。治すためというより「回復が始まる環境」を作るための魔法です。回復の主役はいつだって本人で、そのために必要なのが“休む許可”と“休む仕組み”だと思っています。


もし今、忙しさや不安で息が浅くなっている方がいたら。

どうか五分でも、椅子に座って目を閉じる時間が取れますように。

森の木漏れ日みたいに、やさしい合図があなたのそばにもありますように。

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