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運命を紡ぐ

西日の差す喫茶店にて-砂時計-

作者: 蓮見庸

 午後の喫茶店は人でいっぱいだった。

 店内を見回してみたが、空いている席はなさそうで、たまたま目が合ったマスターも申し訳なさそうな顔をしていた。

 わたしは仕方なく帰ろうとしたところ、カウンターにいた若い男がわたしに気付き、椅子から立ち上がって「どうぞ」と言い、隣りにいた女とともに席を詰めてくれた。

「すみません」

 わたしは軽くお辞儀をして、空けてもらった端の席に座ると、戻ってきたマスターがさっそく水を出してくれた。

「ブレンドコーヒーをお願いします」

「はい、ブレンドコーヒーですね。ただいま注文が立て込んでいまして、少々お時間をいただきます」

 マスターは申し訳なさそうに言った。

「ぜんぜん構いません」

 わたしはカバンから出しかけた手帳をやっぱりそのまましまい、カバンをテーブルの端に置いて、すでに汗をかき始めたコップを口に持っていった。それだけで火照ほてった体が急に冷えていくようだった。

 コップを置く前にもうひとくち飲むと、今度は、ほのかなレモンの味が口の中に広がった気がした。


 相変わらず暑い日が続いていたが、この暑さにもだいぶ慣れてきた気がする。

 涼しくなれば、夏が暑かったことなんてすぐに忘れて、ちょっぴり懐かしく思うようになるのだろうけれど、今はそんな日が来るのが待ち遠しかった。

 短くてあっという間に終わると思っていた夏は、ここ最近でずいぶん長くなったものだ。


 目の前に砂時計が置いてあった。

 カウンターにはあまり座らないので気が付かなかったが、おそらくオブジェとして置いているのだろう。

 わたしは何となく手を伸ばし、ひっくり返してみた。

 明るいピンク色の砂が、ガラスのくびれに向かって吸い込まれるように流れ、音を立てずにさーっと落ちていった。新しくできた小さなピンク色の山は、あっという間にガラスの筒を埋め尽くしていった。

 そういえば、子供の頃に家にも砂時計が置いてあったけれど、あれは実際に使っていたことがあったのだろうか。


「もう戻れないのかな……」

 隣にいた若い女がつぶやいた。前に置かれたガラスコップは緑色の液体で満たされ、その中を小さな泡が不規則に立ち昇っていく。ストローは袋に入ったままテーブルに置かれ、ひとくちも手を付けていないようだった。

「……悪かった」

 男は残り少なくなったアイスコーヒーの入ったガラスコップをストローでかき混ぜながら答えた。氷がしゃりしゃりと音を立てている。

 わたしはふたりの会話を聞く気はなかったので、カバンの中から手帳を取り出して開いた。

 予定は午前中に書き込んだばかりなのですっかり頭の中に入っているけれど、カレンダーのページを開いてもう一度予定を確認しようとした。けれど耳から入ってくる隣の会話が気になり、手帳の文字を読んでも一文字も頭の中に入ってこなかった。

 手帳を閉じ、何となく注文のメニューを手にすると、飲み物にメロンソーダがあった。いつも何も考えずにコーヒーを頼んでいて、コーヒーのところしか見ていなかったので、メロンソーダがあることに初めて気が付いた。あとはオレンジジュースにレモンスカッシュ、そしてコーラ。思いのほかジュースのメニューも充実していた。

 そんなことをしていてもすぐに集中が途切れ、隣の会話が耳に入ってきた。

「だから、あれは俺が悪かったって……」

「いつもそうじゃない。これで何度目だと思ってるの。ごめん、わたしやっぱりもう無理。もう連絡しないで」

 女は財布の中から千円札を出すと、「さようなら」と言いながらテーブルの上に置き、店を出ていった。

 ひとり残された男は、しばらく氷だけになったガラスコップをかき回し、薄まったコーヒーをストローで吸い上げていたが、大きなため息をひとつついて立ち上がり、千円札を手にレジへと向かった。

 わたしは席を空けてもらったことに対して軽くお辞儀をしたが、男がそれに気が付いたかどうかはわからなかった。

 男が支払いを済ませ扉を開けて出ようとしたところ、ちょうど似た年頃の若い男女が入ってきて、道を譲り合っていた。

 ふたりは「どこに座ろうか」と話をしながら店内を見ていたが、空いている席がカウンターしかなかったので、先ほどの男女と同じようにわたしの隣に座った。

 マスターは「カウンターから失礼します」と言って、ふたりに水を出した。


 わたしは砂時計をもう一度ひっくり返した。ピンク色の砂は小さな山を作りながら落ちていたが、途中で何かが引っかかったように止まってしまった。

「たいへんお待たせしました」

 その時ちょうどマスターがカウンターを回ってコーヒーを持ってきた。コーヒーをテーブルに置くと、わたしの前の止まっている砂時計に気付いた。

「おや、また時間が止まっていますね」

 マスターはそう言って、砂時計を人差し指でぽんと軽く叩いた。

 するとピンク色の砂は再び勢いよく下のガラスの筒へと吸い込まれていった。

「古いからか、よく途中で詰まってしまって、時計としては使い物になりませんね。……けれど、時間が目に見えるって面白いと思いませんか? それに、同じガラスの中で同じだけの時間を計るのに、ひっくり返すたびに毎回違って落ちていくんですから」

「毎回違って?」

「ほら、この砂のひと粒ひと粒をそれぞれ別のものだと思ってみてください。こうしてひっくり返すたびに、順番とか場所とか砂はいつも違う落ち方をするはずです。さっきみたいにガラスの真ん中で引っかかってしまうこともあるし、それこそ、砂の数ほどいろいろな落ち方があるんだろうと思うんです……」

「すみません、注文いいですか?」

 話を遮るように、隣りにいた若い男がマスターに声を掛けた。

「はい。お伺いします」

「メロンソーダふたつお願いします」


 わたしはコーヒーカップから立ち上がる香りを感じながら、砂時計を指でこんこんと叩くと、ガラスのくびれに残ったピンク色の砂の粒は音もなく落ちていった。

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