遠征軍の出撃
タブリンス領都の奥深く。領主館の大広間に、怒声が響いていた。
「小さな村ひとつに過ぎぬというのに、兵を退けただと……!?」
玉座にふんぞり返ったゴルドール・タブリンスの顔は真っ赤に染まり、血管が浮き出ている。
報告をした家臣は土下座し、震える声で弁解を繰り返した。
「そ、それが……まるで魔将を退けた時のような力で……」
「黙れ!」
椅子の肘掛けを拳で叩きつけ、ゴルドールは立ち上がった。
肥え太った体から放たれる怒気に、周囲の家臣たちは顔を伏せる。
「このまま反乱の芽を見過ごせば、領都まで火が回る」
こうして、数百の兵と重装騎士団、さらに教団から与えられた尖兵を含む大軍が、村へ向け進軍を開始した。
◇◇◇
一方その頃。
僕たちは村の広場で、炊き出しを受けながら体力を取り戻した人々と共にいた。
鍬や鎌を槍のように構え、農民兵がぎこちなく訓練している。
「セージ君……やっぱり来るんだよね」
青髪に変装したリンカが、弓を抱えたまま顔を曇らせる。
僕は小さく頷いた。
「遠からず、領主の軍は差し向けられる。あれだけの騒ぎを起こしたんだ。黙ってはいない」
その言葉を裏付けるように、リンカの耳がピクリと動いた。
【分析】の光が彼女の瞳に宿り、広域に広がる敵影を探る。
「……数百規模。騎士団と、奇妙な兵の気配が混じってる。早ければ二日で到着するわ」
彼女の報告に、訓練していた若者たちが顔を青ざめさせた。
数百。まだまともな鎧も武器も揃っていない農民たちにとって、それは絶望の数字だった。
「やっぱり……勝てるわけがねえ」
「俺たちじゃ、ひとたまりもねえ……」
怯えが広場に広がり、士気が崩れかける。
僕は剣を抜き、月明かりに煌めかせた。
その音に人々の視線が一斉に集まる。
「恐怖に屈すれば、ここで終わりだ。けれど僕たちは、もう歩き出したんだ。……生き残るために戦う。それが反乱と呼ばれても構わない」
声を張り上げると、村人たちの目にわずかな光が戻る。
ルミナスがその隣で、炎を掲げた。
「ルミナスは見た。あんたらが逃げずに立ち向かったのを。……なら次もできる。ルミナスたちと一緒に」
炎が夜空に大きな狼の姿を描き出し、兵士や村人たちが息を呑む。
「俺たちは獣みたいにしぶとい! 何度でも立ち上がるんだ!」
セレスが祈りの言葉を重ねる。
「勇気を示す者には、必ず光が差します。……皆さん、どうか信じて」
その声と共に、広場を柔らかな光が包んだ。
その翌日。
遠征軍が領都を発ったとの報が村に届いた。
数百の兵が迫る――その現実に、空気が張り詰める。
「来るぞ……!」
槍を持った若者が震える声で呟いた。
僕は剣を握り直し、静かに答える。
「恐れるな。必ず迎え撃つ。僕たちが前に立つ」
仲間たちが並び立つ。
リンカが弓を構え、ルミナスが火を灯し、セレスが祈りを胸に抱く。
夜明けを待たず、決戦の幕が上がろうとしていた。
◇◇◇
夜明け前。
地平の彼方から響く鉄蹄の音と鬨の声が、村の空気を震わせた。
数百の兵、重装騎士団、そして黒い靄を纏った尖兵の群れ――まさに圧倒的な戦力だった。
「来たぞ……!」
槍を握る若者たちの声が震える。だが彼らの足は、もう退いてはいなかった。
戦いは苛烈を極めた。
農民兵は粗末な槍と鍬で必死に食い下がり、冒険者たちが前線で盾となる。
リンカの矢が敵の弱点を射抜き、ルミナスの炎が陣形を崩す。
セレスの祈りが傷を癒し、倒れかけた者たちに再び立ち上がる力を与えた。
そして――僕は仲間の“ため”を束ね、一撃必殺の剣を振るった。
【破魔斬光陣】の閃光が尖兵を消し飛ばし、【重ね斬り】が騎士たちの列を断ち切る。
土煙と血の匂いの中で、農民たちが雄叫びをあげた。
「俺たちにも……できる!」
「英雄様と一緒なら……!」
その叫びは恐怖を押し返し、戦列に広がっていった。
◇◇◇
戦いの果てに、大軍は押し返された。
尖兵は灰となり、騎士団は壊走。領主の軍勢は村を制圧するどころか、逆に敗走を余儀なくされた。
村は焼け、犠牲も出た。だが、生き残った者たちの瞳には確かな光が宿っていた。
もはや彼らはただの農民ではない。自らの意思で立ち上がった反乱軍だった。
炎と煙の中で、僕は剣を突き立てた。
「見たはずだ。恐怖は乗り越えられる。……次は領都だ。必ずこの地を取り戻す!」
歓声が上がり、村は新たな決意に包まれる。
こうして僕たちは、領都決戦への道を踏み出したのだった。
村を包んでいた炎と煙はようやく収まりつつあった。
だが燃え残る木材の匂いの中、領民たちの瞳には確かな光が宿っている。
絶望ではなく、希望の色――。
「……勝った、のか」
土に座り込んだ農民兵が、震える声でつぶやいた。
仲間の肩を借りながら立ち上がる若者もいる。泣き笑いしながら抱き合う母子もいた。
犠牲は出た。痛みは残った。だが、彼らは生き残った。
村を守り抜いた――その誇りが、怯えを超える力に変わり始めていた。
夜更け、炊き出しの煙が立ち上る広場に、自然と人々が集まってきた。
誰もが疲れ果てていたが、その瞳は熱を帯びている。
「セージ様……いや、旅のお方。俺たちに戦い方を教えてくれ!」
「もう引くつもりはねえ。領都を取り返すんだ!」
「子供たちに、こんな地獄を残したくねえ!」
次々に声が上がる。
反乱は、もはや恐る恐るの囁きではなく、村全体の意思となっていた。
僕は剣を握り、ゆっくりと掲げた。
「ならば、共に進もう。領都を――タブリンスを、取り戻すために」
その言葉に、村人たちは歓声をあげ、武器を掲げて応えた。
夜空に響くその叫びが、確かに一つの軍勢の産声となった。
◇◇◇
数日後。
僕たちは村で集められた農民兵と共に、密かに領都への進軍を開始した。
街道は避け、森や川を縫うように進む。敵の斥候をリンカが察知し、ルミナスが焼き払い、セレスが傷を癒す。
やがて遠くに、黒煙を吐き出す領都の城壁が見えた。
「……あれが、タブリンス領都」
僕は小さく息を吐き、剣の柄を握り直した。
父と弟の支配する街。
僕が追放された場所。
けれど今は、取り戻すべき仲間と民の未来がある。
――必ず、終わらせる。
胸の奥に決意を刻みながら、僕たちは領都の城門を見据えた。




