教団の実験村
夜明けと同時に、僕たちは村を後にした。
広場で炊き出しを受けた人々が、まだ眠そうな目をこすりながらも手を振ってくれる。
その姿に、胸の奥が温かくなると同時に、背中に重みが増していくのを感じた。
――必ず守らなければならない。
燃え尽きた家々の影に、なお呻き声が残っていた。
そこにいたのは、村人たちの成れの果て――肌は灰色に染まり、虚ろな瞳で呻くだけの存在。人の形を保ちながらも、命の温もりは感じられなかった。
「……こんなの、人間じゃない」
リンカが唇を震わせ、弓を下ろす。
ルミナスは眉をひそめ、呟いた。
「魔族の実験……でも、戻せない。灰色化は魂まで蝕んでる」
セレスが膝をつき、震える手で灰色の村人に祈りを捧げる。
「……ごめんなさい。浄化の光でも、救えません……」
その声は痛切で、瞳に涙が滲んでいた。
◇◇◇
僕は歯を食いしばり、灰色の人々を見下ろした。
救えないのか――その言葉が胸を締めつける。
その瞬間、頭の奥に鈍い衝撃が走った。
――【魔素ストックを消費することで、新たな力を開放可能】
――【条件達成:共鳴対象“聖女”】
――【新技:ホーリー・リストレーション 解放準備完了】
機械のような冷たい声が、脳裏に響いた。
「……今のは……」
胸の奥で、魔素がざわめいている。
僕は剣を握り直し、セレスに向き直った。
「セレス。僕から流す。受け取ってくれ」
「セージ様……?」
ためらいはなかった。僕はストックを解放する。
熱が胸を焼き、光となって彼女の手へ流れ込んでいく。
次の瞬間、セレスの体を淡い輝きが包み込んだ。
涙で濡れた頬に、新たな決意の光が宿る。
「……感じます。この力……希望を取り戻す光……!」
彼女は立ち上がり、両手を広げて祈りを紡いだ。
「――《ホーリー・リストレーション》!」
天から降り注ぐような純白の光が、灰色の人々を包み込む。
ひとり、またひとりと、虚ろだった瞳に光が戻った。
「……あれ……僕は……」
「母さんっ!」
倒れていた子供が母親に抱きつき、歓喜の声が上がる。
◇◇◇
すべてを救えたわけじゃない。
灰色のまま動かなくなった者もいた。
だが、確かに救われた命がある。奇跡は起きた。
「すごい……人が……戻った……!」
「やっぱり……聖女様……!」
村人たちの声が震えながら広がる。恐怖に縛られていた目が、今は希望の光で潤んでいた。
セレスは息を切らし、膝をつきながらも微笑む。
「……一人でも救えるなら、私はこの力を振るい続けます」
僕は剣を収め、深く息を吐いた。
「救えるなら……戦う意味はある。そうだろう」
燃え盛る村に、確かに灯った小さな光。
その瞬間、僕らの胸に新たな決意が芽生えていた。
――まだ終わらない。
けれど、絶望だけの未来じゃない。
希望を掴む戦いが、ここから始まる。
広場を覆っていた黒煙が、ようやく風に流されて薄れていった。
倒れた尖兵たちは黒い靄となって消え、残されたのは焼け焦げた建物と、震えながら息をする領民たちだった。
「……もう、来ない」
リンカが弓を収め、【分析】の瞳で周囲を確認する。
「範囲内に敵反応なし。これで、ひとまず終わりよ」
僕は深く息を吐いた。剣を地に突き、荒い呼吸を整える。
全身に広がるのは勝利の実感ではなく、胸を締めつける重さだった。
広場に残されたのは、生き残った者たちだけじゃない。
炎に呑まれ、崩れ落ちた家屋に押し潰され、助けられなかった命もあった。
◇◇◇
「――《ホーリー・リストレーション》!」
セレスの祈りの声が広場に響いた。
光が奔流となって老人を包み込み、傷口を塞ぎ、途絶えていた鼓動がふたたび力強く打ち始める。
「う……あ……」
老人がかすかに目を開けた。
その瞬間、周囲にいた家族が泣き声を上げて抱きしめる。
「……生きてる! 助かったんだ!」
「聖女様だ! 本物の奇跡だ!」
人々の歓声が広場に満ちていく。
だが、セレスは首を振った。
「いいえ……これはセージ様の力があってこそ。私はただ、その力を預かっただけです」
彼女の視線が、真っ直ぐに僕を射抜いた。
その眼差しに、僕は言葉を失う。
「すごい……救世主みたいだ」
「いや……解放の英雄だ」
ぽつりと誰かが呟いた。
それは小さな声だったのに、あっという間に周囲へと広がっていく。
「解放の英雄……!」
「この人たちがいれば、圧政も終わるのでは……」
「きっと、きっと救ってくださる!」
人々の視線が一斉にこちらへ向けられる。
けれど、それは「セージ」という名を呼ぶものではなかった。
ただ、目の前で戦った“謎の一団”を――恐怖を振り払う象徴として仰ぎ見ているのだ。
◇◇◇
(……僕がセージだと気づいてはいない。けれど――)
民の間で芽吹いた「解放の英雄」という幻想。
それはやがて噂となり、領内を駆け巡るだろう。
僕の胸にはまだ迷いがある。
だが、民の目に映るのはただ「英雄」であり、僕はその期待を裏切るわけにはいかなかった。
「皆さん、安心してください。僕たちは必ず、この地を守ります」
声を張ると、人々の間に小さな歓声と嗚咽が混じり、希望の火が広がっていった。
◇◇◇
夜、瓦礫に囲まれた片隅でリンカがぽつりと呟く。
「……セージ君、もう後戻りはできないね」
「ああ」
僕は夜空を見上げて答える。
「たとえ幻想でも、人々が希望を託したのなら……僕たちはそれを現実に変えなきゃならない」
夜風が吹き抜け、決意を胸に刻んだ。
――こうして、“解放の英雄”の伝説が静かに動き始めた。




