周辺村の救援要請
夜明けの光が差し込む村の広場には、まだ疲弊した人々が集まっていた。
顔色は青ざめ、衣は汚れ、幼子を抱いた母親は虚ろな瞳で揺れている。
それでも、昨夜の絶望に沈んだ空気はわずかに和らいでいた。
「……あの、英雄様」
ためらいがちな声が上がる。
前に出たのは、痩せた体をした若い農夫だった。
「俺たちの村だけじゃ……ないんです。他の村でも、人が消えたり、兵に家畜を奪われたり……。それに、教団の尖兵らしき奴らが夜に現れて……子供を攫ったって噂も……」
その声に、周囲の人々がざわめいた。
「うちの姉の村でも……!」
「領都の近くじゃ、もう何人も行方不明になったと……」
怯えと恐怖が再び顔を覗かせる。
昨夜の惨状を目の当たりにした以上、彼らの恐怖は現実そのものだった。
◇◇◇
リンカがすぐに【分析】で情報を整理する。
「……複数の村が同時に被害を受けているわ。しかも……ただの略奪じゃない。兵と尖兵が一緒に動いてる」
「領主と教団が……完全に繋がってるってことか」
僕は低く呟いた。
その時、ルミナスが炎のような紅の瞳をぎらりと光らせた。
「許せない。ルミナス、燃やす。全部燃やして、子供たちを返させる」
あまりにも真っ直ぐで、危ういほどの決意。
けれど、その言葉は村人たちの胸を強く打った。
「……あの魔族の子が、俺たちの子供を守ろうとしてる……」
「本当に、俺たちを見捨てないんだな……」
囁きが広がり、人々の表情にわずかな光が戻る。
◇◇◇
セレスが祈るように両手を組んだ。
「放ってはおけません。この地で奪われた命を、これ以上増やしてはならないのです」
僕は静かに頷いた。
「……分かった。他の村も見て回ろう。ここで守りを固めるだけじゃ意味がない。救える命を、必ず救う」
その言葉に、農夫が泣きながら頭を下げた。
「……ありがとう……! 本当に、ありがとう……!」
人々の視線が僕に集中する。
彼らの瞳に宿るのは、昨夜とは違う――確かな期待の光。
◇◇◇
仲間たちと視線を交わし、僕は深く息を吸った。
「これからは、村ごとに守りを固め、同時に支援を広げる。……ゴルドールと教団を、この地から叩き出すために」
仲間たちが頷いた瞬間、背筋を貫く緊張感が走った。
――この戦いは、もう後戻りできない。
村を発って二日目。
荒れ果てた街道を進んだ先に現れたのは、瓦屋根が崩れ、柵も倒壊した小さな集落だった。
近づくにつれて、胸を締め付けるような匂いが鼻を刺す。
腐った穀物と、干からびた獣の死骸。
村に足を踏み入れた瞬間、僕たちは息を呑んだ。
痩せ細った子供が道端に座り込み、虚ろな瞳でこちらを見ている。
老人は杖にすがって歩くのもやっとで、畑には雑草ばかりが広がっていた。
「……ひどいな」
胸が締め付けられるような光景に、思わず言葉が漏れる。
リンカが歯を食いしばり、低く呟いた。
「セージ君……みんな、もう限界なんだね……」
その時、ひとりの母親が幼い子を抱えながら震える声を上げた。
「領主の兵が……税を取り立てるたびに……食べ物が残らないんです……。どうか……子供だけでも……」
抱かれた子供の頬はこけ、腕は骨のように細い。
その姿に、僕の拳が無意識に震えていた。
◇◇◇
村の広場には、まだ戦いの余韻が残っていた。
倒れた尖兵たちの黒い靄はすでに消えているけれど、住民の顔には怯えと疲労の色が濃く刻まれていた。
その中で、まず動いたのはミレイユだった。
彼女は大きな鞄を下ろし、しかし中を探るよりも僕の方を見上げて、柔らかく首を傾げた。
「セージ様……炊き出しをしたいのですが、よろしいでしょうか?」
「うん。ストレージの食料を使おう。みんなで分け合ってくれ」
僕が頷くと、ミレイユの目元が安心したように緩んだ。
「ありがとうございます。……この笑顔を、どうか取り戻して差し上げたいのです」
彼女の視線の先には、飢えでやつれた子供を抱く母親の姿があった。
それを見て、リンカが矢筒を背にしながらため息を落とす。
「セージ君、やっぱり放っておけないね……。ここまで衰弱してるの、相当長いこと食べてないよ」
その声は、怒りを抑え込むように震えていた。
「ルミナス、火は任せる」
「ルミナスに任せる。ふふん……ほら、薪を寄せるといい」
彼女は得意げに指先を鳴らす。
瞬間、空気に小さな炎が生まれ、鍋の下に温かな火が灯った。
炎の赤が揺れるたび、泣きじゃくる子供の顔に少しずつ安心の色が差していく。
セレスも隣でそっと手を合わせる。
「神の恵みを、どうかこの食卓に……。少しでも、心が救われますように」
その祈りは静かだったけれど、不思議と人々のざわめきを和らげていった。
◇
やがて湯気が立ち、スープの香りが広場に広がる。
エリスが配膳を指揮し、アーリアやシャミー、レイシスも走り回って器を配った。
みんな手際が良い。戦いでは剣を持たない彼女たちも、こういう時には見事なまでに人を動かせる。
そして――。
温かなスープをすする音と共に、泣き声は次第に笑い声へと変わっていった。
「……こんなに温かいの、久しぶりだ」
「夢みたいだ……」
その言葉を聞いて、僕は剣を握るよりも強い決意を胸に抱いた。
◇
夜。
広場の片隅で、火を囲む仲間たちの顔が揺れていた。
「セージ君」
リンカが僕の袖をつまんで、小さく笑った。
「今日の人たちの顔……ちゃんと見た? あの笑顔は、あなたが守ったんだよ」
その言葉に胸が熱くなる。けれど同時に、責任の重さもずっしりとのしかかった。
「ルミナスは……もっと大きな炎を使いたかった。でも、街を焼いちゃダメだから我慢した」
そう拗ねるように呟くルミナスの姿に、思わず苦笑する。
「十分だよ。あの炎があったから、みんな無事でいられた」
セレスは静かに頷き、膝に手を置いた。
「……わたくしも見ていました。恐怖に縛られていた人々が、希望を思い出す瞬間を。あなたの言葉と力が、それを導いたのです」
仲間たちの瞳はまっすぐで、どこか誇らしげですらあった。
――もう後戻りはできない。
領主ゴルドールを打ち倒す戦いは、すでに始まっているのだ。




