圧政の現場
村を後にして間もなく、怒声と泣き叫ぶ声が耳に届いた。
僕たちは顔を見合わせ、音のする方へ駆ける。
村の広場――そこでは数人の男たちが農具を手にした村人を取り囲んでいた。
粗末な鎧をまとい、徴税官を名乗るその男たちは、腰に剣を下げ、手には鞭を握っている。
「これでも足りぬと言っているだろうが!」
「税を納められぬ者に、生きる価値などない!」
老人が土下座し、必死に訴える。
「畑が荒れて……子供たちに食べさせる分すら……どうかお情けを……!」
返答は鞭だった。乾いた音とともに、老人の背中に赤い線が走る。
その場にいた村人たちは顔を背け、震える手で口を押さえていた。
恐怖に支配され、声を上げられる者は誰ひとりいない。
「……っ!」
リンカが一歩前に出ようとするのを、僕は制した。
だが次の瞬間、鞭を振るった徴税官の視線が、老人の傍に立つ痩せ細った子供へと移った。
「こいつを売り飛ばせば、いくらかにはなるだろう」
笑い声と共に伸びる手。
――その瞬間、堪えきれなくなった。
「……やめろ」
声は低く、だが広場を震わせるように響いた。
振り返った徴税官たちが僕を睨む。
「なんだ貴様らは! 外からの旅人風情が口を挟むな!」
僕はゆっくりと前に出る。
腰に下げた剣に手をかけ――抜き放つ。
金属音と共に空気が震え、広場の空気が一変した。
「退け」
短い言葉に、彼らは一瞬怯んだが、すぐに虚勢を張って剣を抜いた。
「ひとりで何ができる!」
だが、その声は最後まで言葉にならなかった。
次の瞬間、僕の剣が光の弧を描き、彼らの武器をまとめて叩き落としていた。
重い鉄の剣が地面に突き刺さり、土煙が上がる。
「な……!?」
「ば、化け物か……!?」
後方から炎の矢が飛び、残りの徴税官の足元を焼いた。
ルミナスが片手を軽く振っただけで、地面は灼け焦げる。
セレスの祈りの光が老人の背を癒やし、アーリアとレイシスは素早く村人たちを後ろへと誘導していた。
たった一瞬で、戦況は決した。
震える徴税官たちが地に倒れ込み、声を失う。
その光景を、村人たちは呆然と見つめていた。
恐怖に縛られ、抵抗を忘れていた彼らの目に――初めて「救い」が映った。
「……あれは……」
「やはり、セージ様……?」
「いや、でも……」
ささやきが再び広がる。
まだ確信には至らない。だが、彼らの心に小さな火が灯ったのは間違いなかった。
僕は剣を収め、老人に向き直る。
「大丈夫です。もう安心してください」
その言葉に、老人の目から涙があふれ出した。
背後ではリンカが静かに子供を抱き寄せている。
彼女の尾が震え、声は掠れていた。
「セージ君……やっぱり、この領地は……もう、見過ごせないね」
僕は強く頷いた。
――正義を口にするだけでは足りない。
この手で、必ず正すのだ。
その決意と共に、胸の奥で淡い光が揺れた。
――【魔素ストック+2,400】
わずかでも、この力は確かに積み重なっていく。
その重みを感じながら、僕は空を見上げた。
領主ゴルドールとの対決が、避けられぬ未来として迫っているのを直感していた。
倒れ伏す徴税官たちの中で、二人が這うように立ち上がった。
顔は恐怖に引きつり、剣を捨てたまま命からがら村の外へと駆け出していく。
僕は追わなかった。
剣を握ったまま、その背中を静かに見送る。
「セージ君……! 追わなくていいの?」
リンカが驚きに目を見開く。
「……いいんだ。いずれ報告は領都に届く。必ず、より大きな力が差し向けられるだろう」
低く答えると、村人たちの間にざわめきが広がった。
「じゃあ、また兵が……」
「今度はもっと酷い罰が……」
感謝の声と同時に、恐怖が人々の胸を縛っていく。
それでも僕は剣を収め、村人たちに向かってはっきりと告げた。
「僕がいる限り、この村は守る。決して一人にはしない」
しかし――その言葉で恐怖が完全に消えることはなかった。
報復を恐れる影は、村の空気に濃く残っていた。
助かった安堵と、これから訪れるであろう報復の恐怖が、村人たちの胸を同時に締めつけている。
「ありがとうございます……ありがとうございます……!」
老人が涙ながらに僕たちへ頭を下げる。
その背後でも、多くの村人が口々に感謝を口にした。
だが、同時に誰もが怯えた目で周囲を見渡している。
「でも……これで終わりではない……」
「領都に知られたら、きっと兵が……」
「報復が来れば、この村は……」
感謝の声と恐怖の囁きが入り混じり、村全体が揺れていた。
リンカが僕を見上げ、不安げに尾を揺らす。
僕は一歩前に進み、村人たちへ声を投げかけた。
「皆さんの恐怖は分かります。ですが――僕がいる限り、この村を、そしてこの領地を守ります」
その言葉に、村人たちは息を呑んだ。
だがすぐに、不安の色は完全には消えなかった。
「……でも、相手は領主様だ」
「逆らえば一族ごと処刑される……」
恐怖は理屈ではなく、生き延びるために染みついたもの。
僕の言葉だけで拭えるものではない。
そのとき――。
「……怖くても、未来は作れる」
ルミナスが前に進み出て、真っ直ぐに村人たちを見渡した。
紅の瞳が揺らぎなく光り、声は力強かった。
「私たちだって怖い。死ぬのは嫌だし、苦しいのはもっと嫌。……でも、それでも戦った。守りたい人がいるから」
彼女にしては珍しくハッキリとした言葉。
その言葉は、村人の胸に鋭く突き刺さった。
少女の姿をした魔族が、怯える自分たちに「未来を作れる」と告げている。
その事実だけで、揺さぶられる心があった。
「……未来を……作れる……」
「私たちにも……できるのか……?」
誰かが呟き、それが小さな希望の種となる。
セレスがそっと手を胸に当て、静かに祈りを捧げた。
「神は必ず、勇気を示す者に寄り添います。……どうか、ご自分を諦めないで」
怯えに覆われた村の空気に、わずかだが温かさが灯っていく。
まだ不安は残っている。だが、その中で確かに「希望の芽」が生まれ始めていた。
僕は剣の柄を握りしめる。
――この芽を、必ず守り抜こう。
その決意が胸の奥で静かに燃え上がっていた。




