王都出立
王都での準備を終え、ついに旅立ちの日を迎えた。
瓦礫が積まれた街路のあちこちに、復興に励む市民の姿がある。
その人々が、僕たちを見送るために門前へと集まっていた。
「英雄たちよ、どうかご無事で!」
「烈火の魔将を討った方々が、また必ず戻ってきますように!」
「セージ様、どうか我らの代わりに……タブリンス領を!」
声が重なり、まるで波のように押し寄せる。
その一つひとつが胸に響き、背中に重責としてのしかかる。
リンカが静かに僕の手を握った。
「セージ君……皆、あなたを信じてる」
「……ああ。だからこそ、応えないといけないな」
僕は一歩前に進み出て、王都の民を見渡す。
戦いの傷跡を抱えながら、それでも希望を手放さない人々――彼らのために、僕は進む。
「――必ず帰る。この王都に、皆のもとへ。だから生きて待っていてくれ!」
その言葉に、歓声が大きく弾けた。
手を振る子供たち、涙を拭いながら見送る老人、胸に手を当て深く頭を垂れる者。
その全てが、僕たちに託された願いだった。
振り返ると、仲間たちもまた、それぞれの想いを瞳に宿していた。
エリスは毅然と微笑み、ルミナスは小さく親指を立て、セレスは祈るように両手を胸の前で組んでいる。
メイドたちも凛と背筋を伸ばし、揺るぎない忠誠を目に宿していた。
馬車が動き出し、王都の門が少しずつ遠ざかっていく。
歓声は背後に広がり、やがて小さくなっていった。
だがその響きは、確かに胸に刻まれている。
――必ず帰る。
重責と誓いを抱きながら、僕たちは故郷タブリンス領への道を歩み始めた。
◇◇◇
王都を発って数日。
東へと延びる街道は次第に寂れ、やがて畑も消え、荒れ果てた荒野が広がっていった。
その途中、道端に人影が集まっているのを見つけた。
痩せた大人と子供、老人たち――十数名の集団。背負う荷物は乏しく、衣は擦り切れ、足取りも覚束ない。
「……避難民だ」
僕が呟くと同時に、ルミナスの眉が険しくなる。
「魔力が枯れてる。長く飢えてる……」
僕たちに気づいた男のひとりが、必死に駆け寄ってきた。
「た、助けてください……! タブリンス領から逃げてきた者です!」
息を切らしながら訴えるその声は、震えていた。
「重税で食うものもなく、兵は女や子供にまで鞭を振るい……。耐えきれず逃げ出したのです」
彼の背後で、ひとりの子供が母親に抱かれていた。
腕も脚も細く、骨ばった身体。瞳には光がなく、今にも倒れてしまいそうだ。
その姿に、胸が締めつけられる。
リンカは堪えきれず、そっと子供を抱き寄せた。
「……ごめんなさい、守れなくて。……大丈夫だからね」
涙をこらえる声が震える。白銀の尾がわずかに揺れ、必死に感情を抑え込んでいるのが分かった。
その瞬間だった。
――ヒュッ!
矢が一筋、避難民の足元に突き刺さった。
「おい、逃げた連中を見つけたぞ!」
街道脇から現れたのは、粗野な鎧を着た兵士たちだった。十名ほど。
「重税から逃げる裏切り者どもだ。皆殺しにしろ!」
剣を振りかざし、兵たちが迫る。
僕は即座に剣を抜いた。
「……許さない」
仲間たちも一斉に構える。
ルミナスの手には炎が、セレスの瞳には祈りが宿った。
短い戦闘だった。
数の上では劣勢だったが、訓練不足の兵士たちでは僕たちに敵うはずもない。
剣を振り下ろし、炎が走り、祈りの光が敵を弾いた。
最後の兵が倒れたとき、血の匂いの中に、淡い光が揺らめいた。
それは魔物の時と同じように魔石へと変わり、僕の胸に吸い込まれていく。
――【魔素ストック+3200】
人間からでも魔素は得られる。けれど、この感覚を理解できるのは僕だけだ。
仲間たちも周囲の民も、この現象を知らない。
だからこそ――僕は、この力を正しく使わなければならない。
息を整えながら、僕は避難民たちに視線を戻した。
リンカは痩せた子供を抱きしめたまま、必死に涙を堪えている。
「セージ君……この領地は、こんなにも……」
僕は強く頷いた。
「……見過ごせないな」
その誓いは、胸の奥に燃えるように刻まれていた。
◇◇◇
長い街道を進み、ついにタブリンス領の境に足を踏み入れた。
だがそこに広がっていたのは、かつて幼き日に見た豊かな土地とは似ても似つかない光景だった。
畑は荒れ、作物は育たず、雑草ばかりが繁茂している。
家々は壁が崩れ、屋根は穴だらけ。村人たちは痩せ細り、怯えた目でこちらを窺う。
その姿は、圧政と飢餓に蝕まれた領地の現実そのものだった。
「……酷いな」
僕は低く呟く。
リンカが隣で拳を握りしめ、声を震わせる。
「セージ君……これが、故郷の今なんだね……」
その時だった。
ひとりの老人が杖を突きながら、ゆっくりと僕に近づいてきた。
濁った瞳が僕を見つめ、長い沈黙のあとでかすれ声を漏らす。
「……その瞳……いや、その立ち姿……まさか、セージ様に……似ておられる……」
その言葉に、周囲の村人たちがざわめいた。
「セージ様……?」「でも、追放されたはずでは……」
「いや、でも……確かに面影が……」
囁きは疑念と希望をないまぜにして広がっていく。
僕は口を開こうとしたが、迷いが胸をよぎった。
今ここで名乗り出れば、領主の目に留まり、村人を危険に晒すかもしれない。
しかし、完全に否定することもできなかった。
擬装のアイテムで髪色や印象を変えていても――血筋に宿る雰囲気までは隠せない。
長年この土地に生きてきた者ならば、直感で気づいてしまうのだろう。
「……っ」
リンカが小さく僕の袖を握った。
その瞳は「どうするの?」と問いかけている。
僕は小さく首を振り、老人に静かに答えた。
「……僕はただの旅人です」
老人はしばし黙し、それでも揺るがぬ眼差しで僕を見つめ続けた。
「……そう、でありましょうな。しかし……あの方に似た者が、この地に来てくださっただけで……」
老人の目尻から、ひとすじの涙が零れた。
村人たちの間で噂は波紋のように広がり始めていた。
「やはりセージ様では……」「いや、でも……」
確信には至らない。だが、村の空気がわずかに揺らいだのは確かだった。
僕は拳を握りしめる。
――この声が広がれば、やがて領主の耳に届く。
避けられぬ戦いが、もうすぐ始まろうとしていた。




