決戦・烈火の魔将 前編
王城最上階。
階段を駆け上がった瞬間、熱風が吹き抜けてきた。皮膚が焼けるような熱気に、思わず呼吸が詰まる。
そこには――燃え盛る玉座に腰掛けた《烈火の魔将》イグニスがいた。
全身を黒鉄の鎧に覆い、その背からは絶え間なく炎を噴き上げるマント。赤黒い髪は逆立ち、瞳は溶鉱炉のように赤熱している。視線を向けられただけで、喉奥に焼けた鉄の臭いが流れ込んでくるようだ。
「来たか……人の子よ」
低く響く声が大広間に満ちた。玉座の背後の壁が熱で揺らぎ、天井の梁までも赤く照らしている。
俺は無意識に剣を握り直した。これまで数多の強敵を斬り伏せてきたが――そのどれとも違う。存在感そのものが「死の予告」のように押し寄せてきた。
「……っ」
隣のリンカが小さく息を呑む。銀狐の耳が震えていた。
セレスは聖印を握りしめ、祈るように胸の前で組んでいる。ルミナスは炎を睨みつけ、だがほんの少しだけ唇を噛んでいた。
俺の仲間たちが怯えている。それが何よりも、この敵の格を物語っていた。
「臆するな……!」
声を振り絞る。俺が折れたら、全員が押し潰される。
「ここで倒す! それだけだ!」
イグニスがゆっくりと立ち上がった。その大剣は、振り上げられた瞬間から火柱を纏い、広間の空気を一気に爆ぜさせる。
「見せてみよ、人の子よ。貴様らの『力』とやらを」
次の瞬間――大地が爆ぜた。
斬撃が飛んできた、ではない。
大剣を振るっただけで、広間全体が炎に包まれたのだ。石床が溶け、瓦礫が飛び散り、衝撃で俺たちは散り散りに吹き飛ばされる。
「ぐっ……!」
肩に灼ける痛み。ほんのかすっただけで皮膚が焼けた。
剣を構える暇すらなく、二撃目が来る。振り下ろされた大剣の一閃は炎の奔流となり、城壁を貫いて外の空まで焼き裂いた。
……これが、魔将。
「セージ!」
リンカの声が飛ぶ。彼女は前に出て、盾を構えて俺を庇った。だが、炎の圧力に押し潰され、膝をつく。
「っ……く、これが……七魔将の力……! 以前より遙かに」
セレスが必死に詠唱を紡ぐ。光の障壁が展開され、辛うじて炎を防ぐが、熱波だけで障壁が軋む音を立てた。
「このままでは……持ちません!」
「くっ……!」
俺は歯を食いしばった。剣を構え直す。だが、攻撃が通じる気がしない。黒鉄の鎧はまるで溶岩そのもので、熱を帯びて輝いていた。
「――なるほど。まだ立つか」
イグニスが笑った。その笑いは鉄を焼き切る音のように、耳に痛い。
「だが人の子よ。貴様らの刃は、この烈火を越えられぬ」
圧倒的な力――。
それでも、退くわけにはいかない。
『……セージ君、見えたわ! 鎧の関節部、熱の流れが不均一。あそこが弱点よ!』
リンカの【分析】スキルが発動し、イグニスの赤熱する鎧に淡い光が走った。脆い箇所が輪郭を浮かべる。
「よし、頼んだ。僕が前を引き受ける!」
「了解っ!」
リンカは双剣を腰に収め、弓を引き絞った。銀狐族特有の俊敏さで高所に駆け上がり、炎の壁を射抜くように矢を放つ。
矢が浄化の光をまとい、一直線にイグニスの鎧の隙間へ突き刺さった。轟音とともに炎が弾け、火流の一部が弱まる。
「小癪な……!」
イグニスの目がギラリと赤熱し、怒声と共に火柱が奔った。
だが、リンカは怯まない。次の矢を番え、弱点を正確に狙い撃つ。
「セージ君! 今のうちよ!」
彼女の援護が戦況を切り開く。仲間たちも息を合わせ、僕は剣を握り直した。
「よし、行くぞ! ここから反撃だ!」
「うんっ!」
リンカが弓を構えた瞬間、彼女の指先に氷の結晶がきらりと浮かぶ。
――フィーリングリンク。僕が送り込んだ魔素が、矢へと氷属性を付与していた。
銀狐族特有の鋭敏な動きと弓の速射が合わさり、炎をまとうアンデッドの群れを正確に射抜いていく。
「氷の矢が……!」
「燃えてる奴らを、まとめて貫いたぞ!」
広間の冒険者達が声を上げた。リンカの矢が命中するたび、燃え盛る肉体はジュウッと蒸気を上げて凍りつき、次の瞬間に砕け散る。
けれど、魔将イグニスは一歩も退かない。
大剣を振り下ろすたび、爆炎が奔流のように押し寄せる。
熱気で息が焼けそうになった瞬間――。
「【聖障壁】!」
セレスが両手を広げた。光の壁が展開し、僕と仲間達を包む。
炎が衝突した瞬間、轟音と共に結界が軋むが、崩れはしない。
「ご無事ですか、リンカ様!」
「……ありがとう、セレス! 助かったわ!」
彼女の声は震えていたけれど、その眼差しは真っ直ぐだった。
聖女の祈りが光となり、灼熱の嵐を押しとどめている。
「小癪な……!」
イグニスが唸り、大剣を振り上げる。その軌跡に赤黒い火柱が連なった。
広間全体が灼熱地獄に変わる。
「ルミナス!」
「了解。ノヴァ・インフェルノ!」
彼女の両手から、爆発的な炎が放たれる。イグニスの火柱に拮抗し、空間の中央で二つの火流が激突する。
轟音、衝撃、そして炎の奔流の中――リンカの矢が煌めいた。
氷を宿した一矢が火流を裂き、イグニスの鎧の隙間に突き刺さる。
「ぐぬ……っ!」
赤熱した鎧にひびが走る。
魔将の瞳がギラリと光り、僕を見据えた。
「今だ、セージ君!」
「任せろ!」
僕は剣を構え、足に力を込める。
セレスの光が揺らぎ、リンカの矢が空を切り裂く中――僕は突き進んだ。
「――【重ね斬り】!」
連続する光刃が鎧を叩きつけ、火花と共に灼熱の衝撃が弾け飛ぶ。
イグニスの咆哮が広間を震わせた。だが、その声には明らかな怒りと――わずかな警戒が混じっていた。
――届いている。
僕たちの一撃は、炎の魔将にすら確かに通じているんだ。
「行こう! ここで絶対に止める!」
握る剣に力を込め、仲間へと叫んだ。
イグニスの炎が奔流のように押し寄せ、王城の大広間全体が灼熱に包まれた。立っているだけで肌が焼けるようで、息を吸うのも苦しい。
「――っ、熱い……!」
思わず声が漏れる。けれど僕たちは一歩も引かない。
セレスが両手を掲げ、聖なる光の結界を展開する。
「《セイクリッド・シールド》……どうか、この身に代えても皆さまをお守りいたします!」
白金の光が、襲い来る炎を押しとどめた。結界は揺らぎながらも、まだ持ちこたえている。
その隙を縫って、リンカが弓を構えた。銀狐族の鋭敏な耳が微かな隙間を捉える。
「セージ君、魔力を少しちょうだい!」
「ああ、任せろ!」
フィーリングリンクを通じて、僕の魔力が彼女へ流れ込む。リンカの矢が氷の輝きを帯びた。
「――氷を纏え、《フロスト・アロー》!」
放たれた矢は炎の中を一直線に駆け抜け、イグニスの鎧をかすめた。火花と蒸気が上がる。
「くっ、通じない……!」
炎が爆ぜ、前に出られない。歯噛みする僕に、ルミナスが横から一歩進み出た。
「セージ……ルミナス、いま、やる」
短い言葉に力がこもる。彼女は両手を掲げ、冷気を纏わせる。
「《アイス・ランス》!」
鋭い氷槍が複数、炎を切り裂くように飛び出した。しかし、イグニスの周囲で一瞬にして蒸発してしまう。
「まだ足りない……ルミナス、もっと力、必要」
額に汗を浮かべながらも、彼女は諦めていなかった。
僕は剣を構え直し、全身に力を込める。
(そうだ……ここで押し負けるわけにはいかない。ルミナスに僕の魔力を貸して、奴の炎を打ち破る……!)
炎と氷がぶつかり合い、空間が唸りを上げる。
セレスの結界はひび割れ、リンカは次の矢を番えて狙いを絞っている。
そしてルミナスの目は決意に燃えていた。
仲間の心が、僕を突き動かす。
「行くぞ……連携で、この烈火を打ち崩す!」




