ダータルカーンの光と影
僕たちは迷宮から戻ったあと、冒険者ギルドに顔を出していた。
依頼の報告を済ませ、戦利品の精算をしていると、掲示板には王都から流れてきた新しい依頼や噂話が次々と貼り出されていく。薄暗い石造りのホールには、ざわつく冒険者たちの声と酒の匂いが混じり合い、緊張と倦怠が同居していた。
「……王都、また徴税が強化されたらしいな」
隣でジョッキを傾けていた冒険者が吐き捨てるように言う。その言葉には疲れと苛立ちがにじんでいた。
「教団の上層部が『平和維持費』って名目で金を吸い上げてるんだ。逃げてきた商人たちがダータルカーンに流れ込んでるよ」
ギルド長が低く重い声でそう付け加える。苦々しい表情は、この町もまた他人事ではないと告げていた。
リンカは耳をぴくりと動かし、声をひそめて呟いた。
「やっぱり……教団、ただの宗教じゃなさそうね」
その一言に、周囲の雑音が一瞬遠ざかるように感じられた。張りつめた空気が指先まで伝わり、僕は黙って頷くしかなかった。言葉よりも冷たい予感が胸を重くし、思わず拳に力が入る。見えない歯車がじわりと動き出し、いつもの日常の皺が一枚ずつ剥がれていくような気分だった。
帰りに立ち寄ったミルミハイド商会では、帳簿の紙端が折れ曲がるほど山積みになっており、エリスがその山を前に鋭い声を張り上げて商人たちへ指示を飛ばしていた。彼女の声は帳場の雑踏を切り裂く刃のようで、皆が自然と動きを速める。
「セージ様、こちらへ! 戦利品の換金額はすでに準備してございます。……ただ、王都方面からの物流が滞り始めておりまして」
言葉の最後に込められた“ただし”が、数字以上の重みを持って胸に落ちる。物資の流れが止まるということは、この町と外界を繋ぐ筋が薄くなるということだ。エリスの表情に一瞬だけ影が差し、普段の毅然さとは別の懸念が走るのを僕は見逃さなかった。
「やっぱりそうか」
短いやり取りの中にも、腐敗と教団の影響がじわじわと町に迫ってきている現実を突きつけられる。胸の奥で不安が鈍く膨らみ、背筋にかすかな冷えが伝わった。目に見えぬ敵の存在が、いつの間にか日常の端にまで浸食していることを実感する。
その日の夕刻。街路を歩いていると、元気な足音が近づいてきて、数人の子供たちが駆け寄ってきた。顔には黒土と興奮が混ざり、瞳は純粋な好奇心で輝いている。
「ねえ、光のお姉ちゃん! この前助けてくれてありがとう!」
「すごかったんだよ! あの光でアンデッドが消えたんだ!」
はしゃぐ声に周囲の空気がふっと和らぎ、通行人の口元も思わず緩む。セレスは驚きで足を止め、頬が上気しながらも慌てたように微笑み返す。
「わ、わたくし……そんな、大した者ではありません。ただ、皆さまを守りたかっただけで」
その微笑みの奥に見え隠れする戸惑いは、彼女が抱える重みを物語っていた。子供たちの無邪気な賞賛は温かい反面、同時に灯台のような存在を晒す危険性もはらむ。
セレスは一瞬、周囲を見回してから、小さな声で「どうか、これ以上は」と自分に言い聞かせるように呟いた。その表情には、祝福と恐れが共存していた。
子供たちが元気に駆け去った後、彼女の顔には不安の影が落ちた。
「……もしもわたくしの存在が町の人々に知られれば、教団の者たちがこの町を狙うかもしれません。そうなれば……」
僕は即座に首を振る。
「大丈夫だ、セレス。僕らが守る。それに、君が人々に希望を与えられることは悪いことじゃない」
リンカも彼女の肩に優しく手を置いた。
「そうよ。セレスちゃんが気に病むことじゃないわ」
「ん……心配、いらない。セージと、ルミナス、いる」
ルミナスも短く、しかし力強く言い切る。
セレスは小さく目を潤ませ、かすかに頷いた。だがその温かな輪の外、路地の奥では別の視線が彼女を射抜いていた。
教団の紋章を忍ばせた外套の男が、小声で呟く。
「……確かにあの娘。報告通りだ。やはり聖女はここに」
次の瞬間、男の姿は闇に溶け、誰も気づかぬまま消え去った。
僕たちは何も知らず、次の迷宮探索へと準備を進めていく。
◇◇◇
冒険者ギルドの会議室に呼ばれた僕たちは、重苦しい空気の中でギルド長と幹部たちの顔を見渡した。
「今回の件、教団が関与している可能性は極めて高い。正式に調査と討伐を依頼したい」
ギルド長の言葉に、周囲の冒険者たちがざわめきを隠せない。
セレス――いや、セレスティアは静かに一歩前へ出て、深く頭を下げた。
「わたくしも微力ながら……皆さまと共に戦わせていただきます」
その毅然とした声に、場の空気がわずかに引き締まる。
僕たちはミルミハイド商会に立ち寄り、エリスの的確な采配のもと必要物資を揃えた。
「セージ様、こちらにご用意した回復薬と浄化アイテムをお持ちください。今回は長丁場になるかもしれませんわ」
山積みの荷を前に、エリスの瞳は一片の迷いもなかった。準備は滞りなく進んでいく。
セレスには、先日渡した腕輪型マジックアイテムを改めて装着させた。
見た目はただの栗色の髪の少女――誰も彼女を“聖女”だと気づく者はいない。
「これなら安心ね」
リンカが柔らかく微笑む。
「ん……セレス、変わった。でも、似合う」
ルミナスも小さく頷いた。
セレスは少し頬を赤らめ、かすかに微笑んで答える。
「ありがとうございます……これで、皆さまの足を引っ張らずに済みますわね」
翌朝。僕たちはギルドを通じて正式依頼を受諾し、迷宮へと向かった。
入口には監視員が緊張した面持ちで立っており、声を潜めて報告を寄せる。
「中層以降、通常の魔物だけでなく、組織立った行動をとる人型の敵影が確認されています。恐らく教団の尖兵かと」
僕は剣の柄を強く握りしめ、仲間たちを見渡した。
「よし、ここからが本番だ。セレス、無理はするな。リンカ、ルミナス、いつも通り頼む」
「任せて」
「問題ない」
「承知いたしました。セージ様」
僕たちは紫色に脈打つ不気味な光の中、迷宮の奥へと一歩ずつ進み始めた――。
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