雷光一閃
夜風がざわめき、庭の木々がざわりと震えた。
月光に照らされた芝生の上、僕とマハルが向かい合う。
呼吸が張りつめ、空気が震えるほどの緊張感が場を支配していた。
リンカには先ほどエリスのもとへ一度戻ってもらった。きっともうすぐ、観客を連れて帰ってくるだろう。
わざと挑発してやった甲斐あって、マハルは肩を怒らせ、息を荒くしながらも後をついてきた。
不意打ちしてこないだけ、まだ剣士としての最低限のプライドは残っているらしい。
「先手は譲ってやる。掛かって来いよ、マハル」
「貴様ァッ、俺を馬鹿にするな!」
「馬鹿になんかしていないさ――コケにしているんだ」
「なっ……同じことだろうが!」
「そうだな、同じことだ。つまり、俺はお前を心底軽蔑しているってことだ」
「貴様あああああっ!」
怒鳴り声が夜空を裂く。ああ、本当に煽り耐性がない。
昔からそうだった。訓練中にいくら注意されても治らなかった悪癖。
剣の腕は確かにある。だが怒りに任せるせいで、その力を正しく発揮できない。
兄である僕が相手だと、その短所はさらに露骨に表れる。
「セバス、勝負の合図を頼む」
「畏まりました、セージ様」
「セバスッ! なぜこいつに様付けをする! 主人は俺だろう!」
「いいえ。今の主人はセージ様です。あなたの命令は、もはや届きません」
「なっ……!」
マハルの顔が真っ赤に染まる。
僕は小さく笑い、肩をすくめてみせた。
「言っただろう? セバスは俺の支配下にある。何を言っても無駄だ」
「どんな手を使った……セバスほどの男を服従させただと!」
「そんなことより、目の前の勝負に集中しろよ――お坊ちゃん」
「ぬぐっ……!」
剣士の癖を知り尽くしているからこそ、挑発はよく効く。
さて、リンカが戻るまで、時間を稼ぎながら戦うとしよう。
「それでは両者、尋常に――」
「つぁああああっ!」
セバスの合図が終わる前に、マハルが突っ込んできた。
剣に炎をまとわせ、土を蹴り上げる。夜の闇を灼き、赤熱の光が僕に迫る。
「死ねえええ!」
速い――。
以前の僕なら、ただそれだけで首を落とされていただろう。
だが今は違う。視界が鮮明に捉える。動体視力がすべてを見抜く。
「……ふっ」
引きつけ、最小限の動作で剣の腹を手で弾いた。
力の込めすぎたマハルの剣が空を切り、体勢が崩れる。
「なっ――」
僕は柄で後頭部を殴打した。急所は外し、肩口に近い部分にだけ力を込める。
「ぐはっ!」
マハルの体が土を噛み、地面を転げていった。
だが、これで決着をつける気はない。
不意打ちで倒しても、奴は決して負けを認めない。逆に不正を叫ぶだろう。
だから、叩き潰すには本人が心から敗北を悟るしかない。
「ぐっ……くそっ……!」
マハルは立ち上がると、炎を纏わせた剣を振り回し始めた。
剣閃と共に熱風が顔をなぶり、芝が焦げる。
「炎神無双ッ! だだだだだああああ!」
「ふっ、はっ、とっ!」
凄まじい連撃。型自体は正しい。剣神スキルの補正もあるのだろう。
だが、怒りに任せて直線的な攻撃を繰り返すその剣は、僕には遅すぎる。
ただ避ける。体を滑らせ、最小限の動きで刃を外す。
「なぜだッ! なぜ当たらないッ!」
マハルの咆哮が虚しく夜に溶けた。
焦りと疲労が蓄積し、次第に動きが鈍る。
僕はスキルを使っていない。ただ、素の身体能力だけで対応していた。
(体力も、動体視力も、ここまで向上していたのか……)
マハルの剣は、次第に空を切るばかりになる。
「どうしたお坊ちゃん。その程度か?」
「くそっ……くそっ……!」
僕は畳みかけず、静かに彼を見つめ続けた。
怒りを鎮め、冷静さを取り戻させるために。
真正面から負けを認めさせなければ意味がない。
「剣神スキル持ち様は、その程度か? もっと色んな技を出してみろよ。……まさか、この二ヶ月で新技ひとつ編み出せてないのか?」
「な、めるなああああああッ!」
ロングソードに青白い光が走った。雷だ。
炎から雷へ――攻撃の性質を切り替えてきた。
「シャインスパークソード!」
瞬間、視界からマハルが消えた。
だが僕の目は追っている。剣を横に構え、腹で受ける。
――ギャリギャリギャリィイイ!
「っ……!」
火花と共に焦げ臭い匂いが鼻を刺す。
僕は受け流し、マハルの体を弾き飛ばす。彼は反転し、蹴りを放った。
「おっと」
「チィッ!」
とうとう剣以外の技も使うようになったか。ようやく冷静さが戻ってきた証だ。
「ふぅ……貴様、なぜ攻撃してこない」
「ようやく血が下がったか」
「俺が冷静さを取り戻すまで……待っていたというのか」
「そうだ。これは真剣勝負だ。お前は俺を殺すつもりなんだろう?」
「当たり前だ……徹底的に苦しませてから殺してやる!」
「だが考えてみろ。最初の一撃をカウンターで斬っていたら――お前の首は今ごろ宙を舞っていた。俺はあえて柄で殴ったんだ。その意味が分からないほど馬鹿じゃないだろう」
「……ぐっ」
マハルが歯を噛み、顔を歪めた。
自分が既に敗北していると理解している。だが認めようとしない。
「セージくーん! お待たせ!」
「来たか」
リンカが駆けてくる。その後ろには――ミレイユ達四人のメイドたち。
マハルの愚行に最も苦しめられた彼女達だ。
「なっ……! 何のつもりだ」
「観客を連れて来てもらったんだよ。お前の愚行を、その目で見届けてもらうために」
「セージ様……!」
ミレイユ達が目を見開き、息を呑む。
「皆、見ていろ。今から僕がマハル・タブリンスを叩き潰す」
「「「「はい、セージ様!」」」」
その瞬間、胸の奥で何かが弾ける感覚があった。
視界に浮かび上がる新たなシステムメッセージ。
――――――――――
◇フィーリングリンク 総合LV7◇
【☆超自動回復】
【☆超魔力自動回復】
【☆幸運】
【☆経験値アップ】
【☆レアドロップ率アップ】
【☆ドロップレア度アップ】
【経験値共有】
【歩くと経験値蓄積】
【ストレージ遠隔共有】
【能力オーバーフロー】
【遠距離念話】
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身体が熱くなる。仲間との絆が力に変わる。
愛され、信頼されることが、これほど強い力になるとは――。
「マハル。人に愛されることの意味、分かるか?」
「ケッ……くだらん! そんなものに頼る貴様が哀れだ!」
哀れな弟よ。母に甘やかされ、愛を知らず、選民意識だけを植え付けられてきた。
彼の母――僕の継母もまた、父と同じく冷酷な人間だった。
母上も、あの女に虐げられてきた。
けれど、母上はきっと言うだろう。憎しみで戦ってはいけない、と。
(だから僕は、憎しみで剣を振らない……!)
「マハル。その歪んだ根性、兄として叩き直してやる」
僕は力を解き放つ。
体内に溜め込んだ魔力と【ためる】の力が、剣に凝縮していく。
「これで決着だッ!」
「かぁああああああっ!」
雷鳴が轟く。大気が震える。
青白い光が刃を走り、稲妻が庭を真昼のように照らした。
――――――――――
『雷光一閃を習得しました』
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「雷光――一閃ッ!!」
轟音と閃光。天地を切り裂く一撃が振り下ろされた。
稲妻が夜を白に染め、爆風が屋敷を揺らす。
「うわああああああっ!」
マハルの悲鳴。
直撃は避けた。だが雷撃は庭を薙ぎ払い、別邸の建物を半分以上吹き飛ばした。
雷光が収まったあと、焦げた匂いと静寂だけが残っていた。




