希望の光と奈落の提唱
夜が明けた。
砂の街――メルダナの上に、ようやく朝陽が差した。
ベロクを討った直後の世界は、まだ“生きている”と呼べるほど整ってはいなかった。
砂丘はうねり、建物の半分は飲み込まれたまま。
それでも――生存者たちはいた。
焼け焦げた市場の裏手。
崩れた神殿の陰から、弱々しい声が聞こえた。
「……誰か……いるのか……?」
僕は剣を収めて駆け寄る。
瓦礫の隙間に、ひとりの少年がいた。
腕の骨が折れ、服は砂にまみれている。
それでも、その目は生きる意思を捨てていなかった。
「大丈夫だ。もう終わったよ」
僕は掌をかざし、治癒の光を流す。
淡い輝きが包み、少年の呼吸が少しずつ整っていった。
「……魔物は……?」
「倒した。もうここにはいない」
「……そっか」
かすれた声と共に、少年は安堵の涙をこぼした。
その背後で、セレスが跪いて祈りを捧げていた。
彼女の祈りが地に溶けて、砂の色をわずかに淡く変える。
「この子だけでなく……他にもまだ、命の灯が残っています」
「手分けして探そう」
リンカが頷き、弓を背負い直した。
ルミナスは黙って周囲の砂を焼き払い、通路を作る。
炎は熱を持たず、ただ優しく道を照らす光になっていた。
◇◇◇
昼には、三十人ほどの生存者が見つかった。
夕方には百を超えた。
夜になるころには――メルダナの街角に、再び灯がともっていた。
その中心に、ひとりの少女が立っていた。
白銀のティアラ。蒼の法衣。
砂に汚れてもなお、気品を失わない姿。
「……王女、リシェル=ザハル様」
セレスが小さく頭を下げた。
彼女はうなずき、僕らに微笑んだ。
「助けてくださったのですね。……この国を」
「いいえ」僕は首を振る。
「僕たちは、ただ人々を守りたかっただけです」
リシェルは崩れた神殿の階段に立ち、残った民に語りかけた。
風が止み、砂の音が消える。
その声だけが、夜空に届いた。
「ザハル王国は……滅びました。
王も、神官も、そして……父も母も。
けれど――“祈り”は残りました。
神が沈黙しても、人は祈ることをやめない。
それが、私たちが生き残った理由だと思うのです」
その言葉に、沈黙が続いた。
けれど、ひとりの老人が杖を突き、立ち上がった。
「……姫様の言葉を、信じましょう」
「王女様が……おられるなら、国はまだ死んでおらぬ!」
声が重なり、夜の風が再び流れた。
セレスが胸に手を当てる。
「……これが、祈りの力。言葉が、心を繋ぐ」
僕は小さくうなずいた。
「神が沈黙しているなら――僕らが、光を掲げる番だ」
◇◇◇
夜明け前。
神殿跡の中央で、セレスが祈りの詞を紡いでいた。
リシェルと民たちが円を描き、手を取り合う。
ルミナスの炎が空に伸び、リンカの矢がその光を裂いて道を作る。
そして――
砂の中心から、ひとすじの光が芽吹いた。
小さな芽。けれど、確かに脈動している。
「これは……?」
リシェルが驚きの声を漏らす。
セレスは微笑んで答えた。
「黎明の聖樹――祈りが形になった証です。
人が希望を捨てなければ、神がいなくても“光”は芽吹く」
僕はその光景を見つめながら、胸の奥で呟いた。
「これが……“祈りの時代”の始まりか」
その夜、丘の上で焚き火を囲む。
リシェルは静かに微笑み、僕に礼を言った。
「セージ殿。あなた方がいなければ、私は絶望の中で沈んでいたでしょう」
「希望は、あなたたちが自分で生んだものです」
「でも……あなたが“ためた”想いが、私たちを導いたのです」
言葉に詰まる。
僕はただ、炎を見つめていた。
その奥で――小さな光が、脈打っている気がした。
翌朝。 黎明の聖樹の芽は、夜露を受けて淡く輝いていた。
セレスが小さく祈る。
「この光が……また新たな夜明けを導きますように」
僕は頷いた。
「きっと導く。
なぜなら――祈りは、もう誰かの言葉じゃない。
人の手で、紡がれるものだから」
東の空に、光が差し込む。
リシェルは民と共に跪き、黎明の光を仰いだ。
その姿はまるで、新しい“聖女”のように見えた。
――闇の果てに、確かな希望が芽吹いていた。
◇◇◇
闇が、音を持ってうねった。
黒砂が反転し、巨大な円卓を形づくる。
その中心には、まるで死んだ神の心臓のように、鈍く脈打つ黒結晶。
七席あった椅子のうち、四つは既に空だった。
「……また、減ったのね」
冷たい声が空気を裂く。
氷の結晶を散らしながら、白銀の女が姿を現した。
《氷刃の魔将》セレーネ。
その瞳は水晶のように澄み、しかし温度を持たない。
「ふふ……ですが愉快でもありますわね。
あなたが焚きつけた“人間ごとき”が、ここまで辿り着くなんて」
彼女の声には、皮肉とも称賛ともつかぬ響きが混じっていた。
「滑稽ね」
銀髪の女――《瞬撃の魔将》アルジーナが現れる。
黒のタイトドレスの裾を払う仕草は優雅だが、瞳は嘲りで満ちていた。
「尖兵どもが片端から潰されている。
あの“ためて・放つ”とかいう人間の力、冗談にしては面白すぎるわ」
「時間を浪費するのは嫌いなの」
アルジーナは懐中時計を指先で弄び、笑みを浮かべる。
「……けれど、“ためる”なんて行為は、私が相手すれば一瞬で無意味になるわ」
氷の靴音が鳴った。
セレーネが視線を上げる。
「あなたはいつも口だけね。未来を読むとか、時を止めるとか。
それでイグニスもベロクも救えなかった」
「氷漬けの女に言われたくはないわ」
「ふふ……凍らせてあげましょうか?」
「望むところよ」
空気が凍りついた瞬間――
低い声が、殿堂を震わせた。
「やめろ」
重厚な音とともに、大地が割れる。
暗闇の奥から、鎖を引きずる巨体が姿を現した。
石膚に無数の裂け目を刻みながら、《奈落の魔将》ダゴンが歩み出る。
その声は、地鳴りそのものだった。
「……言葉は不要」
それだけ言い、巨腕を円卓の中央に置く。
その手のひらには、ひとつの結晶――ベロクの残骸。
セレーネとアルジーナが、わずかに息を呑む。
「……ベロクの“神核”……?」
「……喰らうことに溺れ、最後は光に呑まれたか。滑稽な最期ね」
ダゴンはその言葉にも動じず、ただ低く言った。
「イグニス、ヴァルナ、ラミエル、ベロク。
四将、滅んだ。……もはや我らは残り三。
このままでは、“終わる”」
その声は静かだったが、地を割るほどの圧を持っていた。
「……提案する」
ダゴンは立ち上がり、暗黒の空に向かって言葉を放つ。
「総力を結集し、人間どもを滅ぼす。
“奈落戦域”を開き、サッカス湿原より進軍する」
セレーネの瞳が細められる。
「総力戦――? 本気で言っているのですか?」
「愚かね。人間どもがそれを察知すれば、すぐに防衛線を築くわ」
アルジーナが冷笑を浮かべた。
だが、ダゴンは動じない。
「問題ない。……奴らは、“祈り”に縋る。
創造神は沈黙した。もはや信仰に意味はない。
恐怖だけが、世界を支配する」
「……ふふ」
セレーネの唇が冷たく歪む。
「いいでしょう。氷が裂ける音を、もう一度聞かせてあげますわ」
「私も興味があるわ」
アルジーナが時計を閉じる。
「“ためる”という概念そのものを、時の底に沈めてあげる」
ダゴンが一歩前に出る。
巨体の足が闇に沈むたび、黒砂が地響きを立てる。
「ならば――決まりだ。
サッカス湿原に、“魔の連合軍”を集結させる」
その瞬間、黒結晶が強く脈打った。
かつて神が祈りを交わした殿堂が、再び“戦いの聖域”へと変貌していく。
セレーネが冷たい笑みを浮かべた。
「……では、開演ですわね。
人間共に“絶望の氷”を見せて差し上げましょう」
アルジーナの唇が艶やかに動く。
「時間の針は進む。――終焉の時へ」
そしてダゴンが最後に呟いた。
「奈落、開門」
闇が、世界の底を割った。
~第6部 完~




