祈りの真名「ルミナリエ」
夜明けは、やけに静かだった。
砂の街の残骸が、朝日に照らされて赤く光る。
風はまだ熱を運んでいたが、どこか遠くで鳥の声が聞こえた。
「……戻ってきたね」
リンカが弓を背負いながら息をつく。
その横で、ルミナスが砂を払って座り込んでいた。
「喉、痛い。空気、まだ喰われてる」
「砂の成分が変わってるんだ。祈祷陣の影響だろう」
僕は短く答え、地面に手をついた。
砂の下には、まだ熱が残っている。
まるで、地下のあの反転陣が今も“息をしている”みたいだった。
「セージ様」
セレスが小さく呼ぶ。
彼女の手には、焦げた聖典。
地下で拾い上げた、黒砂の祈祷書の一部だった。
「この書……“反転祈祷”の原文が残っています」
「読めるのか?」
「ええ。少し崩れていますが、聖語の形跡が。
ただ……ところどころに、見たことのない単語が混じっていて」
セレスは指で文字をなぞる。
黒い線が、光に触れるたびに淡く揺れた。
「“祈りの真名”――ルミナリエ」
「ルミナリエ?」
リンカが首を傾げる。
「どういう意味?」
「おそらく、“祈りの核”を指す言葉です」
セレスの声が静かに響く。
「祈りという行為そのものには、発音できない“本質”がある。
それを古代では、“ルミナリエ”――光の名、と呼んでいたのかもしれません」
「光の……名」
ルミナスが小さく呟く。
その声には、どこか懐かしさが混じっていた。
「セレス、それはどう使える?」
僕が問うと、彼女は聖典を胸に抱いたまま頷いた。
「反転祈祷陣は、“祈り”の形を反転させて呪いに変える仕組みです。
ならば――“名前”を持つ祈りは、反転できない」
「つまり、“ルミナリエ”を通せば、あの陣の反転効果を上書きできる?」
「はい。ですが、問題があります」
セレスの表情が曇る。
「ルミナリエは、通常の祈りでは発動できません。
“人の祈り”と“神の祈り”を繋ぐ媒介が必要です」
「媒介……?」
リンカが眉をひそめる。
「それってつまり――」
「……セージ様の【ためて・放つ】です」
セレスがはっきりと答えた。
「祈りを“ため”、想いごと“放つ”。
それこそが、神に近づく唯一の力です。
あなたのスキルが、“神の祈り”の形式に一番近い」
僕は短く息を吐いた。
たしかに、あの空間で感じた“反転”は、祈りを逆に流していた。
ならば、“正しい祈り”を放つことで打ち消せる可能性はある。
「セージ君」
リンカが笑う。
「なんかもう、神様相手でも勝てそうだね」
「勝つんじゃない。正すだけだ」
僕は空を見上げた。
夜明けの光が砂を照らし、まだ黒ずんだ街を少しずつ照らしていく。
「……祈りを取り戻す」
その言葉を、誰に聞かせるでもなく呟いた。
セレスが微笑む。
「“光の名”――ルミナリエ。
この祈りを正しく紡げれば、きっと闇を祓えます」
彼女の指先から、小さな光が零れた。
それは炎でも魔力でもなく、ただ“祈り”だった。
淡く、静かに――砂の上で灯る。
ルミナスがその光を見つめながら言う。
「祈り、溜める。……放つ。
セージ、あなたのスキル、やっと本当の意味に近づいてる」
リンカが軽く笑った。
「じゃあ決まり。次は、祈りを“武器”にしてやろう」
僕は頷いた。
風が吹き抜け、光が揺れる。
黒砂の影はまだ遠くに蠢いている。
だが、今度は――こちらが“光を喰わせる番”だ。
セレスは聖印を広げ、ルミナスは静かにその光を見つめている。
リンカは矢を磨きながら、いつでも援護できる位置にいた。
この夜は、ただの夜じゃない。
――祈りを“ためる”という未知の試みを、今ここで行う。
「セージ様」
セレスが振り向く。
その顔は、いつもの祈りの時とは違っていた。
覚悟を宿した聖女の眼。
「これから私が詠唱するのは、“祈りの真名”――ルミナリエ。
ですが、この言葉は単体では意味を持ちません。
あなたのスキルを媒介に、“ためる”必要があります」
「……分かった。合わせるよ」
僕は目を閉じ、呼吸を落とす。
頭の中に、無数の“光の粒”が浮かび始めた。
それは、これまでに救った人々の笑顔、仲間の声、そして――失われた命の記憶。
セレスの声が、静かに響く。
「――ルミナリエ・インヴォーク」
聖句が空気を震わせる。
祈りというより、歌に近い。
けれど、その旋律には確かな“想い”があった。
胸の奥に、何かが流れ込む。
それは魔力でも力でもない――“感情”だ。
〈祈りストック:4000/4000〉
〈共鳴率:上昇〉
〈想念同期:安定〉
心臓の鼓動が、セレスの鼓動と重なる。
音がひとつに重なり、世界が透き通る。
「セージ様、感じますか?」
「……ああ。
これは、“祈り”じゃない。
……“共鳴”だ」
僕はゆっくりと目を開く。
周囲が光に包まれていた。
光はただの輝きじゃない。ひとつひとつが“人の願い”そのもの。
「祈りは言葉ではなく、心そのものです」
セレスの声が、風に溶けるように柔らかく響く。
「あなたのスキルが、“ためる”という行為の中で、
この想いを“形”に変えてくれます」
――想いを、ためる。
それは力を溜めるよりも、ずっと繊細で、危うい行為だった。
ためるほどに、心が痛む。
誰かの悲しみや、無念や、祈りが流れ込んでくる。
だが、逃げなかった。
僕はそのすべてを、受け止めることを選んだ。
〈祈りストック:限界突破 4000/4000 → 8000/8000〉
〈スキル進化:共鳴祈装〉
世界が震えた。
焚き火の炎が弾け、風が止まる。
セレスが目を見開く。
「……成功、です。
セージ様のスキルが、“想い”を扱えるようになりました」
「これが……ルミナリエの本質か」
僕は掌を見つめた。
そこに宿る光は、炎でも雷でもない。
“願い”そのものだった。
ルミナスが静かに言う。
「それ、きれい。……でも、重い光」
「そうかもな」
僕は小さく笑う。
「これは“誰かの祈り”の重みだ。軽いはずがない」
リンカが弓を掲げる。
「じゃあ――その光で、反転を打ち抜こう」
「……ああ。次は、光を喰う者を、祈りで喰う」
朝日が昇りはじめる。
砂の海の向こう、かすかに黒砂の影が揺れた。
“反転の主”が、次の動きを見せる前兆のように。




