歪む微笑
「人の子よ。己の正義を掲げ、何を断つ?」
低く、澄んだ声。
けれど、その一言だけで空気が変わる。
風が止まり、光がねじれる。
まるで世界そのものが、この存在のために跪いたかのようだった。
「……ラミエル」
僕はその名を口にし、剣を抜いた。
刃が青白い光を帯び、仲間たちの顔を照らす。
「お前の仕業だな。人を魔に堕とし、魂を喰らい、世界を染めようとしている」
「仕業? 違う。これこそが、“救済”だ」
ラミエルは片手を広げた。
空気が震え、祭壇の壁から黒い血管のようなものが伸び出す。
「人は弱い。苦しみ、嫉み、恐れ……やがて自らを壊す。
だからこそ、私が“統べる”。血と魂を一つにし、痛みなき永遠を与える」
「永遠だと?」
アテンさんが剣を構え、前に出た。
「それは生ではなく、停滞だ。――人を縛る鎖に過ぎん!」
ラミエルの瞳が赤く輝く。
「ならば証明せよ。貴様たちの“光”が、我が翼を超えると」
次の瞬間――。
血翼が羽ばたいた。
轟音と共に、空間全体が反転する。
床が歪み、天井が沈む。まるで重力そのものがねじれたように。
「くっ――!」
ザークさんが盾を構え、仲間を庇う。
「重力の反転!? こいつ、空間を支配してやがる!」
「セージ君、下がれ!」
アテンさんの声と同時に、ラミエルが剣を振る。
赤い刃の軌跡が空を裂き、衝撃波が走った。
「《フロスト・バリア》!」
フェンネルの詠唱が重なる。
氷の結界が展開され、紅い斬撃を弾いた。
だが、その衝撃で壁面が砕け、瓦礫が降り注ぐ。
「お返し――《ノヴァ・インフェルノ》!」
ルミナスの手から、灼熱の炎が吹き上がった。
広範囲に燃え広がり、空間を一気に熱で染め上げる。
炎が血翼を焼き、黒煙が巻き上がる。
「まだよ!」
フェンネルが続けて詠唱。
「《オーロラ・ストーム》!」
炎と氷の嵐が交錯し、渦を巻く。
その中心で、ラミエルの姿が霞んだ――
だが、次の瞬間。
「美しい……だが、浅い」
ラミエルが片手をかざす。
炎と氷の渦が逆流し、彼の背から生えた無数の血翼に吸い込まれた。
赤光が迸る。
吸収した魔力が変換され、光線となって放たれる。
「セレス!」
「――《ホーリー・リストレーション》!」
セレスが両手を広げ、神聖の光を放つ。
聖域のような結界が展開され、ラミエルの波動を受け止めた。
しかし――。
光と闇がぶつかり、轟音が鳴り響く。
セレスの祈りの光は弾かれ、弾け散った。
「くっ……! 効きません……!」
セレスが苦悶の表情で跪く。
「なぜだ……!? ラミエルの呪いなら、聖光で――!」
僕が叫ぶと、彼女は顔を上げた。
「これは……魂ではなく、存在の構造そのものを歪める神位干渉です!
“浄化”では届かない……!」
「つまり、神の呪い……!」
アテンさんが歯を食いしばる。
ラミエルが微笑む。
「そう。私を救う神は、もういない」
次の瞬間、血翼が再び広がった。
地面に刻まれた血紋が一斉に輝き、光の柱が立ち上がる。
「セージ君!」
アテンさんが叫ぶ。
「ここは時間を稼ぐ! 君は“核”を探せ!」
「分かりました――!」
僕は【フィーリングリンク】を発動。
仲間たちの魔力と意識を繋ぎ、空間全体の流れを読み取る。
光と闇、熱と冷気――その狭間。
わずかに“脈動”を感じる場所があった。
(あそこだ……ラミエルの結界の心臓部!)
「見つけた!」
僕は剣を構え、仲間たちの方を振り返る。
「皆、信じてくれ――僕は、そこを断つ!」
「行け、セージ!」
リンカが叫び、弓を引き絞る。
「【鳴神一矢】――!」
雷光がラミエルの注意を逸らした。
「ルミナス!」
「了解。《ファイヤ・ランス》!」
炎の槍が一直線に走り、ラミエルの前方を焼く。
僕はその一瞬の隙に飛び込んだ。
剣が光を纏い、空気が震える。
心臓の鼓動が速まる。
(ためて――放つ!)
全身に集めた力が一気に爆ぜる。
剣の軌跡が残光を引き、血紋の中心を断ち割った。
瞬間、祭壇全体が崩れ始める。
血の流れが逆流し、天井の光が砕けた。
「……ほう」
ラミエルが微笑む。
「よくもここまで――だが、“終焉”はまだ始まってすらいない」
赤い翼が爆ぜ、空間が裏返る。
次の瞬間、ラミエルの姿は空中へと浮かび上がった。
その背に――さらに大きな、黒い翼が生えていく。
崩れ落ちる血の祭壇の中、
ラミエルの体がゆっくりと空へ浮かび上がっていく。
白金の鎧が砕け、血の羽が広がる。
赤光が形を変え、翼は六枚へと増えた。
空気が震え、重力がねじれる。
その瞬間、僕の皮膚が痛みを覚えるほどの魔素圧が空間を満たした。
「……これが、第二形態」
フェンネルが息を呑み、顔を引き攣らせた。
「完全に神位級よ……! この規模、もう生物の域じゃない!」
もうオメガクラスとかそう言う内訳すら意味をなさない。
ルミナスが短く呟く。
「堕天。……でも、美しい」
その瞳には、敵を前にした緊張と、どこか寂しげな哀しみが滲んでいた。
「美しいかどうかはともかく……来るぞ!」
アテンさんの声が響いた。
――刹那。
ラミエルの六翼が広がり、全方向に光の刃が放たれる。
避ける間もなく、地面が抉れ、壁が砕けた。
「《フロスト・バリア》! 《ホーリーシールド》!」
フェンネルとセレスの詠唱が重なり、氷と聖光の二重防壁が展開される。
光刃がぶつかり、爆音が空間を揺らした。
「リンカ、左から射線を取れ!」
「了解――【流星穿破】!」
銀光の矢が無数に放たれ、ラミエルの翼を貫く。
だが、すぐに再生。血の羽が新たに生まれ、攻撃がかすり傷にもならない。
「無限再生……!」
セレスが息を呑む。
「魂の核が外にある。どこかに、“器”が……!」
「なら探る!」
僕は【アナライズ】を展開し、魔力の流れを探る。
視界の奥に、脈打つ光の筋が見えた。
――祭壇の奥、血の繭の内部。そこに、心臓のような魔核が脈動している。
「見つけた……!」
「セージ君!」
アテンさんの声が飛ぶ。
「行け! 我々がここを押さえる!」
ザークさんが盾を構え、轟音と共に地を叩く。
「【大地震圧】――!」
衝撃波が走り、ラミエルの注意を引きつける。
その間に僕は駆け出した。
――【ためて・放つ】。
全身に流れる魔素を一点に収束させる。
だが、ラミエルの視線が僕を捉えた。
「……愚かなる者。光を超えようとする影が、何を掴む?」
六翼が広がり、天から無数の血槍が降り注ぐ。
「【ウィンド・スラッシュ】!」
僕は風の斬撃でそれを弾き飛ばす。
だが、数が多すぎる。
「ルミナス、援護を!」
「了解。《スパークエクスティンクション》!」
雷のドームが展開され、血槍を焼き払った。
光と雷が交差し、空間が眩しく染まる。
ルミナスの魔力が一瞬、僕の体に共鳴する。
――フィーリングリンク。
互いの力が混じり合い、限界を超えた感覚が広がった。
(これなら……届く!)
「――【共鳴連斬】!」
僕は雷光を纏い、一気に地を蹴る。
刹那、視界が光に包まれた。
ラミエルの胸を貫く一閃――だが。
その体が割れると同時に、無数の羽が爆ぜ、血が宙に舞う。
そこから、さらに巨大な“翼”が生まれた。
黒と白の混ざった異形の双翼。
その中に、何百という“顔”が浮かんでいる。
「……人の魂だ」
セレスの声が震える。
「捕らえられ、融合されて……!」
ラミエルが静かに笑った。
「これが、人の願いの果て。
救われたいと叫び、依り代を求めた末の、“集合の祈り”だ」
「ふざけるな!」
僕は怒りに任せて叫ぶ。
「誰も、そんな救いを望んじゃいない!」
ラミエルの目がわずかに細まる。
「ならば見せてみよ。影に呑まれぬ光を――」
その瞬間、空間が完全に暗転した。
血と闇が渦を巻き、視界が奪われる。
あらゆる音が遠ざかり、僕の意識が霞んでいく。
(……これは……)
瞼の裏に、仲間たちの姿が浮かぶ。
リンカの微笑み。ルミナスの無表情な優しさ。セレスの祈り。
みんなが――僕を信じている。
闇の中で、剣が光を帯びる。
それはまるで、仲間たちの想いそのもののように。
「――放つ!」
光が爆ぜ、空間を裂いた。
闇が焼き尽くされ、ラミエルの顔が苦痛に歪む。
「貴様、その力は……!」
「僕たちの、絆の力だ!」
◇◇◇
光が収まった時、祭壇の一角が崩れ落ちていた。
ラミエルは膝をつき、翼の一部を失っている。
だが、瞳の奥にはまだ余裕が残っていた。
「……面白い。ならば、次は“私”の番だ」
その声と共に、天井が赤く染まる。
血の雲が渦を巻き、空間そのものがねじれていく。
地上では見たこともない規模の“降臨陣”が形成されていた。
「これが……本当の姿か……!」
アテンさんが歯を食いしばる。
ラミエルが、完全に――“堕天”した。




