血呪の真実
国境沿いの街道をしばらく進むと、ひっそりとした集落が見えてきた。
森に囲まれた小さな村――しかし、人の気配は薄く、風が抜ける音ばかりが耳に残る。
(……静かすぎる。まるで、息を潜めているみたいだ)
僕が歩を緩めると、隣を進んでいたアテンさんが短く頷いた。
「慎重にいこう。この辺りは……先日の巡回でも異様な気配があった」
ルミナスが髪を払い、低く呟く。
「匂い。血と、焦げ。……混じってる」
彼女の嗅覚が告げる言葉に、背筋が冷たくなる。
リンカが弓を構え、耳をぴくりと動かした。
「……物陰から、視線を感じる。村人……? それとも」
セレスが前へ出て、両手を組む。
「――安心してください。私たちは敵ではありません」
柔らかな声が広がると、ようやく民家の影から人影が姿を現した。
痩せた老人と、その後ろに怯えた子供たち。
その顔は憔悴しきっていて、ただ生き延びることで精一杯だと物語っていた。
「……冒険者様か……?」
老人の声は震えていた。
「なら、どうかお聞きくだされ。夜ごと……血に染まった魔法陣の光が、森の奥で……」
僕は胸の奥がざわつくのを感じた。
(やっぱり……煉獄の騎士団が調べていた“血の紋様”。ここでも同じ現象が……)
アテンさんが真剣な声で老人に問いかける。
「詳しく話していただけますか。形は? 色は?」
「赤黒い光で、まるで血を撒き散らしたような……。そして、そこから――人が、魔に堕ちていったのです……」
老人の言葉に、場が一瞬凍りついた。
セレンがそっと目を伏せ、祈るように言葉を紡ぐ。
「やはり……人を魔物に堕とす呪術。これは、七魔将に連なるものです」
僕は剣の柄を握り、仲間に視線を送った。
「……もう見過ごせない。証言を確かめに、森に入ろう」
フェンネルが軽く杖を掲げ、青い髪を揺らした。
「了解。セージちゃん、今回は一緒に調べよっか。もし敵が出るなら、派手に凍らせてあげるわ~」
ザークが重い盾を背負い直し、口角を上げる。
「おうよ! 村人たちの目の前で派手に暴れたら、少しは安心するだろうぜ!」
シズカは目を細め、真剣に村の周囲を見渡した。
「罠があるかもしれぬ。拙者、先行して索敵いたす」
彼らの頼もしさに、胸の奥の不安が少しだけ和らぐ。
それでも、老人の怯えた瞳が脳裏に残り続けていた。
(人を魔に堕とす術……。これ以上、犠牲者を出させはしない)
僕は深く息を吸い、静かに告げた。
「行こう。――ここからが本番だ」
村人の証言を頼りに、僕たちは森の奥へと足を踏み入れた。
昼だというのに、枝葉が陽光を遮り、薄暗さが辺りを覆っている。風の流れも妙に重く、肌にまとわりつくような冷たさがあった。
(……嫌な気配だ。血の匂い……ルミナスが言っていたのは、これか)
ふと視線をやれば、木々の根元に染みついた赤黒い跡が目に入った。まだ乾ききっておらず、まるで生き物のようにぬめりを帯びている。
「セージ様……」
セレスが不安げに僕の背を見つめ、胸の前で祈りを結ぶ。
「この瘴気、ただの魔物のものではありません。人の……苦悶と怨嗟が、混じっております」
アテンさんが険しい表情でうなずき、剣の柄に手を添えた。
「やはりか。ここで何かが行われたのは間違いない……」
その時だった。
「グルルル……」
茂みの奥から、黒い影が這い出てきた。
人間の形をしている――だが、その眼は真っ赤に濁り、腕には硬質な鱗が浮かんでいた。
村人が言っていた「魔に堕ちた者」。その成れの果てが、いま僕らの前に立ちはだかっていた。
「っ……もう、人じゃない」
リンカが矢を番え、悲痛な声で呟いた。
次の瞬間、魔に堕ちた者たちが一斉に飛びかかってきた。
「来るぞ!」
僕は剣を抜き放ち、最前に躍り出た。
「【重ね斬り】!」
刃が閃き、迫る敵の身体を幾度も切り裂く。黒い血が飛び散り、木々に焼け付くような臭気を残した。
背後からはルミナスの声。
「……《オーロラ・ストーム》」
風と氷が混じり合い、渦巻く嵐となって敵を吹き飛ばす。赤黒い血を纏った躯が、凍結したまま砕け散った。
フェンネルが負けじと杖を掲げ、声を張り上げる。
「氷結陣――《アイシクル・レイン》!」
無数の氷柱が降り注ぎ、地面に縫い付けられた魔物たちが悲鳴を上げる。
「がっはは! こいつぁ派手だ!」
ザークが前に出て、巨大な盾で突進。薙ぎ払うだけで数体がまとめて吹き飛ぶ。
シズカはその隙を縫うように、影と一体化して敵の背後に回り込んだ。
「――忍法《影走り》!」
瞬時に斬り裂かれた魔物が、呻き声を残して崩れ落ちる。
最後に、セレスの祈りが響いた。
「光よ――《聖裁光槍》!」
純白の槍が一直線に貫き、残った魔物の影を吹き飛ばす。
◇◇◇
森に再び静寂が訪れた。だが、残されたのは無数の赤黒い魔法陣。地面に焼き付けられたそれは、まだ微かに蠢いているように見えた。
「……これが、人を魔に堕とす術か」
僕は歯を食いしばり、剣を握り直した。
(絶対に、これ以上広げさせてはならない……!)
血の紋様が描かれた地面は、まるで呼吸しているかのように脈動していた。
黒い瘴気がゆらめき、焼け焦げたような匂いが漂う。
(……これは、明らかに意図的に作られたものだ)
剣の柄を握る手に、自然と力がこもる。
フェンネルが杖の先で土を軽く叩き、低く呟いた。
「やっぱりね~。魔法陣の線が均一すぎる。自然発生じゃないわ。――術者が、ちゃんと描いてる」
アテンさんが膝をつき、慎重に地面を観察する。
「血の乾き方……数日は経過しているな。にもかかわらず瘴気が残っている。相当な術者の仕業だ」
リンカが矢を構えたまま周囲を見回す。
「森の奥にも、同じ気配がいくつかあります。……罠を張るように点在しているみたい」
セレスが小さく息を呑み、両手を胸に当てた。
「まさか……これ、村人たちを“魔に堕とすため”の儀式だったのでは……?」
その言葉に、一同の空気が張り詰めた。
僕は地面に刻まれた文字のような模様を指でなぞりながら、低く呟いた。
「魔族語……しかも、かなり古い書式だ。これは、僕たちが戦ったヴァルナの魔法陣と酷似してる」
「じゃあ、七魔将の手の者か?」
ザークが眉をひそめ、拳を鳴らした。
ルミナスが髪を揺らしながら近づいてくる。
「……違う。匂い、ヴァルナのときと……違う。もっと、濃い。もっと、深い」
「深い?」と僕が問い返すと、彼女は少し首を傾げて続けた。
「うまく言えない。……けど、これは“血の呪い”そのもの。魔族の中でも、血を喰らい、力を得る系統」
その言葉に、フェンネルが目を見開く。
「血を媒介にした呪術……! まさか、封印されたはずの“血翼の軍団”の流派?」
アテンさんが険しい顔になる。
「……ラミエル。かつての“血翼”を統べた将。まさか、奴の影が――」
その名を聞いた瞬間、胸の奥がざわついた。
(ラミエル……ヴァルナを超える存在。もしそいつが動いているなら……これは前触れにすぎない)
沈黙の中、セレンが静かに手を掲げ、祈りを捧げた。
「神の御心に背く者たち……血を汚し、命を弄ぶ者たちよ。必ず、裁きが下ります」
その瞬間、血の紋様がぼうっと光り出した。
「……っ、反応した!?」
ルミナスが即座に叫ぶ。
「罠。血、呼応してる!」
「全員、下がれ!」
僕が叫んだ刹那――地面が爆ぜ、赤黒い霧が噴き出した。
煙の中から、巨大な影が立ち上がる。
歪んだ羽を持つ獣のような魔物――。
「……血翼の眷属!」
アテンさんが剣を抜き放つ。
「戦闘態勢!」
僕も剣を構え、仲間たちと視線を交わす。
再び、光と闇が交錯する戦いが始まろうとしていた。




