千眼の魔将・ヴァルナ
(やはり……! 奴は未来を覗いている……!)
剣を握る掌に汗が滲む。動けば必ず、先を読まれる。
それでも止まるわけにはいかない。僕は踏み込むが――
「甘い」
ヴァルナの眼がぞわりと蠢いた瞬間、足元の影が槍のように突き上がり、僕の体勢を崩した。
反射的に飛び退くと、背後の大木が粉々に砕け散る。ほんの一瞬遅れていたら、串刺しになっていた。
「セージ君!」
リンカの矢が放たれる。だがそれは、まるで待っていたかのように影の触手に弾かれた。
「……矢の軌道すら、見えている……!」
ルミナスが炎をためて叫ぶ。
「なら、速さで押す!」
炎の矢が三連続で放たれる。しかしヴァルナは動かない。ただ眼がぎょろりと揺れるだけで、三発とも途中で軌道を逸らされ、虚空に消えた。
「……くそっ!」
ルミナスの歯噛みが聞こえる。
「癒しの光よ――」
セレスの祈りの言葉が始まるが、それすら許されない。
彼女の頭上に無数の闇の刃が生まれ、詠唱の声をかき消すかのように降り注いだ。
「セレス!」
僕が駆け寄り剣を振るって斬り払う。だがその隙に、背後から触手が迫る。
振り返った時にはもう遅い――
「セージ様っ!」
セレスが身を投げ出し、僕を庇った。光の障壁が展開し、触手は弾かれたが、衝撃で彼女は膝をついた。
「無駄だ……どれほど足掻こうとも、貴様らの未来は決まっている」
ヴァルナの声は静かで、それがかえって不気味だった。
全員の攻撃はすべて見切られ、癒やしすら封じられる。
まるで、こちらの“未来”が奴の眼の中に囚われているようだった。
(このままじゃ……本当に全滅する……!)
焦りが胸を焼き、喉が乾いていく。
だが――僕は剣を握り直し、仲間たちを見回した。
「……諦めるな。未来は、俺たちで切り拓く」
そう口にしたが、その声の奥には、自分でも誤魔化せないほどの焦燥があった。
剣を握る指先が震えていた。ヴァルナの眼は、まるで僕らの思考そのものを先読みしているようだ。
リンカが唇を噛みしめ、再び弓を引いた。
「セージ君……今度こそ!」
矢が放たれる。だが――
「無駄だ」
老人の囁きと同時に、触手が軌道を塞ぎ、矢は木の幹に突き刺さった。
「やっぱり……攻撃の“先”を全部読まれてる……」
リンカの声が震える。
ルミナスは大きく腕を振りかぶった。
「じゃあ、もっと派手に――ドカンと!」
炎の奔流が森を薙ぎ払う。だが、その熱も予測済み。ヴァルナの影が蠢き、炎を遮断して空気を捻じ曲げた。
「……その程度の“未来”は、既に視えている」
無数の眼がぎょろりと動き、僕らを見下ろす。
セレスが必死に祈りを紡ぐ。
「神よ、導きを――!」
だがその瞬間、地面が裂け、禍々しい眼が覗いた。祈りの言葉はかき消され、彼女の足元から瘴気が立ち昇る。
「……ッ!」
セレスは顔を歪め、辛うじて立っていた。
(ダメだ……全部潰される。俺たちが“考えた通り”の行動は、すべて奴に先読みされている……!)
絶望の重圧に胸が押し潰されそうになる。
けれど――その時、リンカが叫んだ。
「……待って! セージ君! 視えてるのは“確定した未来”じゃない!」
「え……?」
リンカの瞳が光を帯びる。【分析】のスキルだ。
彼女は震える声で続ける。
「ヴァルナの眼が映しているのは……“確率の高い未来”。だから、みんなが普通に戦えば、必ず当てられる……でも――」
ルミナスが息を呑んだ。
「……想定外なら、揺らぐ?」
ヴァルナの眼が一斉に蠢く。老人の顔が不気味に歪んだ。
「……小娘、余計なことを」
その声に、逆に確信した。
(そうか……! 奴の未来視は絶対じゃない。なら……突破口は――)
僕は深く息を吸い、剣を握り直した。
「みんな、無駄な行動を恐れるな。想定外の一手を作るんだ!」
仲間たちの目に、再び光が戻るのを感じた。
リンカが素早く矢をつがえた――が、放たれた矢は明後日の方向へと飛び、森の枝を粉砕した。
「えっ……!? 外した!?」
兵士たちがざわめく。けれどリンカは振り返って僕にウインクを寄こした。
「……小細工を」
ヴァルナの眼がぎょろりと揺れる。
ルミナスは炎を練り上げながら、突如として掌を閉じた。
「やーめた」
爆発は起きず、ただ熱風が吹き散るだけ。周囲の枝葉がぱちぱちと燃え始める。
「……馬鹿な行為。意味をなさぬ」
しかしその声には、かすかな苛立ちが混じっていた。
セレスは胸の前で祈りを結びかけ、突如として両手を解いた。
「――ふぅ」
ただ静かに息を吐いただけ。けれど森を覆う瘴気が、わずかに反応を遅らせる。
(……効いてる!)
僕も合わせて、無意味な斬撃を地面に刻んだ。
石を砕くだけの剣筋に、ヴァルナの眼がぞわぞわと騒ぐ。
「馬鹿な……! お前たち、何を……! “未来”が、乱れる……!?」
その声が揺れた瞬間――確かに僕らは手応えを得た。
ヴァルナの眼が、確定の未来を描けずにざわめいている。
「セージ君! このまま混乱させれば!」
リンカが叫ぶ。
「ああ……! いまが突破口だ!」
僕は剣を構え直し、乱れた未来の狭間へ踏み込んでいった。
僕の斬撃が閃光となって奔り、ヴァルナの眼前を裂いた。
だが、血が飛ぶより早く、奴の全身に浮かぶ眼が一斉に蠢いた。
「……小細工は終わりだ」
瞬間、森全体がぐにゃりと歪む。
視界が二重にも三重にも重なり、吐き気を催すほどの光景が押し寄せてきた。
「見よ――“未来の収束”を」
無数の眼が、ひとつの映像を映し出す。
そこには――膝を折る僕の姿があった。
剣は砕け、仲間たちは血に伏している。
リンカの矢は折られ、ルミナスの炎は掻き消され、セレスはその場に崩れ落ちていた。
「……これが確定未来。お前たちは敗れる。何度足掻こうとも、この結末は変わらぬ」
ヴァルナの声は冷酷で、森そのものが呪詛を囁いているかのようだった。
リンカが顔を青ざめさせる。
「……そ、そんな……」
セレスが祈りを強めても、その光すら未来映像に吸い込まれるように掻き消される。
ルミナスも拳を握り締めた。
「ルミナスたちの“未来”まで……勝手に決めるな」
(……未来を固定してくるのか……! このままじゃ、本当に全滅の絵を押し付けられる!)
僕は歯を食いしばり、剣を強く握り直した。
「……そんな未来、受け入れるものか」
ヴァルナの眼がぎょろりと蠢き、映し出された未来の映像を強調するかのように広げた。
その光景に押し潰されそうになりながらも、僕は一歩も退かない。
「セージ君……!」
リンカが矢をつがえた。だが、ただ射るのではない。彼女は弓を逆手に持ち、地面に矢を突き立てて奇妙なリズムで叩き始めた。
――まるで戦場で踊るように。
ヴァルナの瞳が一瞬だけ揺れる。
「……無意味だ。未来は――」
次の瞬間、ルミナスが高らかに笑った。
「そのとーり! 無意味。だからやる!」
炎を頭上に掲げ、渦を巻く隕石を生み出す……かと思えば、それを自ら吹き消した。
熱風だけが残り、森の木々をしならせる。
「……!? なぜ放たぬ……!」
ヴァルナの声に、苛立ちが滲む。
セレスも瞳を閉じ、祈りの言葉を紡いだ。
「神よ……私に奇跡を与えたまえ……」
その手は宙にかざされたが、放たれるべき光は出ない。
――だがその瞬間、地面に膝をついていた兵士の一人が涙を流し、立ち上がった。
「……聖女様……俺たちも、諦めちゃいけねぇ……!」
未来の映像がざわりと揺らぎ、血に伏すはずの兵士が確かにそこに立っている。
(そうか……! “確定未来”なんてものは存在しない! 俺たちが動くたびに、いくらでも揺らせる!)
僕は剣を掲げ、声を張り上げた。
「みんな――恐れるな! 一つ一つの行動が、奴の未来を壊す!」
ヴァルナの無数の眼が軋むように蠢き、ざわめきは森全体を震わせた。
「馬鹿な……! なぜだ……“確定”したはずの未来が……乱れる……!」
映像が揺らぎ、剣の砕ける音も、血に倒れる姿も、靄のように崩れ始める。
ヴァルナの声がざらつき、焦燥が滲む。
「馬鹿な……視えるはずだ……! この眼は、千の未来を視通すはず……なのに……!」
無数の眼がぎょろぎょろと動き、幾つもの未来映像を同時に映し出そうとする。
だがどれもが曖昧で、煙のように掻き消えていく。
「セージ君!」
リンカが叫び、氷を纏わせた矢を放つ。
本来なら先読みされるはずの矢が、ヴァルナの肩を掠めた。
赤黒い血が飛び散り、奴の顔が初めて歪む。
「……通った……!」
ルミナスが目を見開き、両手を組む。
「ためる。セージに全部、託す」
その手から、炎と氷の奔流が光の粒子となって僕へと流れ込んでくる。
セレスもまた両手を胸に重ね、強く祈った。
「聖なる加護を……彼に!」
柔らかな光が僕の全身を包み、剣に聖なる輝きを帯びさせる。
リンカが再び矢を構えたが、放つ前に微笑んで僕を見た。
「最後の一射は……君に託す」
その想いがリンクを通じて伝わり、弓の力が剣へと流れ込んだ。
――全員の“ため”が、僕に集まっている。
(これだ……! 未来を乱し、想定外を積み重ねた先に……俺たちの“道”がある!)
剣が眩い光に満ち、森を照らす。
その輝きの中で、ヴァルナの無数の眼が恐怖に震えていた。
「やめろォォォ……! その未来だけは、視えてはならぬ……!」
僕は踏み込み、放った。
「――【滅魔斬光連陣】!!」
無数の斬撃が光の輪となって迸り、ヴァルナを取り囲む。
その眼が次々と潰され、悲鳴が森を揺らした。
「未来が……崩れる……視えぬ……視えぬぅぅぅ――!」
最後の一閃が奔り、異形の身体を真っ二つに切り裂いた。
無数の眼が光の粒子となって四散し、森に深い沈黙が訪れる。
息を吐き、僕は剣を下ろした。
(……終わった……のか……?)
焼け爛れた木々の匂いと、血と瘴気の混じった重苦しい空気が漂う。
僕は呼吸を整え、周囲を見渡した。
ルミナスが拳を突き上げる。
「やった……! 今度こそ倒した!」
セレスも祈りの手を解き、胸に安堵の息を吐いた。
「神よ……守りきることができました……」
リンカが矢を握り締め、僕の隣に立つ。
「セージ君……本当に、勝てたの……?」
その時だった。
――ズズ……ッ。
真っ二つに裂かれたはずのヴァルナの残骸から、無数の眼が蠢き、呻くように開いた。
老人の声が、かすれながらも確かに響く。
「……勘違いするな……お前たちが斬ったのは……ただの影……」
無数の眼が弾け飛び、しかしひとつだけが空に浮かび残った。
それは異様に輝きを増し、夜空の星々と溶け合うように広がっていく。
「……七魔将は……我だけではない……本体は……まだ……視ている……」
残滓の声は森の木々を軋ませ、最後に不気味な囁きとなって消えた。
光の粒子が完全に霧散し、深い静寂が訪れる。
僕は剣を強く握り直し、仲間たちを見渡した。
(……まだ終わりじゃない。これは、始まりに過ぎない……)




